第6話


 三日目も似たようなことで、ロイはスケジュール通りに動くことを徹底していた。朝は六時の起き、夜は十一時に寝る。これを機械のようにこなしている。昼は毎日出かけていて、だいたい太陽が沈む一歩手前には帰ってくる。四日目も三日目と一緒だった。ということで、私もそろそろ飽きてしまい、わざわざ窓まで近寄って真面目に彼の家を見張るのが嫌になってしまった。しかし、生来からの頑固さからか、愚直に一日に二時間は窓の近くで見張りを続けた。このようにして、日曜日がやって来た。


 街の清掃活動は地区ごとに分担して二人一組で行われた。いつも決まった顔ぶれのせいか、新参者の私が来たことに周りのご婦人方も戸惑ったことだろう。既にグループが出来て調和が成り立っているところに、不安要素を迎え入れるのだから、誰を私と組ませるか悩んだに違いない。一応、ロイの代理で来たことを伝えたら、以前よりも反応はよくなり、幸いにも、グループのなかにはエレナという知り合いの女の子もいたので、彼女の親切によって二人組は決まり、スムーズにこの問題は解決した。そうして私たちがペアになると、残りの者から漂う、小さな緊張の糸みたいなものが緩んだのがわかった。再び緊張が生まれない間に、私たちは和の中から出た。それから二人で指定された場所まで雑談をしながら歩いた。


 途中、交差点の信号で待っているところで、エレナは懐かしそうに、わたしを見上げながら言った。


 「本当に久しぶりね。最後に会ったのはいつだったか覚えてる? 」


 「チェリーパイを二人で作って食べたときだよ。あの時は頻繁に会ってたな」


 「でも、それ以来、連絡もなかったよね」


 「お互いにね」  


 「まあね」と彼女は答えた。「でもあなたは大人なんだから、もっと気を利かせてちょうだいよ? 」


 「連絡がないのは元気な証拠だと思ってたんだ」


 彼女は小さなため息をついて、横目で私を見た。 


 「ねえ、まだ人を探したり、見貼ったり、追いかける仕事をしてるの? 」


 「他にどんな仕事があるのか、小さい頃に誰も教えてくれなかったんだ。君は金に困らない生活をしたかったら、わたしみたいな人間にならない方がいいよ」


 「でも、あなたって野良猫みたいで楽しそうじゃない? 」


 彼女は唇の端でにやっと笑った。その表情から、私はかつての彼女のことをふと思い出した。そういえば、最初に出会った頃もそんな笑顔をしていたような気がするのだ。


 

 かつて、私は依頼人の行方不明になった子供を探したことがあった。その子供がエレナだ。もっとも、その頃の彼女はエレナ・スペンサーという名前だった。依頼人の父親は熊のように太っていて、よくビールを飲む男で、子供を育てるどころか、一人で生活するのもやっとの状態だった。他に家族や親族もなく、彼女はそんな父親から逃げて家出をしたのだ。そうして多くの者に捜索されながらも、一週間掛けて誰の目にも見つからずにエークドからアトランまで行き、テクシスまで一人で渡り歩いて誰も使っていない別荘で隠れながら生活をしていた。その冴え渡る賢さと辛抱強さには感服する。……やれやれ、本当に探すのに苦労したものだ。


 ちなみにぼろぼろの別荘で見つけた彼女はベッドで昼寝をしている最中で、自分が見つかったことなんて夢の続きであるかのように大して気にしないまま再び寝ようとしたから、その大胆さと自信にも感服ものだ。それでも彼女の頬は濡れていて、あとで仲良くなった私に「このまま一人にして」とせがんだことは今でも忘れられない。が、それでも私は親元に連れてかえった。そうすることが結果的に最善の選択だと思っていたのだ。もし、私にもう少し賢さが備わっていたならば、彼女の父親に対してもっと深い考察をし、そのときとは違う選択が出来たのだろう。しかしこれが私の仕事だし、もうどうしようもないことだ。彼女も諦めてくれたのか、それ以上は抵抗をしなかった。そのあと、エレナの予想通り、父親は彼女に対して暴力を振るうようになった。すぐに表ざたになり、父親と別れさせられ、児童養護施設で暮らし始めるようになった。最初は死ぬほど嫌そうで、わたしの事務所に何度も来て愚痴を言っていたのを鮮明に覚えている。周りに馬鹿しかいないとか、低俗だとか、脳みそに蛆虫が沸いてるとか……およそ子供に思いつきそうな罵り方をエレナはしなかったが、だんだんと慣れてしまったのか、そのうち他の子供とも話を合わせるようになれたらしい。その頃になると、事務所に愚痴の連絡をする頻度も減って、我々はあまり会わなくなった。


 それでも私は後ろめたいものを感じざるを得ない。これは結果論であって、エレナの強さによるものであって、わたしのやった行為がどう転ぶかなんて誰にもわからなかったからだ。ひょっとすると、彼女は狂った父親によってもう死んでいたかもしれない。あるいは施設の暮らしが嫌だったり、他の子供にいじめられて自殺をしていたかもしれない。そういう未来もありえただろう。もしくはこれからそういう未来がやってくる可能性もあるのだ。……たまに自分の仕事が誰を救っているのかわからなくなる。私がやったことは何であれ二度と消えないのだ。


 「でもね」とエレナがいつか言ったことを今でもたまに思い出す。たしか、施設に行くことが決まった頃だ。私たちはふたりでソファに座りながらココアを飲んでいたような気がする。


 「私ね、パパのこと嫌いじゃなかったんだ」


 「そうなんだね」と私はたぶん言っていた。


 「でも、これで正解かもしれない。私達、お互いに弱かったから。パパにとってもこれは良いことだと思うんだ」


 「うん」


 「ねえ」と彼女は言って、くすくすと笑う。「まだわかんないけど、まだ私は大丈夫だよね? 」


 私はそこで言い淀む。こんなとき、いったい何て答えてやればいいんだ? 誰にそんなことがわかるってんだ? 結局、にこりと微笑んで抱きしめることしか出来なかった。それでエレナはわたしの腕の中でぴったりとくっつきながら、わんわんと泣いてしまう。私はその間も黙っている。それから最後の一滴の涙を落としながら彼女は静かに弱弱しい声で言う。


 「ねえ、大丈夫かな? 」


 「ああ」と私はそこでようやく言葉にして言うことができる。どうにも遅すぎたような気がする。なぜ、こんな大事なときに、いつだって言葉は出てこないのだろう? 


 エレナはたったその一言だけを望んでいたのだろう。しかしわたしが即座に答えてやれないものだから、また絶望の淵に落としてしまったのだ。それは今でも後悔している一つの出来事だ。これからも私の脳みそのどこかに刻印として宿り続けるに違いない。

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