第5話

 一時間後、ドアのベルが鳴り、気の無い返事をした。ロイだった。彼は今週の日曜日に仕事があり、街の清掃活動に出られないため、代わりに私に参加して欲しいと頼みに来たのだ。どうやら月に一回、一つの地区から最低でも二人は参加しなければならないらしい。私は断ろうとも思ったが、彼にこれまで活動を押し付けていたこともあり、そしてその日だけは見張りする必要がなくなったので、わかりましたと言って承諾した。それにしても、くそみたいな活動だ。ロイは申し訳なさそうに礼をすると、「助かります」と言って菓子折りをくれた。こいつはご丁寧にどうも、と私は言いかけて、それを言うのはぐっと堪え、代わりにお礼の言葉を知らない英文を読むように述べた。ロイは嬉しそうに言った。


 「マフィンなんです、それ」


 「マフィンね」と私は言った。「ありがとうございます」


 「友人が経営しているところで作っていて、大げさに言うと、これが僕の故郷の味みたいなものなんです。きっと美味しいですよ」


 「それはそれは」と私は言った。「そういえば、故郷はどちらで? 」


 「テクシス」と彼は言った。


 「ああ、砂で有名なところですね。じゃあ、トムも同じ出身だったのかな」


 ロイは黙った。それから彼は落ち着いた調子で言った。


 「どうにも、ここの人たちは噂好きみたいですね」


 「少しだけね、それにあなたは特別ですよ。なんせトムが有名だったから。私も生前の彼とは仲良くしてもらいました。噂では、あなたは彼の親族だと聞いたのですが、それは本当ですか? 」


 「あまり多くは語りたくないのですが、根も葉もない話が広がっているようですね。正直にいうと、僕とトムに血縁関係はありません。それは法的にも。でも、かつて僕とトムは親密な関係だったんです」


 「彼のお墓には行きました? 」


 「ええ、行きました。彼を埋葬してくれた方たちには頭が上がりません。本来ならば、彼の埋葬は僕がするべきだったはずなんです。だけど、つい最近まで僕はトムの死を知らなかった」


 「それは、またなぜ? 」


 「それまでしていた仕事がなかなか慣れなくて、誰かと話したり会ったりすることが苦痛になっていたんです。トムのことも拒絶してしまい、結局、このような結果になってしまいました。本当、僕は最後まで彼に迷惑をかけてしまい、彼の期待に答えてやれなかったんです。せめて死んだトムの顔を見て、なにか声をかけてやりたかった」  


 「お察しします」


 「そういえば、お墓は誰が立ててくれたかご存知ですか? 是非、お会いしたいんです」


 「申し訳ないですが、誰なのかはわかりません」


 私はそう言って、あえて興味がないように装ったが、ロイは藍色の大きな瞳で、目の前にいる相手の表情を冷静に検分していた。生まれ持っての観察者としての才能がある者だけが有する静けさがそこにはあった。もしここがベイカー街であったなら、彼こそがシャーロック・ホームズの後継者だっただろう。だが、私のポーカーフェイスだって負けてなかったはずだし、彼にトムを埋葬したのが私だと、絶対に自分からばれたくなかった。誰かに恩を売るようにぺらぺら話してしまうような安っぽい行為にしたくなかった。それはチェス仲間への裏切りのようにも感じたし、なにより最後に飲んだあのテキーラがただの酒ではなかったのだと信じたかった。


 「もし知ることがあったら、僕に教えくれたら嬉しいです」とロイはしばらくして言った。「それはそうと、あなたはずっとここの人なんですか? 」


 「いえ、生まれはアトランじゃありません」


 「エークドとか? 」


 「もっと遠いところです」と私は言った。そしてこうやって逆に質問されると、色々とボロが出そうに思えたので、「そういえば、今日はどちらにお出かけになったんです? 」と話を変えて訊いた。


 ロイは曖昧に笑うと、小さく肩をすくめて言った。


 「友人の家です。最近、あまり元気がないから励ましに行こうかと思っていたのですが、余計なお世話みたいでした」


 「それはそれは」


 彼は唐突に吹きだすように笑った。何が面白かったのかわからないが、見下されているようで気分はよくなかった。それに私の神経は随分前から集中しすぎて逆立っていた。


 「なにか面白かったですか? 」と私は言った。


 「いえ、なにも」とロイは答えた。そして次は彼が話をそらした。「そうそう、見張りの件で何か変わったことはありませんでしたか? 」


 「さあ、私が見るからには何も不自然なことはありませんでしたよ。屋上も静かだったし、庭も荒らされていませんでした。ついでに言うと、警官も見てません」


 彼は申し訳なさそうに言った。


 「……もし気にされてしまったのなら、先ほど笑ったことは許していただきたい。悪気はなかったんです」


 「別に気にしてませんよ」


 「本当に大したことじゃないんです」


 「それはそれは」


 「あなたの口癖ですね、それ」


 「なにが? 」


 「それはそれは」


 「ああ、そういうこと」と私はほっとして呟いた。「それはそれは」


 こうして二人でもうしばらく雑談したあと、彼は家に帰り、二日目の夜も何事もなく終わった。この日もロイはきっちり家の灯りを消すと、いつも通り十一時にはしっかり就寝したはずだろう。そのあとは私の自由だ。わたしは一時間をモーツァルトのレクイエムを聴きながら、ワインとブルーチーズとフランスパンを胃に収めることに費やし、それなりに楽しんだ。途中でワインだけが残ったので、彼からもらったマフィンを肴にした。酒に合う菓子だ。こうして三日目がやってきた。

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