第7話 笑顔でいられるのなら

「えっ?」


 気がつくと、わたしは子どもの姿に戻っていた。元々の、小学四年生の姿に。

 場所は、扉をくぐった先にある空家の中。それ以外は、特に何も変わったところは見つからなかった。


「また、別の世界に来たの?」


 そうでなきゃ困る。そのために、わたしは再び扉をくぐった。ユウくんが、幸せになれる世界を求めて。

 そのためなら、最初に願っていた同い年の世界なんて、今となってはどうでもいいとさえ思った。


 だけどさっきからずっと、頭の中に不安が渦巻いている。ここは別の世界なんかじゃなくて、わたしが元々いた世界なんじゃないか。なんの根拠もないのに、なぜかそう思えて仕方ない。


 その時だった。


「藍!」


 突如、後ろで扉の開く音が、そしてわたしを呼ぶ声が響く。振り返ってみると、そこには思った通りの人が、ユウくんが、息を切らせながら立っていた。


「ユウく────」


 零れ出たユウくんの名前。だけどそれは、途中で声にならなくなった。言い終わるより早く、ユウくんがわたしを抱きしめていたから。


「…………心配かけるなよ」


 それの様子を見て気づく。ただ、元の世界に帰ってきただけなんだと。

 元々、願いが叶う世界に行けるなんて、奇跡みたいなもの。そんなものが、二度も起きるなんてことは無かった。


 元の世界に帰ってきた事で、子どもの姿に戻った以外、状況はさっきまでと何も変わっらない。ユウくんのうちの事情を知って、それからわたしが逃げるように駆け出していった。ただ、それだけだ。


「ごめんなさい……」


 なにもできない自分が悔しくて、そんな言葉がこぼれる。だけどユウくんはそれを、急にいなくなったことを謝っていると思ったみたいだ。


「俺の方こそごめんな。いきなりあんなの聞いて、驚いたよな」


 抱きしめる手も、届いた声も、さっきよりもずっとずっと震えていた。


 少し離れていたこの間に、わたしのことをどれだけ心配していたか、どれだけ必死で探していたかが分かる。ユウくんを助けたかったのに、ただ迷惑をかけただけだったと思い知らされる。

 こんな時でさえ、わたしはユウくんに甘えてばかりだ。


「そうじゃないの。わたし、ユウくんがあんなことになってるなんて知りもしないで、何もしてあげられなくて……」


 せめてわたしが本当にユウくんと同い年だったら、ちゃんと心まで成長していたら、悩みや不安を受け止めることができたのかな?

 だけどそれは無理な話。あんな不思議な世界に行って戻ってきても、わたしの中身は何も変わらず、ちっとも成長していなかった。


「そんなことないよ」

「あるもん! だってわたし、いつも甘えてばかりじゃない」


 例え何を言われても、わたしが何も出来ないのは事実だ。そう思った。

 けれどユウくんは、そんなわたしに向かって言葉を続けた。


「こんな時だけど、少し話をしていいか?」

「……話?」


 それを聞いて、俯いていた顔をようやく少しだけ上げる。


「初めて俺と会った時のこと、覚えてるか?」

「えっ?……う、うん」


 どうして急にそんな話が出てきたんだろう。だけどその時の事は、今もハッキリ覚えている。わたしがまだ、小学校に入る前の話だ。


「わたしが迷子になってたのを、ユウくんが助けてくれたんだよね」


 その日一人で外に遊びに出かけて、帰り道が分からなくなったわたしは、助けを求めて近くにいたお兄ちゃんに声をかけた。それがユウくんだ。

 幸いユウくんの家はうちの近所だったと言うこともあって、無事にわたしはうちに帰ることができた。


「それから懐かれるようになったな」


 近所に住んでいたユウくんには、それからも度々会うことがあっだけど、その度にわたしはニコニコしながら寄っていくようになった。


 そればかりか、遊んでほしいだの家に来てほしいだの、小学校に上がってからは宿題を教えてほしいだの、事あるごとに様々なお願いをして甘えていた。そして、今に至ると言うわけだ。


「やっぱりわたし、すごく迷惑かけてるじゃない」


 振り返ってみて、今更ながら自分のやって来たことが恥ずかしくなってくる。

 そんなわたしの様子を見て、ユウくんは小さく笑った。


「でも、俺は嬉しかったよ。藍が何度も構ってくれて」

「でも……」


 いくらユウくんがそう言っても、簡単に、それならいいかとはならない。だけど納得してないわたしに向かって、ユウくんはさらに続けてきた。


「藍と初めてあった頃は、ちょうど母さんが出ていったすぐ後だったんだ。いくら嫌だって言っても聞いてくれなくて、残った父さんともほとんど話さなくなって、なんだか一人ぼっちになったような気がしてた。多分、笑うこともできなくなってたと思う」


 思い出しながら、当時の気持ちが甦ったんだろう。一瞬、寂しそうな顔を見せる。

 だけどそれからすぐに、またさっきまでのような穏やかな笑顔に変わった。


「だけど藍は、そんな俺に何度も近づいてきてくれて、笑いかけてくれて、それを見てると、いつの間にか俺もまた笑えるようになってたんだ」

「そうなの? ユウくん、いつも笑ってくれてたと思うんだけど……」


 思い出して見るけど、わたしの中でユウくんは常に笑顔をくれていた。


「その笑顔は、藍がくれたものだよ。嬉しかったんだ。家族が壊れて一人だと思っていた俺に、こんなに大事に思える子ができたってことが。まるで、新しい家族ができたみたいだった」

「私は妹?」

「もちろん」


 妹。それは今までにも何度も聞いていた言葉。それが時には切なくて、その関係を変えたくて、別の世界にまで行った。

 だけど、今まで分かっていなかった。一度家族が壊れてしまったユウくんにとって、その言葉がどれだけ大きなものか。


「今だってそうだよ。辛い事や悲しいことがあっても、藍がいてくれたおかげで、また笑うことができる。だから、一緒にいてくれて助けられてるのは俺の方」


 わたしが、ユウくんの支えになれた。世界を越えても得られなかったそれを、わたしが作ることができたんだ。それがすごく嬉しい。

 

 ユウくんが笑顔でいられるのなら、今はまだ妹でも良いと思えた。

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