第5話 恋バナ、盗み聞き


 その日の放課後、わたしは一人保健室のベッドで寝ていた。5時間目が終わったくらいに、気分が悪くなってここまで運ばれたんだ。


「いきなり高校生やれって言われても無茶だよ」


 振り返ってみると、今日はひどく疲れる一日だった。

 と言っても、勉強についていけなかったとかじゃない。不思議なことに、授業の内容はある程度理解できていた。今朝自分の靴箱の位置が分かったみたいに、必要な知識はある予め程度頭の中に入っているようだった。どういう理屈かは分からないけど、こっちの世界に来た時、体の成長と一緒に身につけたみたいだ。


 だけどいくら知識があっても、心がそれについていかなかった。

 もちろんわたしは、これまで高校になんて通った事がない。初めての場所だし、周りにいるのは、つい昨日までのわたしよりも、ずっと年上の人ばかりだ。そんな状況に緊張がたまって、とうとう気分が悪くなってしまったと言うのが、わたしが今ベッドで寝ている理由だった。


「ユウくんにも、たくさん迷惑をかけたな」


 思わずため息が出る。

 気分が悪くなったわたしを、ここまで連れてきてくれたのはユウくんだった。ユウくんはそれ以外にも、今日一日様子のおかしかったわたしを、何かと面倒みてくれた。

 それはある意味嬉しくもあるんだけど、同時に少し落ち込んだりもする。迷惑をかけるわたしと、それをフォローするユウくん。これって、まるっきり手のかかる妹とそのお兄ちゃんって構図じゃないの? と言うか、ユウくんは絶対そんな風に思っていそうだ。


 今日の朝、妹から一人の女の子に変わるんだって決意をしたばっかりだってのにこんなんじゃいつまでたっても妹のままだ。そう思うと、さらに体から力が抜けていくような気がした。


 とは言え、いつまでもうじうじ悩んではいられない。

 休んだおかげでだいぶ楽になったんだ。もう授業も終わってるだろうし、教室に戻って早く帰ろう。


「ユウくん、まだいるかな?」


 できれば一緒に帰りたいな。そう思いながら教室に入ろうとすると、早速その姿を見つけた。どうやら、他の男子生徒と話をしてるようだった。


「もう帰るのか?」

「ああ。その前に保健室によるけどな。藍、大丈夫かな?」


 心配してくれるユウくん。それを見て、心配してくれた事に、また嬉しさと申し訳なさが同時に溢れてくる。

 元気になったところを見せて安心させないと。そう思い教室の中に入ろうとしたけれど、その時ユウくんと話をしている男子が言った。


「それにしても、二人ともほんと仲いいよな。マジでつきあったりとかしてねーの?」


 それを聞いて、踏み出した足が止まる。わたしとユウくんは、よほどそんな風に見えるのかな?

 とは言っても、ユウくんがなんて答えるかは、だいたい予想がついていた。


「そんなんじゃないよ」


 ほら、やっぱりね。ずっと妹扱いなんだもん。さすがにこれくらいは分かる。

 ちょっと寂しいけどね。


 だけど二人の話は、それからもう少しだけ続いた。


「じゃあ、どんな子ならつきあいたいって思うんだよ」


 あっ、それはわたしも知りたい。気がつけば、さっきからすっかり盗み聞きしてるけど、好きな人の恋バナを聞けるなんて滅多にない機会だし、そこは大目に見てほしい。


 ドキドキしながら続きを聞くけど、ユウくんの反応はアッサリしたものだった。


「特に思い浮かばないな。と言うか、つきあいたいとか彼女が欲しいとか、思ったことないから」

「なんで?」

「もし付き合ったとしても、いつかは別れるかもしれないって、つい考えるんだ」


 つまり、当分誰かと付き合う気はないってことらしい。果たしてこれは、喜ぶべきか悲しむべきか。


「それに、今はそんなこと考えてる余裕なんてないからな」

「余裕ないって、何かあるのか?」

「まあ、色々な」


 そこまで言ってあとは言葉を濁すユウくん。何か含みがあったようで気になるけど、話がそれ以上続くことはなかった。

 ユウくんがわたしを見つけたからだ。


「藍、もう大丈夫なのか?」


 まるで今までの話なんて忘れたように、心配しながらよってくる。


「なんだか今朝から少し様子が変だったし、本当にどこか悪いんじゃないのか?」

「少し寝たらスッキリしたし、もう平気だよ」


 心配するその様子は、わたしから見ても過保護かもしれないと思ってしまう。だけどそれが嬉しいのも事実。それにユウくんがこうなったのは、元の世界では、わたしが何度も甘えたり、面倒を見てもらったりした結果だった。きっとこの世界でも、同じような感じだったんだろう。


 あれ、もしかしてさっきユウくんが言ってた「余裕ない」って、わたしの面倒見るので忙しいからじゃないよね?















 家に帰ったわたしたち。その日もユウくんはいつもの通りわたしの家の喫茶店で夕食をとって、それから自分の家に帰っていく。だけどそのすぐ後、スマホを忘れているのに気づいた。


「わたし、届けに行ってくる」

「今からか? もう暗くなってるぞ」


 お父さんが心配するけど、ユウくんの家はすぐ近くだし、大丈夫だろう。

 ユウくんに追い付こうと足を進めだけど、その後ろ姿に追い付いたのは、ちょうどユウくんの家の前あたりだった。


「ユウくん、忘れ物」

「ほんとだ。わざわざ届けてくれてゴメンな」


 呼び止めてスマホを渡すと、今まで気づいていなかったようで、お礼をいいながらそれを受け取った。


「家まで送るよ」

「えっ、いいよ」


 もうほとんどユウくんの家の前だってのに、今からわざわざうちまで行くなんて悪い。そう思ったけど、ユウくんは譲らなかった。


「ダメだよ。女の子なんだし、何があるか分からないからな」


 結局、ユウくんの言葉に甘えることにして、二人で元来た道を引き返そうとする。その時だった。


「ふざけるな!」


 突然、どこからか男の人の大きな怒鳴り声が聞こえてきた。

 自分に言われたわけでもないのに、その迫力に体が震える。だけど、それだけでは終わらなかった。


「ふざけてるのはどっちよ!」


 今度は、女の人の声が響く。

 二人の声はだんだんと大きく過激になっていって、もはやケンカと言うより罵り合いといってよかった。

 そしてその頃になると、声がどこから聞こえてきたかも分かっていた。ユウくんの家の中だ。


「────行こうか」

「えっ? う……うん」


 ユウくんは、そんな声なんて聞こえていないみたいに、わたしの手を取って歩き始める。だけど繋いだその手は、僅かに震えているのが分かった。








 

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