色んな作品があって、いろんな感想があってこそ

僕は個人的にはタイトルが長い作品が、あまり好きじゃない。戦闘描写全てを祇園で表現したりするのも、三点リーダーを「…」とひとつだけで使うのも好まない。


だけど、作者に対して「好きじゃないので辞めて下さい」とは絶対に言わない。そんなことを言う権利は、読者には無いと思うからだ。


今日(2021年1月28日)、ツイッターのトレンドに「戦争賛美」という言葉があった。どうやら『呪術廻戦』に出てくる技に神風という名前のものがあり、韓国の一部の人がクレームを付けているらしい。


僕はアニメは見ているけどまだ最新話まで追えておらず、原作も未読。調べてみると、神風と書いてバードストライクと読むらしい。これで戦争賛美だと言われるのは、心外だと思う。


だけど、そういう感想自体はあっても良いんじゃないか。感想を抱くこと自体を封殺することは、誰にも出来ない。人間には「内心の自由」がある。


また、戦争賛美するキャラクターが作品に登場しても良いと僕は思う。戦争賛美する作品自体もまた、あって良いだろう。漫画や小説は、読まない選択を取ることができる。


テレビは電源を入れたら偶然目に入ることがあるけれど、漫画や小説は購入してページを開いてみないと中身がわからない。合わないと思えば売るなりなんなりして、今後一切読まないようにしたらいいだけの話だ。


今はSNSなどもあり、リアルタイムで感想を閲覧することができる。感想を予め見て、読まない選択をするのも良いと思う。まあ、ネタバレ食らうかもしれないけどさ。


漫画と小説は、「嫌なら見なければいい」を実践しやすいメディアだ。


だから、「この作品嫌だなあ」と思うのなら読まなければいい。自分に合う作品は、他にいくらでもある。


だけど、世の中には自分に合わない作品の内容を変えようとする人たちもいる。出版社にクレームを付け、謝罪までさせてしまう。出版社も謝罪したものだから内容を変更せざるを得なくなったりする。


なぜなのか。


世の中には様々な主義主張があっていい。作品に限らず、現実世界でも戦争賛美をする人がいてもいいはずだ。他人の主義主張を聞いて議論するのは良いし、批判するのも構わない。「その主義主張は戦争賛美だから変えるべきだ!」と言う権利は、誰にもないんじゃないか? 自分がそう言われたとしたら、どう感じるだろうか。


他人の主義主張を攻撃することは、自分の主義主張が攻撃されることでもある。


実際、今回の『呪術廻戦』の技名が戦争賛美だという意見について、Twitterでは多くの否定的意見が飛び交っている。中には暴力的な言葉を吐き捨てる人もいる。直接発信者に攻撃しているわけではないけれど、これがTwitter上で直接呟こうものなら多くの人から直接攻撃を受けるのは容易に考えられることだろう。


僕も長文タイトルが好きじゃないけど、「長文タイトル不快だ、やめろ!」と言おうものなら、その作品のファンから総叩きにあうだろう。「お前の作品タイトル短いけど面白くない」とか「タイトルださくて草」とかね。


余談だけど、長文タイトルはネット小説時代にはぴったりなんだと思う。書籍しか作品が無かったときは、タイトル以外に情報量がたくさんある。表紙、背表紙のあらすじ、帯の紹介文など。こういったところから情報を得て作品を吟味し、自分の好きそうな作品かどうかを選べた。


だけどネット小説だと、そうはいかない。タイトルとあらすじだけで吟味しなければならない。だから長文タイトルで作品の世界観や内容を表すのは、理にかなっている。


それと好き嫌いとは別だけどね。


神風に関しては、カラスに自爆させる技らしい。個人的には、愛鳥団体からクレームが付くならギリギリ気持ちがわかる。カラスくんかわいそう。うん、気持ちはわかる。クレームまで付けなくてもいいのではないか、とは思うけど。


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