未来と諦め

 昔は、希望に溢れた言葉だと思っていた。未来という言葉に胸を踊らせていた子供の頃、僕は特に何もしなかった。未来に向けて何かを頑張っている子供というのは、数えるほどしかいないのかもしれない。そういう子は何かの「プロ」になる。


 子供の僕は遊んでばかりいた。勉強はほとんどしなかった。小学生の頃はインフルエンザで寝込んでいたのに、休み明けのテストで満点を取れた。それで良いと思って、僕は「何もしない」ということを選んでいたように思う。


 中学になると満点は取れなかったけれど、「どうせ何をしても変わらない」という諦観から、勉強はしてこなかった。白地図のテストで奇跡の0点を取っても危機感を抱かなかったし、そんなことが将来に悪影響を与えるとは思っていなかったんだ。


 趣味に対してもそうだ。


 何か一つを極めるということをせず、広く浅く楽しみたがる。深入りし始めると飽きてしまい、手放してしまうからだ。そうして広く浅く手を広げていき、オタク趣味以外でも語れることができた。それは良いことなのだけれど、「これは誰にも負けない」ということがないのだから、手放しに良いとは言えない。


 そうした「特に何もしない」ということの積み重ねの先に、今の僕がある。


 今の僕は、昔の僕から見た「未来」だ。だけれど、昔の僕が期待した未来とは似ても似つかない。昔の僕は、自分がもっと特別な存在になっていることを期待した。人より金を稼ぎ、美味いものを食い、好きな人と一緒にいる。仕事も私生活も順風満帆。とにかく楽しくて仕方がない。


 そんな未来を期待することでしか、辛い子供時代を過ごすことができなかった。


 じゃあ今、僕が想像する未来は……?


 何もない。


 未来を想像できなくなった。何の期待も持てないからだ。緩やかに朽ちていくのだろうという実感だけがある。僕は自分の人生の大部分を諦めているのかもしれない。諦めが根底にあるから「頑張ろう」としても頑張りきれず、前に進むことができずにいる。


 その諦めを捨てる術を、僕はまだ知らない。


 僕が人生で諦めていないほんの一部分があるとすれば、諦めを捨てる方法を知りたいという願望だ。

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