思い出のナポリタン

「どうしても食べたい……!」

 仕事詰めで朦朧としている脳が、とんでもなく悲鳴をあげている。目の前の文章がぼんやりと滲んでいく。僕が何を書いているのかが、自分自身で理解できなくなる。こぼれ落ちていく言葉と、無意味に体内を走り続けるヘモグロビン、息苦しい心肺。脳があるものを欲していた。


 ナポリタン。


 僕は、疲れているときにどうしようもなくナポリタンが食べたくなる。ナポリタンは僕の中で日常の中にありながら特別な料理なんだ。

 昔、疲れ果てた上に途方に暮れて落ち込んでいた僕に、姉がナポリタンを作ってくれたことがある。2mmくらいはあるだろう太麺をガンガンに炒めた、昔ながらのナポリタンだ。具はもちろん玉ねぎ、ピーマン、にんじん、ウインナー。それをケチャップの水分が抜けるまで炒めて、麺を入れてさらに炒める。本当にありふれたナポリタンだが、これが驚くほどにうまかった。

 疲れた体にケチャップの甘みとピーマンの苦味がよく効く。摩耗した心に麺のモチッとした食感とケチャップの甘みがじんわりと滲んで、気分が良くなっていくのを感じた。「うまい」と言うと姉は「知っとる」と言う。姉は料理下手だが、特定の料理だけはやたらとうまい。ナポリタンはそのひとつだ。


 姉が亡くなってからしばらくして、なんとなく姉の死が自分の中で少しだけ薄れてきた頃、僕はナポリタン難民になった。ありふれたナポリタンだが、ああいう昔ながらの「ザ・ナポリタン」のようなナポリタンは、店だと意外に食べられない。麺が細かったりケチャップじゃなくてトマトソースだったり。もちろんそれも美味いのだが、ナポリタンが食べたいという僕の需要にはそぐわない。


 ナポリタンと言えば太麺、ケチャップ、ガッツンガッツン炒める! これらの条件を満たしていなければナポリタンとは認められない。よくあるのに、全然ない。

 だから、僕が求めるナポリタンを食べるには僕が作るしかないのだ。昔見ていた姉の調理工程を思い出しながら、ナポリタンをガッツンガッツンと炒めていく。


 完成したものは紛れもなく姉が作ってくれたナポリタンだ。長年ナポリタンを作り続けて、再現度は完璧になった。姉が作ったナポリタンの完全再現品を食べるからこそ、姉の存在を感じて疲れが癒えるのかもしれない。


 僕の脳がどうしようもなくナポリタンを欲するとき、僕は「寂しい」と感じているんだろうなあと思う。

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