第61話 三星の輝子が結成されること⑦

 「すぐ儀式を中止させろ!」

 鬼女が鬼女を食う──いわば共食いだが、封印期間中に鈍りきった肉体に活気を漲らせるには持ってこいの完全食品ともいえる。

 俺は親父の著書にあった悪遮羅の姿を思い描いた。身長四十メートルを超え、鬣のごとき銀髪を逆立て、二対の角を持つ灼熱の狂える鬼女。

 鉤爪の生えた手が幽香を鷲掴みにして、衣服を引き裂くと、匂いを嗅いで復活に十分な栄養が蓄えられていることを確認した後、頭から丸呑みに……。


 「中止させろと言っても杏にそんな権限ないにゃ」

 先刻承知だ。こいつの主人と直談判するしか道はあるまい。

 「先生、電話を持ってきてください」

 お供え物でもするように信南子先生が受話器を渡す。

 「ほら、如斎谷に電話しろ。今夜の儀式を取りやめるように」

 「ダーリィ~ン……」

 猫ガキが哀願のまなざしを向けても毛ほどにも俺の心には響かない。むしろ、まだ自分の愛くるしさを以ってすれば籠絡できると思われていることに腹が立つ。


 「幽香を返さねえと、てめえの命もねえってな」

 「む……無駄かな……」

 小さな指で口惜しそうにダイヤルを回しながらつぶやいた。

 「杏を人質にしてもリーダーは……」

 ぼやいた刹那、真っ黒な瞳が消えた。

 『然り。そいつに人質の価値などない』

 「如斎谷!」

 片岡杏の両眼にあの狂女が映った。

 本当に顔面を車輪が通過した跡があるのは傑作だったが。


 『杏ごときの身柄と引き換えに同胞はらからを返すとでも思うのか⁉』

 口を動かしているのはメス猫の杏だが、発する声は如斎谷の台詞をそのまま伝えている。操られていたクラスの女子と同じ術がかかっていたのだ。

 「幽香を返しやがれ!」

 無駄と知りつつ片岡の胸倉を掴む。

 『私の目的を聞いたなら返せるわけがないことぐらいわかるな? 私はアシャラさまの力を手中に収めたい。この世界を手中に収めることと同義だからだ』

 「精神科と脳外科で適切な治療を受けろ。おまえも沙門の端くれなら、金や権力以前に求めるものがあるはずだ!」

 『君といい我が君といい、私の寛容を甘く見積もり過ぎているな。幽香くんを取り戻したければ立誠高校まで来るがいい。無事来れたらの話だがね』


 如斎谷の顔がフッと消え、入れ替わりに数字が映った。

 「10⁉」

 両目の数字が秒を刻んで減っていく。

 どこかで聞いた音がする。教室でのランチタイムに乱入してきた謀反分子たちを粛清した際、リーダーが道連れ用に持っていた切り札の音。

 8、7、6……時限爆弾か!

 口封じと制裁のために部下の体内に爆弾ぐらいセットしてあってもおかしくない。それぐらい普通にやりそうな女だ。


 「リーダー! あんまりですにゃ! お慈悲を!」

 自我を取り戻した猫ガキが取り乱す。

 「ねねね根室くん⁉」

 「先生は家の外へ退避!」

 俺は三十キロもなさそうなチビの体を抱えてリビングから走り出た。まっすぐ神棚のある隣の和室へ向かう。

 なぜかは自分でもよくわからない。ただ、そこは三光大明神を祀る部屋であり、いわば我が家で最も神霊の加護が作用しやすい聖域である。


 「ダーリンお助けえ!」

 暴れる片岡を畳の上に投げて、上から覆いかぶさった。

 3,2、1……三光の神よ護り給へ!

 閃光と高圧のガスが噴出し体が宙に浮きあがった。

 襖を破って、俺は室外まで吹っ飛ぶ。

 「痛え……」

 壁に叩きつけられた。それでも火傷さえ負わなかったのは三光さまの加護か。

 「根室くんっ⁉」

 家全体を軋ませる爆音を耳にしては捨てて置けなかったようで、いったん庭まで避難した信南先生が戻ってきて俺を助け起こしてくれた。


 「大丈夫?」

 「かろうじて」

 「片岡さんは? 片岡さんはどこへ行ったんです?」

 「さあ……」

 猫耳娘の片岡杏は跡形もなく消えていた。

 木端みじんになったか。光と煙にまぎれて逃げ去ったか。和室に残ったネコ耳が削られたカチューシャは何も語らない。

 そもそもあいつは生身の人間だったのだろうか?


 「根室くん、その玉は?」

 崩れた神棚から水晶玉が足元まで転がってきた。

 「こいつを取りに来たんですよ」

 千里先の相手とも交信できる遠見の石・ルナ眼球ティックアイ

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