第38話 如斎谷昆の逆襲③

 普段は施錠されている屋上への入り口は、鍵がねじ切られていた。通った人間の腕力と性質の強引さをうかがわせる。

 扉を開けて、俺は青空の下へ一歩踏み出した。


 「来てやったぞ如斎谷」

 如斎谷昆はフェンスと向かい合っている。じっと街並みを睥睨しているようだった。男以上に〝男の哀愁〟を漂わせるニヒルな背中だ。

 「話があるんだって?」

 いつでも逃げ出せるように間合いを計りながら声をかける。

 風が静かなぶん町の音がうるさく感じた。


 「おい、如斎谷」

 「い男だな君は」

 栗毛の女は振り向いてフェンスに背を預けた。

 「月光のラムネ色に照らされた美貌かおも捨て難いが、こうして陽光に余すところなく晒された玉顔ぎょくがんも素晴らしい」

 「お誉めにあずかって光栄だな。だが、前振りにしちゃあ大袈裟だぜ。早いとこ本題に入ってくれ」


 「考えておいてくれたかい?」

 「考えるって何をだ」

 「青銅の孔雀の一員にならないかって話さ」

 「一度たりとて検討しなかった」

 「最初から快諾してくれていたんだね」

 間違えた……都合のいい意見しか聞こえない奴に皮肉なんて。

 「お断わりだと言ってるんだ!」


 きっぱり拒否すると如斎谷は眉をひそめた。

 「私の庇護下に入ることの何が不満だ? 率直に言ってくれ、みかづきブルー」

 「寺院法主やら暴力団やらをバックにでかい顔できても嬉しくないんだよ。それと、みかづきブルーって何だ、みかづきブルーって」

 「君が青銅の孔雀のメンバーになったときの法名みたいなものだ。最近読んだ漫画をお手本にしたんだよ。後で君にも貸してあげよう」

 決めた。絶対入らん。もっとまともなコードネームを考えてくれていたとしても、ヤクザ者を率いる女の傘下などハナから選択外だ。

 お手本の漫画はちょっと興味があるので自分で購入しよう。


 「余業であっても暴力団と関わりのある奴と組むなんて御免だ。俺はカタギの人間として生涯を終えると決めてるんだよ」

 「ま、急かすつもりはないんで、ゆっくり考えておいてくれ」

 「人の話に耳を傾けろ! 何年考えても返事は同じだ!」

 「お堅いねえ。本当に容保かたもり氏の息子かい?」

 「親父を知ってるのか⁉」

 ここで奴の口から父の名前が出るなどまったくの予想外であった。


 「知っているとも。アシャラのことを調べている人間だからね。我々とも浅からぬ因縁があるよ」

 「鬼女の悪遮羅のことか?」

 「おお、そこまで知っているか」

 こいつも悪遮羅がらみの人間か。どうやら俺たちの冒険の先に待ち受けているのは、封印されているので当然だが、いまだ影すら見えぬ鬼女らしい。

 「俺の父さんについて何か知っているなら教えてくれ。富士山の遺跡の発掘調査に出たきり行方不明になっているんだ」

 親父はほぼ間違いなく生きている。昨日、退魔師バイトとは別に俺と幽香が不自由なく暮らせるだけの金額が口座に振り込まれていたのだ。


 「父君の話を聞きたいかい? じゃあ、もっと近づいてくれ」

 神経が拒否する。本能が回避を告げる。

 直感に従うべきところを油断した。

 父が現在どのような状況にあるのか確認しておきたい。この女が親父と何らかの関わりがあるのなら、危険を承知で接触する価値はあると、つい思ってしまった。

 「さあ、早くこっちへ」

 射程に入るや否や、長い腕が俺の頭を掴んで一気に引き寄せる。


 「おい! 何しやがる!」

 顔を如斎谷の胸で挟まれた。大きめと公言するだけあって、なかなかに立派なふくらみであったが、邪欲まみれの女体では感じるのはおぞましさばかり。

 「色男の匂い……はあ~いいわあ~たまらんわあ~」

 いやらしい鼻息をたてて髪の匂いを嗅ぎまくる。

 「はあ~いいわあ~たまらんわあ~」

 「離せっ!」

 密着状態で膝蹴りを当てるもビクともしない。

 パワーばかりか頑丈タフさも幽香に負けず劣らずだ。


 「あ! 向こうで札束の山が燃えている!」

 自由の利く右手ではるか遠くを指さした。

 「どこだ⁉ すぐ回収に行かねば!」

 「ウソに決まってんだろ馬鹿」

 金と美男が好きと公言する女の注意を冗談ブラフでそらし、頭を抑える力が緩んだ隙に離れると、恐兎拳を二発叩き込んだ。


 「ぐふっ⁉」

 長躯が浮き上がり、コンクリートの床に仰向けに倒れる。

 「あまり舐めるなよ。普通に差し向かいで話ができるようになったら、改めて親父やその他諸々について聞かせてもらおう」

 「やるね君は」

 白目を剥いていたのは、わずか五秒と少し。


 「私からダウンを奪える男なんてそうそうおらんよ」

 如斎谷昆は立ち上がった。口元の血を袖で拭う。

 本気で正中に貫き手を打ち込んだにもかかわらずダメージ軽微……ありえないとまでは言わずとも額に冷や汗が浮かぶ。

 「君の拳法は素人の域を越えているな。いや、結構結構。我々の業界では色男からの暴力は最大の御褒美なのだ」

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