第20話 神電池入門⑤

 「根室くん、君は格闘能力も高いけど、射手としての腕もかなりのものだね。次は幽香ちゃん、やってみようか」

 「ここにいる妖魂は人を襲ったんですか?」

 沈んだ声で幽香が埜口に尋ねる。

 いつもなら俺の勝利に喝采しているところだが急に元気がなくなったのだ。

 「襲う前に捕獲したのもいるね」

 「かわいそうですね……」

 どうやら憐憫スイッチが入っちまったようだ。

 厄介だな。こればかりは体罰で矯正させるわけにもいかない。

 幽香の同情は正しい。人間に危害を及ぼす前から土蔵へ閉じ込められ、退魔師訓練の練習台にされる浮遊霊たちは不憫と言えば不憫に尽きる。


 「うん、ひどい奴だよ僕は」

 どう応じるのかと思いきや、あっさり埜口は認めた。

 「でもね幽香ちゃん、僕らがやろうとしていることは単なる悪霊退治じゃない。鬼女の復讐の道具にされた気の毒な魂を浄化して極楽浄土への道筋を教えてあげる。いわば成仏のお手伝いをしてるんだ」

 「俺にもわかる。あれで成仏できたはずだ」 

 妖魂が消滅する寸前、赤子のような無垢な顔へ変わるのを俺も見た。

 「功徳と思ってやれ幽香」

 「霊助けになるのならやりますけど……」

 「妖魂にされた浮遊霊も神音力で攻撃されれば、すべての罪過を浄められる。痛いけどよく効く注射を打つようなものさ。じゃあ、これ持って」

 埜口が幽香の白く長い指に触れた。両手で包むように銃を握らせる。

 ちょっとだけ卑猥に見えた。


 「あの歯並びがいい奴を狙ってごらん」

 すでに三人の人間の存在を認識した妖魂どもは渦を描きながら泳いでいる。こっちの隙をうかがっているようだ。

 「やってみろ。危なくなったら助けてやる」

 俺が肩を押すと、もう後退できないことを悟ったようだ。

 甘露スナイパーを握りしめて黄色いテープの外へ出る。

 「お、お覚悟のほどを……」

 すぐには安全圏へ逃げ出せない距離まで入ってくるのを妖魂どもは待ち受けていた。数匹がいっせいに幽香へ殺到し始める。


 「ひいいいいいいっ⁉」

 「来たぞ撃て!」

 お神楽の獅子みたいな奴が抜きん出た。すべての歯が臼歯みたいだ。

 頭を丸齧りされる手前で幽香は横に倒れた。かわしたのではなく震えて足がもつれたと見るのが妥当。

 「幽香ちゃん、また来るぞ!」

 「ごごごめんなさい! 撃ちます!」

 銃口から閃光が発射される。しかし、完全に顔をそむけながらの射撃なので、まぐれ当たりの一発でオシシ顔を蒸発させた以外は、ことごとく的をはずした。

 「ちゃんと相手を見ろバカ!」

 「だってだって怖い顔してるし!」

 霊的な加工がしてあるようで、はずれた光線が壁に当たっても土蔵の壁には目立つほどの損傷は見られなかったが、ダメージは蓄積されるであろう。


 「あいたっ⁉」

 隙だらけの利き腕を噛まれ、銃を取り落とす。

 ここぞとばかり人面魚がいっせいに幽香の体に群がった。

 「ひいいいっ⁉ 食べないで! わたしを食べないで!」

 全身に妖魂をまといつかせたまま逃げてきたので蹴り倒す。

 「来るな! 穢れが外へ出ちまうだろ!」

 最低でも八匹はたかっている。顔と言わず手足と言わず齧られ放題だ。

 昔、須磨海岸の水族館で、医療魚の通称で知られるガラ・ルファという魚に手の皮膚を掃除してもらったことがある。あれはなかなか気持ち良かったが、我が従妹はそんな悠長なことを言ってられない惨状にあった。


 「わたしを食べるとバカがうつるわよお!」

 雑魚相手に何てザマだ。平成の頼光が聞いて呆れる。

 「いやあああっ⁉ 服の中に潜り込まないでえ!」

 妖魂が一匹、腹が膨張したのかと錯覚するぐらい着衣の下で暴れ回っている。

 「キャー! キャー! キャー! キャー!」

 「うるせえ女だなあ……」


 何かをくわえて襟首から一匹飛び出した。そいつを埜口が撃ち落とす。さすがに手慣れた射撃である。俺よりはるかに正確だ。

 クルクル回して俺へ苦言を呈する。

 「危なくなったら助けてやると言ったのはどこのお兄さんだっけ?」

 「それもそうか」

 菩提銃で幽香のほっぺたを齧ってる奴と髪を引っぱってる奴を撃ってやった。


 「頭数減らしてやったぞ。残り五匹だ。気合で振り払え」

 「無理よお~! 大事なところ噛まれてるのお~!」

 「自力で勝ったら、お姫様抱っこしてやるぞ」

 「本当⁉ 勇気百倍!」

 現金な女の目が光る。どこかで見た感じの光だ。

 つむじ風を起こすほどの勢いで腰をひねって幽香は妖魂を振り払う。しかし、しぶとく五匹が寄り集まって、粘土細工のごとく融合、出目金の両眼が顔になった魚怪ができあがった。


 「低級の妖魂同士で合体するなんて!」

 埜口が驚いたのは意外だった。

 「おまえも初めて見るケースか?」

 「うん。妖魂どもは身内同士で争うこともないけど、明確な協力体制で挑んでくることは僕の知る限りなかった」

 しかし、〝褒美エサ〟をちらつかされた女は不適に微笑む。

 むしろ敵が一体化してくれたのは鈍い幽香には望むところ。甘露スナイパーを拾って両手で構えると銃口に光球が出現、みるみるうちにバレーボール大にまで膨張した。


 「バーストモードか⁉」

 「よほどの神音力がなければできないよ……君の妹さんは何者だ⁉」

 このとき俺は、無意識に避けていたのかもしれない。幽香にパワーとタフネスが売りのアホ女以上の〝何か〟であることへの考察を。

 だから適当な返事しかしなかった。

 「何者って愚妹アホだよ」


 ドゴンと威勢のいい音が室内を揺らした。

 融合妖魂は跡形もなく消し飛び、急に風通しがよくなった。

 シュロを植えた裏庭が見える。岩をも穿つアホの一念を込めた銃撃は、標的を粉砕するにとどまらず土蔵の壁も貫通してしまったのだ。

 「まずい! 穴をふさいでおいてくれ!」

 血相を変えて埜口が外へ走る。土蔵に残った妖魂どもは怯えて隅に固まっている。おかげで俺は何ら心配することなく規制線のへを出て、背中で穴をふさいだ。

 とりあえずボール紙とガムテープ、その上に護符を貼って応急処置を終える。


 「二匹ぐらい逃げてしまったな」

 「ごめんなさい」

 興奮から覚めた幽香がうなだれる。

 「俺からも謝る。お姫様抱っこはなしにするから許してやってくれ」

 「幽香ちゃんに銃を持たせるのは危険かな。腕力と打たれ強さを活かした戦いをしてもらったほうがいいか。ああ、言い忘れてた。来週からはお寸志をもらうよ」

 「お寸志? 金取るの?」

 「無償タダで教えてあげるのはここまで。薬師如来の神電池の補償も含めて君たちの持つ神電池を妖魂を狩るごとに一本ずつもらおう」

 「しかしなあ……」


 神電池がここまでの可能性を秘めたアイテムであると知ったからには、いくら命の恩人の要求でも、あまり気前よく差し出すのが勿体なく思えてきた。

 「現金じゃ余計辛いと思うんだけどな」

 「待ってくれ」

 板張りの床に落ちていた白い物体を拾った。

 「幽香のブラジャーじゃ駄目か? Dだけど」

 「一応わたしの承諾を得てからにしてください……」

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