第11話 根室重光が埜口半六に会うこと
すべては自宅の神棚で神電池を発見したことに始まる。
「此の神棚に
毎朝、神棚への拝詞を忘れるな。
物心ついたときから父にそう教えられてきた。
意味などわからなくてもいい、本気で神様など信じなくてもいい。ただ毎朝欠かさずやれ、朝忘れたら夕方にやれ、貯金するつもりでやれ。
信仰心は時に金銭や腕力を大きく凌駕する。拝詞を重ねた日々の重さが、いつかおまえの命や大切な人たちを守ってくれる盾となり、運命の迷路を切り開く矛となるだろう。
それが
父さんは現在、富士山麓の遺跡発掘の旅に出たきり音信不通となっている。
冒険家肌で、興味を惹く遺跡があれば紛争地帯にも平気で飛んでゆき、過去にも出張先で事件に巻き込まれて数カ月帰国しないことはザラにあった。今回は国内ということもあり、あまり心配はしていない。
ただ、終生病気がちだった母さんが臨終を迎えた時にはカッパドキアにいたという始末で、そこだけが減点要素だが、嫌味のないひょうげた男で、まあ好人物と言っていい。
そんな父の言うことなので、その日の朝も登校前に神棚拝詞を唱えていた。
去年からは根室家の養女となった幽香も一緒だ。
和室の南向きに設けた棚に鎮座する神棚には、三光宮から勧請してきた祇園大明神、天照大神、月読命の順でお札が納められている。
神宮大麻を手前に置くのが本式なのだが、ここは地元での慣例に合わせて主祭神である素戔嗚を先頭にさせてもらった。自分を二番手にしたからといって祟りをなすほど日本の総氏神さまは狭量ではないと信じている。
「誠の道に
異変に気付いたのは、二人で朝拝をするようになってから五カ月め、小さな掌で父さんの声真似をしていただけの頃も含めれば十五年にはなるか。
最後に一礼して締めくくると、毎朝ご苦労とでも言いたげに神棚の神灯がポッと明かりを灯す。
「よし、行くか幽香」
いまだ成長過程なのか、肩の位置が俺よりわずかに低いだけの従妹は合掌したままだった。
幽香の実母は俺の叔母で、母さんの妹である。
仲良し姉妹過ぎたことが祟ったのか、母さんが亡くなって数カ月と経たぬうちに姉の霊に呼ばれたかのごとく夫ともども事故で夭逝、天涯孤独となった姪を父さんが即決で引き取ったのだ。
我が家に幽香が来た日のことはよく覚えている。
「今日から重光さんの
拳を固く握りしめ、緊張気味に深々と頭を下げた。
鈍そうな子だと思うぐらいで別段悪い印象を持ってはいなかったので、俺も特に異論なく受け入れた。
不束者などと生易しい表現では間に合わぬほどボケた娘であることを思い知らされるのに一ケ月とかからなかったが。
「今朝はずいぶん熱心に拝礼するんだな」
「重光ちゃんが正しい道を歩むよう三光さまにお願いしているのです」
ちょっとムカッとくる言い草だった。
「おまえに心配してもらうほど自堕落な生活してるか俺は?」
「伯父様が消息を絶って、ひとつ屋根の下で年若い男女が何日も二人きり。最高の御膳立てが整っているにもかかわらず、重光ちゃんは幽香に何ら性的な行為を仕掛けてきません。高潔な姿勢も度を超すと不健全です」
大真面目な横顔が祈りを捧げつつ語る。
「口はばったいのを承知で申しますと、わたしは顔がもうひとつなぶん十五歳にしては破格のナイスバディだと思うのです。これで重光ちゃんに劣情を催させられなければ女に生まれた甲斐がありません」
「んーっと……」
ああ、アホの発言を真面目に取り合うほうがアホだったな。
「だったら死んどれっ」
両肩にダブルチョップを見舞うと幽香は片膝をついた。
「体罰反対です……」
涙ながらの抗議を俺は一顧だにせず別の話題をふる。
「そろそろ髪切ったどうだ。前髪が目にかかってるだろ」
「重光ちゃんはロングは嫌いですか」
「若干ショート派だが好みの問題じゃない。これから暑くなるし、視界が狭まると事故に遭う恐れもある」
もう一つ、その長髪でボーッと突っ立ってると幽霊と間違えられてエクソシトに退治される心配もあったが、可能性としては敢えて口に出す必要あるまい。
「わかりました。今日の帰りにでも切ってきます」
「いつでもいいけどな。その前に」
登校前に一つ確認しておきたかったことがあったので、俺は和室の隅にある丸椅子を踏み台にして、神棚に顔を近づけた。
宮形の前には鏡代わりに親父が発掘先から持ちかえった水晶玉、左右には榊を活けた瓶子と神灯が並んでいる。
「どうしたんですか?」
「うん、神灯がな。あれ電池で点灯するんだよな」
「電池が入っています」
なぜそんなことを聞くのかと幽香が不審な目を向ける。
「電池を交換したことあるか?」
幽香は首を振った。先月にお掃除したとき寿命が近かったら変えようかと思ったが、まだまだ使えそうなのでそのままにしておいたと答える。
「そういえば、わたしがこの家に引き取られてからは一度も……」
「俺も自分で交換した覚えがないんだ」
記憶違いでなければ、あの神灯は十五年間同じ電池が入れっぱなしだったことになる。
「父さんがそっと取り替えてたんでなきゃ誰が換えてたんだ?」
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