第10話 根室重光が如斎谷昆に会うこと④
「根室重光! どこへ消えた⁉」
遠くから如斎谷の声が聞こえてくる。
「逃げられると思うな! 君の妹がいる限り我々は惹かれ合う運命なのだ!」
もう大丈夫だろう。相手をまくのに十分な距離は取った。
「重光ちゃんが時間を止めたんですか?」
幽香が聞く。五分ばかり全力疾走だったのに息を切らしてないのはさすがだ。
「俺じゃない。それはそうと、おまえ何を持ってきてるんだ」
大切そうに胸に抱いているのは凶悪さんの神電使だった。
「スクラップにされたらかわいそうですから。ねえ、わたしたちにはロボット神使がいないことだし、この子を這月那月の神使にしてあげましょう?」
「賛成してもいい。ただ俺の手にはあまるんで修理できるかあいつに頼め」
左進行の路面標識の先にメロンみたいな頭が浮かんでいる。
道端の自動販売機の白い灯りに照らされた人影を俺は指さした。
「OK、引き受けよう」
「こんばんは埜口さん! この子を直してくれるんですか?」
「幽香ちゃんの頼みじゃ断りにくいね」
グリーンに染まった頭髪の持ち主が、にこやかに近づいてきた。
立誠高校2年、
軽薄な見た目とは裏腹に、機械工作に優れ、神事仏事にも通じている男で、俺に神電池の使い方を教えてくれた同校生。
加えて俺の〝命の恩人さま〟でもある。
「是非お願いします! きっといい子に生まれ変わると思うんです!」
「僕もそう感じるよ。改造しがいがありそうな素体だ」
幽香から脅獅を受け取り埜口は俺に声をかける。
「根室くんもこんばんは」
「また助けられたな」
「感謝してくれよ。神電池を二本使い切ったんだぜ」
「さっきのって時間を止めたのか?」
「ビデオ用のリモコンの一時停止でね。上手く連中だけ止められるか心配だったが、そうでもしなけりゃ、あの三人から君たちを逃がす方法はなかった」
「時間操作ができるなんて万能兵器だな。早送りとか逆戻しもできるのか?」
「リモコンに表示されている機能ならね――おおナキワスレ」
黄色い発光体が出現したかと思うと一羽の烏が降りてきた。
埜口の使い魔ロボットで号をナキワスレ、漆黒のボディにゴールドの嘴と三本の足、卵黄みたいに光る目を持つ
「あいかわらず真っ黄色なおめめが可愛いですねえ」
幽香のお愛想に神使は主人の肩の上でおじぎを返した。
「結界を張る前から境内に潜ませておいたのさ。あの三人に気づかれずリモコンの電波が届く距離まで近づく自信がなかったんでね」
ナキワスレの股の間から突き出た第三の脚がテレビのリモコンを握っていた。複雑な作業をこなせる人の手に近いマニュピレータに加え、神音力で羽音をさせずに飛行できる浮揚システムは隠密活動にはもってこいだ。
「さっきの質問だけど、時空を捻じ曲げるリスクは高いよ。電力の消費は凄まじいし、どんな形でしわ寄せが来るかわからない」
さっそくチート武器の多用に釘を刺される形となった。まあ当然か。
「気をつけよう。大いに感謝しとく」
「ということで今週の
埜口が掌を上にして俺へ向けた。四指を内側にクイクイ曲げる。
「神電池一本だな、ほらよ」
がめつい野郎だ。神電池のレクチャーと装備品の修理を引き受けてくれるのはありがたい限りだが、しっかりサポート代を請求してくるのだ。
「一本だけ?」
「いつも一本だろ」
「今夜は助け賃に神使の修理代も込みで手持ちの神電池三本」
「二本じゃ駄目か?」
「また薬師如来の神電池をフイにしちゃったろ。あれを取りこぼした上に僕の電池まで無駄遣いさせたんだぜ。三本でも割りに合わないぐらいだ」
そうなのだ……埜口は自分の持つ薬師如来の神電池を俺のために消費している。
今夜の
とはいえ、三本もくれてやるのは、いささか痛い。
「重光ちゃん、言うとおりにしてあげて」
幽香がそっと口添えした。
「神電池は地道に神音力を集めて増やせばいいことです。脅獅ちゃんを直してもらえるなら三本ぐらい安いものですよ」
「さすが幽香ちゃんは話せるねえ」
「……わかったよ」
自宅の神棚から下ろしてきたばかりの神電池が三本、埜口の手に渡った。
「はい、ご苦労さん」
電池を懐にしまいながら緑の男はささやいた。
「もう少し幽香ちゃんに優しくしてやれよ。あの子なりに君の役に立とうと頑張ってるんだからさ」
「俺がどうにかしてほしいのは、そのあいつなりの部分なんだ」
「あんまりつれなくすると他に男ができちゃうかもしれないぜ?」
「あいつに男ができようとできまいと、それは個人の自由ってやつで……家族間の問題に口出しするなよ」
「うんうん、家族間でも個人の自由は守らなくっちゃね」
含み笑いで、それ以上は突っ込まないでくれたのは、内心の動揺を見越した上での武士の情けか。
「おまえ病気でもしてるのか? やたら薬師如来の電池を欲しがるけど」
「家族の問題に口出しするなって言うなら、他人の詮索もしないでほしいな」
痛い返し技だ。こう言われては黙るしかない。
しかし埜口もこれだけ肩入れしてくれるのなら、いっそ這月那月の正メンバーになってくれれば良いものを。
「ともかく助かったよ。今後もよろしく頼む」
「埜口さん、おやすみなさい。その子を頼みます」
「任せておいてよ幽香ちゃん。じゃあ、二人ともおやすみ」
埜口は夜道を俺たちとは逆方向へ帰ってゆく。
「病人がいるんだよ。僕の大事な人がね」
一度だけ振り向いてこう言うと、後ろ姿が完全に闇に消えた。
「善い人ですよね」
「ちょっと八方美人くさく感じるけどな」
善意で行動してくれているとは思うが、今ひとつ腹の底が読めない奴なので、こちらとしても心理的な垣根越しに話すことになってしまう。
「ところで、どんな内緒話してたんですか?」
「内緒話?」
「神電池を受け取るときに埜口さんが重光ちゃんの耳元でヒソヒソって」
「何でもないよ。おまえに聞かすほどの話じゃない」
「まさか――埜口さんとできてるんですか?」
聴覚は視覚ほど発達してなかったせいで内容を聞かれなかったのは何よりだが、ふらふら歩調が乱れて
「二人が仲良しになるのは幽香も嬉しいですけど、重光ちゃんには普通に女の子を好きになってほしいんです」
目にいっぱいの涙をたたえてアホ従妹は訴える。
「幽香が女として魅力不足なのはわかってます! でも……でも……!」
「そんなワケあるかアホ!」
力いっぱい頭をはたいた。
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