第9話 異変

ここに来て約2週間が過ぎた。軍の装甲車両が定期的に巡回警備をはじめた。さらに村の使われなくなった鐘楼台2ヶ所に重機関銃を設置し24時間の監視を敷いた。私たちの家でも2名の元機動隊員が常駐することとなった。夜間は特に1名は必ず不寝番で起きてくれ2交代で24時間の警備シフトを組んだ。相当にきつい勤務形態だとかげながら思ったがおかげで安心して眠ることができた。実はこの警備が結果的に私たち家族の命を後に救うことになったのである。警備体制が強化されてから6日目のことだった。いつになく家で飼っている芝犬が夜の11時を回っても寝ずに動き回っていた。ときおり遠吠えをまじえながら0時過ぎてもごそごそしている。私もなぜか妙な胸騒ぎがしてなかなか寝付けないでた。既に家族の一員となっている機動隊の班長は、「心配しないでいいから安心して寝なさい」と私がまだ寝付けないのを見て声をかけてくれた。私は「ありがとう」と礼をいい、寝苦しさをまぎらわせるために炊事場に水を飲みに起きあがった。水道の蛇口をひねり冷たい井戸水をコップに満たし、一気に飲み干した。月夜の晩だった。頭の中では通常はこんな明るい月夜にわざわざ野戦を挑んでくる部隊もあるまいとはおもっていた。それに我々のような民間人を排除しても軍事上の意味はほとんどないはずだ。そんなことを考えながら自らを納得させた。すべては気のせいだと思い直し、もう一杯水を飲み干した。窓の外は月明かりで不気味に山々が浮き上がっていた。なぜか美しとは感じなかった。軍の建設したマイクロ回線の中継施設を囲う有刺鉄線の金網がうつろに鈍く光っている。寝室にもどり横になった。目をつぶった。気は紛れたのだがやはりなにか気になった。なにかが引っかかった。なんなんだろう。目をつぶり網膜の中に浮かび上がってくるものを心の目でもう一度見つめた。月夜。満月。黒く浮かび上がる山肌。鈍く光る金網。黒くうつろな・・・・。そうだ。金網の中の建物の中央部が黒くうつろになっていた。そこは金属の扉があるところだ。なぜ光っていない。なぜ月夜なのに金網のように鈍く光らない。つまりドアがドアが・・・・・。そういえばさっきまであんなにがさがさしていた犬がついさきほど、私が水を飲んで寝床にもどってきてからというものことりとも音がしなくなった。家の中の電気がついたわけだからむしろもっとほえ始めるのが普通だった。私はいそいで警備班長を手招きで呼び寄せた。彼はただならぬ状況を私の態度から察知したのか、腰の銃に手を添えてかがみ込むように私に近づいた。「どうした。」彼は小声で短く尋ねた。私は手で炊事場の奥の窓の外を指し示した。「だれかが、家の裏の軍の通信施設の小屋の中に進入しているようだ」「ほんとうか」「ドアが開いている。あそこは保守要員が入っている時以外は堅くとびらは閉ざされている。こんな真夜中に保守にはいるとは考えられない。それに今まではいつもこの家に一言いってから作業にはいっていた。」警備班長の顔が厳しくなった。「それにさきほどまで騒がしかった犬が急に静かになった。」彼はその後の言葉を押しとどめ無言で黒くずっしりと重い固まりを差し出した。「引き金を引けばいいんだろう」私はそれがなんであるかを知り静かに言った。「その前に安全装置をはずせ」彼はそういってセイフティーレバーを解除した黒光りする警察仕様のオートマティック拳銃を私に手渡した。彼は肩にかけていた小型のサブマシンガンをおろし、暗視スコープの電源を入れた。「おれは、庭先を右にまわって通信施設へ接近する。きみは俺の相棒といしょに、反対側から接近しろ。家族は起こして、すぐに緊急用の地下室に隠れさすんだ。子供を起こさないよう注意しろ。いいな」「分かった。」彼はそういって、静かに窓から外に出た。私は急いで寝室にとってかえし、皆を静かにおこし簡単に事の事情を伝え地下室に避難させた。妻はおびえた様子ですやすやまだ眠っている子供を脇にしっかりと抱え私の目を見つめた「危険なまねはしないでね。」私は小さくうなずいた。装備を身につけている警官のほうを向き、「彼らがいるから心配ない。事がおわるまで地下室にいてくれ」私はそう言い終わると銃にマガジンを装填した。レバーを引いて弾丸が薬室に装填した。重たい金属音が鈍く冷たく響いた。「準備はできた。」私は心配する妻や両親を地下室に押し込み扉を閉めた。「きみもこれを使え。少々でかくて使い勝手が悪いかも知れないが、夜戦は暗視装置がなければ勝負にならない。いくら月夜といっても訓練された兵士なら陰からでるようなへまはしない。それにやつらもおそらくコマンドーなら暗視装置を装備しているだろう。」渡されたしろものは、大型の双眼鏡とゴーグルが一体となったようなものだった。後ろに固定用のバンドがついていおり、お面のように顔面につけるようになっていた。装着するとちょうど野球のキャッチャーのフェイスプロテクターのような感じだった。「少しなれないと距離感がわからないかもしれない。使う使わないはきみにまかせる。それじゃいくぞ」かけ声とともに外に出た。身を切るような冷たさだった。こんな極寒の中をまるで獣のように静かにしのびよってくるやつらは到底生身の人間とは思えなかった。今この瞬間からどこかの林の隙間をとおして我々を監視しているかもしれない。いや監視しているだけならまだましだ。赤外線スコープの十字線の真ん中に我々をとらえ、引き金を引くタイミングを見計らっているかもしれないのだ。「壁づたいに腰を低くして歩け」彼は音のたなないようゆっくりと庭先に回っていった。最初に目に入ったのはこの家の愛犬の無惨な姿だった。「もはや間違いない。敵のコマンドーだ。偵察と通信施設などの指揮系統の破壊のために送り込まれたのだろう。きみはすぐに部屋にもどって、軍の指揮所に連絡をっとて応援を依頼してくれ」私はうなずき、今きた道をとって返そうとした。振り返ろうとしてふと視線の端に気になるものが見えた。もう一度彼の方に向き直った。蛍の光のようだった。けれど黄色ではなく蛇の舌のようなオレンジ色の光の点だ。一瞬私の頭は空白になりそして次の瞬間に叫んだ。照準されたレーザーのスポット光だった。「ふせろ。」「ぴしぴし」なにか堅い物が壁にあたり砕かれるような低い音が二度響いた。ふたりとも反射的に地面に伏せた。霜柱の張る地面にへばりついた。5秒、10秒。静寂が続いた。なにもおこらなかった。「狙撃されました。班長、家の中に戻りましょう。」私は彼の耳元でささやいた。彼は押し黙ったままだった。「ここにいては危険です。さあ」私は彼の背中を揺すった。一瞬凍り付いた。決して寒さのためではなかった。手になにかぬるとしたものが触った。最初はオイルかとおもった。がなま暖かかった。次第に月明かりの届かない庭木の陰で、凍り付いた地面から生臭いにおいがただよってきた。右手を近づけてじっと見つめた。青白い月明かりの中でそれは赤黒く映った。「班長。班長。」私は彼の耳元で叫んだ。うつぶせになった彼の顔は地面に突っ伏したままだ。私は横に伏せたまま満身の力を込めて彼の体をロールさせた。もともと体躯のがっしりした大柄の体型であるうえに、全身にまったく力が入っていないため、おそろしいほどの力を要した。まるで巨大な肉のかたまりをひっくりかえすかのようだった。上向きになった彼の顔は蒼白だった。下腹部を見るとその腹のちょうど真ん中あたりから、赤黒い液体が脈うつようにどくどくと流れ出していた。本能的に手でその吹き出しを止めようと手で覆った。しかし、そのなま暖かい液体は手のひらの間をとおってだらだらとまだんなく流れ続けた。たちまち地面におおきな血のたまりが広がった。私は思い直し急いで、彼の付けている防弾ベストをはずしにかかった。警察仕様の装備だったため軍用銃の至近距離からの直撃にはまったく用をなさなかったのだ。はずしたベストをみるとそのど真ん中に大きな穴が二つ開いていた。弾丸がケブラー製の防弾布を貫通したのだ。彼の腹部を直撃した2発の弾丸はカテゴリー2の防弾ベストを突き抜け、彼の腹部にめりこみさらに背中へと抜けていったのだった。私は止血するため彼のシャツをやぶりそれを血が流れ出す傷口にあて、ベルトできつく固定した。まだ彼が生きているのか、死んでいるのかわからなかった。とにかく家の中に彼をつれ帰らねばならない。まだ敵は周囲にいるはずだった。こちらにまだ照準をあわせているに違いない。私は彼の襟首を持ち満身の力をこめて引きずり始めた。脱力した人間の体を引きずることにこれほどまでに途方もない力がいるとは思いもしなかった。最初は伏せた状態で引きづろうとしたが到底不可能だった。私は意を決して上半身をおこし、彼の頭のほうから両手で両肩の服の端をつかんだ。座ったまま地面にのばした両足を交互に動かしてなんとか彼を動かすことに成功した。そのとき前方の家の壁角で声が聞こえた「撃つな。俺だ」声の主は小走りで私の方に駆け寄ってきた。「銃声が聞こえたのであわてて戻ってきた。」班長だった。彼はそういいながら、私のそばに中腰でにじり寄ってきた。彼の顔が一瞬凍り付いた。彼は肩に手をかけ揺すりながら叫んだ「おいしっかりしろ。しっかりするんだ」私は敵の弾丸が2発防弾ベストを貫通し、生きているのか死んでいるのかわからないと彼に言った。班長は横たわった相棒の首すじに手をあててこちらを向いた。「弱いがまだ脈はある。急いで部屋の中に連れて行き止血をするんだ。軍の医療施設に運びこめば助けられるかも知れない。おれが担いで走るから、君は援護をしてくれ」彼は私のもっていたサブマシンガンを手に取り、銃口に装着されていたサイレンサをはずした。「これで射撃距離が伸びる。撃ちまくりながら走るんだ。やつらの頭をさげさせればそれでいい。用意はいいか。いくぞ」彼は返事が帰るのもまたず相棒を担ぎ上げ、一気に玄関へとダッシュした。同時に山すその暗闇から閃光が走り、「ダダダダッ」という低い連射音が響いた。私はその音にはじかれるように、そのマズルフラッシュの見えた方向へ一連射し、彼のあとについて走り始めた。家の壁に打ち込まれる「ブスブス」という鈍い音がすぐ耳もとで聞こえた。銃口を左に向け引き金を引き続けた。2秒、3秒、4秒、数秒の時間が数分にも感じられた。レシーバーが後退したままロックした。どこか遠くでマガジンをチェンジしろという声が聞こえた。自分でも不思議なのだが、暗闇の中で手探りで弾倉交換をすることができた。トリガーを引いた。「ダダダダ」玄関が目の前に見えてきた。まず先に彼が飛び込んだ。続いて私が倒れるようになかに入った。後ろで玄関脇の窓ガラスが砕け散った。「ここで防戦するんだ。銃声は監視塔へ聞こえているはずだ、すぐに警戒中の軍が応援に駆けつけてくれるはずだ。それまでなんとか持たすんだ。俺はこいつにできるけの手当をして、戻ってくる。」私は目でうなずき、銃を握りしめた。彼は自分の持っていたマガジンを私に手渡し、相棒を手当するため部屋の奥に消えた。幸いなことにこの家の北と西は山がすぐそばまでせまり、回り込むにはちょっとした崖を登らなくてはならない。当面は正面と通信棟のある東面に注意を向けていれば良かった。深呼吸をゆっくりと2度した。首もとまでずり落ちていた暗視スコープをかけなおし周囲を監視した。すぐにやつらの姿が目に入った。比較的小柄な人影が2つ木々の間を見え隠れしながら西から東へと移動している。軍用銃にしては小振りな銃を持っていた。おそらく軍の特殊部隊がよく使用するカービン銃だろう。短い銃身が鈍く光っている。通常の歩兵銃よりは射程や命中精度は若干おちるが、野外戦闘では私の今もっている警察仕様のサブマシンガンよりははるかに高性能だった。しばらく静寂が続いた。やつらは警戒しているようだ。マシンガンで応射している我々を軍の通信施設を警備中の兵士だと勘違いしたに違いない。少しだがこれで時間がかせげる。しかし静寂は長くは続かなかった。やつらは建物の東側から裏にまわりこもうと移動を始めた。回り込ませるわけにはいかない。私は暗視ゴーグル越しに照準した。先頭の小柄な兵士をねらって一連射した。トレーサー弾は装填されていなかったが、加熱した弾丸は赤外線暗視ゴーグルにぼんやりとその弾道が映った。そのため緑色の視野の中でその弾着点を見定めることが出来た。照準が下すぎだ。かろうじて射程内にとらえているようだったが、ターゲットの手前で急速に軌跡は下降曲線を描いていた。精鋭の兵士らしく銃声とともにその姿は藪に消えた。しばらくの間静寂が闇を包んだ。「バリバリバリバリ」今まで聞いたこともないようなすごい音ともにすぐ脇のモルタルの壁がバラバラに砕け散った。彼らは一気に制圧にかかってきたのだ。火力をアップするため彼らもサイレンサーはずしたためだった。真夜中の山間に銃声が響き。ものすごい残響音を発した。私は無我夢中で閃光と連射音のした方向に応射した。サブマシンガンは拳銃弾のためまるで相手の射撃音にくらべると豆鉄砲のようだった。敵の頭を下げさせることさえできそうにもない。室内戦闘で使用するように設計されているため射程距離不足で、弾幕さえも敵の手前にしか張ることができなかった。すでにやつらは我々の装備が貧弱であることに気づき始めているようだった。じぶんたちが交戦しているのは軍の守備隊ではないことに気づいたのである.ナイトスコープの視野の中でかれらは大胆に家の東側に迂回をはじめ、私の視野から消えようとしていた。この玄関前にいたのではもはやなにもすることが出来なかった。やつらを防ぐためにこちらも外に打って出るしかない。そのとき奥から巡査がでてきた。「なんとか止血だけはした。できるけ速く医師の手当てが必要だ。やつらはどうなっている」「家の東側に回り込まれました。ここにいては防ぎようがありません。外にでて家の東側の庭石あたりにまで出て行かないと。ただあまりにも火力が違いすぎます。」「心配するな軍のパトロール隊が必ずきてくれる。それまでの辛抱だ。」彼はそういって着用しているベストからスプレー缶のようなものをとりだし床に並べ始めた。前部で6個「これはなんですか。もしかして手榴弾」「いや残念ながら警察機構では手榴弾のような無差別な殺傷力をもつような武器の装備は許されていない。これは特殊閃光弾、通称フラッシュバンといって、破裂するとすさまじい音ともに目もくらむような閃光をはなつ。破砕片を周囲にまきちらして敵を制圧するハンドグレネードとはことなり、一瞬これで敵を傷つけることなくひるまして、突入するときに使用する。」「ああ、よく人質を奪回するときに部屋の中で特殊部隊がドアをあけて中にほおりこんでいる訓練シーンをなにかでみたことがあります」「どれほどの役にたつかわからないが君はこれを使ってくれ。」「わかりました。」「使い方は簡単だ。このピンをひきぬいて3秒カウントしてほおりなげるだけだ。こちらもいっしょに幻惑されないよう目をつぶって手で耳をふさげ」「それと弾薬があとこの1本だけなんですが、予備は」「それですべてだ。連射モードから単発モードに代えて使用するんだ。射程内にひきつけてからよくねらって撃つんだ。私はこのショットガンで応戦する」そういって彼は猟銃ぐらいの大きさの銃身が水平に2本ついている散弾銃を右手で抱え上げた。「とにかくやるしかない。いくぞ」彼はそういいはなって外に飛び出していった。私も一瞬間をおいてその後に続いた。「ダダダダダ。」ものすごい連射音とともに地面の土塊が飛び跳ねた。彼は散弾銃で応射しながら5メートル先の大きな庭石のところまで走り抜けそこに倒れ込んだ。私もそれに続いた。彼は私に目配せをした。私はうなずき、ピンをぬき3秒カウントしておもいっきり全身の力を込めてやつらに向かって投げた。「バーン」ものすごい音と光だった。私はうっかり目をつぶり耳を塞ぐのを忘れていた。耳のすぐそばで拳銃の引き金をひかれたようなすさまじい音響だった。真昼のような明るさにしばらくの間視力を失った。「だいじょうぶか」私が痴呆老人のようにぼーとうつろな目をしてたたずんでいるのをみて彼が声をかけた。「しばらくはこれが手榴弾だと勘違いして、敵の接近を防げるだろう」彼はそういいながら、短く切りつめたコンバット用のショットガンの弾倉にカートリッジを再装填しはじめた。私は我にかえり、暗視スコープで周囲の状況を確認し始めた。ちらちらとやつらの姿が目にはいった。すでに50メートルほどの距離まで接近されていた。そのときだった「バッシ」という音とともに彼の銃が3メートル先に吹き飛んだ。彼は手首を押さえてうずくまった。「だいじょうぶか」私は彼の手首を押さえた。「だいじょぶだ。撃たれてはいない。銃を狙撃された。スナイパーだ。相棒がやられたやつとおなじだ。」私ははじけ飛んだショットガンに目をやった。銃身の部分がまるでバナナの皮のようにめくれていた。庭石の陰からわずかにのぞいていた銃身の部分をねらって狙撃してきたのだ。おそろしいほどの腕前だった。「周囲をよくみてくれ赤いレーザトドットがちらついていないか」私は後方を見渡した。あった。1メートルほどはなれた家の壁に非常に明るい1センチくらいの赤い光の点がゆらゆらと動いていた。私はその光の点にむかって空になった弾倉をを投げた。バーン。地面におちた瞬間にマガジンははじき飛ばされた。身動きできなかった。その時「ぽーん」という拍子抜けのするくらい軽い音がした。一瞬二人は顔を見合わせ本能的に同時に体を伏せた。「ドカーン」轟音とともに周囲に土塊と埃がまった。また続いて「ぽーん」今度は屋根に命中し屋根瓦の破片がばらばらと落ちてきた。「迫撃砲か小型のロケット弾だ」彼は庭石の影から照準用の赤外線スコープでのぞき悲痛な声で言った「やつらが一斉に前進をはじめた。防ぎようがない」確かにどうしようもなかった。応戦しようにも狙撃手が確実に我々の周囲をスコープで監視している。砲弾がここを直撃するのが先かやつらがなだれ込んでくるのが先か。同じやられるなら、妻や子供の隠れているこの家から注意をそらしたかった。私はうって出ようと思った。班長をみた。彼はついに限界に到達していた。おどろいたことに彼は完全に幼児のようにそこにうずくまっていた。彼は警察官だ兵士じゃない。精神の限界にたっするのも無理はない。明らかに戦う気力は失い、完全な混乱状態におちいりもはや戦闘能力を喪失していた。わたしは彼にここにいるように伝えた。彼にはなにも聞こえていないようだった。残りのマガジンは2本と、今銃に装着しているぶんだけだった。やつらを引き連れてできるだけこの家から遠ざけるつもりだった。フラッシュバーンのピンを抜いた。今から自分が走り抜ける方向に向かって投げた。「バーン」破裂と同時に飛び出した。少しでも狙撃手の正確な照準から逃れるとっさのおもいつきだった。幸いにも成功した。銃声は聞こえない。10メートルほど走り抜け井戸のところまでたどり着いた。振り返って見てみると彼が呆然とした様子で庭石の裏に座り込み宙を見つめている。もはや時分しかいない。やれるだけのことはしなければならないと思った。やつらは再び前進を始めた。裏に通信設備がなければ、こんなぼろ民家を占拠する意味などまったくなかったはずだ。私は心の中で通信設備などすきにしてかまわないから私たちを殺さないでくれと何度も叫んだ。しかしそんなことをやつらに向かってほんとうに叫んだとしても何の意味をなさないだろう。だいいち言葉など通じるわけがない。彼らは作戦遂行を妨げられると考えられるものは当然実力で排除してくる。我々の存在自体が作戦を遂行するうえで障害になっている以上、我々は消されなければならないのだ。救援がくることを信じて命が続く限りやつらの進入をくいとめるしかない。私はスコープをはずし、直接銃に付属している光学スコープで照準した。一部雲にかくれていた月が完全にその姿を現し、あたりは青白い光で煌々と照らされた。もはや暗視スコープなど必要ないほど彼らはそばまで近づいていた。極限まで達した私の精神は逆に信じられないくらい落ち着いていた。照準器の距離計をセットした。30メートル若、大胆にも立ち上がってこちらの様子を伺っている兵士が目に入った。クロスヘアーをその大柄な兵士の胸に重ね合わせトリガーを引いた。「パンパン」と2度乾いた音がした。単射音はまるでモデルガンのような頼りない音だった。スコープ上のやつの姿が一瞬藪にかくれた。しかしまたすぐに立ち上がりこちらに向かって応射した。「ちくしょうはずれたか」今度は逆にまわりのやつらといっしょにすさまじい弾幕を張ってきた。「ダダダダ、バリバリバリ」土塊、木々の破片、モルタルのかけら、ガラスの破片が四方八方から降り注いできた。地面に伏せてやりすごし、わずかな射撃の間をぬって別の場所に移動した。「ドカーン」先ほどいた井戸が跡形もなく吹き飛んだ。移動しなかったらロケット弾を見舞われておしまいだった。再度やつらにむかって照準した。当たれと念じて引き金を引く。「パンパンパン」視野の中で小さな煙が敵の胸元のところにあがった。「命中した。やった」がくとひざを落としたやつはそのまま前のめりに倒れるかに見えた。ところが一歩前に足を踏み出し、しばらくうつむいていたがなにごともなかったかのようにまた前進し始めた。「どういことなんだ」確かに胸に少なくとも2発は命中しているはずだ。私はスコープをのぞいた。彼は後ろの兵士になにか合図をした。すると10名ほどの兵士が藪から姿を現し立ち上がって前進し始めた。私は愕然とした。彼らは軍用の高性能防弾ベストを着用し、しかも防弾バイザーをおろしていた。大柄の兵士に見えたのは、セラミック板をベストの中に増着していたからだった。高性能の軍用ライフルでも耐える事ができる。ましてやサブマシンガンの弾丸は貫通する気遣いはなかった。私は絶望感におそわれながら連射モードにスイッチして、防備されていない足をねらい撃ちまくった。マガジンが空になりチェンジのマガジンをまさぐった。「ない」今のが最後のマガジンたったことに気がつき愕然とした。さすがに連射している間は彼らは頭をさげ前進をやめた。しかしとぎれるとまたたちあがった。絶望的な状況だった。もうそろそろ場所を移動しなければロケット弾を見舞われる危険があった。しかし、私はその場で最後のウエポンである拳銃を抜き出し打ち続けた。レシーバが後退したまま止まった。弾薬切れだった。予備はない。万事休すだった。私は絶叫しながら正気をうしないかけたとき「ズドーン」という激しい轟音がわたしの体をつつんだ。一瞬体が持ち上がった。と次の瞬間ものすごい閃光と爆風が私の全身を襲った。私は薄れる記憶のなかで彼らの向かってくる方角が真昼のように明るく輝いたのを見た。そして意識を失った。

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