第8話 再始動
翌日、指定の広報課にのぞいてみた。年配の中堅の士官がカウンターにでてきた。「ご協力ありがとうございます。さっそくこの書類にサインを願います。」私はあっけにとられて、「車両整備の技量確認とかはしないんですか」と尋ねた。「いえいえ、整備を依頼するものはまったく新しい知識を必要とするものですから、技量の有無はほとんど関係ありません。体力とやる気のあるかたでしたら大歓迎です。これからこの基地で予想される業務量からすればここの人員だけでは不足していますから」「もしかして戦車の整備とか」「それも十分にありえますな。ははははは」
教室は河川敷に臨時に建設中の整備ヤードのすぐ隣に設営されたテントの中だった。生徒は私を含めて10人ちょっと。ほとんどが30代から40代前半の男性だった。「みなさまのご協力に感謝します。マニュアルは読まれたかとはおもいますが、理解するまでにはいたらなかった方が大半だとはおもいますが、気になさらなくてけっこうです。ひとつひとつ現物を使用してステップバイステップでお教え致しますので、そのとおりにしていただければ習得するのは決して困難なことではありません。この救国の時代に民間人のあなたがたが国土防衛のための作業に参加されることはあなたがたご自身にとっても極めて有意義なことといえると思います」私はまた時代錯誤的なことをいう人だと心ながらにも感じたが、微力ながらも国の防衛任務に携われることは、率直にうれしく感じたのは事実であった。「それでは初回の講義に入ります。明日からは実車を使った講義を毎回行いますが、今日は初回だということで座学にとどめたいと思います」実際には明日から高知港に荷揚げされた機甲車両がここまで陸送されてくることを私は昨日の物資交換所の兵士から聞いて知っていたのでなるほどなと思った。講師は液晶プロジェクターを使用して、説明を始めた。当初の説明とは異なり、やはり多く部分はマニュアルからの抜粋にすぎず、大部分は理解困難だったがいくつかは興味深く聞くことができた。たとえば「この90式戦車の最大の特徴は搭乗員が3名であるということです。操縦者1名砲手1名車長1名の計3名でこのタンクを操作できるといこと。これは第3世代のタンクの中でも極めて特筆すべき機能です。この3名乗車を可能にしているのは通常1名いる装填手を自動装填装置を開発装備することにより省くことに成功したためです。これにより、人手の装填では不可能であった速射能力を90タンクはもつことができたわけです。ただこれが別のネックを生むことになりました。この自動装填機構は非常に優秀で精巧に出来ている反面、整備を十分におこなっていないと不整地走行を高速で行っているときに装弾不良を起こしてしまうという欠点をはからずも露呈させてしまいました。みなさんには専門家の指導のもとこの装置の分解整備をおこなってもらいます。」そのほかには「この戦車という乗り物は極めて頑丈に造られている反面、乗員の外部視界が極めて限られています。例えば、ドライバはプリズムを使用した小さなペリスコープをとおして前方を見ます。また車長や砲手も同じようなペリスコープを使用していますが、それに加えてこの高感度の赤外線暗視装置をそれぞれ1台ずつ計2台を装備しています。これは極めてデリケートな電子機器であるため、みなさんには直接メンテナンスに携わってもらうことはないと思いますが、そのだいたいの構造は理解していただけたらと思います」まあざっとこんなところだったが、最終的には10名は2名ずつのペアを組んでそれぞれの組に専門の領域を割り当て、それぞれのペアが専門の領域をひとつ担当してもらうとう方法がとられた。その割り当てはまったくアトランダムにおこなわれたが偶然にも私は密かに希望していた、自動装填装置の整備を担当することとなった。相棒はこの村の役場で電気士を長年務めていた妻子持ちの気さくな人だった。彼は職種からしてはあまり電子機器の知識はあまり持ち合わせてはいなかったが、そのかわり高校時代は学生相撲でこの地域では有名だったというくらい、足腰と腕力には年齢からして並はずれた力を持っていた。 当初はここは戦時物資の備蓄基地としての機能を想定して、あらゆる軍需物資を対地攻撃から守るための地下備蓄基地を構築していた。しかい今やそれのみならず、ここに配備されていた要員と各地より転戦してきた他部隊の要員とにより臨時の修理、整備基地として本格的に機能し始めようとしていた。
「とりあえず、君たちには当初の予定を変更して、自動装填装置の修理は後回しにして、装甲版の脱着作業に従事してもらうことにした。」
「装填装置の修理は必要なくなったのですか」「いや、そうではない。修理を要する車両が想像以上に次ぎ次ぎに搬入されている。我々は可能な限り、すみやかにこれを戦える状態にして、またこれを必要とする戦場にもどしてやらなければならない。しかしながら、ここにいる専門の陸自の整備要員は限られている。そこで君たち民間人に整備技術を学んでもらい、それぞれの専門家のもとで研修をしてもらう予定だったのだが、現状がそれを許さない、逼迫した状況となっている。とりあえず、これらの車両を最低限戦える状態で戦場に復帰させてやらなければならい。そこで自動装填装置や暗視装置、その他の高度の技術を要する修理は専門の技術職員が当面処理出来る範囲内で対応してゆき、手のまわらない部分については、手動装填、光学照準装置に簡易改造することで対応するこにした。」
「わかりました。それで僕たちはどこへ行けばいいんですか」「君たちには、この川の300メートル下手の河川敷に装甲板の再装着工場がすでに建設されている。そこで作業に従事してもらいたい。」
さっそく私は相棒の中村といっしょに午後からその作業場へと赴いて行った。そこはひとことで表現すると巨大な鉄工所といったふうだった。建屋の中ではすでに数台のタンクが砲塔取り外された状態で移動用の台車に固定されていた。周りでは溶接要員が四方から群がり、被弾した装甲版をはずし、あらたな装甲版を組み込んでいた。「力仕事はおれの得意分野だ。」相棒の中村が自信満々にうでまくりをしながら言った。
1日の作業は結構な重労働だった。ここに散在しているものはどれひとつをとっても人間の力だけで容易に移動させられるものはなかった。鉄板の1枚を右から左に移動させるだけでも、上部からつるされているクレーンを使う必要があった。まさにここで作業をしていると戦車という代物は戦う車両という名前どおり、銃弾や砲弾から自らを防御するためにつくられた鉄の箱だということがよくわかった。得に86式などの旧型は砲塔などは鋳造の一体部品であり、まるでそれを取り外した後の砲塔の姿はかにの甲羅を裏側から眺めている姿にそっくりだった。その甲羅の一部には外側からみると人間の手のひら大の穴がぽっかりとあいているものが散見できた。これが対戦車ミサイルの被弾穴だと後から知った。内部の燃料や弾薬に誘爆したりしたものや、大型の対戦車兵器の直撃を受けたものは華々しく破壊されているが、個人携行用のミサイルや戦車砲弾では外側からみればこのような穴がぽっかりとあくだけだそうだ。しかし、それを裏側からみると車両内の装置類は黒こげになり、まるで中でなにかがはじけたように室内があめのようにねじ曲がっていた。内部に設置されていた多くの電装品や機械品は既に修理のため取り外されていたが、いくつかのものは修理不能なほどぐちゃぐちゃにこわれ、焼けた状態でそのかにの甲羅の内側にひっついていた。新品の換装品に交換予定なのだろうが、はずす手間を惜しんで、とりあえず装甲を張り替えるまでそこに放置しておいてあるようだった。本当にそこで乗員がこの機器を操作していたのだろうかと思うほどそれらは原型をとどめないほどまでに破壊されていた。もとはなにかの電子部品がつまっていた箱だったのだろう。微細な集積回路や抵抗、コンデンサーなどが基盤上に埋め込まれたボックスから、赤や黄や黒の配線がまるで動物の脳髄からたれさがった神経系をさらけだしているかのようにむきだしにされていた。砲塔側とおもわれるほうには、射撃用のスコープ部分がかろうじて残っていた。接眼レンズ部分だけは妙に原型をとどめており、ここから照準をおこなっていた砲手の眼球がそのまま死の直前にここに生きながら張り付いたしまったかのように、ぎらぎらと不気味な光を放っていた。おそらく砲手も含めこの砲塔部分に乗車していた車長も想像するおぞましい姿に変わり果て、死んでいったのだろう。そういう目でもう一度、見渡してみると、考えたくもないことだが、なにか有機物の断片がひからびたような黒っぽい固まりが、砲塔の内部のそここにへばりついているのが目に入ってきた。おもわず目をそらし、すぐにそこから離れた。気持ちを落ち着け新鮮な空気を吸うためにいったん建屋の外にでた。なにも臭いはしていなかったはずなのに、なぜか鼻孔の奥に死臭がまとわりついていた。もちろん人間の死臭などそれまでかいだことはなかったのだから、自分の頭が作り出した創造物だったのだろうが、それはとてもリアルなものだった。外の冷たい空気を吸っているうちに次第にその臭いは嗅覚から清浄されていった。周囲を見回してみると、ここにつれてこられたときには気づかなかったのだが、ちょうどここは戦争前里帰りをしていたころ妻とよく話しをしていた場所だった。道路脇から眺めながら妻と「あそこなにか大きな工事をしているみたいだけど、なにができるのかしらね。」「トンネルみたいなのをずいぶん前から掘っているようだけど。」「どこかにつながる新しい道路でもつくっているのかしら」とよく話していた。建屋のちょうど反対側をみるとその時見えていたトンネルの入り口のようなものがそこにあった。入り口は鋼鉄の装甲板のようなものでふさがれており、その脇のちいさな入り口から人が頻繁に出入りをしていた。ここについてから資材の備蓄用の倉庫が、いたるところに山をくりぬいて密かに作られていたことを知ったが、それとは少し趣がことなっていた。もしかしたら基地の中枢センターがあるのかもしれないとおぼろげながら考えた。
再び建屋の中に入ると相棒が現場の指導員から指示をうけながら、新しい装甲版をパレットから一枚、一枚取り出すためのクレーン操作の方法を学んでいるところだった。鈍感というか図太いというか、いずれにしろ彼の適応力には感心するばかりだった。
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