第7話 休息

ここに来てはや1週間が過ぎた。妻の義父に命を助けられたあの事件が遠い昔のことのように思われた。妻は足をくじきながらも必死で息子を背負い10キロの山道を下り、その結果偶然にも前日の車両の爆発音と閃光を調べにきていた、義父をリーダーとする村の自治防衛団に出会うことが出来た。妻は彼らをつれて引き返し、私の命を救ってくれた。妻と息子を先にやった時点で、私は自らの命はないと思っていた。しかし、それは浅はかだった。私の命は自分だけのものではない。妻そして息子のために生きなければならない。そのことを、今回のことで身をもって知った。父親であり夫である自分はいつでも、妻や息子のために命を投げ出す覚悟はもちながらも、逆に彼らのために生きなければならない。あの時点でも、自らを犠牲にする以外に方法が絶対なかったとはいえない。妻は私が危機一髪のところで救助されたとき、涙ながらに目でそのことを訴えていた。なんとしても戦場で生き延びるすべを手に入れなければならない。家族のため、そして夫であり父である自分のために。


救助されて、義父の家つまり妻の実家へと運ばれたその日は、逃避行のための疲労と極限状況の体験による虚脱感で1日中眠っていたそうである。当然私の記憶も救出直後から翌日の朝、やわらかな布団の中で目覚めるまで完全に途絶えていた。ここに来てから本当に日本は戦争へと巻き込まれているのかと疑いたくなるほど平穏な日々が続いている。しかし、私たち家族が脱出行を決行したその晩に日本への軍事侵攻が行われたのである。これは紛れもない真実であり、夢でも幻でもなかった。実際に我々はこの目でその一端を目撃もしている。あれは空爆だったのか、巡航ミサイルだったのか、コマンドーによる破壊工作だったのかはわからない。しかし、災害や事故ではなくあきらかに軍事攻撃であった。これほどまでに戦争とは急激に勃発するものなのだろうか。これほどまでに平和とは簡単に壊れゆくものなのだろうか。私はまるで悪夢でも見ているかのごとくここ数週間の出来事を振り返っていた。

 「あなた、ご飯ができたわよ」妻の呼ぶ声が台所から聞こえてきた。2DKほどの広さではあるが、義父から離れを一軒借り、夫婦と子どもだけで住でいる。「ほんとうに急に世話になることになりおとうさんには申し訳ないな」「いいのよ、父も母と二人だけでさびしかったからちょうどいい話し相手ができたって喜んでいるわ」「そういってくれると助かるよ」ここに来てから朝、昼、晩と食べる米の飯はひときわうまく、ここの自然環境のすばらしさのひとつの証だと感心しながら舌鼓をうっていた。

 穏やかな2週間が過ぎていった。途絶えつつある各種情報源によると、やはり我々が逃避行を開始したその日に開戦の火ぶたがきっておとされたようだった。現在の主戦場は日本海側となっているようで、まだ敵勢力は大規模な着上陸に成功はしていないようだった。しかしいくつかの地点で小規模ながらも地上部隊が上陸しているとのうわさもたっている。幸いにも大規模な地上部隊の上陸は我が海自と空自の両戦力が阻止しており、日本海では洋上戦闘がいくつかの海域に分かれて繰り広げられているらしかった。もちろん海の底も例外ではなかった。潜水艦どうしの神経戦、頭脳戦が展開されていた。その戦果のいかんは海上からではつかみがたく、人知れず海の藻屑とかしている艦もあるだろう。一方陸では特殊潜行艇や高々度降下技術を駆使して内陸部に少数精鋭のコマンドーを多数降下させており、また旧ソ連から供与された長距離巡航ミサイルが、防空網を突破し地方都市の一部に着弾し、民間の被害を拡大させていた。すでに私たちが住んでいた町の半分以上は火災に焼き尽くされ、焼け残った一部は潜入した特殊部隊によって占拠されていた。最新の情報では四国に展開している陸自の部隊が駐屯地を出発し町の奪還にむかっているとのことである。

 幸いにも、ここ四国の中心部の山奥の村には、まったく戦火の片鱗さえもまだみることはなかった。各地から情報としてはいってくるだけで、それさえ知ることもない年寄りたちは普段の生活をたんたんとつづけているといった日常が繰り広げられていた。

ここでの生活が1月近く経過したころだった。先週よりついにこの町にも小規模ではあるが陸自の部隊が集結し始めた。どうやらここは後方基地として兵站と補給、そして各種装備の修理をおこなうための一拠点として、事前に定められた戦時拠点であったようだ。そういえば、平和だった頃この山里では似つかわしくないほどよく道路工事がおこわれていたことを思い出した。当時は単なる山間部の道路拡幅工事と思っていたが、実は戦時に備えて補給部品や弾薬、燃料を備蓄するための地下倉庫を建設していたのだ。いたるところに堀抜かれたたままのトンネルがいやにたくさん散在しているなと里帰りのたびに不思議に思っていたものだった。

 「つい先日までは静かな村だったのにな」義父が眉を潜めながら私に言った。「日本全体が戦火の元にされされようとしている今、直接の攻撃を当面は受けるおそれのないここはまだ平和なほうですよ」私はなんとなく楽観的なことばで返答した。「夜には遠く北のほうから砲声や爆発音それに真昼のようにあたりを一瞬てらしだす強烈な閃光が見える。」義父はここもいずれは危険になるだろうと言った。「そう簡単に上陸は許さないでしょう。陸自海自空自とも着上陸阻止の作戦や訓練はいやというほどおこなっているはずですから」「実戦と訓練はやはりちがうだろう。実戦経験のない軍隊は脆いところがきっとあるはずだ。そこを突かれればがあっというまに崩れてしまう。」曾祖父が南方の島々で士官として指揮をしていたという義父ならではの的を得た見解だった。「我々民間人もなにか協力することはないでしょうか、おとうさん」「とりあえずは、米や野菜、を供出するくらいしか手伝えることはないだろう」 

翌日私は逃避行の肉体的精神的疲れもほぼいやされはじめていたので、昼食後臨時駐屯基地の方に出かけてみることにした。状況の急変した先日より住民たちには身分証明書をかねたパスが配布されていた。私もその例外ではなかった。それを提示すれば基地の1次エリアには入ることができた。そこでは農産物と引き替えに軍用の日用品を支給してもらっている村人たちで賑わっていた。まさにブツブツ交換だった。ここ数日で民間の日用品は完全にその供給がストップしていた。宅配便も郵便もその運送機能を喪失していたようだ。民間の輸送会社のいくつかはまだその営業を継続していたようだったたが、多くは軍に徴用され、軍事物資の輸送に携わっていた。この山奥の山村には大手スーパはなかったので、それらの商品の供給がどうなっているかは知ることはできなかった。瀬戸内沿いにある平野部の都市ではすでに、スーパの商品の供給が停止したため、販売を中止したにもかかわらず多くの市民が店の周りを取り囲みやがてそれらが暴徒と化しスーパの商品を略奪し始めているそうである。ここはその点使い勝手の極めて悪い軍用品ではあるが、生活するには困らない分の日常生活物資は米や野菜と交換に手に入れることができた。私の義父に頼まれて米を30キロほど持ち込み日用品に交換してもらった。レートはあちらまかせでわあったが割と交換比率はよいようだった。もっともほしいのはやはり燃料であり、今まで使用していた風呂や調理用のプロパンガスはまったく手に入らないので、軍用の中古の大型の軽油を燃焼させるタイプのバーナーを大小2器ゆずってもらった。大型のほうを風呂釜用として改造して使用し、小型のほうを調理用として使用していた。軽油を18リットルのポリタンクに8缶ほどつめてもらい軽トラックに載せた。後はミルパックといわれる戦時用の1食分をアルミの食器ごとパックしたものを50食分手に入れることができた。こいつはいわゆる戦闘行動中に野外で各自が暖めて食べる携帯用のレトルト食と異なり、ちょっとしたバイキング料理くらいのボリュームがあり、年寄りなら1食でゆうに1日がまかなえた。 

補給部隊の兵士は愛想のいい若い兵士が多かった。「戦況はどんな具合だい」「さあ、私のような下っ端にはよくわかりませんが、我々のこの部隊も上部の指揮系統から組織だった指揮を受けて行動しているわけではありません。半分部隊長の独立した指揮命令のもとよくいえば自立的に悪く言えば孤立状態で作戦行動をおこなっているのが実情のようです。あんまり大きい声ではいえませんが・・・・。」「なるほど」「ただ、ここには事前備蓄の物資がかなりありますから、おそらくこのまま補給、兵站、修理の後方拠点として機能させていく方針はかわらないでしょう。明日には北海道の第7師団から太平洋経由で90タンクが高知港まで輸送されてくるとのこと、おそらく夜にはトランスポーターでここに数台はこびこまれてくるでしょう。」「ここで野戦整備をしてトレーラーからおろされ自走して松山港までいきそこから瀬戸内海をわったて最前線に投入されるというわけか。」

 帰宅すると、妻が息子をせおって庭に出ていた。「あら、お帰り。もう体の具合はいいの。あまり無理しないほうがいいわ。」息子を妻に代わってだきかかえながら私言った「そうそう。さっきあなたがいない間に陸自の広報の方がやってきて、車両整備技術の多少ある人がもしいたら軍のほうで雇用したいので、駐屯地の広報課まで連絡下さいだって。あなた資格はもっていなけど、趣味で結構そのあたり詳しくなかった?暇をもてあますようだったらちょっとのぞいてみたら。」私はぴんときた。さっきあの若い兵士がいっていたことはやはり事実だったのだ。もともとここに駐屯している部隊は施設科ではなく普通科つまり一般歩兵であり、90タンクなどの最新鋭の機甲装備をメンテナンスするほどの技量をもったものはほとんどいなかった。少しでもこころえのあるものなら、猫の手でもかりたいと考えたに違いない。

                    

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