第4話 追撃
この時点で予定よりまる1日遅れていた。もちろんその遅れは計画に織り込み済みだったとはいえ、予備の物資はもう2日分しかなかった。明日の早朝に着く予定だったが、残り距離がまだ100キロ近くある。到着は早くて明日の深夜、おそらく明後日にずれこむものと思われた。これから先はどんどん道が狭くなり厳しくなる。さらなるトラブルに見舞われないとも限らない。安全のため日が落ちたら移動を中止し、野営すべきなのかもしれないが、残り距離をできるだけ縮めるため、深夜まで走り続けることにした。
日中は狭い車内で揺られ、夜は夜で狭く寒いテント生活のため、妻も子ども疲労が蓄積してきているようだった。ルームミラーに息子を抱えた妻の疲労した顔が見えた。
なんとしても家族を無事目的地まで届けなければならない。二人の顔を見るにつれ強い使命感が体中にわき起こるのを感じた。煌々と照らし出されるヘッドライト先の道はどこまでもくねくねと続いている。永遠に続いてゆくのかと錯覚にとらわれるほど、夜の雪の積もった山道は単調な蛇行を繰り返しながら、先へ先へと続いていた。結局その日は夕方から深夜まで走り続けて残り距離50キロまでの地点まで歩を進めることができた。後10キロほど走れば林道へと登る最後の分岐点に到達することになる。ここまで来れば早ければ明日の昼過ぎには、お互いの両親の待つ里へ到着することができるだろう。少なくとも日暮れまでにはゴールできるはずだ。私は適当な場所を見つけ車を止め、疲れた体で野営の準備をした。
夜中の0時を回ったころだろうか、なにか遠くのほうで車のクラクションが鳴るような音がしているのに妻が気づいた。すでに山里の村々は通り過ぎており、後は目的地まで人里を離れた林道を走り抜けるだけなので、こんなところで人や車に出くわすはずはなかった。私は空耳だと否定したのだが、しばらくすると私にもそれが聞こえるようになった。加えて、音楽のようなものまで聞こえ始めた。これは間違いなく近くに誰か人がいる。この戦争状態のさなかにこの山奥にいったい誰がいるというのだ。昨晩のことが頭をよぎりいやな予感がした。私はシュラフザックから抜けだし、懐中電灯をもって外に出た。今夜は一段と冷え込んではいるが、雪は降っていなかった。月夜ではなかったが、星明かりでうっすらと遠くまで見通すことができた。今夜の野営地も昨晩と似たような地形だった。峠の頂上のため、これから下る道がつづれおりに下方に続いているのがよく見て取ることができた。直線にしておよそ2キロぐらい先だろうか、ちょうど林道へと折れていく少し手前にここと同じような広場が見えた。車のヘッドライトがいくつも輝いている。その方角から音楽やクラクションが聞こえてきていたのだ。私は必死で目をこらし状況を把握しようとつとめた。しかしヘッドライトは谷の方向を向いている為、周囲で何がおきているのか見定めることはできない。ただライトの数から車が大小あわせて10台ほどいるのがわかった。ときおりクラクションが乱雑に鳴らされている。また風の向きによってはかすかに人の叫び声のようなものも聞こえてきた。それ以上は肉眼ではいくら目をこらしても確認することはできなかった。私は車へととって引き返した。戻ってきた私を見てなにがあったのと妻が心配そうに問うてきたので、「いやなにも、おまえはなにも心配しなくていいからゆっくり休んでいなさい。」私はそう言って、車の助手席をごそごそとかき回した後また峠の下方が見える場所へと戻った。私はゆっくりと暗視スコープをのぞいた。それは例のM-16に装着するために積載されていたスターライトスコープだった。こんなところでこれが役に立とうとは。星明かりだけではなくヘッドライトの明かりもあるため、見えすぎるほどその場の光景が私の目の中に飛び込んできた。恐ろしい光景だった。おそらく昨日通り過ぎた幹線道路での惨劇が、場所を移してここまで飛び火してきたのだろう。車の周りにはみるからにやくざな連中が、酒瓶らしきものを手に手に持ちながらうろついている。その数およそ30人。まわりにはトランクケースや手荷物らしきものが所狭しと散在している。そして、それぞれの車の中では筆舌に尽くしがたい光景が繰り広げられていた。ときおりかいま見えるヒールやスカートはむなしい抵抗の様子を切れ切れに映し出していた。人間が獣と化していた光景だった。車の周辺をよく見ると、男性とおもわれる人影が不自然な形で何人か倒れていた。最後まで家族をまもるために戦ったのだろう。顔はカボチャのように腫れ上がっている。私は嗚咽しながらスコープから目を離した。苦い胃液がのど元までこみあげてくるのを感じた。夕べのこともあり悪くすれば再び遭遇することも覚悟しなければならない状況も考えていたが、まさか現実になるとは。
空には細い三日月が青く輝いていた。準備は完了した。まだ夜は明けていなかったが闇は我々の味方だった。こちらから向こうは見えても、向こうはこちらは見えない。突破するには今しかない。運転席には妻が座っていた。彼女は口を一文字に結び、目はきりっと前方を見つめていた。「心づもりはいいかい」「ええ、いつでもかまわないわ」私は助手席からたちあがり、天井のハッチを開けて上半身を外に出した。「じゃゆっくり出してくれ」「わかった」彼女は右手で額の上に跳ね上げていた双眼式の暗視装置を下におろした。ライトを消し、エンジンはアイドリングレベルを維持しながら、アクセルはふかさずに下り坂の惰性を利用して降り始めた。ギアはニュートラルポジションのままにした。「前方はよく見えるかい」「ええ、視野全体が白黒だけど木々と道路上は明暗のコントラストとして区別できるわ。まるで白黒のネガフィルムを見てる感じ」「その暗視装置は完全な闇夜でも使用できる極めて高性能な暗視装置だ。物体からでる赤外線を画像化しているので、モノクロの世界だけど十分運転には差しつかえない視界が確保できると思う。」妻を落ち着かせるため詳しい説明をした。私は銃身に装着した照準機能のあるスターライトスコープを通して前方を覗いた。今まではそれを不気味で危険で疎遠なものとどこかで感じていた。だが今は違った。まさに心強い味方だった。私は銃床に頬をつけながら前方を照準した。この銃はまさに今はドラキュラに対する聖水と十字架だった。「カシャンカシャン」ボルトを後方に引き下げ、コッキングし、弾丸を薬室に装填した。その無機的な音さえ頼もしく感じられた。右のジャンパーポケットからグレネード弾をとりだした。銀のボディーに弾頭部がオレンジに着色された成形炸薬弾だった。すばやく銃身の下についているグレネードランチャーの発射チューブを、手前に押しだし後方から片手で装弾した。やつらが寝入っているすきをつくつもりだった。スコープ上で一人の見張りが車の中にいるのが見て取れた。獣の割には侮れない集団だった。さらにやっかいないことに、そいつが乗っている車がいつでも道を閉鎖できるようなポジションに置かれていたのだ。私はしばらく思案した後妻に言った。「あの前方の曲がり角を曲がった先に直線の下りが300メートルほど続いている。いったん平坦になりそこを100メートル走ったところにやつらが野営している。」「わかってる。それはさっき何度も聞いたわ」「最終確認しているんだ。いいかい。あの曲がり角を曲がったところからが勝負だ。ぎりぎりまでアクセルはふかさずにアイドリングでいく。いいね。」「ええ」「やつらに見つかるか下り坂が終わり平坦なったところのどちらかでアクセルを踏み込みいっきに走り抜けるんだ。」「わかってる」私は妻の度胸のよさに驚きながら続けた。「やつらがこちらに気がつき、車を使って道を封鎖しようとしてきたら、僕がこいつを使ってそれを阻止する」そういって右手で手元の銃を揺すった「了解」「ライトは消したまま全速力でつきってくれ」最終コーナーで騎手が馬にむちをいれるように、私は自らをこまいさせた。「それじゃいくぞ」未明の張りつめた冷たい空気に、その言葉はおどろくほどよく響いた。軍用車両の割には,エンジンのアイドリング音は低く、ほとんど気にならないレベルだった。むしろ堅く凍っている路面をタイヤが踏み割る「バリバリ」という音のほうが、闇夜の冷たい空気を伝わってよく響いた。スコープ上で車の中の見張り役の男は先ほどからぴくりとも動かない。おそらく居眠りでもしているのだろう。好都合だ。これなら、直前まで気がつかれずにいけそうだ。もしかしたら、そのまま通り過ぎることができるかもしれない。極限状況におかれ過酷な現実に直面し、その状況から逃避しようとする心理的防衛規制が働いていた。楽観的に考えが流れていたのだ。気を引き締めなおし冷静さをとりもどした。おそろしいほどに時間はゆっくりと進んだ。まだ坂を3分1も下っていない。こちらからは暗視装置を通して前方の状況がはっきりとみてとれるが、相手からはまだなにも見えないはずだ。それはわかっていながら、まるで裸で玄関を出ていくような無力さを感じた。銃を握っている手が汗ばんでいるのがわかった。すべてはこれからだった。まだなにも始まっていない。何度も確かめたことをまたもう一度繰り返した。マガジンの底を右手で強く2回たたき、確実に弾倉が装填されていることを再度確認した。20発の弾丸はフルオートにしているため2・3秒で撃ちつくしてしまう。そのためマガジンチェンジがすばやくできるよう2本の弾倉を逆向きに、今装着している弾倉の両サイドにガムテープで固定しておいた。これは米軍などが実戦でよく使用しているスキルであり、以前雑誌で読んだことを偶然思い出したのだった。コッキングレバーを手前にひき、弾丸が薬室に確実に装填されていること、またセーフティーが解除されフルオートになっていることを手の感触で確かめた。坂の半分を下った。緊張が極限にまで達しようとしていた。両方のポケットに2発ずつはいっているグレネード弾をすばやく装填できるよう再装填をイメージした。気を落ち着けるためだった。スリーアクションをなんどか頭の中で繰り返した。筒状のアルミ合金の銃身をレバーで前方にスライドさせ、薬莢をイジェクトさせる。次に筒の後部から次弾を中に押し込み、そして最後にレバーを後退させ薬室兼銃身を閉鎖する。これでトリガーを引けば発射されるというわけである。問題はまだ一度も撃ったためしがないこと。こんなことなら、昨日の大木の切断のときに1発でも試し打ちすればよかったと後悔したが、後の祭りだった。銃弾と異なり、グレネード弾は直線状には飛ばない。初速が遅く、発射薬の量に比べ弾丸が大きいためかなりの曲率の放物線を描いて飛行し、ターゲットへと着弾するのである。正確に距離を把握し、それを元にスコープ上に表示される専用のレティクルを使用して照準しなければならない。あの大型のランクルが道を封鎖するのを防ぐには、銃弾だけでは無理だろう。少なくとも1発のグレネード弾を命中させなければならない。もしそれに失敗し、道路を完全に封鎖されたら。考えは悪いほうへ悪いほうへと傾いた。私はそれ以上考えるのはやめにした。今目の前のことだけに神経を集中させよう。ついに坂の3分の2まで到達した。私の使用している暗視装置は光学式のため、視野全体が緑色に表示された。視界は色以外普通の双眼鏡をのぞくのと同じではあったが、ただなぜか遠近感がまるでなかった。すべてのものがすぐ近くにあるようにも見えたし、遙か先にあるようにも感じられた。まるでエッシャーのだまし絵のようにそれが時間をおいて交互に現れた。感覚がとぎすまされているためか、通常なら気がつかない路面の凹凸や木の切れ端などが妙に気になった。タイヤで踏みつけて大きな音でも出しはしないかと気をもんだ。車両はもどかしいほどにゆっくりと進んでいった。なんどももうアクセルを踏みこんで、強行突破しようかと考えたが、ぐっと思いとどまった。まだこの距離からでは、エンジン音で気づかれ車で簡単に道路封鎖されてしまう。またこの距離では、グレネード弾はもちろんのこと、銃弾さえも命中させえる自信はなかった。その時だった。突然、それはまったく突然だった。なにかの間違いではないかとこれは夢ではないかと。「プシュー」という音が立て続けに2回したかと思うと、目の前に2発の打ち上げ花火が上がった。それはまばゆいほどの光だった。暗視装置の安全機構が働き、オーバーレフによる光電管の焼き付きを防止するための電子シャッターがおりた。目の前の視野が通常の光学スコープモードに変わった。暗夜にまっすぐに続く道がその光でゆらゆらと白く輝いて映し出されていた。やつらの車両に不気味な長い影が引かれた。しびれていた頭が次第に働きを取り戻し始めた。やつらはなんと、ブービーとラップをしかけていたのだ。おそらく、細いワイヤーを道路上に張っていたのだろう。車両や人がそのワイヤーを知らずに横切るとその先に接続してある照明弾が、発射される仕組みになっていたのだ。単なる残忍な暴徒集団だと見くびっていたが、なかのリーダー的立場にいるやつは頭のきれるやつらしい。その車両のうちの1台から一条の光の帯がこちらに向けて照らされた。サーチライトだった。私は駆けめぐる思考を中断し現実に戻った。妻に向かって叫んだ。「アクセルを踏み込んで、強行突破しろ」妻は今おこっていることが理解できず、口をぽかんと開けていた。私はもう一度さらにおおきな声で怒鳴った。「つっこめ、行くんだ」彼女はやっと正気に戻ったのか、前方に向き直り一気にアクセルを踏み込んだ。体がぐっと後ろにもっていかれた。ルーフの角で体を支えた。その先は自分でも驚くほど迅速に行動した。まるでプロの兵士のように。肘をつき銃を頬と肩でしっかりと固定した。照準器の中央にサーチライトの光の中心部をとらえた。「タタタタ」おどろいたことにその最初の一連射でその光は途絶えた。命中したのだ。照明弾が消えると同時に、照準器の視野が再び緑色の暗視モードにチェンジした。「ランクルのエンジンが始動したみたい、真っ白い排気ガスが後ろからでているのが見えるわ。」妻が叫んだ。彼女使用している暗視装置は熱線式のため、暑い排気ガスなど高温のものは白く映し出されるのである。「道路封鎖に出たか。」私は照準器をグレネード弾用に切り替えた。距離は150といったところか。ゆれる視野の中で必死に照準した。車体が揺れなかなか照準があわない。距離は次第に詰まってくる。一瞬車の動揺が収まった。トリガーを引いた。以外なほど反動はなかった。「ポン」まるで打ち上げ花火のような軽い発射音がしたかと思うと、小さな火炎が目の前で輝いた。弾丸の弾道はまったく見えなかった。時間が止まったような不思議な感覚がした。一呼吸おいて前方にまばゆいばかりの火柱が立ち上った。グレネード弾が炸裂したのだ。瞬時に遮光フィルターが再び働き減光された。どこに着弾したのかわからなかった。遮光フィルターが解除されるにつれ視野がまた回復してきた。ランクルはまったく無傷だった。手前の草むらが燃えていた。照準が下すぎたようだ。突然視野の中でなにかがはじけた。ランクルの助手席から小さな閃光が立ち上った。「ダダダダダ」すさまじい音が周囲に響きわった。まぎれもなく銃撃だった。私は動揺した。どうしてやつらが銃をもっているのだ。頭の中は真っ白になり、思考は停止した。再び一連射してきた。それは猟銃でもなければ拳銃でもなかった。あきらかに大口径の軍用機関銃だった。「ヒューン」という弾丸のうなる音とともに「カンカンカン」という金属音が混じった。やつらの照準は正確で何発かは被弾しているようだった。私は応戦した。火炎が銃口の前に立ち上がり、目が眩んだ。しかし3発に1発曳航弾が装填されているため、弾丸の軌跡は確認することができた。ランクルの手前10メートルくらいの位置に初弾が着弾した。着弾点はランクルの前方へと尾を引くように流れていった。最後の2、3発がエンジンあたりに命中したように見えた。マガジンを引き抜き、ガムテープで固定した予備弾倉にスイッチした。左手でグレネードのアルミニウム製の銃身を前方に押しだし排莢し、次弾を後方より銃身内に押し込んだ。距離はどんどん縮まっていく。すでに100を切っている。スコープを覗きはっとした。ランクルが動き出したのだ。今まさに道路を塞ごうとしているのだ。「これまでか」私は妻に停止を命じ、後退しようかと一瞬考えた。しかし反転する道幅はなかった。彼らはすぐさま追ってくるだろう。それをバックでふりきることはとうてい不可能だった。やつらは連射能力のある高性能銃を所持している。つっこむしか方法はない。妻に大声で叫んだ。「スピードを落とすな。ランクルの端に体当たりして、突破しろ。」あらかじめ妻には3点式のシートベルトをさせ、子供も毛布に何重のもくるんで、チャイルドシートに後ろ向きににしっかり固定させていた。ふたりが激突の衝撃に耐えられることを祈った。車両で完全に道路を塞がれたらそれで万事急須だった。その前に停止させなければ。外は氷点下近いはずなのに、額に汗がにじんでくる。視野がぼんやりとする。瞬きを2、3度し、レティクルとターゲットをしっかりとあわせた。幸いなことに車の揺れが再びぴたりと止まった。日のあたる部分の道路の雪が熔け、下のアスファルト面が表に出てきているためだった。この一瞬を私は逃さなかった。照準器内のクロスヘアーにランクルのエンジンルームがぴたりと重なり静止した。無意識のうちにトリガーを引いていた。発射の軽い衝撃から着弾までの時間が永遠のように感じられた。ランクルがまばゆいほどの閃光に包まれ視界から消えた。巨大な火柱があがった。命中した。ガソリン車だったのだろう。燃料に引火し、爆発した。私はスコープから目をはずした。火炎があたりをあかあかと照らし出している。ランクルは道の3分1まで出てきたところで、エンジンルームから紅蓮の炎を出しながら停止していた。爆発の衝撃でフロントガラスを含め、すべての窓ガラスは砕け散っている。ぽっかりと空いた窓からは炎が悪魔の舌のようにめらめらとはいずり回っていた。銃撃は完全に途絶えた。妻に向かって叫んだ。「このままあの間をすり抜けるんだ。速度を決して落とすな。」距離は50メートルを切っていた。車両内で人の形をしたものが燃えているのが見えた。まさに戦場だった。「バリバリバリ」左の道路脇から閃光と衝撃が走った。助手席側のドアが金槌で連打されるように打ち震え、窓ガラスに蜘蛛の巣状にひびがはいった。左足に焼けるような痛みが走った。防弾ガラスでなければ即死していた。
私は叫びながら、その閃光にむかって、マガジンの全弾を撃ちまくった。妻が叫んだ「あなた、道路上になにかあるわ」私は目を凝らした。吹き飛んだランクルのボンネットだった。「そのまま行くんだ」ものすごい衝撃が体全身をおそった。あやうく車外にほうりだされるところだった。軍用車両の頑丈なバンパーはランクルのボンネットを跳ね飛ばし、宙へとほうりあげていった。火炎が右前方から後方へと流れ去っていった。突破した。マガジンを交換し、今度は車両後方に向き直り、応射した。もはやスコープはのぞいていなかった。私は無意識のうちにうなり声をあげながら、火柱の周囲にむかって撃ちまくっていた。次第に炎が遠くになっていく。
200メートルは離れただろうか。山際に隠れて見えなくなろうとしていた時、火柱の横の空き地にライトがいくつも点灯しそれが動き始めた。「あなたもう止まっていいの」「まだだ、このまま行くんだ」妻は不安そうな声で尋ねた。「どうして」私は思わず声を荒げた。「いいからこのまま行きなさい」「なんだかアクセルを踏んでもスピードがあまりでなくなったみたいなの。それに、メータのところに赤いランプがいくつかついているの」私は助手席に戻り、メーターパネルを見た。どうやらエンジンルームに被弾したようだった。ひとつはターボチャージャのタービンの加熱の警告灯であり、もうひとつはやっかいなことにラジエータの水温計の警告灯だった。「そのハンドルの右横の赤く点灯しているスイッチを押しなさい」とりあえず過給器への排ガスの供給バルブを閉鎖して、ターボチャージャを停止させた。「パネルの左上の温度計のマークの針が赤い色の所に入ったら教えてくれ」私はエンジンがオーバーヒートするまで走らせ続けることにした。最後に山際に見えた光の点は、間違いなく追手の車両のヘッドライトだった。私は弾薬ケースを確認した。残りのグレネード弾は4発だった。しかしそのうち2発は照明弾で、残りが破砕弾と焼夷弾だった。5.56ミリ弾のカートリッジも装填済みのも含めて3個しかなかった。スピードががたんとおちてしまった。過給器を停止させたためとエンジンがヒート気味のためだった。ものの数分もしないうちに後方に追跡車両の陰が見え始めた。ちらちらと見えるたびに一連射を浴びせかけた。弾薬節約のため射撃モードをフルオートから3点バーストに変更した。直線ではぐっと距離を詰められる。銃撃が始まった。やつらの銃の発射音は以外に小さかった。おそらく警察の暴動制圧部隊から略奪したサブマシンガンだろう。拳銃弾を使用しているため軍用銃にくらべて格段に威力と射程距離が劣っていた。不幸中の幸いだった。200メートルの距離からでは、まったく当たる気遣いは無かった。こちらの銃の有効射程距離は200メートル近くあるので、それ以上追跡車両が近づくのをなんとか防ぐことができた。しかし、追いつかれるのも時間の問題だった。弾薬は後1本しかなかった。頭の中で準備していた緊急脱出計画を実行に移す時がきた。できるだけ時間を稼ぎたかった。私は後部座席のもどり、妻に車を放棄することを伝えた。先ほどの痛みを感じた左太ももを見た。なにか液体のような黒いものがどくどくと流れている。やはり被弾したようだった。だが今はどうすることも出来ない。痛みをこらえて妻に言った。「とにかくエンジンがもつところまで走るんだ」妻は頷いた。決意に満ちた目だった。私は銃を置き、センターコンソールのスイッチのひとつを跳ね上げた、赤いランプ点灯した。発射準備ができたサインだった。そのすぐ横の押しボタン式のスイッチを一気に押し込んだ。「パンパンパンパン」乾いた音が連続して鳴ったかとおもうと、車両後部の両サイドから白煙と閃光がはじけ飛んだ。同時にものすごい白煙が後方の視界を遮った。6発の発煙弾が発車されたのだ。これでしばらく銃撃は防げるだろう。その間に脱出の準備をしなければならない。かねてから車を緊急に放棄する時の手順は妻と入念に話し合っていた。子供は妻が、緊急脱出用のリュックは私が背負い、さらにそれぞれが緊急用品のはいったポーチを腰にまいて脱出することになっていた。これは万が一バラバラにはぐれても、そのポーチにはいった機材で生き延びるためである。私はリュックを肩に担ぎ、ポーチのひとつを妻に渡した。妻は運転しながら片手でそれを腰にくくりつけた。チャイルドシートに固定していた息子をバケットから抱きかかえて出し、体にハーネスを取り付けた。倒木を排除するための手段としてセッテイングしておいた、C4爆薬とヒユーズと導爆線をとりだし、急いで後部座席の予備燃料タンクに固定した。ラインと信管を再度確認し、導爆線の末端に発火装置を接続した。最後に弁当箱状のクレイモア対人地雷も後方に向けてセットしいっしょに結線した。すべてが終了した時、妻が言った。「水温計がレッドゾーンに入ったわ」すでにボンネットから蒸気が吹き上がっていた。蒸気の勢いも大きく増してきたようだった。後数分でエンジンが焼き付くことは間違い無かった。私は再び助手席にもどり、車両の外に上半身をつきだし、銃を構えた。直線道路にさしかかり、追跡車両の先頭車が見えたところで引き金を引いた。プシューという音とともにグレネード弾が飛翔した。1秒おいて、先頭の追跡車両の前方50メートルのところにまばゆいばかりの銀色の火柱があがった。マグネシウムとおう燐が高温で燃焼することにより数百万カンデラの光を発し、追跡車両のドライバーの目を幻惑させた。先頭車両は急停車し横滑りしながら道路脇の木立に激突した。道をふさがれた後続車両は急ブレーキをふんで停車した。次第にやつらは視界から遠ざかり山の斜面に消えた。しばらく走った後妻に車を止めるように言った。停車するかしないうちに私は道路に飛び降りた。左足が悲鳴をあげる。後部座席から息子を抱きかかえ、続いておりてきた妻の背に子供のハーネスを固定した。しっかりと固定されていることを確認してから、車から20キロはあると思われるザックを引きずり出し背負った。妻に山肌の間に見える小道を指さし、先に登っていくように言った。後部座席から拳銃と弾倉何本か取り出し、ジャケットの内ポケットにねじ込んだ。再度爆薬と導爆線、信管の接続を確認し、ラインの束を抱えて外に出た。肩に食い込むショルダーハーネスに歯を食いしばりながら、妻の後を追った。ラインが絡まないように注意した。妻が子どもを背負いながら心配そうに待っていた。「あなた大丈夫」「おまえたちはもう少し奥まで進んでいなさい。心配せずに」そう言って、追い払うように妻と子どもをさら先にいかせた。あの焼夷弾で足止めできるのも5分が限度だろう。私は妻が奥の林に消えるのを確認してから、小道脇の10メートルほどの崖の上から身を乗り出した。暗闇の中にエンジンから煙を吹き出している今乗り捨てたばかりのジープがぼんやりと見えた。その時左のほうからライトの光が差し込んできた。同時にものすごい銃撃音が鳴り響いた。ジープに向かって弾丸が雨のように降り注いだ。タイヤはコンバットタイヤであるにもかかわらずずたずたに裂け、後部の防弾パネルに弾丸が跳ね返り、リヤウィンドウの防弾ガラスは割れ、雪のように真っ白になった。テールランプやサイドミラーはこなごなに砕け散り吹き飛んだ。警察用のマシンガンでも至近距離から複数の銃で撃ちまくられれば相当の破壊力があった。しばらくの間銃撃が続いた。地面をたたく激しい弾幕のため周りは雪煙に包まれた。どのくらい続いただろうか。突然銃声がやみ、静寂が訪れた。しばらくすると遠くからエンジン音が聞こえてきた。次第に近づいてきたかと思うとピックアップタイプのトラックが現れ、弾痕だらけになったジープの後方にぴたりと止まった。こちらからは見えないが、その後ろにも少なくとも2台の車両が停車する音が続けてした。山肌の岩の陰から汗ばんだ手の中で点火プラグを握りなおした。先頭車両から2メートル近い大男が銃を持って降り立った。周囲を警戒しながらゆっくりと我々の乗り捨てたジープへ向かって歩いていく。心臓が激しく波打った。男が運転席のドアに近づいた。今だった。私は発火プラグを握りしめ5メートルほど後退し、頭を両方の腕で挟むようにして伏せたまま全身を硬直させた。発火プラグを引いた。瞬時だった。ものすごい轟音とこの世の終わりかとおもうほどの地響きと閃光があたりを埋め尽くした。わずかに体が持ち上がりその後地面に叩きつけられた。体中の骨がバラバラになるかと思った。すさまじい轟音は、関節という関節を打ち振るわせた。頭蓋内の脳脊髄が共鳴し振動した。一瞬の静けさのあと、まるで巨大な落石現場の真下にいるかのようにありとあらゆるものが頭上より降り注いできた。その多くは土塊だったが、鉄板や金属塊 も混じっていた。ジープの破片は木々の枝をうち折りながら、バリバリと音をたて十数メートル四方に落下した。私は落下物の雨の中をがむしゃらに左足を引きづりながら小道を上へと駆け上った。大きな杉の木の根本に妻と子どもがうずくまりおびえていた。私はかけより息子の上から覆い被さるように、妻の背中を抱き包んだ。土塊と小枝と鉄くずが頭上から滝のように降り注いできた。さきほどまで握っていた車のステアリングが5メートル先に落下した。小さなボルトやタイヤのゴムの破片がそれに続いた。「だいじょうかい。どこにもけがはないかい」私は子どもの体にけがはないかどうか確認しながら、妻に問いかけた。「ええ、だいじょうぶよ。それより子どもは」「だいじょうぶだ。どこもけがはしていない。」まだ1歳になったばかりだというのに、このすさまじい轟音の中でもきょとんとしてまわりをきょろきょろ見回していた。「少なくとも3台は追跡していたようだ。前の2台はおそらく今の爆破で乗員もろととも吹き飛んだとは思うが、最後尾の1台は確信がもてない。また3台以外にもその後ろに続いていた可能性もある。追手がこないとも限らない。夜明けまで行けるところまで行こう」私は、妻を先にいかせ、少し距離を置いて後方をときおり伺いながらとりあえず尾根づたいに頂上へ向かった。途中リュックから救急箱を取り出し、粉末の止血材を左足の銃創にふりかけた。同時に使い捨てのシリンジを袋からだし、その針を太ももに突き刺した。強力な鎮痛剤だった。おそらくモルヒネだと思われた。見る間に痛みが引いていった。数時間もちさえすればよかった。私は小型のマグライトを取り出し、まだ明け切らぬ夜道を登っていった。子どもには十分な防寒着を着させたが、顔だけはおおうことはできずしばらくするとほおを真っ赤に紅潮させた。見るのもかわいそうだった。だがどうしようもない。一時間くらい歩き続けただろうか、あたりが少し開けてきてこの峰の頂に近づいたことがわかった。「少し休もう」彼女は頷きながら、背中におぶっていた子どもを体の前にだきよせ、木の根本に腰を下ろした。私はこの先の状況を確認するため、妻にここにいるように伝え周りが見通せそうなところまで歩を進めた。5分くらい歩くと周囲の見渡せるひろびろとした場所に出た。そこからはちょうど今我々が登ってきた小道がよく見渡せた。下方にまだ炎がめらめらと立ち上っているのが見える。その明かり照らされて2台の黒こげの車両が浮かび上がっていた。C4爆薬といっしょに車両にセットしたクレイモアが同時に爆発し、後方約20メートルの扇状の範囲に無数の高速の鉄球をまき散らしたのである。後ろの車はその鉄球に打ち砕かれまさに蜂の巣状態だった。生きている者はいないことは明らかだった。3台目がいるはずだと思った。よく目をこらすとそこから約100メートル後方に1台の車の陰のようなものがぼんやりと確認できた。その車両の中に人が乗っているかどうかまでは定かではなかったが、これは3台目の追手が生き残っていることを示していた。私は執念深いやつらでないことを祈った。
妻のところに戻り、もう少しがんばれるか聞いた。私は追手がいる可能性についてはいっさいふれなかったが、なんとなく彼女は気づいていたようだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます