第3話 伏兵
日が山の端に沈もうとしている。私は急いでテントの設営にはいった。設営場所は車のすぐ後ろにした。こうすれば何か必要なものがあればすぐに取り出せるし、緊急の場合はテントを放棄してただちに出発することができるからだ。テントザックからペグを取り出し地面の5メートル四方に4本打ち込んだ。ドーム型のテントを折りたたみ傘を開くように展開し、カーボンファイバー製のフレームの端をペグに固定した。こうすれば強風が吹いても飛んでいくことはない。さらに夜間の積雪にそなえてその上にフライシートをはった。前室を備えたかなりしっかりしたテントだった。ガスランタンに火をつけて、テント内に暖房を兼ねて吊した。下には断熱マットを敷き詰め、さらにその上にシュラフのアウタージッパーを開いて敷物状にして敷いた。これで下からの寒気と湿気をほぼ遮断することができた。子供と妻に防寒着を着せ、とりあえずテントの中へ入れた。テントの中はすぐに暖かくなった。ジャケットを脱ぎ体を楽にした。妻はテント内が暖かくなったのを確認するとミルクを作り子供に飲ませ、おむつを替えた。子供の世話を彼女がしている間に私は、念のためある装置を設置しに外へでた。まず人はこないだろうとは思うが、非常事態となった今なにがあるかわからない。ホームセンターで簡単なセキュリティー装置を購入していたのだ。しくみは簡単で電池で動く赤外線センサーをもっており、それが人体や発熱した自動車の熱を感知し、ブザーで知らせるというものだった。無線式なのでかなり離れたところにも設置することができた。思案したあげく上ってきた道路にひとつと、駐車場の入り口にひとつ置くことにした。
テントに戻ってみると、いつ積み込んだのか肉・豆腐・ネギ・白菜がぐつぐつ鍋の中で煮え、とてもいい臭いがテント中に広がっていた。すき焼き鍋だった。妻は「初日くらいレトルトじゃない、家で食べているふつうの料理をつくって食べさせたかったの」とちょっとはずかしそうに言って、用意していた生卵を紙のわんに割り入れて差し出した。さらに貴重な缶ビール2本をとりだし栓を開けた。狭く寒いながらもテントの中で暖かい鍋をつつきながら、ビールを飲んだ。妻が言った「ずいぶん事態が急変しているみたいだけど、あなたならきっと私たち家族を危険から守ってくれると信じているわ。」テントのなかが昨日までいたあの住み慣れた我が家のような気がした。まばゆいような明るいガスランタンの下で、缶ビールを二人で飲みながらすき焼きに舌鼓を打った。そばではシュラフにつつまれた我が子がすやすやとここちよい寝息を立てている。薄い布一枚隔てた外は極寒の闇夜であったが、その内側は暖かく明るいいつもの家族の団らんがあった。自宅がたまらなく恋しくなった。
きれいに食べ尽くした後は、念のためランタンを消し体が温まっている内に二人ともシュラフに潜り込んだ。厳冬期用の本格的なシュラフだったため、まったく外の寒気を遮断してくれた。ふたりともいつのまにか夢の世界へと誘われていった。
夢の中で空襲警報が鳴っていた。「ブーブーブー」という低い連続音だった。空襲警報にしては変わった音だなと夢の中で感じながらも、ついに本格的な侵攻が始まったかと考えた。夢うつつの中で次にくるだろう爆発音に身構えた。しかし、いっこうに単調な警報が鳴り続けるだけで、高射砲のはじけるような発射音も響かなければ、投下された爆弾の炸裂音も聞こえなかった。ただ機械的な低い連続音が鳴り続けるだけだった。よく聞き耳をたてると空襲警報と思いこんでいた音は、コンピュータのオペレータ室かなにかで装置の異常を示すような電子的アラーム音だった。次第に意識がはっきりしてきた。と同時に猛烈な寒気が、今自分がどこにいるのかをはっきりと思い出させてくれた。耳元で音は鳴り続けている。わたしは勢いよく飛び起きた。横では妻が子供を懐に抱いたまま、頭までフードをかぶり寝入っていた。すぐに、枕元のマグライトを手に取り、テントの外にでた。針でさすような痛みを顔面に感じた。外は猛烈な寒気に覆われていた。風こそなかったものの雪がしんしんと降り積もっている。隣に止めていた車の屋根には30センチ近い雪の布団が覆い被さっていた。テントのほうにも雪は降り積もっていたが、よく計算されたドーム型のテントは降り積もる雪をその自重によって滑り落とさせていた。ジャケットをテントからひきずりだし、急いで着込んだ。防寒着なしではおそらく1時間もしないうちに凍死するだろう。
空襲警報だと思っていた音は防犯センサーの感知音だった。夕べ設置しておいたセンサーが、なにかの熱源を感知したのだ。私はなにものかを確認するため、ゆっくりと遊歩道をくだっていった。駐車場の端に出た。その時駐車場の入り口付近に小さな光が揺れ動くのを視野の端に一瞬捉えた。わたしは反射的に手にしていたマグライトの明かりを消した。目が慣れるまでその光の点がゆらゆらと動いているのしか見えなかったが、次第にその光が雪面に照り返す反射光で周囲がぼんやりと浮かび上がってきた。異様な光景だった。4~5人の集団のようだった。内1人は女性だった。その女性は両手を後手で縛られ首に縄を付けられ、まるで犬のように男にひきずられていた。この極寒の雪道の中をブラウスとタイトスカートのまま裸足で歩かされていた。派手な化粧と長い爪が印象的だった。ほかの男たちは手に酒瓶のようなものをぶら下げ、そのうちのひとりはそれを抱え上げラッパ飲みしている。男の姿も異様で、その女性のものと思われる毛皮のコートとヒールの高いブーツのようなものを履いていた。最後尾の男はスーツケースやボストンバックをロープで結び、ずるずると肩で引きずっていた。
わたしはすーっと血の気が引くのがわかった。ついに恐れていたことが現実になりはじめたのだ。しかもこの山奥の中で。その集団はこれから私たちが降りていこうとしている道路方向からあがってきていた。どうすることもできなかった。相手は男5人。私には守るべき妻と子供がいる。引きずられている女性にはもうしわけないと思った。彼女も平和だったころには好き放題にしていたのだろう。私は身を潜めて彼らがそのまま通り過ぎてしまうのを待った。先頭の男が駐車場の入り口で立ち止まった。じろじろと中を眺め回しているようだった。私はそばに落ちていた石を手に取り身構えた。幸いにも深夜から降り続いて雪のため、我々が残した車の轍もすっかりきれいに覆い隠されている。男は妙な奇声をあげながら、今上ってきた方とは反対の方向へ去っていた。肩の力がすーと抜けた。握っていた石でなにができたのだろうとおかしくなった。やつらはおそらくあの渋滞した国道から上ってきたにちがいない。行くこともできず戻ることもできないまま、山岳部のど真ん中で次第に燃料が切れていくおびただしい車列。その中で次第になにが起こり始めたか。今の集団を見ただけで想像ができた。今まで経験したこともない極限の現実を目の前にして、人々はその精神に異常を来し始めたに違いない。これから先自らを守る方法を考えなければならない。私はじっとそこでやつらがもどってこないかしばらく監視していたが、それっきり何も見えなく、聞こえなくなった。おそらく彼らは女性も含めて凍死してしまうだろう。ここから先20キロはなにもない山岳路だからだ。目をつぶり自らの心を納得させた。派手な格好をしていたとはいえ、女性に罪はなかった。しかし妻や子供を危険にさらすことはできない。テントに戻ると妻が心配そうになにかあったのと尋ねてきた。無用の心配をさせてもしようがないので、「いいやべつにセンサーに野ウサギが反応したみたいだった」といって適当にごまかした。それから小一時間ほどは、さすがに目がさえて眠れなかった。
周囲のささいなもの音にもふと目が覚め、起きているのでもなく、寝ているでもないうつつの世界をいったりきたりした。夢の中で、暴徒に襲われなすすべもない自分に思わず叫び声をあげ、はっと目を覚ますこともあった。テントの中といえども暖房のランタンを消すと氷点下近くまで下がる。それなのに寝汗をぐっしょりかいていた。身をまもる道具が必要だ。悪夢にうなされながらそう思った。翌朝は出発を少しおくらせてジープの中の点検もかね、なにか身をまもる道具がないか調べてみよう。そう決めると少し落ち着き、深い眠りに落ちていった。
ほおに冷やっとしたものを感じ目を覚ました。目をあけるとまぶしい光がテントの隙間から差し込んでいた。太陽の光が夜間に凍り付いたテントの内側の氷を溶かし、そのしずくが落ちてきたのだった。今何時だろうとそばをみると、妻と子供がいない。おどろいて外に飛び出すと、「おはよう」と妻が声をかけてきた。彼女がコンロでお湯を沸かし、ミルクと朝食の準備をしているのが目に入った。ほっと胸をなで下ろし、妻の入れてくれたコーヒーを一口飲んだ。気持ちよく良く眠っていたので、起こすのもしのび無いと思い、日があがって自然に目がさめるまで起こさなかったらしかった。妻は「ごめんなさい」と言った。「いやいや、日が昇って出発する前に一度このジープの積載物を確認しようと思っていたんだ」と言い、さっそく車両の点検に入った。
この車両を手に入れたとき、使い方のわからないスイッチがたくさんあった。また、なにかが収納されているのはわかっていたが、中身が何なのかよくわからない収納ボックスがいくつかあった。とりあえず操作スイッチ類は車載のマニュアルをみることにして、収納ボックスを開けて中身を確認することにした。助手席のグローブボックスの下にさらに大きな引き出しが二つあった。上の引き出しをあけてみると、ファーストエイドパックと英語でかかれた手提げボックスが出てきた。「そうか救急キットか」医薬品箱は準備しようと考えていたが、つい忘れてしまっていた機材だった。これはよかったと思い中をあけてみて驚いた。さすが軍用仕様だった。通常の風邪薬や傷薬、絆創膏のほかに、簡単な手術セットと処置手順書まで入っていた。被弾した場合の弾丸の摘出もしくは鉗子による止血方法などが書かれてあった。メス、鉗子、縫合糸、針のほかに輸液セット、麻酔薬、モルヒネ、抗生物質等がコンパクトに納められていた。これは役に立ってほしくはないが、もしもの時の心強い装備だった。
下側のボックスには変わったものが入っていた。一般の人ならおそらくなんだか分からなかっただろう。双眼鏡のようにも見えるが、後ろにバンドが着いている。しかも双眼鏡とは違い二つ並んでついているレンズが、先のほうにいくにつれて細くなっている。普通は若干広がっているのが一般的だ。
実は私たちが住んでいた宿舎の隣に陸自の官舎があったため、私はよく陸上自衛隊の隊員と話しをしていた。そういう事もあってか私自身軍事関係にある程度の知識を持っていた。暇なときには軍用品についての巷の本を読んだりもしていたので、マニアレベルの知識は豊富なほうだった。これは、いわゆるナイトビジョンといわれるものだった。暗視装置である。しかも第3世代の赤外線暗視装置であり、まだ米軍もその一部にしか装備していないすぐれものだった。一般のナイトビジョンは月明かりのようなわずかな光を電子的に増幅して、闇夜を見通すという光電子増幅型のシステムを使用していた。そのため光の全くない完全な闇夜では役には立たなかった。スターライトスコープと別称されるだけあって、星明かり程度は必要であったのだ。そのため天候の悪い山中では使用困難だったし、たとえ薄明かりの中で使用できるにしても、実戦では戦闘が行われたときに発生する砲弾の炸裂や、弾丸の発射にともなう閃光により、一瞬視野はオーバー露光してしまいめくらまし状態になってしまう。
それに比べ、この赤外線暗視装置は完全な闇夜でも使用可能であるのはもちろん、昼夜を問わず使用できた。これは物体から発生する赤外線を映像化する原理によっているからである。夜間の使用時には、周りより暖かい人体や車両のエンジン部分は白く浮かびあがる。日中にはその温度差は縮まるものの、その差を白黒のコントラストのついた映像で映し出すため、人や車両を自然物から識別することは比較的容易である。私は、この装備はきっと役に立つだろうと考え、使用方法を説明したマニュアルを後で読むために取り出しておいた。
ほかに気になったのは無線機とセンターコンソールの位置にある用途不明のスイッチ群だった。車両マニュアルを読み進めるうちに、ひとつだけスイッチの用途が判明した。実は最初この車両を手に入れて、外部を塗装しているときに気がついていたのだが、車の左右にフェンダー部分に筒を4つ束ねたようなものがついていた。そのときはそれがなんなのかよく分からなかった。実はこれは車両から操作して発射できる発煙弾、つまり煙幕を発射する発射筒だった。敵と遭遇したときこれを発射して視界を遮蔽し、その隙に後退するのである。赤外線遮蔽効果も有しており、赤外線暗視装置による追尾式誘導ミサイル等からも回避可能であるとマニュアルには書かれていた。
前部座席に続いて今度は後部座席を調べてみた。いったん満載した荷物をおろさなければ鳴らなかったが、それだけの価値はあった。荷物を積み込む時に下の床が高いので不思議に思っていたのだが、実はその下側はパネル一枚へだてた収納庫になっていたのだ。
しかも、そこにはただならないものが収納されていた。
後部座席の床のパネルは、大きなダイヤル式のつまみを半回転させると簡単にとりはずすことが出来た。中からは一目見ただけでわかるしろものがでてきた。軍事雑誌の写真の中ではよく見ていたものであった。アサルトライフルつまり歩兵銃である。国産の自衛隊装備のものではなく、最新式の擲弾発射器付きの米軍仕様のM-16ライフルだった。茶色の油紙に包まれていた。この米軍の兵器を使用しはじめたことについて、依然親しかった陸自の幹部からよく話しは聞いていた。自衛隊の装備もここ半年の急速な半島情勢の悪化に伴い、米軍との連携を強化し始めていた。その一環として装備の共用化が推し進められていた。共用化というよりも米軍の現役装備の導入といったほうがいいかもしれない。一度も実戦に使用されたことのない国産の兵器には、多くの不安要因があった。そのため国産兵器の増産に幕僚たちは難色を示した。日本の政界・財界も国内の軍事産業の強化のため、国産兵器を改良し増産するよう幕僚本部に強く要請した。しかし実際に戦争になったときそれで戦うのは彼ら軍人であり、引き金を引いても弾のでない鉄砲や、ハイテク化されていてもすぐに装弾不良をおこすような戦車では戦いたくはなかった。まずは、米軍兵器のライセンス生産枠を大幅に拡大し、ノウハウの蓄積をおこなうことで妥協した。当面は米国より緊急に大量の装備を購入することで決着したのだった。まさにそのひとつがこのM16ライフルだった。M16ライフルの優秀性についてはその幹部から耳にたこができるくらいよく聞かされた。このライフルが誕生したのは、今から40年以上前のベトナム戦争時代だった。当時は7.6ミリ弾を使用した銃が主流だったが、その中で初めて5.5ミリ弾を使用することにふみきった最初の銃だった。その最大のメリットは装弾数の増加だった。弾薬は戦場ではあっというまに消耗してしまう。歩兵が徒歩で携行できる弾薬を増やすためには、弾丸の重量を減らすしかなかった。また、弾丸の口径を小さくすることによって、マガジンに詰め込める弾丸の数も増やすことができた。また、この銃は徹底した軽量化をするため、使用するパーツに初めて金属以外の強化プラスチックを使用していた。部品点数も減らすことにより、整備性を向上させ、信頼性を高めることに成功した。当初は使用する弾薬の相性が悪かったため、いくつかの深刻な問題が発生していたが、それも弾薬を改良することにより解消していった。そして現在にいたるまで不断の改良がほどこされ、世界でもっとも信頼性の高い高性能銃に育てられてきたのである。
わたしは油紙を破り、中の銃を取り出した。初めてさわる本物の銃だった。ずっしりと重く、やはり子供のころに遊んでいたプラスチックのおもちゃの銃とは形は似ていても全くの別物だった。銃の取り扱いは当然初めてだった。取り扱いマニュアルをじっくりと読んだ。小さな冊子だったが、米軍の説明書は翻訳に読みにくい部分はあるものの非常に簡潔でわかりやすかった。以前軍事系の雑誌の特集に、ちょうどこのライフルの取り扱いの細かな記事が載っていたのを、興味深く呼んだ記憶がまだ鮮明に残っていたので、図入りでわかりやすく解説されてあるマニュアルの内容もすんなり理解することができた。
昨夜のこともあるし、これをこれから先使用せざるおえない事態に遭遇することも十分に考えられた。さらに車両マニュアルには、この後部座席の床下の収納庫は武器庫であり、ほかにもいろいろな兵器が納められていることがわかった。まず、このライフルの付属品としてスターライト式ではあるが望遠機能もそなえた暗視装置付スコープがみつかった。その脇には弾倉が4本ずつ束になって計6つ納められていた。24本。一本に20発入るので全部で480発。実戦では1回から2回の戦闘に十分に耐えられる弾薬量だった。その横には、グレネード弾が弾薬ケースにきれいに詰め込まれていた。その鮮やかな朱に塗られた弾頭の数を数えるとちょうど12発あった。戦争ができる装備品だ。だが本当にその状況にいたった時ずぶの素人が、これらを果たして使いこなすことができるだろうか。
さらにしきりを挟んで隣のスペースには見慣れないもの収納されていた。ひとつはちょうど弁当箱くらいの大きさのオリーブ色の缶で、もうひとつはリレーのバトンくらいの大きさだが、断面が四角いちょうど包装されたままのバター1ポンドほどの大きさものだった。弁当箱のほうは、さわってみると缶といっても金属ではないようで、プラスチックの感触がした。またバトンのほうはよくみると薄い金属でくるまれた粘土のようなものが中にはいっていた。一方の端には小さな穴があいておりそこから中身がみえたからである。さすがに私もこれがなんなのかさっぱり見当がつかなかった。バトンのほうにはさらに付属品らしきものがあり、一巻きの電線のようなコードとちょうどショットガンの弾丸のような小さな筒状のもの、長さにして10センチ直径3センチくらいの金属性のものがついていた。はてなんだろう。マニュアルをペラペラとくってみた。最後のページにそれは書かれてあった。これもまさに米軍使用で、ひとつはクレイモアと呼ばれる対人地雷であり、ひとつはいわゆるプラスチック爆薬とその発火薬だった。そのマニュアルには、陣地の周りに二重に囲むように地雷を散布する図柄が描かれており、もうひとつには、鉄橋の支柱にプラスチック爆薬を仕掛ける方法がかかれてあった。これはまた変わったものが見つかったとしばらくその使用方法を読みふけっていた。
夢中になって装備のマニュアルを読みふけっていたとき後ろで私を呼ぶ妻の声がした。振り向くと、子供にミルクをやり終えたのか、息子を両手でつつむように抱きかかえながら、峠の展望台の端から眼下を眺めおろしている妻が見えた。手招きをしていた。急いでいってみると、妻が「あれを見て」と指さした。そこには絵もいえぬ美しい光景が広がっていた。夕べ冷え込んだため、木々にはびっしりと樹氷がついていた。それが登ったばかりの朝日にきらきらと輝いて、まるで小さな無数のダイヤをちりばめた美しい装飾品のように見えた。「去年の冬も、ここでこれと同じ美しい樹氷を見たわね」彼女がいった。「今年も去年と劣らず美しいね」しばらく二人いや三人はその輝きにうっとりとみとれながら、時のたつのも忘れしばらくそこに立ちつくしていた。「去年は平和で幸せな1年だったのに」
妻がつぶやくようにいった。「だれもこうなるとは予想できなかったさ」わたしも宙を見つめながらつぶやくように答えた。
「でも、自然だけはかわらないね。去年のままだ。つつみこむような寛大さと、祈りを捧げたくなるような崇高な美しさを兼ね備えている」
幸せのひとときが流れた。時は止まり、すべての苦しみや悲しみは姿を消した。
「そろそろでかけようか」「そうしましょう。明日の夜には着けるかしら」「だいじょうぶさ。ここを10キロほど下って幹線道路に出る前に左におれればそこからは県道と林道をひたすらまっすぐ走るだけだから。うまくいけば明日の日中には君と僕の両親と再会することができるよ」「そうね。あなたを信頼しているわ」
わたしはライフルと弾薬を一ケースだけ取り出して、後はまたもとのスペースにしまった。その上に降ろしていた荷物を積載しなおした。空になったポリタンクも捨てずにそのまま乗せた。出かける前に双眼鏡で例の国道を観察した。まったく人気がなかった。放置された自動車が累々と続いていた。中には荷物が散乱している車や燃えてくすぶっているものも見られた。動くものは何も見えない。ぴくりとも動かない人間の陰をいくつも見て取ることができた。想像したくない光景が夕べ繰り広げられたに違いない。夕べの連中のように、この道を登ってきているものがほかにいないとも限らない。わたしは用心しながらゆっくりと車をスタートさせた。助手席には鈍く黒光りするライフルが銃口を上にむけ立てかけられていた。カーブにさしかかるたびに左手を銃に添えながら走った。実際一度も撃ったことがないのだから、もし暴徒にであっても果たして撃てるかどうか心配だった。弾薬は装填してあるし、安全装置の解除の仕方も知っている。しかし一度も引き金は引いたことはなかった。出発する前に少し試し打ちをしようとは考えたのだが、奴らがいた場合銃声を聞かれて逆にこちらの存在を気づかせてしまうだけだと思い返した。
幸運なことにだれにも遭遇せずに県道に入ることができた。ここからしばらくは峠を何度か上り下りをする狭い道が70キロほど続く。その後未舗装の林道を走って峠を一つ越えると、目的地である。対向するのが困難な山道に雪が降り積もっているため、速度はほんとうに歩くくらいのゆっくりしたものとなった。積雪はゆうに30センチを超えている。タイヤの半分以上が埋まり始めた。軍用車両のためかろうじて底は擦らなかったが、これ以上数センチでも深くなるとスタックするおそれがあった。ギアも一番低いスーパーローを使用した。エンジン回転数は5000回転近くあがっているのに、速度は10キロもでていない。妻は不安げに外の雪を見つめている。ターボーチャジャジャー付きの大排気量のエンジンを搭載しているため、パワー不足で止まってしまう恐れはなかった。しかし速度がでないのにエンジン回転数が極めて高いため、水温計と油温計がじりじりとレッドゾーンへとあがり始めている。最初の峠越えでこれではこの先が心配になり始めた。車内にもオイルの焼ける臭いが立ちこめてきた。このままでは過給器のタービンが先にやられてしまう可能性があった。油温計と水温計に注意しながらのろのろと峠を登っていった。途中何度か冷却水と潤滑油の温度を下げるため、停車した。大幅にスピードダウンしてしまった。今夜中にこの峠を越えてしまう予定だったが、とうてい望めそうになかった。やはり到着は明日の夜中か場合によっては明後日になるかもしれない。燃料残量のことが再び気になり始めた。既に搭載した燃料缶の2缶を消費していた。今は車体の燃料タンク分は満タンだが、この調子だと50キロも走らないうちに空になるだろう。残り走行距離はおよそ80キロ。2缶で40リッターあるのでそれで50キロ弱を走ればいいのだが、この段階でほとんど予備燃料がなくなる。ぎりぎりというところだった。この先林道にはいってからは20キロもないが、雪は深くなることはあれ、浅くなることは期待できなかった。速度を上げる必要がある。私はアクセルを踏み込む足に力をいれた。しかしそれがあだとなった。峠越えの最後のカーブを曲がったところで息をのんだ。なにも考えずおもいっきりブレーキを踏んだ。床が抜けるかと思うくらい力一杯に踏み込んだ。ほとんど反射的だった。登りだったためスピードがほとんどでていなかったことが幸いした。目の前に大きな杉の木が倒れ道路を完全にふさいでいたのだ。間一髪で激突を避けることだけはできた。私はアドレナリンが静まるのをまって、状況を確認するため車を降りた。最悪だった。雪の重みに耐えかねて、1本の巨大な杉の木が根元から折れて道をふさぐように倒れていた。崖崩れを過去に起こしていたのか、根元の土が崩壊し根が浅くなっていたのだろう。大きく張った根が宙に跳ね上がっている。幹の直径はゆうに40センチはあった。道の反対側は崖になっており、その木のちょうど真ん中くらいのところがガードレールに覆い被さり、レールが飴のようにぐにゃりと曲がっていた。私は呆然としてそこに立ちつくした。過去になんども雪道のしかもこれよりも狭い道を走ったことがあるが、一度たりとこのような状況に遭遇したことはなかった。それなのになんで、こんな時に限って。平和な時はどんな細い道でも公道である限りは、都道府県や市町村がこまめに巡回して道路管理をおこなっていた。それがおこなわれなくなった今、こんな山奥の道路などすぐに通行不能の状態になるのはむしろ当たり前だった。今まで無事通れたことがむしろ幸運だったといわねばならない。妻も降りてきた。さすがにショックをうけたようだった。私の顔を心配げにのぞき込んでいる。「引き返しましょう。あなた。もしかしたら昨日通り過ぎた例の国道がきれいに整理されて、通れるようになっているかもしれないわ」「それはありえないだろう。あの延々と続いていた放置車両をだれがどうやって片づけてくれるというんだ。気休めを言わないでくれ」私は少しいらだって言った。「ごめんなさい。私にはいったいどうしていいか。」私は言い過ぎたことに気づき、「悪かった。少し冷静さを失ってしまったようだ。車にもどり地図を検討しよう。どこかほかに抜け道があるかもしれない。」と謝った。しかしほかに抜け道はないことは知っていた。この重苦しい雰囲気から脱するため自らも気休めを言ったにすぎなかった。しかし、それは妻を幾分明るくさせたぶんだけ意味はあったようだった。
地図を広げながら、やっぱりこの道しかないなと二人とも腕を組んで押し黙ってしまった。残るは車載の小型のハンドアックスで、1日かけて地道にたたき切るしかないだろう。物思いに沈みながら考えている時妻が言った。「なんとかあの木を砕けないかしら。」私はいぶかしげに尋ねた。「どうやって」「私よく知らないんだけど、あなたのその座席の横にあるのは鉄砲でしょ。映画なんかでよく見るんだけど、機関銃がばりばりと撃たれると、車のドアや家の壁なんかがこなごなに砕け散ってしまうじゃない。もしかしたら、この鉄砲であの木をばらばらに崩せるんじゃないかしら。」私はなるほどと思い、まんざらできない話ではないように思えた。確かに銃があるのを忘れていた。試してみるだけの価値はあるだろう。M-16ライフルはずっしりと重たかった。マガジンがきちんと装着されているか、弾倉の端を片手で強くたたいた。セイフティーレバーを3点バーストに設定した。この設定は単発発射とフルオートの中間のモードで、一度引き金を引くごとに3連射できるモードとなっている。光学式スコープをのぞきながら、倍率を至近距離用に調節した。後は引き金を絞るだけで弾丸が発射される。かなりの衝撃を予想して、しっかりと肩で銃を固定し、構えた。安全のため車を10メートルほど後ろにさげ遮蔽物にした。弾の破片が跳ね返る恐れがあるからである。ドアの窓越しに杉の木のちょうど中央部分にねらいを定めた。妻と子供はさらに車の真後ろに身を隠させた。今まで鳴らしたこともない、巨大クラッカーの紐を引っ張るような緊張感だった。額と手の平が緊張で汗ばんだ。「タタタ」乾いた意外と軽い発射音が山間に鳴り響いた。同時に肩が抜けるかと思うくらい後方に強くはじかれる。無意識のうちに目をつぶっていた。銃口が10センチ以上も上に跳ね上げられ耳が「キーン」となった。火薬の臭いがそこらじゅうに立ちこめる。数十グラムの弾丸が高速で発射される衝撃は、想像以上だった。雑誌では比較的反動の少ない銃と紹介はされていたが、それは他の銃と比べての話であり、やはり初めて銃を撃つものにとっては削岩機を水平に構えて操作するようなものだ。結果は惨憺たるものだった。残念ながら、杉の大木には1発も命中しなかった。窓枠において撃つと衝撃がドアの金属部分に干渉して、よけいに反動が増強することが分かった。耳にたばこのフィルターを詰めながら、むしろ立ち上がった姿勢で銃を前方下に押さえる感じで腰を落とし、前傾姿勢の射撃姿勢をとったほうがいいのではないかと素人ながら考えた。よく警官がパトカーのドアを開いて遮蔽物にしながら、犯人に対して応射している映画のシーンを思い浮かべた。ドア越しに立ち上がり再度引き金を絞った。今度は体に伝わる反動と射撃音をすでに体験済みなので、割と冷静に引き金を絞ることが出来た。横たわる杉の木の向こう側の山の斜面にパパッと雪煙が上がった。ねらいを定めて再度引いた。杉の木からのびている小枝が後方にはじけ飛んだ。幹の中央部分から雪煙とともに木くずが飛び散った。続けてトリガーを引いた。しかし今度は後方の山肌に着弾し白い雪煙が立ち上った。力が入りすぎるとだめだった。深呼吸し肩の力を抜き、再度撃った。全弾幹に命中した。6度めでボルトが後退したまま止まった。20発全弾撃ち尽くしたようだった。私は銃をたてかけ、杉の木のそばに行ってみた。木の皮がめくれ、中の木質が見えている。ちょうど幹の表面をかするように当たっていた。派手に木くずが飛び散っていたのはそのためだった。残念ながらほとんどの弾丸が木の表面をかすっているだけだった。2発ほど幹の中心部に命中しているものがあったが、ドリルの穴のように深く小さな穴がうがたれているだけだった。裂け目もなければ貫通もしておらず、幹にはほとんどダメージを与えていなかった。意外だった。有効射程距離が200メートル以上あるこの軍用銃を、わずか10数メートルの距離で連射しているのに、柔らかい木の幹にこの程度のダメージしか与えられないとは。車のドアがぼこぼこになり、木製のドアがこなごなには砕け散るのは、映画の世界の特殊効果のスタッフが作り出した作り物の世界だった。現実はハリウッド映画のようにはいかない。同じところに数発あたれば割れ目くらいは入るのではないかと期待して、再度マガジン交換し撃った。しかし、そもそも同じところなど到底あたりはしなかった。せいぜい3発中2発がどこかの幹に当たれば良い方だった。もっと至近距離で撃つため車を数メートルの距離に近づけた。妻と子供は後方の安全なところに避難させた。しかしこれは恐ろしい失敗だった。マガジン4本目に代えたところだった。反動をおさえるために銃口を若干下向きに押さえていたが、それが度を超しすぐ下の地面に3連射を加えてしまった。「ヒューン」という音が耳もとで聞こえた。一瞬鳥肌がった。心臓が凍り付いた。地面は雪に覆われているが、その下は柔らかい地面ではなく硬質アスファルトの舗装路である。そこで跳弾した弾丸が私のすぐ頭の横を高速で通りすぎたのである。
私は銃を置いて、寒そうに立ちつくしていた妻と子供を車に乗せた。暖房をがんがんに回した。銃には魔力がある。次第にその魔力にとりつかれていく。破壊という魔力。砕けろ。裂けろ。こなごなになれ。そう心の中で叫んでいるうちに、最初は恐怖だった音と衝撃が次第に心地よくなっていく自分に気がついていた。その魔力が数メートルという至近距離からの無謀な発砲行為をさせたのだろう。しばらく、車内で腕組みをしながら頭を冷やした。子供もおなかがすいたのかぐずりはじめた。昼食の準備をするように妻に言い、私はもう一度車両後部の床下パネルに格納されている他の装備を確認した。昨日確認した以外のものはなかったが、銃弾よりも遙かに威力があると思われるグレネード弾があったことに気づいた。マニュアルを読むと手榴弾のような弾頭もあれば、ジープ程度の車両の外板を貫通することのできる成形炸薬弾もあるらしい。確かに、昨日みた弾薬ケースの中には8発の弾頭が並んでいた。その時弾頭に塗られている塗料の色からその弾種が判断できたが、その中に照明弾や破砕手榴弾に混じって、朱色の弾頭の徹鋼弾もあったのを記憶している。もしかすれば、それを直撃させればこの丸太を切断できるかもしれない。ただ、直撃できればの話である。通常の銃弾でさえもさっきの調子だから、それよりもはるかに命中精度の劣るグレネード弾をこの30センチほどの杉の木に命中させる自身は到底なかった。結局小さな手斧でたたき切るしかないとあきらめた。それから先は地道に小さな手斧でこつこつと切り倒していった。手はまめだらけで、腕はぱんぱん、肩もあがらないほどに疲労困憊した。私が斧を片手に孤軍奮闘している間、妻は食事を作り息子にミルクを与えオムツを換えた。私の切っている姿をみては何度か交代しようかとそばに近寄っては申し出たが、男の意地として一人で大丈夫だとがんばった。何度言っても私が断るので、そのうち手持ちぶさたの妻は子どもといっしょに手遊びをしながら時間をつぶしていた。
昼過ぎになんとか切断することができた。後は簡単だった。ハイパワーの4輪駆動のごっついバンパーでぐいぐい突きおしながら、杉の倒木を谷底へと落としていった。一段落ついた後、よくよく調べてみるとこの破断作業にぴったりの装備がこの車両に積載されていることが判明した。あの四角長方形の細長い粘土の固まりだった。実は高性能爆薬であった。よくプラスチック爆薬と呼ばれているもので、正式名はC-4と外部に印字されてあった。疲れがどっと出た。
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