第2話 暴発
未明に自然と目が覚めた。特に目覚ましをセットしていたわけでもなかった。窓の外を見るとまだ明けやらぬ空に星が見えた。どうやら快晴のようだった。外にでると車のフロントガラスに霜がおりている。家の中にヤカンを取りに戻った。フロントガラスのお湯をかけながら思わず身震いをした。身を切るような寒さだった。武者震いだと自分に言い聞かせた。すでに夕べほとんどの荷物を車に積載していた。残しておいたテントやシュラフや雑貨などをルーフに積みこみ、ネットでしっかりと覆った。車内には可能な限り荷物は持ち込まなかった。特に後部座席は妻と子供のために十分なスペースを確保した。助手席にはすぐに取り出す必要のあるミルクやポット、紙おむつなどおもに子供の荷物を置いた。最後に緊急用のザックをその足下に置いた。エンジンは一発で始動した。妻と目をかわし、無言の決意を確認し出発した。 まだ明け切らない通りには街頭が灯り、車の影はほとんどなかった。小道を抜け、国道に出た。
国道は四国の南北を貫く縦貫道であったため、ここ最近は夜間・早朝も車の流れが途絶えることはなかった。多くは軍用車両だったがその中に避難のため移動する一般車両も多数みられた。
初詣の長い車列のような車の流れの中に、ゆっくりと乗り入れていった。赤いテールランプが点々と先まで続いている。しばらくはこの流れに乗って国道を西に向かって走ることになる。その後南にそれて、後は目的地までずっと山間部の道を走る。全行程約200キロである。普通なら高速道路を利用すれば1日で十分の距離だったが、すでに許可書がなければ高速道路は使用できない状況だった。そのため一般国道はいままでにも増して渋滞していた。一応、倍の日数の2日、また走行距離も大きく迂回した場合を想定して食料と燃料を余分に搭載していた。万が一途中車を放棄して徒歩になった場合の事を考え、食料は1週間分を準備した。状況がこれから2日間大きく変わらないことを祈りながら、のろのろと前方の車のテールランプを見ながら走り続けた。後ろを見ると、子供は妻のふところに抱きかかえられ、すやすやと眠っている。抱いている妻のほうもしっかり息子を抱きかかえたまま、どうも寝入ってしまったようだ。私が避難すると決断したここ数日は彼女も子育てに加えて、いろいろな準備のためだいぶ疲労したのだろう。今の内に疲れを回復しておいた方がいい。これから先なにがおこらないとも限らないわけだから。後30キロほどいったところに高速のランプがある。その500メートル手前を左におれれば、細い県道が平野部を20キロほど続きやがて山間へと入っていく。しばらくはこのままだった。
頭の中でさきほどから少し気になることがあった。それはインターに進入する車を規制するために警察が検問をはっている可能性ことだった。なんとかその手前で見とがめられずに脇道へそれなければならない。一応救急車を偽装しているが、近くで注意深くみると軍用車両であると気がつかれる恐れが十分にある。ナンバーも前の自家用車のものを取り付けてはいるが、封印を切っているため怪しまれる可能性があった。いまさら深く考えてもしかたがない。車の流れは日中と比較すればいいほうで、のろのろではあるが止まって動かないということはなかった。だがここ2・3日で避難車両が格段に増えたことは確かだった。みんなどこへゆくのだろうか。すでに海外への自主的な避難もはじまっていると聞く。しかしそれは海外に生活の基盤を移せる人的物的後ろ盾のある限られた人々のみだった。政府や経済界のトップはすでに家族を海外へ避難させていると言う。昨日の時点では出国制限はかけられていないようだったが、パスポートの申請者が急増したため、実質その発行に1月以上を要している。そのため実態としては出国制限が我々一般人にはかけられているのと同様だった。普通の人は普段パスポートなど持ってはいない。事態がより悪化すれば政府も海外への邦人の移送プランを実施に移すだろうが、今はその気配はない。かりに今後その段階が訪れたとしても、その時点では国内は大混乱と化しているだろう。そこまで手をこまねいて待っているわけにはいかない。自分たちの身は自力で守らなければならない。日本の国土が戦場と化したとき、一番危険なのは都市部である。少なくともそこに居続けることは避けなければならない。
我々家族が住まいとしていたところは、地方とはいえ中規模クラスの都市である。一刻もここを離れることが先決であった。混乱状態になる前に出る。秩序を失った都市ほど恐ろしい場所はない。町が暴徒で埋め尽くされる前にとにかくここを出なければならない。
やがて前方に、「1キロ先高速道路入口」という緑の看板が見えてきた。と同時にパトの赤色回転灯が点滅しているのが遠くにちらちらと目に入ってきた。あと500メートル先で脇道へとそれる県道の入り口だった。もう少しで左折だ。おそらくここを左折する車はほとんどいないだろう。車列のスピードがダウンした。やはり検問をしているのだろうか。前の車が停車した。やばいなと思っていると案の定蛍光反射板を着用した交通警邏隊の警官が、前方の車両に近づき運転手になにか問いかけてきた。その車も家族連れのようだったが、警官はずいぶんと長いあいだ主人らしき男性と話をしていた。ドライバーの男は次第に大きな声で警官となにか言い合いを始めたかと思うとは警官を突き飛ばし、車を急発進させた。しかしそれは浅はかな行為だった。前方に停車中のパトがすぐにその進路をふさいだ。男は運転席から引きずり出された。後ろに乗っていた奥さんらしき人物と小学生くらいの男の子、それに熊のぬいぐるみを胸に抱いた幼稚園くらいの女の子もいっしょに降ろされ、どこかにつれていかれてしまった。なにがおこったのかわからないまま、残った一人の警官が、このやりとりによってたまった渋滞を解消させるため、我々に早くいけというふうに誘導用の指示棒で促した。私はひやひやしながらも、わざと平然とした態度で警官に挨拶をしてその場を通り過ぎた。すぐに左折をして、脇道へとそれていった。サイドミラーで検問のパトの赤色灯がこちらに向かってくるのではないかと不安におびえながら、その光が点になるまで止まらず走り続けた。
とぎれとぎれに聞こえてきた会話から想像すると、どうも交通違反が累積して免許が停止状態になっていたらしい。たったそれだけのことであのような措置をとられるとは。警官を突き飛ばし急発進した男もばかだが、その程度のことで避難中の車両に足止めさせる行為にでた警察組織も、かなり危険な状態になっていることを暗示させた。
後ろのほうで目がさめたのか、眠そうな目をしばたたかせながら妻が「なにかあったの」と尋ねてきた。私は「とくになにもないよ」と答えた。無用な心配をさせてもしょうがないと思ったからである。妻が起きたため、それに気づいた長男も目が醒めぐずり始めた。私はしばらく車を止めて休もうと適当な場所を探した。出発してから1時間あまり経過していたがまだ日は顔を出しておらず、底冷えのする薄暗闇が周りを包んでいた。前方の山々の端は少しずつその明るさを増していた。とりあえず町の中心部をぬければ一安心だった。事態が急速に悪化していたので、都市部のパニックや戒厳令の発令による移動制限などがしかれはしないかと危惧していたが、なんとかそれは避けることができた。この先舗装はされているが一車線しかないため、渋滞は抜けたとはいえそれほどピッチをあげるわけにはいかない。しばらくは、平坦な平野部を抜けるこの道を走ることになる。前方に見えている山々の端につくまでは、小一時間といったところだろうか。
車1台が止められるスペースが見えてきた。私は道端に車をよせ、停車させた。エンジンは燃料を節約するために切った。まだこのあたりで凍てつくほどの寒さではないので、暖房なしでもしのぐことができるだろう。出かける前に沸かして魔法瓶に詰めていたお湯を使い、妻は子供のミルクとココアを2杯手際よく作った。カップから立ち上る湯気が心の緊張を解きほぐし、その暖かく甘い液体がのどから五臓六腑にしみこむにつれ、体が芯から暖まった。フロントパネルに積載されてある無線機らしきものスイッチを入れてみる。ダイヤルをひねってみたがホワイトノイズが響くだけで、これといったものはなにもスピーカからは流れてこなかった。
携帯のメールを見ると、出発時に目的地の里に向けて送っていたメールの返事が着いていた。インターネットにしてもメールにしてもかなりレスポンスは悪くなっていたが、まだ十分使用できた。非常時にはたよりになるメディアだった。一方ラジオ・テレビの放送は昨日を境に急速に受信状態が悪化した。原因はわからないがなんらかの妨害電波によるものではないかと推測された。返信されたメールには、里の状況には変化はなく、私の両親や妻の両親ともに元気で無事とのことであった。またそちらの指示どおり可能な限りの生活物資の備蓄をおこなってきたので、完全に補給がたたれても3家族7人が約2ヶ月は生活出来る状態にしてあるとのこと。疑うことなく、こちらの指示に従ってもらったことに感謝するとともに、絶対に無事到着しなければならないとあらためて心に誓った。
突然窓の外に稲妻が走った。フロントガラス越しに遠く東の空が真昼のように輝いた。巨大なフラッシュがたかれたかのように一瞬目がくらんだ。腹の底に響くような巨大な轟音が車全体を揺らす。その音が鳴りやむかなりやまないかのうちに、第2第3の閃光が続いた。ちょうど我々が出発した方向だった。距離的にもちょうど家の近くだった。石油貯蔵タンクかガスタンクが爆発炎上したのか。ほぼ同時に、爆発の炎がたちのぼっている周辺から、打ち上げ花火のような複数の閃光が上空に向かって舞い上がった。「バリバリ」というすごい音が遅れて響きわたる。
もはや明らかだった。私たちの住んでいた地区から500メートルも離れていないところに陸自の駐屯地がある。そこがなんらかの方法で攻撃されたのだ。打ち上げ花火のような閃光は、高射砲弾の軌跡だった。対空射撃が上空からの空爆であることを示唆していた。しかしレーダー捕捉しての射撃かどうかはわからない。散発的にあらゆる方向にうちあげられている。おそらく盲目射撃をしているのだろう。すでに日本海側では海自が防衛行動を展開中であり、空自も領空識別圏内に常時迎撃戦闘機を飛ばしている。いきなり航空機による侵攻があったとは考えにくい。コマンドーによる破壊工作も考えられるが、立ち上った火炎から想像すると巡航ミサイルの着弾がもっとも可能性が高い。ここ半月の間、日本政府は我が国への侵攻が行われるとしたら、その第一派は巡航ミサイルによるものだろうと警告していた。朝鮮半島を完全に制圧した状況下では、十分に西日本は陸上発射の巡航ミサイルの射程内に入ることになる。まさにそれが現実のものとなったのだ。開戦という文字が私の脳裏に踊った。ついに日本の平和神話が崩れ去った瞬間であった。
私は急いで携帯メールでインターネットに接続した。しかしいくら接続しても、サーバーにつながりませんとういうエラーメッセジーが繰り返され、どのホームページへの接続もできなかった。通信設備などのインフラが最初にねらわれるということだから、おそらくこの携帯の基地局が破壊されたのだろう。NTTの基地局の建物も駐屯地の敷地のすぐ隣にあることを思い出し、そこにも着弾したのだろうと想像した。これでテレビ・ラジオ・インターネットという情報の収拾手段を現時点ではすべて失ったことになる。どこか生き残った基地局から携帯パソコンを使用して接続をこころみることもできるが、今ここでは無理だ。それより次に行われるのは、空爆だ。空自がどこまで持ちこたえられるか。先を急がねばならない。
後ろで燃え上がる炎をおびえた表情で見つめる妻と不思議そうに眺めている息子を振り返り、急いでエンジンをかけアクセルを踏み込んだ。次にねらわれるところは、破壊しそこねたレーダサイトや防空陣地だろう。もしかしたら都市部への無差別爆撃をおこなうかもしれない。早急に山間部にはいらなければならない。場合によれば、後方攪乱のためそれこそコマンドーをエアボーンで投入してこないとも限らない。そういえば発電所もやられたのか、今までついていた民家の灯りがすべて消えていた。周囲でついている灯りは我々の車のヘッドライトだけだった。考えが自然と悪い方へ悪いほうへと傾いていった。
無我夢中で車を飛ばした。気がついた時には渓流沿いの道を走る谷間へと入っていった。しらじらと東の空が明けようとしている。少しスピードを落としどこか休めそうなところはないか探した。ちょうどトンネルの脇に旧道の小道がみえた。私はためらわずにそこに車を入れた。崖に隠れて上空からも、道からもみえない場所だった。
どこをどう走ったのか良く覚えていなかった。遠くサイレンの音、引き続き連続した爆発音、高射砲の射撃音。すべてを夢の中のことにように聞いていた。つい3時間前まではそこにいたのである。おそらく町はパニックになっているだろう。脱出を試みる車で身動きのとれない状態になっているに違いない。軍事施設のある町は侵攻のポイントになる。海沿いの町のため着上陸が行われればすぐに占拠されてしまうだろう。半島での電撃戦では多数の民間人が虐殺されたという。皮ひとつで首がつながった幸運に感謝しながら、とりあえず安全な地点まで逃れたことで一安心した。今走っているルートはまず軍事侵攻上使用されることは考えられない脇道である。これから先まだ300キロ近い道のりだ。早くても到着は明日の夜半となるだろう。ひとまずここで休憩して腹ごしらえをしておこう。
妻に1時間ほどここで休憩し今後の方策を立て直すと伝えた。妻はうなずき、眠っている子供をシートに横たえ、上から毛布をかけ食事の支度を始めた。結婚してから妻も私の趣味であるキャンプにつきあうようになり、野外での煮炊きにはずいぶん慣れていた。携帯用のコンロを組み立て、ボンベに接続した。水は炊事用として20リッターのポリタンクを用意していた。タンクの簡易蛇口をひねってステンレス製の携帯コッヘルに水を張り、その中にレトルトのカレーと真空パックのご飯を2人分いれて加熱し始めた。そういえば去年の冬も樹氷をみるためにこの道を上って来た。まだ子供は妻のおなかの中にいる頃で、きな臭い国際情勢も外交で解決できるとだれもが信じていたころだった。ここから先次第に高度が上がっていく。おそらく今回も樹氷を眺めることになるだろう。けれどそれを素直に美しいと感じられる余裕があるかどうか。前回はきれいに除雪されていたが、今回はそれは到底期待できない。しかも今年は例年になく厳冬である。この車両ならおそらく問題はないだろうが、気になるのは崖崩れや雪崩により道路が寸断されていないかだ。避難車両による渋滞を考える必要がない反面、そこが当初からの問題だった。
妻が暖まったカレーをほかほかのご飯の上にかけトレーに乗せて持ってきた。どんなに疲れても腹はすくものである。去年のキャンプのことを思い出し、不思議な気分になりながらカレーを口いっぱいにほおばった。熱いお茶を飲みながらこれから先のことを考えた。予定ではこれから先県道を70キロほど走り、峠越えをした後いったん主要国道に出て、そこを20キロほど南下する。その後再度脇道の県道には入り、更に渓流沿いを西に数十キロほど走った後、国道に再び戻りそのまま目的地までといったルートを考えていた。しかしこれは主要国道ははずした方が無難だと考えた。おそらく南北に走っている主要国道は避難民の車両で大渋滞を引き起こしているか、軍か警察によって通行規制されているに違いない。20キロそこそこの距離だが、身動きのとれない事態に陥らないとも限らない。遠回りにはなるが全行程を山岳路に変更することにした。
地図をひろげさっそく変更ルートにマジックで赤線を引いた。電卓で区間距離を積算していった。総走行距離350キロ。50キロ分の予備燃料を積載していたのが幸運だった。なんとかぎりぎり届きそうである。到着も明日の深夜を予定していたがもう1日のびそうだ。ただ不安なことが一点ある。今回の当初計画では見合わせていた林道を20キロの区間通ることになる。距離はそれほどでもないが非常に雪深く、走破するには困難が予想される。倒木、崖崩れのため引き返さざる終えない状況になる可能性もある。もしそうなるとどこかで燃料を補給しない限り、道半ばでたち往生だ。さてどうするか。いっさいの情報収集手段が絶たれた今、確認の方法がなかった。やはり国道を通るべきか。頭の後ろに手を組み、先に延びている峠道を見上げた。
そうだ、去年樹氷を見に行ったとき確かこの先の峠の頂上で眼下の国道が双眼鏡で見えた。そこまで行けば道の様子を確認することができる。双眼鏡はないが、目視でもなんとかなるだろう。食べ終えたカレーライスの紙製のトレーを始末しながら、妻に予定の変更とその理由を簡単に説明した。妻は「すべてあなたにまかせます」と言い、うなずいた。信頼されていることはうれしいが、その重責をひしひしと感じた。
再びエンジンをスタートさせ、沢沿いをゆっくり登り始めた。高度があがりはじめるにつれ、ぽつぽつと路面に積雪が見られるようになった。耐弾性のコンバットタイヤであるため乗り心地は極めて悪いが、その分スタッドレスタイヤとオフロードタイヤの性能を兼ね備えたすぐれたグリップ力を有していた。車内の暖房を上げ、スリップに注意しながら走行した。脱輪でもすればそれで終わりだった。到底このヘビーな車両を男一人女一人で引き上げることは不可能だった。対向車が絶対いないとは限らない。カーブミラーを確認しながらつづら折りの山岳路を上へ上へと登っていった。ルームミラーで後部座席を見ると、お腹の満たされた息子が妻の胸の上ですやすやと眠っている。守るべきかけがえのない存在だった。
日が高くなるにつれ気温があがりはじめた。幸運なことに高度があがっている割には、道路の積雪は増えていかなかった。今日は晴天になりそうだ。照りつける日差しはまわりの木々に積もった雪に強く照り返し、サングラスをもってこなかったことを後悔した。ときおり、川をはさんで反対側の杉木立の雪が「バッサ」という音とともに地面に落ちた。まるで平和だった。通り過ぎる農家の軒先ではいつものことのように、おばあさんが一輪車を押しながら畑仕事に出かけようとしている。縁側では年寄りが気持ちよさそうに座りながらおしゃべりをしていた。戦争がすでに勃発していることなどまるで知らないようだった。仮に知ったところで彼らにはここに居る以外どうすることもできないだろう。自給自足の生活ができるこの平和な山村には、過疎化のため年寄りがわずかに細々と暮らしているだけのようだった。
やがて民家も完全になくなり、峠の北斜面を登り始めた。そろそろ去年樹氷をみることのできたポイントへとさしかかろうとしていた。日陰にはいったため急に積雪が増し、ギアを一段低くキープしたままじわじわと登っていった。当然のことながら除雪はされてない。轍の後もまったく見られず、新雪のうえを「キュッキュッ」という音をたてながら走る。
突然目の前に小さな白いものが飛び出してきた。ブレーキペダルを蹴り込んだ。タイヤがロックし、車体は斜めに傾き横滑りを起こしながら滑走する。「まずい」私は無意識にカウンターステアを当てた。しかし高重量の軍用車であるためその効果はない。車はそのまま慣性で一回転し、後部を道端の太い杉の木の幹にぶつけて止まった。反対側の斜面を冬毛に変わった真っ白な野ウサギが駆け上がるのが見えた。後部座席の妻と子供を見た。妻は目をまんまるくして子供を抱きしめている。息子もなにがあったのかわからないまま泣くこともなく、目を開けている。私は妻にだいじょうぶだと目配せをした後、ギアをいれなおし体勢をたてなおそうとエンジンをふかした。ところがタイヤは空回りするだけで車体は全く前に進まない。私は路肩に後輪を落としてしまったかとドアをあけ飛び出した。衝突のショックから固まっていた息子が急にわーっと泣き出した。妻は子供をあやしながらいっしょに外に降りた。
状況は深刻だった。杉の大木にぶつかり危うく脱輪は免れたものの、そこから出ている太い木の枝がタイヤとタイヤハウスの間にしっかりとめり込んでいた。しかもそれを知らずにタイヤを回したため、さらに奥のほうまでがっちりとかみこんでしまっていたのだ。これはやっかいなことになってしまった。トリップメーターを窓越しにちらっと見た。ちょうど出発してから100キロ走行していた。まだ全走行距離の四分の1である。道半ばにさえ至っていないのに大トラブル。悔やんでいても仕方がない。なにかこの木を叩ききるものはないかと装備品の山をかき分けた。だがそのような物は見当たらなかった。ふと大泣きする子供をあやしていた妻が車の後ろを指指して言った。「もしかしてこれ斧とちがうかしら」みると車体と同じように白い塗料がかかってわかりにくかったが、扉の右端に縦にかなり大型の斧が固定されていた。塗装するときにはまったく気がつかなかった。さっそく軍用車両の装備品が役に立った。それを取り出し振るうこと小一時間、なれない手つきで1メートル近い幹周りの枝を一汗かいて切り倒した。
幸いにも車体が極めて頑丈にできているため、後部懸架装置を含め傷ひとつ付いていなかった。トラブル脱出だ。再び走り出したころには昼の3時を回っていた。コンソールパネルをちらっとみやった。燃料計はちょうど半分を示していた。燃料は少し予定より多めに消費しているようである。リッター8キロと計算していたが下手をすれば5キロさえも割りそうだった。燃料切れの心配も抱え込むことになってしまった。やはり国道を走るべきなのか。この先の峠までいけば結論が出るだろう。予定ではこの峠を下ったところにある渓流のそばでキャンプする予定だったが、どうもそこまで日没前にたどり着けそうになかった。設営にも1時間はかかるので少なくとも4時くらいには野営の準備に入りたかった。今晩はこの峠の頂上にある展望台の小さな駐車場で夜を明かすことに決めた。
それから1時間。頂上に着いた頃には4時を回ろうとしていた。記憶どおり、地元の町がつくったのだろう小さな展望台があり、そこに車数台が駐車できるほどのスペースがあった。その一番片隅にできるだけ道路から直接みえなない場所に車を止めた。荷台からとりあえず燃料缶を取り出し、給油だけはすませておいた。いざと言うときにガス欠では目も当てられないからである。その後急いで、この先の国道の状況を確認するため、展望台のある小さな丘に駆け上がった。
それはすぐに目に入ってきた。遠く彼方に光の点が延々と端から端まで続いている。「やはり」と舌打ちをした。そばを見ると観光客用の双眼鏡台があった。凍てついた硬貨投入口をライターで暖め、ポケットから100円硬貨をねじ込んだ。接眼レンズに両目をあてる。想像通りだった。荷物を満載した乗用車の列が延々と続いている。しかもその車列はまったく動いていない。多くの人びとは車を降りて歩いていた。軍や警察の車両は視野の範囲には見えなかったが、おそらくこの先のどこかで交通規制をしいているだろう。あそこには絶対降りるわけにはいかなかった。車を放棄するものが出てきている以上、もはやあの道が通行できる見込みはない。これで決まった。この峠を下りきって国道に出る前に左におれ、迂回路の林道を通ろう。問題は燃料が持つかだ。しかしそれしか選択枝はなかった。とにかく今晩はここでゆっくりと体を休めよう。
私は周囲を再度見渡した。一般乗用車ではこの除雪していない峠に進入してくるものもいないだろう。オフロード車がもしかすれば登ってこないともかぎらないが、今まで一台の車ともすれ違わなかったことからすれば、可能性は低い。上がって来たくても車列が完全に止まっているため無理なのだろう。私は車に戻り、念には念を入れて駐車場からさらに奥につづく遊歩道の中へ乗り入れていった。もし駐車場に進入してきた車がいたとしても気づかれない位置まで入りそこで車を止めた。
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