第十一話 エアバッグとゲリラ豪雨



「ふふ、オムライス美味しかったですねぇ」

「ええ。チェーン店のものと思って甘く見ていたわ。やっぱり、とろとろの卵は、酸味の利いたチキンライスとよく合うものね」

「本当に、皆と同じにしてよかったぁ。長門さんと男の子たちは、ハンバーグ付きを頼んでいましたけれど、肉汁がすごくって食べごたえありそうでしたね~」

「確かに、美味しそうだったわ。そうね……次来た時には、私達もハンバーグを食べてみましょうか。ふふ。私お肉ってとても好きなのよねー」


 私とみくるちゃんは柔らかな日差しの中を、おしゃべりしながらのんびり進むわ。街路樹の緑が、空の青に映えて、とっても綺麗。

 ちょこっと郊外の方とはいえ、やっぱり外に出れば楽しみは尽きないものね。あ、お爺さんとお婆さんが連れ合ってゆっくり歩んでいるわ。あれはただ歩調を合わせただけじゃなくて、互いの気持ちを添わせた結果の一緒なのでしょうね。

 好きにした結果、ずっと一緒というのは憧れるわ。SOS団も、そんなに末永いものになったら嬉しいわね。


 そう、今は初のSOS団の活動の午後の部の最中。再びのくじ引きで一緒になったみくるちゃんが、お散歩したいですと主張したのに合わせた結果が、今ののんびりっぷりね。

 先にはちょっと心乱れちゃったこともあったけれど、団活は滞りなく継続中。

 そもそも、あれは私がトラウマ刺激されて、とちょっと涙目になっただけ。それくらいで、皆の楽しい一日を台無しにしては駄目だものね。


 佐々木さんの登場に谷口乱入でしっちゃかめっちゃかになった後。気を取り直した私達は改めて、現況確認のためにおしゃべりをはじめたわ。

 いや、博覧強記とは、正しく佐々木さんのことね。どうして彼女の話だと哲学の瓶から自然と妖怪が湧いて来たりするのかしら。

 それだけでなく、話してみてキョンくんが佐々木さんを気に入っている理由がよく分かったわ。あの子、全体を認めているから興味を伸ばせるのね。生きるのを楽しんでいる感じがして、素敵だわ。

 ちょっと、捻くれた感じがするけれど、またそんなところも彼と似ていて良いのよね。


 そして、私は古泉くんの言い訳的なあの場に出くわした理由語りの合間に、こっそりと谷口に礼を言っておいたわ。ちょっと気恥ずかしかったけれど、あの言葉は本当に、嬉しかったから。

 谷口ったら、何だかんだで気がつく良い奴なのよね。出来れば、いい子とくっついて幸せになって欲しいところ。それを抜きにしてももっと団の有希とかみくるちゃん等と仲良くなってくれないかな、と思わなくもないわ。

 そういえばSOS団って見渡し限り可愛どころばかりよね、と思いつつお隣の小さくておっきなみくるちゃんをすこし見下ろし、私は思索に途切れた会話を再び繋げたの。


「……それにしても、みくるちゃんったら、デミグラスソースを取りやめて、そこにケチャップで可愛いハートを描いてしまうなんて、なんて女子力高いのかしら。隣でほうじ茶しみじみ飲んでた私なんて比べたらおじさんよねー」

「そんなことないですぅ。涼宮さんは、とっても可愛らしいんですから! ソースで口元を汚した様子とか、茶柱に無邪気に喜ぶ姿とか、その後全部に照れて鳴き声をあげるところとか、もう、すごいです!」

「み、みくるちゃん?」


 そうしたら、今度は愛らしい先輩さんが私のことをしきりに褒めだすという珍事が起きたわ。とんでもなく可愛いアイドルはだしの女の子に、可愛いって言って貰っているのは最早違和感しかないわね。

 いや、私なんてそんなに興奮して語られるようなものではないと思うのだけれど……あ、でもみくるちゃん何だか嬉しそう。ならそう勘違いして貰っていてもいいかしら。

 でも、天狗――同じく何でもお前のせいとされるあたり私的に親近感がないわけでもないけれど――にはなりたくないところ。話半分に聞いて、私は話を変えるわ。


「ま、まあ可愛いといえば有希も相当よねー。間違えない子なんだけど、ちょっとやり過ぎたりする時とかに、私はぐっと来ちゃうの」

「ああ、そうですよねぇ。あと長門さんは熱心で、だからこそ時々身だしなみを忘れたりして隙を見せてくれるところとかも、良いです。今日も風で髪が乱れたことをしばらく気にしていなかったみたいなので、わたしが整えてあげちゃいました!」

「あー、想像できるわ。有希ったら、鈍感さんだからねぇ」


 目を瞑って、私は想像するの。乱れ髪のために頭を撫でてあげる、小さな上級生のなすがままにされている有希。彼女のためにちょっと背を伸ばして笑みを見せてあげただろうみくるちゃんと合わせて、それはとっても素敵な光景。

 彼女ら一緒できたら楽しかったな、と思いながら、私は何だかんだ楽しめた午前中のことを思い出しながら、こんな時に自分の体が二つあれば良いのにな、と思ったの。

 あ、勿論力に願えば可能だろうから、思うだけね。実際プラナリアさんみたいにして涼宮ハルヒの分裂、とか怖すぎるわ。


 そうやって私が自分の中に潜む可能性に身震いしていると、みくるちゃんは、可愛らしく頬を緩めて言ったの。ああ、本当にこの一つ上の人は笑顔が似合う子。ずっとそうあって欲しいな、って私は思うわ。


「そういえば、涼宮さんこそ、キョンくんとのデートはどうでした?」

「闖入者が多くって、素直には楽しめな……って、みくるちゃん? あれはデートじゃないのよ? 団活、団活動よ!」

「ふふ……そういうことにしておきますね。そっかぁ……でも、邪魔が入っちゃったんですね。うーん、ちょっと残念です」


 まあ、そう言いながらもみくるちゃんは、微笑んだままだった。私とキョンくんの仲の進展なんて、ワンちゃんのお見合い経過観察に挑む程度の期待感、だったのかしらね。

 私じゃあキョンくんに釣り合わないし、みくるちゃんに恋の成就を望んで貰っているだけ、マシ、なのかな。私の思いが知らずに彼女に知られていたことは、恥ずかしいけどね!

 でも、恥で引くほど私の思いは安くはないのよ。うん。もっともっと、頑張らないと。何時か全てを【あたし】に返さなくっちゃいけないって知っていても、全力でね。


 決意と共に見上げれば、春風に乗って、とんびさんがふわり。地を見下ろせば、アスファルトとコンクリートの隙間に揺れるタンポポが、同じ風に綿毛と未来を乗せていったのにも気付いたわ。

 そして、私の視線を辿って、みくるちゃんは全ての光景に親しみ、喜んでいた。絹の髪を遊ばせて、少女の笑みは深まるばかり。

 それもそうよね。柔らかな日差しの中で、見渡す限りの全てが全て、輝くように生きているのだから。区切るようにある固体も人の生の動きの痕と思えば、趣深くもあるわ。

 そう、限りある生に彩られた世界はこんなにも素晴らしくって、愛おしい。だからちょっと悔しいの。それを私が【あたし】に面と向かって教えてあげられないだろうということが。


 ただ、私は決めているわ。それでも、精一杯に彼女のために何かを遺そうと。それが、皆みたいに美しい命の形になれたら、嬉しいな。

 はにかみに終始していた私をどう見たのか、みくるちゃんは急に表情を変えたわ。それを残念に思う私を他所に、彼女はぽつりと零したの。


「……どうして涼宮さんは、わたしに何時の未来から来たの、とか目的は、とか聞かないんですか?」


 スカートを握り込みながら呟いた、その言葉はきっとみくるちゃんなりの精一杯。緊張しているのでしょうね。先の笑顔はどこへやら。似合わない険が眉の間に出来ちゃっているわ。

 私はそれを和らげてあげたくって、なるだけ表情を柔らかくしてから、返したの。


「裏付けなんて、私にはいらない。私はただ、信じているから、それで十分なの」


 手を、胸元に当てて、私は言う。詮索なんて要らないの。だって、その未知は怖くなく、むしろ柔らかなものだと私は知っているから。

 それは、未来知識なんていう最早指針にしかなってくれないものに依っているという訳でもなく、ただみくるちゃんという人の一部をそれだけ解せているという訳だった。

 一点不思議そうな表情になった彼女に安心してもらうために、私は本音を続けたの。


「私は、おかしな要素で楽しませてくれるようなピエロが欲しいわけじゃないわ。ただお友達が、欲しかっただけ」


 まあ、お友達が似た者同士だと特に嬉しかったりもするけれどね、という文句ばかりは口に出さなかった。でも、私の中で間違いないことばかりは言えたわ。

 寂しかった。だから、こうして隣り合ってくれたことばかりで嬉しいの。その上でこんな大切な人に、奇矯に踊ってもらうことまで、私は期待しないかな。


「私にとってみくるちゃんは、笑顔が素敵な優しい女の子。そんな子が、未来から私の隣にわざわざやってきてくれたなんて、本当に、嬉しいことだわ」


 私は【あたし】と違って、空から知らない子が降ってくるより、知ってる子が隣で笑ってくれる方が有り難いの。

 当たり前なんて、この世にはなくて、全てが全て大切で。だから、失われると悲しくて、すれ違うと苦しいのだけれど、それでも皆には笑っていて欲しいと願うのは強欲かしら? まあ、神でもない身で全てを抱きたいなんて、駄目よね。

 そんなこんなを考えていたら、何かが私の顔にぶつかって来たわ。この柔らかさ……エアバッグ? いや、違うわね、これはもしかして。


「うぅ……ごめんなさい、ごめんなさい……」

「わぷ……にゃ、みくるちゃん?」


 それは、飛びついてきたみくるちゃんの豊満な身体だったわ。私の顔にダイレクトに大っきな胸が。危うく女体に溺れそうになったところで、彼女はその身を離したわ。

 向かい、とても苦しそうにして、私より先のところに自分の本来があるみくるちゃんは、言ったの。私はふと、そういえばみくるちゃんって漢字だと未来ちゃんってなるのかしらね、とか思ったわ。


「本当は、色々とあるんです。何も言われていないんですけど、きっと、やらなければいけないと、言わなければ駄目なこと、出来ることって、わたしならあるはずなんですよ……」


 みくるちゃんは、未来人。そのことを、今更ながら私は彼女の涙に痛感したわ。やはり彼女は多少なりとも、私の向かう先を知っていた。

 私の行っているやり方はきっと拙いのでしょうね。だから、優しいみくるちゃんは声を上げたくもなるはず。そっちじゃないですよこっちですって、出来るはずなのよね。

 でも、みくるちゃんは改めて、決めたのでしょう。涙に慌てる私を見て、彼女はそれを無理に拭ってから言ったの。


「でも、わたしは涼宮さんを……【貴女】を信じます。貴女なら、間違わないと思うから」


 そうして、みくるちゃんは、見守ることを選んでくれたわ。

 未来人が、現代人の愚かを、認める。それがどんなに大変なことか、私は知らない。けれども、彼女が作った笑顔がどれだけ大切なものであるかだけは、判った。



「みくるー、ハルにゃん! 今日は二人して、お出かけかい? いけずだねー、二人共、どうして私を仲間に入れてくれなかったのかなっ」

「あ、鶴屋さん……あの、これはSOS団の活動の一環で……」

「皆で遊ぼうっていう活動をしているのよ。他の団員もそれぞれ、友好を深めているところだと思うわ」

「あー、なるほど……団員たちは皆お友達なのかな? みんな仲良く円満が一番ってことだねっ」


 みくるちゃんから決意を聞いてからしばらく。その後も仲良くしていたら、微かに残る湿っぽさを吹き飛ばすかのように走り寄ってくる影があったの。その人は、勢い余って私達の周りを三周してから喋り出したわ。

 その意気揚々が形になったような彼女は、私のライバルこと、鶴屋さんだったのよ。私は、一緒できなかったことを残念がっている彼女に今は団活動で来ているのと説明したら、にんまり笑ってくれたわ。

 日向に、綺麗なひまわりが咲いたわ。この人も愛らしい先輩よね、と思っていたら鶴屋さんは言ったの。


「でも、ちょっとスパイシーさが足りないっさ。甘いばかりだと胃が持たれるにょろよ?」


 山あり谷あり、そして突然の大海原が大自然ってものじゃないかな、と続ける鶴屋さんに、私達は黙ってしまうわ。

 遠慮がちでは何も変われない。そんな自明を先輩は語っていることくらい、私にも分かったわ。そしてそこに、笑顔のままで鶴屋さんは繋げていくの。


「天気続きだとお天道様も飽きちゃうっさ。そんなことばかりしてっと、ゲリラ豪雨が降っちゃうかもよ?」


 鶴屋さんは、そんなになったら、せっかく乾かしていたチーズも台無しだねー、とかけらけらと笑うのよね。

 まるで彼女はふざけているみたい。けれども、それは違うのでしょうね。みくるちゃんも、私の隣で表情を引き締めているわ。

 それは、上から下にほとんど全てを知って話しているということを悟らせない助言。いやホント、私こんな人に勝てるのかしらと思いながらも、真っ直ぐに返すわ。


「大丈夫よ」

「ほほーう?」

「雨降って地固まる、っていうでしょ?」

「なーるほど! ハルにゃん達の関係はコンクリ製みたいに見た目だけカチカチな訳じゃないってことだねっ。熱々っさ!」


 鰻屋さんの甘い香りに長髪をくるん。あまりにも躍動的な鶴屋さんは。この時だけは少し静まり返ってから、言ったの。


「うんうん。そうやって、君たちは団結していくんだろうね」


 チェシャ猫を貼り付けていた鶴屋さんは一転、在りし日を望むかのように面を変えたの。

 私を見る彼女は、まるきり先達の顔だったわ。……本当に、鶴屋さんって何者なのかしら。



 事故は起きずに雨は降らず。けれども、本当に、何も起きていなかった?



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