第十話 アプリコットティーにヨーグルト
「ふゎあ……うーん。ちょっと、ちっちゃなことで悩みすぎたかしらね」
大っきく口を開けながらあくびを一つ。そうして、私は人気と眠気の中で独りごちたわ。こんなの駄目ね。でも、だらしなさを禁じるには、ちょっと意識が薄いの。
私も谷口のこと笑えないわね。私は集合した後に向かう予定の喫茶店での支払いをどうしようか夜中考え出してから、そのまま眠れなかったのよ。
本当ならば、団長自ら皆に奢ってあげると格好が付くのでしょうけれど、やっぱりお金は大事よね。額としてちょっと大きくなりすぎそうだし。どうにも踏ん切りつかずにずるずると。まさか、夜が明けるまでにそれが続くとは思わなかったわ。
なんだかんだ私も、初めてのSOS団勢揃いでのお出かけに、緊張していたのかもしれないわ。
慌てて少しは寝たけれど、きっと二時間も眠れなかったわね。ちょっと遅れたから朝食を作れなくって、お母さんのご飯久しぶりに食べさせて貰うことになっちゃったわ。
お母さんの作る料理はお父さん辺りが苦手としている、中々個性的な味なのよね。私は、何にでもヨーグルトを混ぜようとするその開拓精神は嫌いではないのだけれど。
「うーん。なんだかんだ、歩いていたら目が覚めてきたかも。駅ももう直ぐだし、しゃっきりしないとね」
そう。そろそろ待ち合わせ場所の駅前まで、僅かになってきていたのよね。眠気でふやけた顔に、意識を通すわ。
私は携帯電話をちらりと見て、時刻を確認。あ、まだ九時までには大分余裕があるわね。このままなら大体、四十分前には着くかしら。
流石に早すぎるかな、と思いつつも足を止めずに進んで、やがて休日の活気の主役である溢れんばかりの若者達に紛れながら、私は駅前できょろきょろ。
そうすると、なんと見知った影が何時もの姿で本を読みながら駅前中央に立っているのを見かけたの。確かに駅前集合、とは言ったけれど真ん前に陣取って人の流れなんて気にも留めないでいるとは思わなかったわね。
私は、そんなどうにもマイペースな少女にあいさつをするわ。
「有希、おはよう!」
返ってきたごく小さな頷きに、私は笑みを零したの。そうしてから、急いで人通りの邪魔をしている有希の手を掴んで、近くの壁際へ連れて行ったわ。首を傾げた有希に、私は感嘆と共に続ける。
「はぁ。それにしても有希はお利口さん過ぎるわね。凄いのだけれど、別に何時でも大正解である必要なんてないのよ? 私達はそれで楽になるかもしれないけど、有希が疲れちゃうでしょ?」
「……大丈夫」
「でも、もし辛いことがあったら言ってね?」
私は、返ってきた微かな肯首に、満足を覚えたわ。これならきっと、本当に大変なことがあったら確かに頼ってくれるでしょう。
ああ、有希はいい子ね。どうにも、実年齢を知っているからか、子供に対して接しているみたいになってしまうのだけれど、そもそもこの子は庇護欲を誘うのよ。
笑顔のまま沈黙した私の視線に、有希は首を傾げたわ。幼い宇宙人な彼女には、地球人の内でも奇矯な方の私の親心なんて分からないのでしょうね。別段二人の間を磁気圏が遮っていたりする訳でもないのに。
「有希、手を繋ご?」
「…………」
でも、隣り合っている証拠に温度くらいは伝えてあげたくて、私は無言の了承を得てから有希の手を取ったの。
うーん、ちょっと冷たいわ。冷え性なのかしらね。ただ、ずっとそうしていると温かくなったわ。本を手に持ちながら、有希は私のことを眼鏡の奥から感情薄い瞳でじっと見つめている。
ふと、私は周防さん――谷口が後で教えてくれたところによるとフルネームは周防九曜と言って光陽園学院の女子生徒らしいわね――のことを思い出したの。
比べるのは失礼なのかも知れないけれど、欠けている二人はちょっと似ているから。でも、有希は確かに人間味が足りていないけれど後で幾らでも補填できる感じはするの。
反してこちら側に生の殆どを置いてくれていないだろう周防さんにフレンドシップを求めるのは、ちょっと難しそうね。
そこまで考えてから、私は有希に周防さんのことを訊いてみようと思い立ったわ。なんとなく、通じるところがありそうだし、もし二人がお友達だったりしたら面白いからね。
「ねえ、有希? 貴女は周防九曜さん、って知ってる?」
「……先日、面識を持った」
「へぇ……面識っていうことは特別仲が良いわけではないのかしら。それに、知り合ったのは最近なのね」
そうしたら、意外にも有希と周防さんに繋がりは薄弱だったの。
まあ、世界は広いし、ただ尖っている同士というだけじゃ中々くっつくこともないのかしら、と私は有希の誕生してからの経年数のあまりの少なさを忘れて思ったわ。
そうしてから、もし広い宇宙ならば尚更ね、と思ってからようやく私は有希に周防さんの立ち位置を尋ねる気になったの。谷口ったら、しらばっくれたからね。何が、疲れてるんだな一体全体お前の気にしすぎだろ、よ。
私は、セーラ服姿の宇宙人と繋がりながら、面と向かって訊いたわ。
「ねえ、有希。あの子もひょっとしたら地球外から来たとかそういうのだったりする?」
「そう」
「えっと、それって有希と同じ宇宙的な何かということなのかしら?」
「分からない」
「そう、なの……」
私はちょっとびっくり。情報の蠢きから生まれた生き物のひとしずくたる有希ですら分からないことがあるって、そんなこと想像もできなかったことだったから。
当然、私の心とか、人のあり方とか、有希が未だ学習不十分なところは沢山あるっていうのは知ってるわよ。でも、すっごいの達とクラウドソーシングしていて博識だろう彼女が見当も付かない相手が居るなんて。
もしかして、と私は思ったの。
「……周防さんって、ひょっとして、お空の上から来ていたりする?」
「彼女は我々から見て天頂方向より、来た」
「やっぱり……」
なるほど。きっと、彼女は属性が違うのね。私があの日宇宙人、未来人、異世界人、超能力者、等を呼んだ際に漏れた、スピリチュアル系。
――――あの言動、かもしたら神を探しているような様子とも取れたし、ひょっとしたら周防さんって、迷子の天使だったりしたのかしら?
下手をしたら、【あたし】こと【涼宮ハルヒ】関連ではなく私こと憑依転生者関連の存在だったりして。
と、私は三着目の古泉くん……さらっとピンクを着こなせているのは流石ね……を迎えるために有希と離れている方の手をふりふりしながら考えたりしたわ。
「涼宮も、よくあんな路地裏に隠れた喫茶店を知ってたな」
「そうね……私も先日試しにはじめて行った時はちょっと迷ったわ。でも、雰囲気もあって、良いところだったでしょう?」
「客は爺さん婆さんばかりだったが、随分と美味いコーヒーを出すところだったし、何より安くて、たしかに良かったな」
「これは、本当に美味しいところを教えてあげる、って地図まで書いてくれた朝倉さんに感謝ね」
「なるほど、情報源は朝倉か。あいつ、交友関係広いから、穴場にも詳しいんだな」
私はキョンくんとお喋りしながらも、辺りをキョロキョロ。どうにも、中々彼と目を合わせることは恥ずかしくって難しいのよね。
とはいえ、周囲を見ていて何の収穫もない、なんていうことはないわ。青々とした緑の強さには目を引かれるし、ワンちゃんの尻尾を見送るのも、楽しいわよね。
それが、好きな人と一緒なら、尚更。……あれ、今気付いたんだけど、ひょっとしてこれ、デートみたいになっていないかしら?
ああ、くじ引きの結果を見たみくるちゃんが私を見つめながらやけにニコニコしてたのって、そういうことだったのね。うわ、一気に顔が熱を持ってきたわー。
「どうした、涼宮? 顔赤いぞ?」
「な、なんでもないわ! これはそう……ちょっと空の青さに対抗してみただけよ!」
「確かに今日はどこかでカミナリ様の通夜でも開かれてるのかってくらいのとんでもない晴れっぷりだが……普通、それに顔色で挑むもんか?」
「あんまり全てが青かったら、歩行者が止まるに止まれなくなっちゃうかもしれないじゃない……」
「……やれやれ。人にはCIEが規定した二色しか見えてないって思ってるのか? やっぱり、涼宮は変わってるな」
そうして照れ照れしていたら、キョンくんは表現力過多な長い感じで適当なことを言ってた私にツッコミをくれたの。横から見上げる呆れ顔にも、見惚れてしまうわ。
よく考えたら、こんなに無遠慮に近寄れているのって初めてかも。うう、胸が痛い。好きのドキドキって、意外と辛いのね。これに毎日親しんでいる人って大変。
でも、これって私が一番に望んでいたことで……ええとひょっとしたら私、無意識的に能力使っちゃったのかしら?
流石にSOS団の団員プラスワンといったところね。誰一人遅れることなく九時きっかりに全員集合。私オススメの喫茶店に足を向けて、そうして今日の作戦会議を始めたの。ブラックコーヒー、美味しかったわ。
因みにおごり云々のお話は、朝飯逃しちまったから腹減って仕方ねー、とおもむろにカレーを頼み始めた空気読めない谷口のせいで、なかったことになったわ。流石に、一人一番でっかいワンコイン以上というのは設定予算を上回っていたのよね。
美味い美味いと絶賛する谷口を聞き流して、アプリコットティーをちびちび美味しそうに飲む有希を眺めながら、私はまず三組に別れて遊び歩くことを提案したの。
SOS団は、未だ結成してからそう経っていない時期。私は互いに慣れることから始めるべきだと思ったのよね。
未来予想図的に、どうせ皆相性が良いっていうのは分かっているし、谷口はどうでもいいし、二人組作ってーってやっても平気だと思ったのよ。……うっ、あの日のトラウマが少しだけ蘇ったわ。
まあ、そんなこんなで公平を期して、くじ引きで私とキョンくんペア、有希とみくるちゃんペア、古泉くんと谷口ペアになって、三々五々私達は別れたの。谷口どうしてこの率で野郎と一緒なんだー、っていう嘆きの大きさなんてどうでも良い情報よね。
それにしても、その際に私は確かに能力をオフにしたつもりだったのだけれど……むむ、かもしたら、やらかしているのかもしれないわね。自分を制御できずにお漏らしなんて、赤ちゃんでもあるまいし、恥ずかしいわ。
そんなこんなで、しばらく強がる茹でダコ状態の私を生暖かくキョンくんが見守るという構図がずっと続いたのだけれど、それも、彼の一言で終わりを告げたわ。
「お……この公園って、確か俺達が初めて会ったところだよな」
「にゃ? ……あ、ホント」
そう、私達の散策がたどり着いたのは、私が決めたその日に恋したあの公園だった。ブランコに、鉄棒……そして砂場。ああ、懐かしいわね。キョンくんの妹ちゃん、元気かしら?
それにしても何だか全体小さくなった気が……いや、私が大っきくなっただけかしら。通っていた中学前半から背丈はあんまり変化していないのにね。面白いものだわ。
感慨に浸って、ぼうっと、私が運命の場所を眺めていると、キョンくんは言ったの。
「それにしても、まさかあの日の猫少女が、こうも面白く成長するとは、流石に思ってなかったな……」
「うう、そんな子供を見るお父さんを通り越して孫を見つめるお爺ちゃんの目で私を見ないで……でも、そういえばキョンくん、どうしてこっちまで来て居たの? お家からは遠いわよね」
「あの日は、こっちの方に住んでる叔母の家に遊びに連れられていたんだが……妹が長話に飽きちまってな。それで近場の遊び場を探したって訳だ」
「へぇ。偶然ねえ……」
いや、運命的なのかしら。それだったら嬉しいけれど、私、実のところあんまり信じていないのよね。
実際に運命が働いていたのだったら、私はこの世に存在していないはず。でも、運命的じゃなくっても生じたからには生きなければならないわよね。だから私は【あたし】のためだけじゃなく、生きてるの。
まあ、そんな自分の頑張りよりも、好きな人のこれまでの方が気になるほうが人情よね。……ちょっと、訊いてみようかしら?
「でも、私達の出会いなんて、それこそ青春の一ページばかりよね。キョンくんが胸に秘めてる他の大部分の項も、私は気になるわ!」
「いや、そんな俺のことなんて、どうでも良いだろ? ……というか、今更気づいたんだが俺達の組み合わせって自称宇宙人達と遊ぶっていうSOS団の趣旨から相当に外れているんじゃないか?」
「くじ引きだからこういうのも想定の範囲内よ。その場合は……って、キョンくんったら、はぐらかすつもりね! さあ、私に中学生活をじっくり赤裸々に教えなさい!」
「いや、俺の話なんて……」
どうにも愚図りだすキョンくんに、私は喜んで攻勢を強めるわ。好きを沢山知って深く好きになりたいと思うのは、当然の欲求よね。ここぞという感じで、囃し立てるわ。
でも、近寄りすぎるとまた顔に火が点いちゃう私だから、触れないほどには離れてね。付かず離れず、まるで私達月と地球みたいね、とか私がロマンチックに思っていると。
くっくっ、という独特の笑い声が聞こえたの。
私は、そっちを向いたわ。そうしたら、日を背にした少女が一人。あら、彼女も桃色カーディガンがよく似合う美人さんね。
しかし、どうして彼女は私達……というかキョンくん……を見て笑んでいるのかしらと不思議に思っていると、何とキョンくんに声をかけ始めたの。
服より淡い桃の色をした柔らかな唇が滑らかに動いて、そうして難解な文句が当たり前のように紡がれていったわ。
「いいじゃないか、キョン。君の皇妃オクタウィアに準ずる程波乱万丈な三年間を教えてあげてはどうかい?」
「俺の中学生活は悲劇かよ……って、お前、佐々木か」
「ああ、その通り。君の海馬歯状回が弥生時代に思いを馳せることさえなかったとしたら、僕の名前を呼んでくれると思っていたよ」
「そりゃあ、二月程度前までつるんでいた友達を忘れるほどの記憶力じゃあないからな。しかし、やけに同じネタを続けるな……お前の中で俺は、二千年近く遅れてるってことか?」
「いいや、それは世界が進んでいると言うだけさ。過ぎゆく時の刻みを数え続けられる人間なんていない。日進月歩に置いていかれるのは、キョンに限らず誰だって当たり前のことなんだ。去る者は日々に疎しとも言うが、しかし僕の持論からすると旧態依然こそ安心の源泉とすらいえるものではないかな? 何しろ星の輝きですら、過去の威光に他ならないものだからね」
「……何だ、佐々木。つまり、お前は今までどおりの俺と会えて安心した、ってのか?」
「くっくっ、些か趣のない言葉になってしまったが、そういうことだね」
いやいやいや。ええ、キョンくん今の全部理解出来たの、成績悪いって嘘でしょ、というか、この以心伝心のやりとりって何よ。
唐突に現れた、この女の子は、誰? こんなにかわいい子、キョンくんにお似合いだろう子。ひょっとして。私は思わず、そのまま口にしたわ。
「貴女は?」
そうしたら、どうしようもなく彼女――佐々木さんと呼べばいいかしら――は形式張った笑みを私に見せながら、どこまでも自然に嘘っぽく、私に返したの。
何だか、ちょっと読めない子だわ。
「キョンの、親友です。はじめまして。貴女は……」
「涼宮ハルヒよ」
しかし、私が自分の名前を口にしたその時、虚飾の仮面はあっという間に剥がれて、驚きばかりがその表に現れたの。
まるで、空に浮かぶ太陽が、大っきなホタルさんのお尻だった、みたいな風に驚愕を持って、呟くように佐々木さんは言ったわ。
「貴女が? 本当に涼宮さん、なの?」
ああ、これはひょっとして。佐々木さんは私が【涼宮ハルヒ】になる前の知り合いだったのかもしれないわね。
容貌は違っていなくても、中身が違う。だから、昔からの知己だったはずの人たちには変わった、二重人格じゃないか、とか言われたことすらあったっけ。
私は【涼宮ハルヒ】を必死に真似していたのだけれど、それですら、何時だって彼彼女らには否定的に見て取られたのよね。
こういう時、私は誰にも認められていないんだって、すっごく寂しい気持ちになるの。そうして、私は【あたし】の限りある青春を浪費している寄生虫だと再認識してしまうのよね。
でも、そんな時は今まで、何時だってアイツが……と、私が頭を降ろしたその時。唐突にも誰かの静止の声と、それより何より強い視線を私は覚えたの。
その熱を見返し、ただ一人私を認める彼を私は見つけた。ぽかんとする私の代わりに、そいつが佐々木さんへと言葉を返してくれた。
「そんなの、決まってんだろ。こいつだけが、涼宮ハルヒなんだよ」
そう、どんな疑問をも断じる勢いで、谷口は、そう言ってくれたの。
……ありがとう。
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彼女が入れたヨーグルトは、余計なもの?
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