第六話 フラクタルに謎



 私の心ひとつで世界は変わる。それこそ、文字通りに、ね。

 願いが叶う。それはとっても嬉しいこと。でも、当たり前に何もかもが成就しすぎると、つまらないと思うの。影響力が強いっていうのも良し悪しね。私の中での暫定だけど、主人公ってのも大変だわ。

 そう、よく分からない内に【あたし】から神様にすら似た力を持つ【涼宮ハルヒ】のバトンパスを受けてしまった私は、右往左往中。未来記憶の中の【涼宮ハルヒ】にならって不思議に対して知らんぷりを決め込もうかと思ったけど、そうもいかないみたい。


「信じて欲しい、かぁ……そんなの、信じるに、決まってるじゃない」


 向こうからドアをノックしてくれたのなら、応答するのが正しい態度。最低でも、私はそうするわ。だから、私は有希に対して、真摯に応えようと思うの。それに何しろ、友達相手なんだから、本気で当たって当たり前よね。

 私は思いの丈を、素直に有希へと真っ直ぐにぶつけたかった。


「なるべく早くに伝えたかったけれど……先に帰っちゃったのは、残念ね」


 けれどもその意気は、空振ったわ。あの後直ぐに鳴ったチャイムの音で返事を受け取りもせずに五組に戻った有希は以降現れずに、朝倉さんに家の用事があると言付けをして、先に帰っちゃったの。……きっと、それって嘘よね。

 どうしてバラしたんだって、宇宙人の親玉みたいなものから叱られたりしていないか、ちょっと心配。


 私は、今日仮入部してみたハンドボール部にて、何でかお土産として頂いてしまった小ぶりのカラフルだったろうボールを手の上で遊ばせながら、漫ろに帰り道を行くわ。

 練習で掴まれ投げられ過ぎたのか、擦り切れて汚れきったボール。

 岡部教諭に、初心者には傷があるくらいの方がひょっとしたら掴みやすいかもしれない、と言われて渡された後、一度でゴールに突き刺さることに成功したこの球に、私は愛着を持っているわ。

 記念球、っていうのかしらね。ひと度素敵な経験を共にしたら、それはもうぼろぼろの球だって、捨てがたいものになるのよ。私はそれを、鞄の隙間に大事に押し込んだ。


 似たように、友達っていうのも共に経験を重ねることで、大切さを増していくものだと思うのよね。だから、こんな程度では足りない。少し前まで独りでも平気だった帰路が、今やあまりに無味乾燥に感じられてならないわ。


「……寂しいな」


 呟きは、勝手に漏れた。それに対する返答は、もちろんなかったわ。


「宇宙人、かぁ」


 今は空の青に溶けてしまい、向こうに広がる浪漫を伺うことも出来ない空を見上げる。暗黒に負けない星々の輝きの美しさを、昼間はこれっぽっちも見て取れないというのは残念よね。

 もやもやっとしている雲を見つめるのも面白くはあるのだけれど。でもやっぱり宇宙っていうのは素敵。

 思えば最近の私は、有希のことをただの女友達と捉えていたのかもしれない。しかし彼女はそうでもあるけれどそれだけじゃない、もっと唯一性の高い神秘でもあったのよね。

 だから、恐らくその前に私達がしていた話を聞いていただろう有希があえてそのことを私に告げたということは。


「やっぱり、朝倉さんが言ってたように、もっと私に構って欲しかったのかな……」


 有希の宇宙人発言に、あの時その場に居た面々は、度肝を抜かれたわ。それこそ、始業チャイムが鳴ることさえなければ、ずっと静止していたのではないかと思えるくらいに、沈黙が降りてた。

 ただ、私というやらかしの前例があったから、次の休み時間にはもう殆どが有希のことを忘れてくれていたようだったのは、不幸中の幸いかしら。

 でも、後でキョンくんは有希のことを確かに面白い女の子だったな、と言っていたわね。そして、朝倉さんは、長門さんったらよっぽど涼宮さんに懐いたのね、あんな冗談を言うなんて、と話したわ。

 まあ、確かに内情を何も知らない人にはそう思えるわよね。まさかあれが、宇宙人が監視対象に自分の正体を告白している場面だなんて、考えないわよ。

 でも、あえて有希はそれを行った。その意味を、私は寂しさのせいと取ったけれど、当たっているかしら。不安ね。


「……明日また、会えると良いけれど」


 それは、切なる望み。

 けれど、私は自分の中の怪力乱神な力なんて無粋なものには願わない。ただ、私は彼女の無事を、思う。


 私が坂の上から見下ろすのは、人の営みのフラクタル。全ての大事小事は当たり前に似通っていて、それでいいの。それらは【あたし】が抱いていた感想のように、つまらないものでは決してない。

 総じて美しい、世界の全て。そこに、余計な力みはいらないのよ。無理に作った笑顔より、自然に浮かんだものの方が、良いに決まっているでしょう?

 私の好きなものの中に、デウスエクスマキナは要らないの。まあ、私も人間だから、いざとなったら【涼宮ハルヒ】の力を頼りにしてしまうのだけど、でもそれは今じゃないわね。


「別に力が私、という訳じゃないんだから」


 そう独り言ちてから、私はしばらく黙って帰り道を行ったわ。黄昏時まで、後少しくらいかしら。まだそこそこ明るい時間帯。他人とのすれ違いに、不安はないわね。


 けれども、沢山の中での挙動不審は流石に気になってしまうもの。道路のそこかしこを覗いている、同い年くらいの男の子を見つけた私は、思わず彼を見つめてしまったわ。

 そうしていたら、目が合ったのよね。中々に整った顔、下手をすれば女性的とすら取れる程に、すらりとした体躯の明らかに格好良い男の子に見つめられ、私はどきっとしたわ。……勿論、驚きからよ。谷口みたいに私、浮ついてはいないんだから。

 私がそうして心の声に蓋をしていると、その見目は明らかに群を抜いている男の子はおもむろに近寄ってきて、声を掛けてきたの。特に構えずに、私は対峙したわ。


「あの……すみません。少しばかりよろしいでしょうか?」

「ん、何かしら?」


 でも私はその整いに焦りを見ちゃった。だから、心配を覚えたの。何か、彼に悪いことでもあったのか、別の意味でどきどきし始めたわ。

 そして、残念なことにそれはどうやら当たっていたみたい。眉を悲しそうに下げて、彼は言ったの。


「唐突に、申し訳ありません。ですが、こちらも切羽詰まっていまして。単刀直入に言いますと、財布を失くしてしまったのです。貴女は道々そのようなものを、見かけませんでしたか?」

「それは大変ねっ! うーん……でも、残念だけど、記憶にないわ」

「そう、ですか……」


 ちょっとぼやっとしていたけれど、でも間違いなく覚えはないわ。しかし縋ってみた私の中身のない返事に、がっかりしちゃったのね。残念、というのを男の子は体中で表したわ。その声があまりに悲しげで、私は同情せずにはいられなかった。

 だからとっさに、私は踵を返さんとした彼に言葉をかけたの。


「……ねえ、あなたの財布はどんな色形だった?」

「茶色の長財布ですね。一般的なものを想像して頂けると、おおよそそれに似通っているかと」

「なるほどね……うん、いいわ。私も一緒に探してあげる! 日暮れまでそんなに時間がないでしょうし、急がなきゃ!」


 そう。既に太陽は大分落ち込んで、地平の端にはオレンジ色が見え始めてる。このままでは、捜し物をするに相応しくない、暗い夜がやってきちゃうわ。

 慌てるのは良くないけど、でも困っている人のためになりたくて、気が急くのは仕方ないことよね。でも、そんな私をどうにも彼は珍しいものを見つけたかのようにまじまじと視線をぶつけてきたわ。どうしたのかしら?


「……本当ですか?」

「もちろん! 世の不思議も気になるところだけれど、先ずは自分の足元を確かめるのだって悪くわないわよね。それが人のためになるっていうなら尚更!」


 何故か彼は言葉にまでして尋ねてきたので、私は素直に本音を晒したわ。そう、これは彼だけのためではないの。探してみたら、意外と足元にはダンゴムシさんとかが隠れていたりして、楽しいかもしれないじゃない。

 私がそこまで説明すると彼は一定の理解を示し、そうして軽くお辞儀をしてくれたの。でも、何故か柳眉を更に困らせて、青年は更に言い募るわ。


「助かります……しかし、僕が言うのはおかしいことなのかもしれませんが、見ず知らずの人間の言うことを鵜呑みにするのは、いかがなことかと」

「何。あなた、私に嘘吐いてるの?」


 それは、ちょっと嫌ね。私がまんまと騙されたところで、悔しいだけだけれど、なんせ、嘘つきは、閻魔様に舌を抜かれちゃうって言うじゃない。

 昔から思ってるんだけど、それって痛そうで……だから、あんまり他の人に嘘なんて吐いて欲しくはないのよね。

 彼は、私のストレートな質問に、少し困ったような表情をしたわ。


「……いいえ、そんなことは……いやしかし、後悔先に立たず、と言いますし」

「なら、何の問題もないじゃない。それに、騙されたら、それって私がバカなだけだわ。後悔なんて、するわけないわよ」


 そう、私が後悔なんてするわけないの。どんな『イタい』ことも、辛いことも、全部私の経験。【あたし】の代わりに始めたまだ三年ばかりの全てを、私は精一杯に愛したいから。

 何時、終わっても良いように。


 私のそんな内心まで、彼は察さなかった。でも私の言の葉の表だけをなぞってから、その男の子はとても嬉しそうになったわ。


「はは。なるほど。……貴女は、賢い。とても、騙せない」


 そうして、彼はそう言ったの。何かを吹っ切ったかのような澄んだ笑顔を見せる青年は、ポケットに手を入れてから携帯電話――最新機種だったわ、ちょっと欲しいわね――を取り出して、操作し始めたわ。

 どうやら電話を掛けるみたい。空気を読んで、私は口を噤んだわ。


「もしもし。はい、森さん。作戦は中止、ということでお願いします。……ええ、それは勿論」


 だんまりの私に届いたのは端的な会話。聞いていて良いのかな、と思ったけれど、彼にはもうずっと何ら包み隠すものなど無いといった風に、私を優しい目で見つめていたわ。

 だからつい、通話の終わった直ぐ後に、その内容について聞いてしまったの。


「何? どうかしたの?」

「いえ。実は、僕の仲間が演技のためにスタンバイしていましてね。それを止めるようにと伝えておいたのです」

「……どういうことかしら」

「実は、貴女と接点を持つために、我々は貴女の善意を利用しようとしていたのです。まず僕が財布を失くしたフリをして会話をする。そうしてある程度の相互理解を図った後に、我々の一員が今見つけたという体で財布を僕に届け、貴女に偽りの喜びの共有を味わわせる。そうすることで僕、引いては我々に親近感を持たせる、その予定でした」

「……予定、どうして止めちゃったの?」

「まあ……要は三文芝居なんてつまらないものは止めた、ということですね」


 なるほど。大体、分かったわ。どうやら、この男の子と彼が所属する団体は私の力を察していて、近づくために暗躍していたみたい。

 面白いことをするものね。改めてよくよく彼に意識を向ければ、何となく力を感じたわ。更に広げていくと何となく、八方からも似たものを覚えたの。うーん、彼らは超能力者関連かしらね。あんまり、細かな違いまでは分からないのよ。

 まあ良いでしょう。どんな相手だろうと【涼宮ハルヒ】をやるだけ。私は、しらばっくれたわ。


「どっきりか何かだったの?」

「はい。そのようなものと理解して頂いて構いません。……危うく、僕は貴女程の人に、無駄な時間を過ごさせてしまうところでした。申し訳ありません」

「別に構わないわよ。何だか、珍しいことに関われたみたいだし」

「ありがとうございます。お礼、といってはなんですが、後でもっと珍しいもので、貴女を楽しませてみせましょう」


 そう言ってにこり、と柔らかな微笑みを彼は私に見せてくれたの。なんだか満面よりもちょっと綺麗過ぎる笑顔な気がするけれど、それでも喜色は確かに感じられるわね。

 楽しげな彼の次の言葉を、私はわくわくと待ったわ。


「そのためにもまず、後で謎の転校生として、貴女の元に参上しますから」


 謎の転校生、それを私の頭が咀嚼する。そうしたら、何だか既視感が襲ってきたの。

 超能力者、機関、SOS団最後の団員。駆け巡る、これからの記録。やがて、いやに整ったその顔に、私は一気に親近感を覚えたわ。


「あれ。もしかしてあなた、古泉くん?」


 だから、つい、私は零してしまったの。目の前の彼の正体を、そのまま口にしてしまったのよね。


 あ、やっちゃった。


「…………涼宮さんは、僕なんかよりもよっぽど謎な方ですね」


 ああ、もうそれどころではないのでしょう、笑顔の仮面は途端に壊れて思索に惑う表情になったわ。

 そして一瞬別人のように楽しそうに顔を歪ませてから、古泉くんは真剣に私に向き直り、宣言するかのように言ったの。


「貴女の謎、僕が何時か解いて差し上げます」


 対面に立つ古泉くんの背にあるのは闇と光の合間。黄昏の風景。美しきそれらから目を背けて、あえて不明な私に彼は向く。謎ばかりが、敏い少年の心を奪う。

 もし人の心までもがフラクタルなら、私の心は誰と似ているのかしら。かもしたら古泉くんならば、それを解して答えをくれるのかもしれない。


「そう……」


 でも、どうしてだかその通りになったらいいな、と私は言えなかった。



 フラクタル。人と、神。彼女と何?



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