第七話 牛さんと無表情レイヤー
「未来人」
「え? えっ? 長門さん?」
「捕まえておいた」
色々と衝撃を受けた、その翌日。今日はいい日になるだろうな、と何となく思っていたわ。だって、曇りがちだった昨日とは違って見上げた空は抜けるような晴天だった。
この時期は特にぽかぽかして、晴れ晴れな天気ってどこか愉快になっていわよねー。まさか、その愉快が上限突破することになるとは考えもしなかったけれど。
挨拶もそこそこに、先日まで確乎不動がトレードマークのようだった有希が、朝比奈さんを引き連れてこんな驚天動地な発言をするなんて、私は思わなかった。
私には朝比奈さんが顔色をさーっと青くさせていく様子がまざまざと分かったわ。ちょっと可哀想ね。どうしましょう?
「えっと。有希、急にどうしたの? 朝比奈さんを連れて、宇宙人っぽくアブダクションごっこ? でも朝比奈さんは牛さんじゃあ……うん、多分ないわよ?」
「あのう……ひょっとして涼宮さん、あたしの胸を見て、言い淀みました? もう、私、牛さんじゃないですよ~」
「そう。確かに一部が肥大化しているけれども、彼女は牛ではなく未来人」
「いや、朝比奈さんって、未来的な感じにはどうにも見えないけれど。……もっと牧歌的な生き物に思えてならないわ」
「だから牛さんから離れて下さい~。……いえ、未来人でもありませんけど!」
でも、涙目な朝比奈さんの前で、私は少しふざけてしまったわ。
でもね。袖を宇宙人パワーで引っ張られて逃げ出せなくなった朝比奈さんの足掻きが、バスケットボールみたいな胸元を大いに弾ませているのを間近で見てしまっては、それはもう彼女が同じ人間だとすら思えなくなるでしょう?
いったい何を食べたらこんなにおっきくなるのかしらね。秘訣は牧草や藁、かしら。でもそれはちょっとなあ。私、肉食なところもあるし。
と、そんな風にして、現実逃避に頭の中でまで朝比奈さんを弄っていると、有希は朝比奈さんを離さないまま、私にずいと近づいてきたわ。急な動きに朝比奈さん、ちょっとよろけたわね。危ない危ない。
何かしらと身構える私に、真っ直ぐ私を視ながら、有希は言ったわ。
「信じて」
「ゆ、有希?」
「……わたしは、貴女を信じている」
驚く私に、そうして彼女の口から殺し文句が紡ぎ出されたの。これでは、私に用意できる返事は一つしかなくなっちゃったわ。
信じて、と乞うのならば私は貴女を信じましょう。私が貴女を認めることを信じてくれているのなら、尚更ね。
友達の真剣は、なるべく受け止めたい。そんな考えを、嘘だったら怖いとか【涼宮ハルヒ】っぽくないとか何とかで、一々、翻してらんないわ。私の友情は、そんなみみっちいものじゃないの。
私を見つめる有希の視線は揺るがない。しかしそこに確かな意思が窺えたわ。全く、どうしてこんなに早めに情緒が身に付いてしまったのかしらね。嬉しいけれど、複雑な気分だわ。
「はぁ。そう言われちゃったら、仕方ないかー。もう……皆纏めて信じちゃおうじゃないの! 有希は宇宙人で、朝比奈さんは、未来人! 決定ね!」
「わわ……決定しちゃいました……」
そう。実際有希が宇宙人なことも、朝比奈さんが未来人なことも正しいのだし、これで良いわ。どうして今それを告白したかは分からないけれど。
けれども、内情を知らずにそう考えない人の方がきっと多いのは仕方がないでしょうね。朝に起きた珍事の私の強引な纏めを受けて、周囲にざわめきが走ったわ。
上級生まで引き連れた冗談みたいな寸劇を見せられたクラスメートは、遠慮なしに感想を語り合うわ。変なのが増えた、とかいうのも聞こえたわね。……覚えておきなさいよ、花瀬。
いや、でも私がここで口を出したら収まりが更につかならなくなりそうね。ちょっと、面倒だわ。
そう思い、取り敢えず平然としている有希とおどおどしている朝比奈さんを教室から連れ出そうとしたその時。ケラケラという笑い声が響いたの。
教室の反対の入り口を見たら、そこに彼女が居たわ。恐らくタイミングを図ってのことだったのでしょう、登場した鶴屋さんは笑顔で喋りだしたわ。
「いやー。朝イチに現れた長門ちゃんがみくるの袖を引っ張ってさ。どこに連れて行くのか分かんなかったけど、こんな面白事態に引き込むためだったとは思わなかったなっ。ハルにゃんのお友達は、刺激的な子が多いっさ!」
そうして再びケラケラ。不思議会話を面白事態に、変を刺激的にと優しく言い換えてくれた鶴屋さんの言葉に、周囲から理解の色が生まれていくのが分かるわ。
どうすればいいか分からないのは、いっそ楽しめばいいのだと見本を示してくれた上級生に、私は深く感謝した。……うーん、私じゃあ、この人には敵わないかもね。
そして、そんな潮目の変わりを理解してくれたのでしょう。近くで様子をみていたばかりのキョンくんが、ここで更に声をあげるように話しかけてくれたわ。
「涼宮。俺は、普通の人間だからな?」
「……それは、何となく分かるわ!」
「なんだ。分かってくれてるんなら、俺はいい」
私にはキョンくんの、お前らもそうだろう、という周囲に向けた言外の言葉が聞こえるようだった。
この【涼宮ハルヒ】はおかしいばかりではなく、会話も通じる。それを、己を手本として挺してくれたキョンくんの素晴らしさと言ったら、ないわね。
やり方が渋くて格好良いわ。惚れそう。いや、とっくに惚れていたわね。ちょっと、顔が赤くなるのが分かるわ。
「だな。俺も、キョンの言う通りに、涼宮がとち狂って私達は宇宙船地球号の船員なんだから皆宇宙人みたいなものね、とか言いだすことさえなけりゃそれでいい。そういうのが好きな奴同士、勝手にやってくれ」
「まあ僕もそうは思うけれど……しかし谷口、の涼宮さんのものまね、気色悪いくらいに似ていないね」
「お前、そこは、放って置いてくれよ!」
そうしたら、今度は遅れて谷口が乗ってくれた。それを茶化す国木田くんもどこか優しげに私を見ていたわ。
ああ、私って恵まれてる。【涼宮ハルヒ】をやらなくちゃと変に焦っていた以前の私、そして【あたし】に胸を張って言いたいわね。もっと、冷静になって周りを見てみなさいよ、いい人ばっかりだからって。
あ、何だかちょっと泣きそう。それを隠すためにも、私は有希の手を取ったわ。
「じゃ、ちょっと出てくるわね! 谷口は、私が帰ってくるまでしっかり場を温めておきなさい!」
「はぁ? ちょっと待て。このとっ散らかった場所で俺に何をしろってんだ!」
「いやー。涼宮さんの前座をやるなんて、大変だね、谷口」
「おお、聞いてるよっ。君もハルにゃんのお友達なんだってね。どんな面白を披露してくれるか楽しみだなっ!」
「やれやれ……」
私は、そんな会話を聞きながら、有希と朝比奈さんを連れて、廊下へと出ていったの。
ちなみに、後で知ったのだけれど、追い詰められた谷口は、わわわ忘れ物の歌のフルを披露したらしいわ。ダダ滑りだったみたいだけれど……うーん、ちょっと聞きたかったわね!
落ち着くためにも人気のない方へ。そればかりを基準にして選んだのは、屋上前の踊り場。私、前に仮入部した時に美術部の人たちが、そこを物置にしているって言ってたのを覚えていたのよね。
色々と置いても咎められないくらいなのだから、そう人は居ないでしょうと思っていたら、ビンゴ。人影の代わりにうっすらと埃に塗れた空間がそこにあったの。
私はそこにこの二人を連れるのはどうかな、と思いながらも一段飛ばしで階段を駆け上がったわ。あ、ちょっと速かったかしらね。有希はケロッとしてるけど、朝比奈さんは肩で息をしてるわ。
「あー……ごめんね、朝比奈さん。ちょっと急いでたからって気にせず駆け足で上がっちゃった」
「だ、大丈夫ですー……そ、それからあたしのことは、どうぞ、みくるちゃんとお呼び下さい」
「分かったわ。お言葉に甘えて、そうしようかしら……み、みくるちゃん?」
「はい」
「わ、何だか恥ずかしい……先輩を名前呼びなんて初めてだから、かしら? うわー」
朝比奈さ……いや彼女の望むように言うならみくるちゃん、かぁ。ま、まあ彼女の体調を気にしていたら、どうにも意外な攻撃が来てしまったわね。
よく考えたら、先輩どころか、友達が少ないせいで、そもそもファーストネームで人を呼ぶことなんて中々ないっていうのもあるわ。何だか、親しみを感じすぎてこっ恥ずかしいわね!
照れる私を見て、み……みくるちゃんは、うっとりしたわ。
「ふふ、涼宮さん、可愛い」
「にゃああぁー!」
「ユニーク」
可愛い、なんて親にしか言われていなくて慣れていないのに、こうも直球で……顔、ひょっとして真っ赤どころか発光すらしていないかしら? もう、熱がすっごいの。
いや、中学生時代に告白された際に言われた美辞麗句には、用法の間違いを注意する余裕すらあったくらいだったけれど、これは駄目。元々柔らかな瞳が細まって、受ける優しさが堪らない。
まさか、私なんかが可愛がられるなんて、思いもしなかったわ。あ、撫でても来たわ。気持ちいい……みくるちゃん、恐ろしい子ね!
「いい子いい子……あ」
「ん? 有希?」
そうして、危うくみくるちゃんの思うがままにされるところだったのだけれど、私は袖から受けた感触にて自失から逃れることが出来たわ。
私もみくるちゃんも、そっちを向く。案の定、袖元を握っていたのは、有希だったわ。彼女は言ったの。
「……寂しい」
有希はひたすらに、私をじっと、見つめていた。
「有希っ!」
私は、それを聞いて、自然と体を動かしてしまったわ。無遠慮にも、勝手にも、私は私で彼女を包み込む。でも、きっとこれでいい。そう、信じるわ。
だって、三才の子供がつまらなそうに手を引いて、それを抱かない親なんて、居るもんかっての! 私はこの子のためにお腹を痛めたことは無いけれど、きっと負けないくらいに愛していると思うわ。だから、こんなの当然。
「…………」
やっぱり、温かい。生きている。有希は宇宙人であっても、それでも私の友達なの。その両方を確りと認めなければ、ね。
抱擁をゆっくり解いて、私は有希の前に改めて立つ。
「どうして宇宙人とか言い出したのか、気になっていたけれど、そういうことだったのね……私の気を、引きたかったんでしょう?」
「……そう」
「長門さん……」
有希の微かな頷きに、やっぱり、と私は思う。きっとベタベタ触れだした私を切っ掛けに起きた小さな情緒の芽生え。心の産声は、きっと温もり求めるものなのよ。
存在を知って三年も放置しておいて今更触れるというのはやっぱり残酷ですらあったのかもしれない。けれど、せっかく有希だって人間のようにして生きているのだから、伸び伸びと生きて欲しい。
私は精一杯の笑顔で、彼女の成長を望むわ。有希はそんな私を視て、黒曜石のような瞳に存分に容れてくれた。
「貴女が何だろうと、私は貴女の友達だからね。……そうそう離れてあげないわよ?」
「……分かった」
有希が首を縦に振る動作は、見逃してしまいそうになるくらいに小さい。けれども、それは確かに行われたことなの。夢幻ではなく、彼女は確かにそこに居る。
なら、手をつないでみるのも悪くはないでしょう?
再びそっと繋がれた私達の手のひらを、みくるちゃんは、笑顔で認めてた。その柔らかさを眼鏡越しにそっと見つめて、有希は謝ったわ。
「貴女を巻き込んでしまって、申し訳ないと思っている」
「いえ、全然気にしないでください! これくらい、へっちゃらです」
「ありがと、み、みくるちゃん」
「はい!」
正体を勝手にバラした有希も、名前を言い損なった失礼な私も、纏めて許してくれるみくるちゃん。
ああ、未来はこんな子ばかりなのかしら。だとしたら、きっと人類の将来は明るいわね。私が内心、老後に安心感を覚えていると、直ぐ先の始業を知らせる音が鳴って、思わず呟いたわ。
「あら、チャイムね」
「わわ、急がないといけません!」
慌てて先立つみくるちゃん。まあ、きっと入学したての私達より無遅刻記録は長いだろうから、それに必死になるのは当然よね。
私は有希の手を引いて、みくるちゃんに続こうとしたわ。そうしたら、彼女の薄い唇が僅かに動いて、言ったの。
「……後で超能力者も見つけてくる」
なるほど、まだ有希ったら仲介を諦めていないのね。そんなに私の役に立ちたいのかしら。まるで、褒めて欲しいと親の後を付ける子供みたい。
……そう考えると、ちょっと可愛いかもしれないわね。
そして、ふと思ったことを私は聞いてみたわ。
「……異世界人は?」
「そちらも心当たりが、ないわけでもない」
「……そっちは別に、急がなくてもいいわ」
ああ、やっぱりどこかに居たのね異世界人。けれど、その彼(彼女?)までも容れるキャパは私にはないわ。だから、ちょっと後回し。一年くらいは、遅れてくれないかな、と願わなくもないわ。
私は呆れ顔を禁じてから再び、有希と共に階段を行こうとしたの。
「そう」
そうして、三度の頷きはとても深かった。当たり前のように、彼女は人のように動いた。そのことに、私ははっとする。
私には、有希の無表情レイヤーの後ろに、確かな微笑みが見えたような気がした。
重ねて重ねて不確かに。果たして、彼女のレイヤーは幾つ?
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