第125話 急性大動脈解離3

 基本的に午前中は診療を行い、午後からは講義の準備をする日々が続いた。学校となる建物はまだ出来上がっていないけど、医者になるべくして選ばれた治癒師たち十五名が挨拶にきたりなど忙しくなってきている。最初の講義は二週間後に領主館の部屋を借りて行う予定となっていた。僕が準備を続けている間に、レナは魔法隊の訓練に行くことが多い。


「まずは十五人からだって」

「私の魔法隊よりも少ないわね」

「仕方ないよ、若い治癒師に限定したのだから」

「あら、カジャルも加わっているって聞いているわ」


 カジャルさんはユグドラシル領、領主館付きの筆頭治癒師の権限をフル活用して僕の開く学校に入ることにしたらしい。ランスター領主の言う通りになったというべきか、あの年でまだ学びたいというのはすごいことだと思うべきか、どちらにせよちょっとやりにくい。


「まあ、生徒になったとしたら別に優遇したりするつもりはないのだけども」

「彼もそんな事は望んでいなさそうね」


 若い時は勉強なんて嫌いだったけど、大人になって本気でやりたい事ができると急に勉強しだす人というのはいて、やる気が十分だからものすごく優秀になったりする。もしかしたら生徒の中でカジャルさんが一番はやく医学知識を身に着けるかもしれない。


「とにかく、教える側の僕らも頑張らなきゃね」

「私もそろそろ魔法隊の訓練の時間だから出るわね。スコルが復帰したから、また訓練の内容を考え直さなきゃならないのよ」


 現代日本で医学を学んでいた時は、本当に長い時間をかけた。こっちの世界ではめったにみない病気というのもあるだろうし、魔力に関することは現代日本では全くなかった。そういった違いを修正しながら、教えなければならない。それに学校が始まる前に僕はやらなければならない事があると思っている。


「それで俺が呼ばれたんですか?」

「そうだよ、ローガン。君は僕の一番弟子として、これから設立される学校の中では実質最高学年だ。つまり筆頭でいる必要があるんだよ」

「ちょ、俺はまだ十二歳なんだけど」

「年は関係ないよ。もうすでに僕の所にきて一年以上は医学を学んでいるしね」


 そういえば僕らがユグドラシルに来てからいつの間にか一年以上が経ってしまっている。その間にいろいろあったけど、ローガンを弟子にしたことはもっとも大きなイベントの一つだった。


「すでにローガンには解剖を始めとして臓器の仕組みだとか、主な病気の事だとかを教えてある。まだまだ学ばなければならない事は多いけど、今から勉強する治癒師たちに比べると随分と先に進んでいるんだ」

「まあ、そうだろうけど」

「だけど、きちんと計画した講義という形で教えたわけじゃないから、知識に偏りがあるかもしれない」

「……それで?」

「僕の講義の練習もかねて、ローガンにの勉強をみてあげよう」

「……嬉しいんだけど、……嬉しいのか? これ以上きつくなるってこと?」

「大丈夫。死なない程度にはなんとかするよ」


 勉強のし過ぎで死んでしまった人っていうのは今の所は見たことない。たぶん大丈夫だろう。それに将来のことを考えるとローガンに知識の全てを伝えるというのは必要なことだし、講義の練習としてはとてもいい。


「もちろん、他の人も一緒に聞いててもいい。だけど、ローガンは全部出席すること」

「はい。わかりました」


 ローガンが降参したかのように肩を落とす。これから医学を学ぶ人からすればとても贅沢なことだというのは分かっているのだろうか。とは言っても僕がローガンの年には勉強なんてできるだけ逃げたいと思って生きていたのは事実だから責める気にはなれない。


「よし、さっそく解剖の復習から始めよう」




 ***




「講義だけでは分からないことも多いから、実地訓練というか実習というか、そういうのも必要だね」

「さすがに講義だけというのは飽きてきたよ」


 ローガンを教え始めて数日が経つとすでに教科書での座学というのに飽きが来てしまっていた。現在は人体の解剖と臓器の機能を中心に講義をしているのだけども、実物を見ていない状態で解剖をすると言うのは確かに分かりにくい。しかし、実物を見せるわけにはいかないからどうしようか。処刑された犯罪者とかを使うというのも抵抗があるし、かと言ってまったくやらずに治療現場に放り込むのも難しい。

 ローガンはすでに僕の手術に何度も入っているために実物を見たことはある。しかし、系統立てて解剖を勉強し、それを確認するために人体を見ていたわけではないからうろ覚えの所も多い。次回の手術の時はしっかりみておくとしても、主要な臓器の配置などをゆっくり時間をかけて確認させなければならなかった。


「よし、人を使って教えるのはさすがに問題が多いから、オーガを狩りに行くよ」

「先生、考えることがベルホルトみたい」

「つまりは何も考えずに行動するようになったと言いたいわけかい?……ふふふ」

「いや、あの、ごめんなさい」


 くそう、ローガンにあまり言って欲しくないことを言われてしまった。よりにもよってベルホルトみたいだとは。しかし、ここは行動あるのみだろうと思っている。


「それでも気分転換を兼ねて行くことにしよう。ずっと頭の中で考え続けていても効率が悪いしね」

「え、ちょっと。本当に行くんですか? 俺たちだけで?」


 ガサゴソと準備を始めた僕にローガンが言う。たしかに今日はレナも魔法隊の練習につきあって出て行っているし、ノイマンたちのパーティーも何か他の依頼に出かけていたはずだった。


「冒険者ギルドで誰かに頼もうか。最悪はジャックとシグルドを連れていけばオーガくらいはなんとかなるだろうよ」

「依頼料は?」

「う……」


 そう言われてみればここ最近は学校の開設前ということもあっていろんな教材になるものや薬剤を買ったりしたためにあまりお金がない。学校設立資金は領地から出ているとはいえ、診療所の経営はあくまでも診療所としてやっているのだ。ギルドから領直轄になったとしてもそこまで資金が潤沢にあるわけじゃなかった。


「そうだ。魔法隊の訓練に組み込んでしまおう。ついでに各臓器から薬剤も抽出すれば一石二鳥どころか一石三鳥くらいあるに違いない」

「先生、魔法隊にはとことん厳しいよね……。まあ、いいけど」

「そうと決まればレナの所に行くよ」


 こうして解剖学および薬剤抽出実習という名目で魔法隊の恒例行事ができあがったのだった。これは後々何年も続いていくことになる。




 ***




転移テレポート!」


 アルカのサポートのために宮廷魔導士と定期的に会うことになっていた。王都からユグドラシル領までの距離というのはかなり遠いが、転移テレポートがあれば時間を短縮することができる。何度か往復したことのある場所であり、転移テレポートを唱える魔導士も慣れたものだった。


「では、アルカ様」

「ええ、ご苦労様。私が転移テレポートを使えればよかったのだけども」

「まだ魔力量の関係から無理は禁物です。それに私が使うことで、貴方の魔力温存にもなりますから」


 初老の魔導士はアルカの師匠とでも言うべき存在だった。この国の中で転移テレポートを使うことのできる魔法使いというのはほんの一握りであるが、彼のように年をとり戦闘には参加しずらいものがほとんどである。


「今はあの魔物の対策が先だ」

「そうね。私たちが先回りしたわけだから、迎え撃つことはできるわ」


 アルカが世界樹を見上げながら言った。初老の魔導士は宿で休憩をしたのちに、明日にも王都に帰ると言っている。一週間後に定期連絡のために転移テレポートでユグドラシルまでやってくる計画だった。本当に助かる。


「レグスがあれだけ手こずる敵っていうのは初めてね」

「ああ、この勇者の鎧がなければどうなっていたのかと思うと、まだまだ精進が足りないと思う」

「どちらでもいいですが、早く宿をとって飯にしませんかね? 回復魔法を受けると何故か腹が減るんですわ」

「シュトレイン、お前は回復魔法を受けてなくてもすぐに腹が減るだろう?」


 あの攻撃でなすすべもなく吹き飛ばされたシュトレインは飄々としている。精神的な強さというのも彼の良いところだった。


「俺は診療所に顔を出してくる。状況の説明もするつもりだ」

「ベルホルト。前回のことを謝罪させてもらえるならば、俺たちも診療所に行くよ」

「それも聞いて来る。シュージは頑固だが、基本的に悪いやつではないから話せば分かってくれるはずだ」


 仲間の中であの魔物を一番危険視したのはベルホルトだった。今まではそんな事を言ったことはなかったが、慎重に行くべきだと繰り返してくる。

 おそらくベルホルトはこの戦いが終わればまた診療所にもどるのだろう。せっかく仲間の成長を感じたところだったが、非常に惜しい気持ちがレグスにはあった。


「次は負けない」


 攻撃が辺りさえすれば、あの魔物であろうとも切ることができる。レグスは勇者の剣の柄に手を置き、頭の中で魔物を切るイメージを沸かせながらシュトレインとアルカの後について行く。



 あの人型の竜のような魔物を切る。考えていることはそれだけだった。

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