第106話 腸腰筋膿瘍2

 西方都市レーヴァンテインから馬車で数日の距離にその森はあった。あまり規模が大きいとは言えない森だけど、周辺に何もないことと、東には山脈があることからここを訪れる人間は極端に少ない。

 山脈を越えると王都が近いのだけれども、王都からここに来ようと思うと山脈を大きく迂回するルートを通ってくる者がほとんどだった。


「村の産業なんてほとんどないような場所だし、魔物はそこそこ強いしで人口はあんまり増えないって言ってた」

「それでも十分豊かに過ごしてたんでしょ?」

「そう。ばば様が中心となって農作物の管理と森から採取できるものと、あとはそれの作業中の防衛なんかをする人たちを組織してね」


 村が一つの集団として動いていたと言ってもいい。だから、僕一人くらいは十分に養うことができたし、僕にもすぐに仕事があてがわれた。ある意味他の都市の為政者なんかよりもよっぽどうまく村を統治していたのがばば様で、村長はそんなばば様に敬意を払っていた。


「たしかに僕にとって、こっちの母親と言ってもいいかもしれないね。ばば様だけど」

「やっぱりきちんとご挨拶しなきゃ」


 そんなかしこまらなくてもいいんだよと言うけど、なぜかレナは自分の世界に入り込んでいるのか僕の言うことを聞いてくれない。


 村が近くなるにつれて森が深くなる。道はきちんと整備されているし、迷うことはないのだけれども歩きやすいとは言い難い。鬱蒼と生い茂る樹々の中を進むことができているのは村の人間たちが設置した道標のおかげである。単なる石が積みあがったものであるそれは、一見すると道標なのかどうかは分からないけど、村に住んだことがある僕にははっきりとどっちの方角へ行けばよいのかが分かるようになっていた。定期的に村の外へ向かう人間が道標の周辺の草を刈って埋もれないようにしているのだ。


「こういうところをきちんとしている村なんだよ。だから、ものすごい住みやすかった」

「シュージはここに戻ってきたいと思ったことはないの?」

「僕のやりたい事はいま、ユグドラシルの町でしかできないから」


 世界樹の雫の中に含まれている抗菌薬の成分。あれがなければ現代医学、特に手術というのは行うことができない。どれだけ清潔に保ったとしても空気中の細菌を全て取り除くことはできないし、身体にメスを入れるということ自体が免疫力の低下をきたす。もともとの生命力が強い人であればなんとかなっても、老人などの弱い人の手術を安全に行うためには抗菌薬が必要だった。


 いつか、この世界のどこでも抗菌薬を使うことができるようになれば、僕はどこででも医者として生きていくことができる。僕の目標の一つがそれだった。もし、ユグドラシルの町以外で抗菌薬を手に入れる方法があればまたこの村に帰ってくるのもいい。しかし、おそらくはそうはならないだろう。


「それにね、僕はもうローガンの先生になったんだよ」

「そうね。彼を放っておくわけにはいかないわね」

「それにレナもかなり頑張ってくれているし、僕は他の人にもどんどんと医学を伝えなきゃならないんだ」


 それが僕のやるべき事だと、あの村で悟った。だから、あの村に帰り住むことはもうないだろう。こうやってたまに里帰りするのがちょうどいい。


「さあ、見えてきたよ」


 僕が指さす方向には本当に小さな村があった。整備の行き届いた村の防護柵は以前のままである。柵の周囲に生えていた樹は全て切り倒したとばば様が言っていた。だから、村の周囲は開けていて良く見通せる。村からも僕がが歩いて来るのが見えているだろう。


「ミヤギ、久しぶりだな」

「お久しぶりです」


 門番をしていた人間は僕を見て手を振ってくれた。僕もそれをみて手を振り返す。その声を聞いて数人が家から出てくるのがわかった。どれも知った顔であり、お世話になった人たちだ。


「たまたま近くを通ったもので、当面は他に用事もないし数日間お世話になろうかと」


 さみしくなったから顔を見に来たなんて恥ずかしいことは言えないとレナには言ってある。冒険者として近くまで来たからついでに寄ったということにしてもらったのだ。

 それでも何人かにはばれているかもしれない。挨拶を交わしながら門をくぐると、懐かしい顔が見えた。


「ステイン、久しぶり。身体の調子は悪くないかい?」

「お陰様でばば様にこき使われているよ」


 恩人は笑いながらそう言った。さりげなくばば様が元気であることを伝えてくれる優しさも変わっていなかった。




 ***




「嫁か?」

「冒険者の仲間です。まあ、相棒ですね」

「嫁なのだな」

「いや、ですから違います」


 あいかわらず元気いっぱいだったばば様はいきなり勘違いをかましている。そんな僕みたいなおっさんの嫁といわれたらレナが嫌がるだろうに。ちなみに後で謝っておいたのだけれども、よほど嫌だったのか無言で背中を蹴られた。痛かった。


「それでばば様、せっかくこの村に帰ってきたのだし、村のことを手伝いつつも教えて欲しいことがあってですね」

「なんじゃ、子作りのことか?」

「いえ、違いますよ。製薬魔法のことです」


 僕は治癒魔法の他に製薬魔法と鑑定魔法、そして心眼を使うことができる。ほかの黒魔術と言われる攻撃魔法はほとんど適正がなかったのか、ちょっとした火をつけたりお湯を出したりくらいしかできない。水を操る魔法が使えたら医療魔法に応用できたのだけど、まだ実用できる段階にはきていない。


 そしてばば様は治癒魔法の使い手ではあったのだけども、もっと得意なのが製薬魔法だった。ばば様がさまざまな薬草を材料に薬を製薬していくのを見て、僕はこの世界でも薬が手に入り治療を行うことができると確信したのだ。

 しかし、西方都市レーヴァンテインでも、ユグドラシルの町でも、ばば様ほどの精度をもった製薬魔法を見たことはなかった。ほとんどの薬師が魔力を回復させたり自己治癒力を向上させるポーションを作るだけで特定の成分を抽出させる魔法を使っているのをみるのはかなりまれだったのである。それはもちろんこの世界に医学がなく、薬の材料を製薬するという文化が浸透していないのが原因だった。

 ばば様はこの村でほとんど一人で医者と薬剤師と看護師と保健士の役割を担っている。そのために伝統的な薬の知識というのも持っていた。ただし、それはこの村の周辺で採れる材料に限ってのことではあるけど。


「できたらばば様の持っている薬の知識を本にさせてほしいんです」

「本にじゃと? わしの弟子になるというのか?」

「ほとんど弟子のようなものだったじゃないですか」

「お主、数か月でおらんくなったじゃろう」

「その節はお世話になりました」


 口では文句を言いつつ、ばば様の顔は笑っていた。そしてやっぱり僕が薬の知識を本にするのを了承してくれたのだ。だから、この村に数日滞在して僕は薬の本を仕上げたいと思う。おそらくはばば様が持っている薬の知識は数百種類に及ぶ。一日に数種類ずつ書くとしても数日では終わらないから、レナには何度か連れてきてもらう必要があるかもしれない。


「ねえ、薬のことを聞くのならローガンを連れてきた方が良かったんじゃないの?」

「うん、最初はそう思ったんだけどね。僕の持っている知識とばば様の持っている薬の知識はちょっと違うんだ」


 ばば様のは経験則からくる薬である。現代日本で言えば漢方などがこれにあたる。対して僕の知識のほとんどは西洋医学であり、薬効成分と作用部位の理論から成り立つのだ。


 例えば熱が出た時に、僕ならば熱の原因を探りその病気に対して適切な薬を処方する。しかし、ばば様の薬は複数の成分が含まれた薬で熱という症状にたいして毎回同じものを使うということになるだろう。


 つまり、ばば様は鑑定魔法なんて使っていない。いままで先人が培ってきた民間療法を受け継いでいるに過ぎないのである。それはそれで医学だけれども、僕はそれをローガンに教えるのはまだ早いと思っていた。


「考え方が混ざってしまうのはよくないんだ。師匠が何人もいればそれでいいというわけではないんだよ」

「ふーん、そういうものなのね。たしかに魔法もそんな感じだわ」

「レナにも魔法の師匠がいるの?」

「ええ、私は母に習ったもの」


 レナはハーフエルフだから、両親のどちらかがエルフなんだろうな。たぶん、魔法を習ったってことは母親がエルフなんだろうか。


「よし、ミヤギよ。とりあえずは明日、ステインとともに薬草を採りに行くがよい。村の備蓄を増やすついでに教えてやろう」



 こうして僕らは薬の採取を始めることになった。その頃、ユグドラシルの町であんな大変なことが起こっているとも知らずに。

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