第107話 腸腰筋膿瘍3

「これはシュージが帰ってくるのを待とう。私ではどうすることもできないと思う」

「そんな、領主館専属のカジャル様がどうすることもできないなんて」

「私は治癒師だ。医者ではないというのはわきまえている。安心しなさい。シュージは数日で帰ってくるだろうから、それまで毎日通いなさい。回復ヒールをかけつづけよう」


 患者が寝ているベッドの傍らで、カジャルは回復ヒールをかけた。後ろを振り返るが、ローガンは首を横に振る。


「ううん、なくなってないよ。それが何かは分からないけど」

「その年で心眼を使うことができるとは、末恐ろしいな」

「たいして使えてないよ。ぼんやりとしか見えない。それに心眼だけじゃだめなんだ」

「ああ、そうだな」


 患者の腰から手を離したカジャルは自身のふがいなさにため息をつく。これまで回復ヒールの研鑽はつんできており、シュージよりも精度の高い魔法が使える自負はあるが、患者を治すという意味であの若者には及ばない。


「気に入らないな」


 そんな時に診察室の奥から声がした。その声に対してカジャルは不機嫌な顔を隠そうともせずに言う。


「診察中に入ってくるな」

「まあまあ、そんな硬くならず」


 男は白のローブに身を包み、他者を馬鹿にしているかのような表情でカジャルを見た。


「私の回復ヒールが未熟なのではないかと疑っているのだろう?」

「あ、分かる?」


 そういうと男は患者に近づく。


「ちょっとごめんよ」


 そしてさきほどカジャルが回復ヒールをかけてした腰に手を当て、唱えた。


高回復ハイヒール


 明らかにカジャルのそれよりも高出力の魔力が込められた回復ヒールである。あれは単なる回復ヒールなのに、高回復ハイヒールだと自称しているんだとシュージが言っていたのをローガンは思い出した。

 しかし、そういった先入観を全て抜いたとしても今までローガンが見たこともない質力の回復ヒールだった。


「どう?」

「あ、さきほどよりも良くなりました……」

「ほらね?」


 ローガンはつたない心眼で患者の腰を注視する。たしかに先ほどまでぼんやりとそこにあった何かは少し小さくなっていた。だが……。


「だめだ、小さくはなったけどなくなってない」

「チッ。呪いか」


 あからさまな舌打ちをして、その男は不愉快そうに診察室から出ていった。呪いという言葉に患者がおびえた表情をするが、それでもシュージなら大丈夫だと言い、一人では歩くこともできない患者がサーシャとマインに付き添われて外に出ていったのを確認してから、カジャルがつぶやく。


「あんな男がな……」

「なんか、先生が気に入らないって言ってたのがよく分かるよ」

「シュージはあいつと知り合いなのか?」

「いや、会ったことはないって言ってたよ。でも、あの二つ名が気に入らないんだって」

「そうか。まあ、分からないでもない」


 その男、「神の癒し手」と呼ばれる治癒師ベルホルト=ロハスはユグドラシルの町に来てすぐにこの診療所の噂を聞きつけて乗り込んできたのだった。




 ***




 森の中で採取をしていると、昔を思い出す。あの頃は生きていくのに精一杯で、しかしそれが充実感に結び付くという状況だったけど、今はなつかしさで一杯だった。もちろんここは僕の故郷ではないけど、帰ってきたという感じがする。


「でもシュージにしては珍しいわよね。逃げる、だなんて」

「そうでもないよ。僕は僕がしたくないことから逃げたからこそここにいるようなものだし」

「過去の話って、あまりしたがらないよね」

「実は僕はこことは別の他の世界で医者をやっててね……」

「またそうやってはぐらかす」


 どうしてもやらなければならない事っていうのはある。僕だってこの村やユグドラシルの町、レーヴァンテインの人々の危機だというのなら喜んで駆けつけよう。でも、そうではなく、誰か僕にとってどうでもいい人の心を満たすためだけに頑張るなんていうのはごめんだ。特に僕があまりよく思っていない人ならばなおさらである。


「あのパーティーの魔法使い、アルマ=スティングレイと確執ってのがあったのは分かったけど、治癒師ベルホルト=ロハスも嫌いだったのね?」

「うん、神の癒し手とか名乗っている時点でおこがましいし、高回復ハイヒールとかもう、僕には合わない」

「シュージらしいと言えばらしいわ」


 レナが笑ってそう言った。

 別に僕の方が彼よりも優秀だと言うつもりはないのだ。おそらく彼の回復ヒールは僕のそれよりもかなり魔力が込められ、治癒力も桁が違うのだろう。今まで勇者パーティーのいくつもの危機をそれで乗り越えてきたに違いない。だから尊敬しないわけではない。だけども、それはそれ、これはこれ。出会ってしまったらきっと嫌な思いをすると僕は確信しているから近づかないのだ。


「数日すぎれば彼らも王都に帰るだろうよ。そんなに暇じゃないだろうし、今の王都はちょっと大変だからね」

「それまではここで休暇ってわけね」

「おーい、お二人さん! こっちに美味いキノコが生えてるぞ!」

「おっ、今日はキノコ鍋かな? ステインの料理は美味いんだ」

「それは楽しみね」


 僕はここでの休暇を数日伸ばせたらいいなと思っていた。その場合にはレナに転移テレポートでユグドラシルの町へ送ってもらい、カジャルさんもしくはウージュあたりに診療所を任せる延長と、僕でなくてはならない患者が来ていないかどうかを確認する必要があるのだけども。




 ***




「俺はここに残るよ。そのシュージとかいう治癒師が戻ってくるのを待つ」

「シュージ先生は治癒師ではないです。医者ですよ」

「うるさいガキだなぁ」


 ローガンに対してしっしと手を振ったベルホルトは、サーシャの制止も聞かずに休憩室へと入っていった。その傍若無人な振る舞いに一同は呆れかえるしかない。シュージが不在の時には医学書はローガンの家に持って帰ってよいことになっている。あいつに読まれなくて本当に良かったとローガンはそっと拳を握りしめた。


「どちらにせよ、あの腰の痛みがある患者はシュージでなければ対処しようがない」

「世界樹の雫が効けばいいんだけどね」

「だが、診断もせずに飲ませて副作用というやつが出れば我々ではどうすることもできない」


 診療所を開ける際に、シュージは薬の使用を厳禁とした。間違った診断に対して間違った処方を行った際の対処法など、ローガンはおろかレナにだって分からないはずだという判断からだった。だからこそ、いつも診療所を手伝ってくれるミリヤやローガンに任せるのではなくカジャルやウージュといった診療所の経験をしたことのある治癒師に頼むようにしているのである。


「でも、先生……嫌な顔するだろうなぁ」

「まあ、我々に面倒事を押し付けて里帰りなどしているからあまり同情はしないな」

「カジャル様も結構、人が悪いんですね」

「……ふん」



 こうしてシュージが帰ってくるまで「神の癒し手」ベルホルト=ロハスは診療所に居つくこととなり、必然的に勇者パーティーのユグドラシル滞在は長引くこととなった。

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