第69話 仮性脾動脈瘤4
「えっと、シルク……さんはなんでここに……来てるのかなぁ……なんて?」
王都冒険者ギルドの酒場の床に正座させられているのはジャックという名前のSランク魔法使いである。普段はこんな事は絶対にしないほどの凄腕であり、王都の冒険者ギルドの中でも一目置かれる存在のはずだった。だが、周囲の冒険者たちが見た事もないようなジャックがそこにはいた。
「何度も何度も帰ってこいって言っても帰らずに、何をしているのかと聞いています」
「いや、あの……まだシグルドがBランクのままだし、俺もまだ強くなった自覚がなく……あれ? シグルドどこ行った?」
「Sランクになってるって、こちらのギルドの方にお聞きしましたが? その上のランクでも目指しているのかしら?」
「えっと、いや、そうじゃなくて……」
「それでどうしたいのですか?」
「あの……敬語をやめてもらっていいですか?」
ジャックを詰問しているのはもちろんシルクである。その後ろにはやや控えめではあるがアレンが立っていた。その様子を少し離れたところからレナとノイマンとミリヤは眺めている。
「あれは完全に尻に敷かれているわね」
「……それが原因で王都にまで逃げてたんじゃねえのか?」
「あり得るかもしれませんね」
好き勝手言っている三人には気づきもせずに、シルクはジャックの説教を始めた。やはり、ロンだけではなくシルクを始めとした他のギルド職員も限界が近かったのかもしれない。
「いや、シグルドをこのままにしておくわけにはいかないんだ。分かってくれ」
「シグルドが何だって言うのよ。私は貴方とユグドラシル冒険者ギルドの話をしているのよ」
「ちょ、シルクさん」
周囲の冒険者たちはこの惨劇に対してドン引きである。中には浮気でもバレたのかというコメントをする者まで出てくる始末である。あのジャックも男だったかとまで言い出す者が出始めたが、ジャックはそちらを睨みつける余裕すらない。
「だいたい王都に行きたいっていうあんたを放っておくわけにはいかないからシグルドがついて行ったんじゃない。一緒に帰ってくるのに何の不都合があるっていうのよ」
「いや、それが俺にもよくわから……」
「荷物をまとめなさい」
反論を許さない勢いでシルクがいった。ジャックの表情を見ていれば断ることなどできそうにもない。
「魔力回復まで時間がかかるから、
「レナさん、どうなることかと思ったけど貴方が
レナの手をとって感謝を伝えるシルク。ちなみにジャックの返事は聞いていない。これで激務から少しは逃れられるという事を喜んでいる。
「うむ、これでユグドラシル冒険者ギルドもなんとかなるだろう」
「えっと、アレン様までやってきてるというのはどうしてでしょうか」
「ロンが倒れたのだ」
「えっ!? 親父が!?」
かなり誇張していうアレンの表現にジャックは驚きを隠せない。ノイマンなどは「あれは倒れたというか倒されたに近い」と思っているが余計なことは言わない方針としているらしい。
「いや、それなら帰らなきゃならんのかな」
「ならんのだ」
「でも、シグルドがどう言うか……それよりもシグルドはどこに行ったんだ?」
ジャックが気付いた時にはシグルドの姿は消えていた。明らかに体調が悪く回復魔法を使っても完治しない腹痛に苦しめられていたはずなのである。もっと腕のいい治癒師に診てもらったほうがいいだろうし、薬も買わなければならないとジャックは焦っていた。
「どこに行こうとしているのよ」
「シグルドを探してくるんだよ。あいつ、この数日はかなり体調が悪くて依頼を受けている最中も大変だったんだ。もしかしたら……呪いかもしれない」
深刻な表情でジャックはシルクに訴えた。シルクにとってもシグルドは昔のパーティー仲間である。そんな人間を放っておいてジャックだけ連れて帰るなんてことはしないと信じているが、ユグドラシルでも大変だというのはジャックにも理解できた。どうすれば良いのか、いい案が浮かばないがここはユグドラシルに帰るのは少し待ってもらってシグルドをどうにかしなければとジャックは考え始めている。
「それはちょうどいいわね」
「え? 何がちょうどいいって?」
「ノイマン! ミリヤ! シグルドを捕獲してきて!」
「シルクさん、俺たちはシグルドさんの顔を知らないですよ」
「あら、そうだったわね」
自分を無視しながら話を進めるシルクに、ジャックはだんだん腹が立ってきた。シグルドが心配ではないのかと。
「おい、シルク!」
しかし、そんなジャックの手を引っ張った人間がいる。
「ちょっと教えて。そのシグルドって人はどんな風にどこを痛がっていたって?」
***
「もしかしたら膵炎かもしれないわね」
「スイエン?」
「ずっとお酒を飲み続けていたんでしょう? それで度重なる
「君は、……何者なんだ?」
レナという人物を連れ立ってジャックはシグルドを探しに行くことにした。なぜかアレンもついてくるのだが、ジャックはシグルドの呪いをおかしな名前で呼ぶこの人物がどうしても理解できなかった。
「すぐにどうなるってわけじゃないと思うけど、早めにシュージに診せた方がいいわね」
「まあ、どちらにせよ早めにシュージに診せれば判断してくれるだろう」
「ふふ、ようやくアレンも理解してきたわね」
「あれだけの技術だ。もはや次元が違うということだけ理解していればいいと私は判断した」
「違うわ。医学は学問なのよ」
二人の会話の意味が理解できない。しかし、何か急がなければならないのではないかという事だけは分かった。
「と、とりあえずは俺たちが泊まっている宿に向かおう。荷物も置いてあるままだし、宿の主人に言伝を頼んだほうがいい」
「ええ、そうね」
二人を連れて宿へと急いだ。こんな嫌な予感というのはジャックにとっては久しぶりの事だった。シグルドにはもう会えないのではないかという、根拠のない漠然とした不安感がジャックを襲う。
「ジャックさん、シグルドさんがこれを渡しておいてくれって」
宿にはいるなり主人に声をかけられた。ジャックの顔は蒼白だった。こんな時に嫌な予感が必ず当たるのがジャックという人間だった。
「なんだって……」
手渡されたのは手紙である。シルクが迎えにきたためにユグドラシルに帰った方がいいという内容と、もう自分には関わらないでほしいと書かれていた。
「あの馬鹿……」
「それで? 探すの? 探さないの?」
「後味悪いから探すに決まっている。そうだな、ジャック?」
「もちろん、後味とか関係ないですが探しますよ!」
ジャックは被っていた黒色の帽子をかぶりなおした。そのしぐさがロンに似ているとレナは思った。
***
町を赤い影が横切ったのは昼過ぎのことだった。
「あれは……」
よりにもよって、こんな日に出てこなくてもいいのではないかと思うそれは、僕も見たことのないものだった。
「町の上を旋回しているのか?」
「ロンさん、まだ緊急事態と決まったわけではないからベッドから出てくるのは……」
「何を言っている。アレのどこが緊急事態以外の案件だ」
反論の余地がなくロンが病室を飛び出した。後ろにはアマンダ婆さんもついていく。僕はそれを止めようかとも思ったけど、止めるべきではないのだろうと最終的には判断した。
「レナもアレンたちもいないこの日に限って……そういえばシルクさんもいないはずだよな」
冒険者ギルドは大混乱だろう。あんなのが町の上を飛んでいるなんて、どうすればいいのか分からないに違いない。
「サーシャさん、僕も行くのであとはお願いします」
「分かりました」
サーシャに診療所とローガンたちを任せて僕は装備を整えてすぐに診療所を出た。とりあえず目指すのは隣の冒険者ギルドである。
ギルドの中ではすでに対策会議が開かれようとしていた。ギルドマスターであるロンが仕切って居合わせた高ランクパーティーの中で対空手段を持っている冒険者たちを選別していく。
「いつまでも話し合っているわけにはいかない。城壁に登る組と住民たちの避難誘導および護衛の組に分かれてくれ」
ユグドラシルの町はそこまで高い建物はない。城壁がもっとも高いのであるために攻撃手段をもっている冒険者たちは城壁へと向かうことになったようだ。
ヴァンたちのパーティーの魔法使いがもっとも高ランクなのか、指揮を執ることになっている。
「あとで私たちも行く。それまでは頼む」
「ギルドマスターもご武運を」
「シュージ、よい所に。お前も城壁組についていってくれ」
「分かりました」
他にもヴァンたち前衛を務める冒険者が数人魔法使いや弓使いの護衛として城壁へと登るらしい。
「シュージ先生、よろしく頼む」
「とりあえず急ごう」
ヴァンのパーティーの魔法使いはランスという名前のAランクの男である。
「あまり自信がないんだがな」
「君がもっとも高ランクなんだろう?」
「いや、もう一人依頼の最中でユグドラシルにやってきていたやつがいる。……まあ、この町は慣れてないだろうし、どのみち俺がやるしかないか」
ランスが向いた先には長い黒髪を束ねた女性がいた。
「ヴェールよ。よろしく」
差し出された手を握り返してやけに冷たい手だとは思ったけど、そんな失礼な事を言うわけにもいかない。僕も自己紹介をした。
「シュージです。治癒師みたいなもんだから攻撃手段はないけど」
「凄腕と聞いているわ」
ヴェールはそう言うと微笑んだ。だけど状況は笑っていられるような感じではない。
僕らが城壁の上へとたどりつくと、それはまだ町の上を旋回していた。
「なんか最近、この町はおかしくないか」
「それ、俺も思っていた」
大剣を振りかざしてヴァンが言う。ランスがそれに答えた。城壁の上に集合した魔法使いや弓使いたちは総勢で二十人くらいになるだろう。あれだけの短時間でよく集まったとは思うけど、この状況では足りないと思うしかない。
「シュージ先生、あれに遭遇したことあるか?」
「僕はないよ。ヴァンたちは?」
「いや、ないな。というかこの町の冒険者で遭遇したことあるやつの話を聞いたことがない。……あんたは?」
ヴァンはヴェールに聞いた。彼女は妖艶に微笑んで言った。
「戦ったことはないわ。見た事ならあるけど……ガルーダでしょ、あれ?」
それは巨大な大鷲の形をしたガルーダという魔物だった。こいつの気配がしていたからグリフォンたちは出てこなかったんだなと今更ながら気づいたけど、僕にはどうしようもなかったのである。
その巨体は領主の屋敷ほどの大きさであり、空を飛ぶ魔物の中では最も大きいものだった。
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