第62話 悪性胸膜中皮腫1
ユグドラシルの町だけではなく、他の場所でも魔物の侵攻というのが行われていたという報せが入ってきたのはすぐの事だった。それから二か月の間に三つの町が壊滅したという。冒険者ギルドの中はその話でもちきりだった。
「魔物が、軍隊のように動いていたんだとよ」
「それって、ユグドラシルを襲ってきたアンデッドたちと同じだな」
「他の町はアンデッドではない魔物に襲われたんだろ?」
「国はそのように発表しているな」
「生き残りはあまりいないんだとか。徹底的に壊滅させられた町もあるようだ」
「ここと同規模の町なのか?」
「いや、少し小さいな……」
噂に尾ひれがついて何が本当かは分からなくなっている。ランスター領主やギルドマスターのロンさんの所にいけば正確な情報も入ってくるかもしれないが。
「先生、我々には帰還の命令が出た。ラッセン様の事にばかり構っているわけにはいかないというのがダリア領の判断だ。おそらくは防衛に力を入れるのだろう」
「そっか。ダリア領はまだ魔物に襲われてないんだっけ」
だいたい二か月の滞在であったがコープスたちはろくな情報も手に入れることができないままにユグドラシルの町を去るそうだ。彼には色々と迷惑をかけたりかけられたり助けられたりで複雑な関係だったけど、いなくなると寂しいものである。
彼らとしてはラッセンがリッチに変化したかもしれないという不確定の情報だけがあり、それ以外はないままであるために任務失敗と捉えているようだった。あれから、アンデッドたちに動きは全くない。
「また、どこかで会うかもしれんな」
「前みたいな事がないように祈っておくよ」
こうしてコープスたちは去っていった。
この二月の間にユグドラシルの町が何もしなかったわけではない。
他の町の襲撃に関する情報の収集と、今後ユグドラシルの町が魔物に襲われる可能性を考慮しての防衛強化である。城壁の補修を始めとして冒険者ギルドへ町の周辺の調査依頼が各段に増えた。
「統率されたと思われる魔物の集団を見つけたものはすぐに知らせるように」
その褒賞額もそこそこに良いものであるために、冒険者たちはいつもに増して張り切っている。討伐任務のついでに情報を収集してくるといつもよりも報奨金が上がるのだ。やらないわけがない。
「意外にも未発見だった遺跡やらが見つかっておるんさね」
「はい、これが今回のロンさんの胃薬ですよ。アマンダの分はこっち」
「ひーひっひ、いつも悪いさね」
診療所の方もかなり忙しい。無茶をしてけがをしてくる冒険者が後を絶たないのである。ある程度はウージュの診療所へと回していたが、最近はそれもめんどくさくなってウージュが診療所に顔をだすことも多くなった。それでも手が回らない場合にはミリヤとか他の冒険者の中の治癒師に頼むことも多い。
「先生は呪いの治療を優先してやるべきなのは分かってるけど、これはさすがに量が多すぎるな」
「そう言わないでくれ、ローガン。あ、明日も世界樹へ行ってもらっていいかな。アレンに頼んでおくよ」
「分かったよ」
ローガンは二日に一回くらいのペースで世界樹へと登ってもらっていた。すでに第七階層の樹液が出てくる場所というのは全て把握しているらしく、出が悪い場合などに第八階層へと行くかどうかをアレンと相談しているそうだ。少年とはいえ、これだけのペースで世界樹の往復を繰り返していると足も鍛えられてくる。最終的に一人で登るのが目標だと、マインに向かって話しているのを聞いた事があった。薬ではなく冒険者にでもなるつもりか?
「冒険者ギルドの方から他の診療所へ協力を要請するって言ってたから、もう少ししたら楽になると思うよ」
これから何事もなく終わってくれるとありがたいと思いつつ、リッチとあの白い服の男が何もせずに大人しくしているとは思いにくく、いつか何か起こるのではないかと思ってしまっているのだ。不安というほどではないのだが安心はできていない。
「ねえシュージ、なんかまた来てるわよ」
「え? 誰だい?」
そう言ったレナの後ろにはギルドの職員が手紙を携えて立っていた。これはまたロンさんのギルドマスタールームで話を聞かなければならない厄介事のパターンだろう。さっきアマンダ婆さんに薬を渡したばかりだというのに。
***
「リッチの
「ああ、そうだ。まだリッチの足取りはつかめていないのだが、アンデッドの集団らしき魔物の情報がいくつかある。だが、リッチに対して少数の冒険者で対抗するというのはなかなかに厳しくアンデッドたちがいるとどの冒険者たちも安全策をとって帰ってきているのが現実だ」
たしかに、数人で行動する冒険者がいきなりリッチに出くわしてしまうとなす術なく殺されてしまう可能性が高い。だからこそリッチはSランクの冒険者を始めとして複数のパーティーで対策に当たるというのが一般的な対応なのである。
「そこで、あのノイマンを救った魔道具を持っていけばどうかと思ったんだが」
「なるほど。しかし、使い方だとかその状況によっては効力を発揮できないことの方が多いでしょう。あの時は他の冒険者、というよりレナがリッチを完全の抑えることができると分かっていたから僕はノイマンに医療を行うことができたわけですし」
マスタールームにはノイマンたちのパーティーも呼ばれていた。もしもリッチがいるならば彼らが戦うしかないというのがユグドラシル冒険者ギルドの結論だったからである。そこに僕とレナもできれば加わってほしいのだろうけど、長期間ユグドラシルの町を離れるわけにはいかないためにこうして代替案を考えてきたというわけだ。
「シュージとレナがいなければリッチには対抗できないというわけだな」
「アレン、正確にはリッチの
「アンデッドの軍隊、他の町を襲った魔物の軍隊と無関係ではないだろうな」
ロンさんが苦々しげにつぶやいた。多分、また胃が痛くなっているのだろう。いつの日か胃潰瘍から出血して吐血する日がやってくるのではないかと思いながらもストレスの原因を取り除くことができないこの状況ではどうすることもできないなと思う。はやく次期ギルドマスターを決めて引退なりなんなりするべきだろうけど、人手が足りないのが現実だ。
「一つだけ、なんとかできるかもしれないという方法がないこともないけど……」
少しでも神経性胃炎の原因を取り除くためには、目の前のことから解決していくしかない。僕は心の中でルコルに詫びを入れた。
***
「む、無理だ。少なくとも、俺の腕では不可能だぞ、そんなの!」
「そこをなんとか……」
「どれだけの術式を組み込むと思ってるんだ? それに魔力はどこから供給すれば? 発動の条件ってのが魔法だとして……」
「できればこのくらいの大きさまで小さくしてくれるとありがたいけど」
「アホか!」
「じゃあ、最悪は鎖帷子型にして着てしまおう」
「お……それなら、なんとか……」
マスタールームに呼び出されたのはおなじみの魔道具屋のルコルだった。彼の製作した除細動器でノイマンは助かった。そしてその除細動器をそれぞれのパーティーに持たせれば危険が少なくなるという提案の、問題点を解決するためにルコルにひと肌脱いでもらおうと思ったのだが、それが無茶だと言われてしまった。
「身体に埋め込んで、
「あー、言いたいことは分かったが! それを実現するために必要な術式がだな!」
「そこは僕は完全な素人なので何とも言えないというかルコルに頑張ってもらわないと……」
「だから、逆立ちしたって俺にはできねぇ!」
欲しかったのは現代日本で言うところの植え込み型除細動器、ICD《Implantable Cardioverter Defibrillator》である。心室細動が起こったのを検知して心臓に電気を流して除細動を起こす小さな機械であり、胸の皮膚の下に本体を植え込んで血管の中から心臓まで伸ばしたワイヤーと先に取り付けられた電極を心臓の筋肉に突き刺しておくものだ。かなりの小型化が進んだ現代においては、外面上は少しの傷口と膨らみがあるだけでよく見なければ植え込んであることは分からないほどである。
「別に
「だから! そんなのは俺には無理だ!」
小型化および植え込みはできないにしてもベストのような形状にして皮膚の外から心臓を挟み込んで電気を流すというのもできなくもない。日本にいたころに実際にそんな商品を見たことがある。二十四時間ずっと着ていなくてはならず、さらには肌着すら着れないために全然実用的ではなかったけど。
「ねえ、ルコル」
「な、なんだい?」
僕とルコルのやり取りを聞いていたほとんどが呆れた顔をしていたのだけど、レナだけはそうではなかった。そんな彼女はルコルにこう聞いた。
「さっきから、「俺には」ってやたら言うわね。じゃ、誰ならできるの?」
***
「本当に、こんなところにいるの?」
「なんだよ、疑ってんのかよ?」
「正直、私は疑ってるわ。人がいないじゃない」
「うぐ……、大丈夫だから」
僕らはルコルを連れてユグドラシルの南東へと向かっていた。僕とルコルの他にはレナとノイマン、ミリヤが同行してくれている。アレンにはローガンを連れて世界樹に登ってもらうようにお願いしたし、アマンダ婆さんは長距離の旅は遠慮すると言ってついてきてくれなかった。
「別に隠れ里とかじゃねえんだが、師匠は偏屈だったからな」
「それで、その偏屈な師匠とやらは死んでしまったというのに兄弟子も同じようなところに住んでるというわけね」
「そ、そうなんだよ」
ルコルの魔道具作成の師匠というのはすでに他界しているという。そして、その息子にあたる兄弟子ならば、ICDを作ることができるのではないかというのがルコルの意見だった。だから、そのルコルの兄弟子の所へ行こうとしているのだけど、これがなかなかに山奥で誰もいないような人里離れた場所に住んでいるらしい。
「代々、魔道具を作り続けてきた家系なんだ。本来は俺みたいなよそ者に技術を教えることはないはずだったんだが、師匠はその一族の中でも変わり者でな。全部じゃないが、少しだけ作り方を教えてくれたんだよ。後は町に出てから独学で覚えたんだ」
「ふーん、ルコルもそれなりに苦労してきたんだな」
「ああ、俺にちょっとだけ教えたあとに師匠はすぐに呪いで死んじまったからな。兄弟子は俺に技術を教えるのは反対だったらしくて、仕方ないから村を飛び出したんだ」
それっきり帰っていないという。なんか悪いことをしたなとも思うけど、行けと言ったのは僕ではなくてロンさんだ。
「ほ、本当はどの
「ごめんな」
「もう少しすまなさそうに謝ってくれねえかな」
何故だろうか。僕はルコルには無茶を言っても良心があまり痛まないんだけど、これはルコルの魔道具が高すぎると常日頃から思っているせいではないと信じたい。
翌日、僕らはルコルが魔道具の製作を習ったという村に着いた。
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