第61話 心室細動4

「あの腕輪は……」


 デュラハンとの戦闘はコープスたちの勝利で終わった。他に厄介な高位アンデッドたちがいなかっただけではなく、冒険者からの支援魔法があったためにかなり優位に戦闘を進められたのが勝因である。

 一段階ついてレナとリッチの戦いに参加するかどうかを迷っているときに魔法障壁が見えた。あの規模のものをコープスたちは見たことがなく、その術者と思われる白い服の男をみて背筋が凍るかのようなおぞましさを覚えた。

 逃げていくリッチとその周りのアンデッドたち。しかし、リッチの右腕につけられた腕輪を見て、コープスは衝撃を受けた。


「ラッセン様、なのか?」


 見覚えのある形状のそれは、ラッセンがつけていたものにそっくりだった。ひそかにラッセンに対して感謝の気持ちを忘れていなかったコープスだからこそ見つけられた手掛かり。かつて母親の治療をおこなった腕につけられていた腕輪をコープスは忘れていなかった。


雷撃サンダーボルト!!」

「だから無駄だって言っておる故に」


 レナはその男に向かって魔法を放つ。しかし、分厚い魔法障壁に加えて低位のアンデッドたちが立ちふさがり、雷撃サンダーボルトの届かない距離へとその男やリッチは徐々に遠ざかっていった。


「レナ、追っちゃだめだ。アレンも」


 後ろから声をかけたのはシュージである。


「分かってるわよ。……それで、ノイマンは?」

「ああ、向こうで安静にしてもらってるけど大丈夫だよ」

「なんと……」

「ほら、大丈夫だったじゃない」



 朝日が出るよりも随分と早くアンデッドたちはユグドラシルの町から去っていった。日の光で塵となって消えていったそれらの他に、数十人の兵士や冒険者たちの犠牲だけが取り残された。

 おそらくは数万にもおよぶアンデッドの大群に襲われたはずである事を考えるとあまりにも少ない被害である。アンデッドの大半は城壁を越える「坂」として費やされた。実際に戦うことのできたアンデッドは千程度だったのではないかと、誰かが言った。

 あまりにも稚拙な城攻めとそれでいて統率された動きを見せたというのが不気味に思え、そしてリッチを「作った」と言った男の存在が不安を掻き立てる。


 ユグドラシルの町は、戦いに勝った後とは思えないほどに暗く沈んでいた。




 ***




 一般的に心臓麻痺という言葉はあるけど、それは病名ではない。


 そもそも心臓が動かなくなることは「心停止」もしくは「心不全」のどちらかを指すと思われる。前者は完全に心臓の筋肉が動かなくなる状態を意味しているし、後者は心臓という臓器の機能が低下することを示す病名である。


「診断名は心室細動しんしつさいどうだよ」

「シンシツサイドウ?」


 念のために診療所で診察と心眼を使って、僕に一日は入院して安静にしていろと言われたノイマンが首を傾げた。泣きはらしたミリヤは疲れて隣のベッドで寝てしまっている。


「心臓には四つの部屋があってね。それぞれ出口の所に逆流防止の弁がついているから単純に筋肉が収縮することで血液に流れができるようになっているんだ」


 その部屋の上の部分が心房、下の部分が心室という。それぞれ右と左に分かれているために心臓には四つの部屋があると表現した。

 血液を全身や肺に送るのが心室、帰ってきた血液を受け取るのが心房である。そのために心房に比べると心室は筋肉の量がかなり多い。特に全身に血を送る方の左心室はものすごく分厚い筋肉の壁で覆われている部屋である。この筋肉が一斉に収縮するために血圧を上げることができる。


「首を飛ばすと血液がかなり高く飛んでいくでしょ? あれだけの圧力をかけることができるくらいに心臓の筋肉ってのは分厚いんだ」


 現代日本では時代劇で頸動脈を斬ると天井まで血が飛ぶじゃないですか、あれは本当なんですよ、ははは。なんて例えを使ったこともあったが、ここは異世界である。ノイマンを始めとして多くの人間が首を飛ばされた人間や魔物を見たことがあるし返り血なんかの話を聞いたことがある。おっと、話がそれた。


 それだけの圧力をかけるためには筋肉は「一斉」に収縮しなければならない。タイミングを合わせて筋肉が収縮することが大事であり、そのタイミングを合わせるために心臓は電気信号を送って一斉に収縮する。

 この辺りはかなり複雑な話になってくるが、要はその電気信号が届きにくかったり狂ってしまうとうまく収縮できない。それを不整脈ふせいみゃくという。さらにその中で命に関わるほどの不整脈がいくつか存在するけど、起こってしまうと完全に心臓から血液が送れなくなり、脳にも血液が送れなくなるために意識まで失ってしまうのが「心室細動しんしつさいどう」だ。


「心室の筋肉の細胞がそれぞれ勝手に動くから外から見ればウネウネしているだけだし、心臓という臓器の観点から見ると全く血液を送れなくなって停止しているのと変わらない」

「よく分からんが……」

「つまりね、リッチの使ったデッドは心臓でこの心室細動しんしつさいどうを引き起こさせる魔法だったんだ」


 かつてリッチの死霊術で操られた冒険者たちの遺体を調べたことがあった。デッドは心臓を握りつぶす魔法だと言われていたけど、その冒険者たちの心臓は傷一つついていなかった。僕の推測は当たった。


「ルコルに無理を言って作ってもらってよかった。後でお礼をしに行かなきゃ」

「それが俺を救った魔道具ってやつか?」

「そうだよ。雷撃サンダーボルトを小規模ながらに起こすことのできる魔道具でね」


 ルコルの魔道具屋に無理を言って急遽作ってもらったのはいわゆる除細動器じょさいどうきである。


 心室細動しんしつさいどうを治療するために除細動じょさいどうということを行う。具体的には強い電気を心臓全体に流すことでタイミングの狂いをリセットしてしまうのだ。リセットされた心筋細胞は、再開された正しいタイミングの電気信号に従って正常な脈を取り戻すのである。これで戻る心臓の強さに感心すればいいのか、こんな方法で心室細動しんしつさいどうを治してしまう人類の叡智を誇れば良いのかは分からないがすごい事である。


 電気を流すためにノイマンの鎧を脱がす必要があった。それに、誰かがノイマンの身体に触っていると電気が流れていってしまう危険性もある。身体に金属がついていないことと、身体が濡れていないことは必ず確認しなければならず、電気を流す前は身体に触れてはいけない。

 現代日本ではこの除細動器はAED《Automated External Defibrillator, 自動体外式除細動器》として公共機関をはじめとして様々な場所で見かけることができる。それだけこの心室細動しんしつさいどうは起こってから数分以内に処置を行えるかどうかが生死をわける病気だった。


「また助けられちまったな」

「それはお互い様だよ……ノイマンに関しては若干助けているのが多い気もするけど」

「はは、そりゃないぜ」


 レナも仮眠室で寝てしまっていた。あれほどの魔力を消費したのだから当たり前だろう。起きたらあの白い服を着た男について聞かなければならない事があるけど、今はそっとしておこうと思った。

 サーシャさんが頼んでいた料理をもって帰ってきた。ギルドの酒場に作ってもらったのだ。と言ってもレナもミリヤも寝てしまっている。彼女らは起きてから食べてもらおうと思う。


 とにかく、生き延びたのだ。それは間違いない。だけど、何とも言えない不安が僕だけではなくて皆に付きまとっていた。全てはあの白い服のと、リッチはラッセンであるかもしれないとコープスが言っていたのが原因である。


「リッチを……作ったか……」


 そんな事が本当に可能ならば……。僕はそれ以上を考えるのをやめた。




 ***




「失敗したとか、ダセエなおい!」

「うるさいでござる。全てはあの町の想定外の戦力にござる」

「待て、町を制圧する事はできなかったが大局を見れば今回の戦いは非常に意味のあるものであった」

「想定外なのはあんたの作ったアンデッドの弱さ、よね?」


 とある町のとある場所。そこまで大きくもない地下室の中では四人のが集まっていた。見た目は人である。だが、その周りにまとわりついている魔力は人のそれではなかった。

 四人ともに黒髪に黒目である。それぞれ着ている服の色が違った。


「おい、ハク! もしかしてリッチもやられたのか!? あぁ?」

「リッチは殺させなかったでござるよ! あれにどれだけかかったかは知っているでござる!」

「その口調やめろ! 無理矢理喋りやがって、気持ちわりい」


 ハクと呼ばれた白い服を着たは言い返そうとしたが言葉が出てこなかった。言われたことは図星なのである。代わりに魔法を展開させた。相手もそれに対応して魔力を練り上げる。


「やめろ! ハクもセキも落ち着かんか!」


 黒い服を着たがそれを一喝して止めた。


「やらせとけばいいのよぉ」

「セイ、お前もそう無責任な事を言うな」

「相変わらずカタいわね、コク」


 青い服を着たはセイと呼ばれた。黒色の服を着たはコクである。


「とにかく、ユグドラシルの町は思ったより冒険者たちの質がいいでござる」

「お前がしょぼいだけだ」

「黙るでござる。そんな事を言うなら次はセキが行くでござるよ」

「ああ? まあ、いいぜ。お前みたいに根暗な事しなくても、俺だったらすぐだ」

「当初の目的を忘れるな。もはやユグドラシルの町を制圧することにさほどの意味はない。それともわざわざあの町を狙うだけの理由があるのか?」


 コクの指摘に対してハクもセキも何か言うべき言葉は見つからない。だがセイだけは違った。一呼吸だけおいて、口を開く。


「ねえ、あの町でリッチがデッドを使ってたわよね」

「ああ、そうでござる。あの雷撃サンダーボルトの魔術師のせいで一回しか使えなかったでござるよ」

「…………あの冒険者、死んでなかったみたいよ?」

「う、嘘でござる! あの冒険者は確実に死んだのを見たでござるよ!」


 どうやって生き返ったのかまでは見てなかったのだけども。セイはそう言って水晶を取り出した。そこにはユグドラシルの町に放った使い魔たちからの映像を映すことができる。その一つに診療所を退院したノイマンの姿があった。


「ね?」

「ほ、本当でござる……」


 たしかにあの冒険者はデッドの直撃をくらって倒れた。確実に死んだはずである。デッドが効かなければ倒れることはない。


「ちょっと面白いわね。制圧は別としても、この町はこのまま見張っておくのがいいと思うわ」

「ふむ、セイの言うことには一理ある」

「あぁ? 制圧してしまえばいいじゃねえか」


 それぞれの意見を言い合う中、ハクは拳を震わせていた。


「冗談じゃない。僕の作ったリッチのデッドを治してしまうなんて……」

「はっ、口調が素に戻ってるぜ」

「たしかにハクにとっては大打撃である」


 セイはにやりと笑った。この状況は予想していたのだろう。


「もう一度攻める!」

「無駄よぅ、あの周辺の死体という死体は低位アンデッドにしちゃったんでしょう?」


 腰にまで達する長い黒髪をいじりながらセイは言う。その妖艶な魅力は場所が違えば数多の男を虜にしたのだろう。だが、ここにその魅力に反応するものはいなかった。

 

「今度は量よりも質を優先させるんだ、でござる!」

「その質のよいリッチの奥の手が効かないかもしれないのよぅ」

「ハク、セイの言うとおりだ」

「へっ、お前は引っ込んでろってこった」


 ハクは身体の震えを止められなかった。リッチの力が認められなければ、ハクの戦力は激減したに等しいのである。それほどにリッチはをつぎ込んで作り上げた存在だった。


「まあ、相性ってもんもあるからねぇ」


 そこへセイが助け船を出す。この駆け引きには意味がある。しかし、ハクはそこを考慮する余裕などなかった。


「ふむ。ユグドラシルの町は引き続き観察するという事でよいな」

「ええ、構わないわ」

「ふんっ、だらしねえ結末だが仕方ねえ」


「では、ハクはこのまま戦力の補充へと移り、その他はそれぞれ割り当てられた町への侵攻ということで決まりだな」

「おう、さっさと終わらして俺がユグドラシルの町を攻めてやるよ」

「あら、それはどうかしら」

「……」



 これから二か月の間に三つの町が魔物の侵攻で壊滅した。明らかに統率された魔物の群れは、軍隊のように町へと襲い掛かったという。


 原因も分からないまま、国も冒険者ギルドも後手に回ることとなる。

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