第31話 筋腎障害性代謝失調症候群 2

大発生スタンピードの予兆? 何よ、それ」

「ああ、東の山脈の中にダンジョンと呼ばれる魔物が継続的に発生する洞窟がある。そこから数十年前に大量の魔物が地上に溢れ出て、ユグドラシルの町を襲ったのだ」


 ユグドラシルの町から東と言えばダリア領である。大陸でももっとも精強な兵がいると言われるダリア領には有名な大空洞があり、そこを監視する砦にはダリア領内から選りすぐりの兵が集められていると聞いていた。

 ただし、ダリア領ではあるが、その領都からは距離が遠く、さらには山脈を越えていかなければならない。そこで冒険者に何かを依頼する時に、ダリア領都ではなくユグドラシルの町の冒険者ギルドへと依頼が回ってくることがある。


「それでAランク以上の冒険者パーティーということでアレン達が行く事になったんだね」

「ああ、Sランク二人にAランク二人と言えば立派なSランクパーティーであるしな」


 そのSランクのもう一人は「」がつくけどね、と思ったが言わない。さらにはアレンたちだけではなく、ヴァンたちのパーティーも同行するようだった。


「目的は何よ」

「そのダリア大空洞の中の魔物の発生状況の調査だよ。大発生スタンピードの前には必ずと言っていいほどに大空洞内の生態系が乱れているはずだしね」

「定期的に大空洞に潜っている兵士たちがすればいいじゃない」


 レナの主張はもっともだと、僕も思う。だけど、アレンは首を横に振った。


「彼らは最初の階層、つまりは第一階層より下には行かないことになっている。第一階層ですらどこからともなく魔物が発生するというのに、第二階層で何かあっても仲間が助けに行くことはできないからな」


 定期的に魔物の討伐を行うのは第一階層でのみである。それならば補給などは外の砦に用意しておけばよいし、助けを呼ぶ魔道具が届く範囲でもあるからだとか。つまりは、第二階層以下へと潜るのは専門家である冒険者たちの領分だという主張だった。


「過去に大人数で大空洞内へ潜ったことがあったらしいが、やはり動きが鈍ると犠牲も多かったみたいでな」

「どちらにせよ、気を付けて」

「ああ、分かっている」



 アレンは世界樹に登るだけでSランクに上がったわけではない。他の町でも冒険者として活動し、そこでの経験を元にユグドラシルの町に帰ってきては世界樹に登るパーティーに同行するのを繰り返していた。さすがにユグドラシルの町では領主の息子として顔がばれていることもあり、なかなかアレンに同行してくれる冒険者も少なかったのであるけど、それでもSランクという実力はなんだかんだ言って重宝されることも多かったらしい。


「ねえ、アレンってさ。領主の息子のくせに斥候業らしいわよ」

「そ、そうなんだ。確かに軽装に長剣だよね。魔法もそこそこ使えるみたいだけど」


 魔法も使える細身の剣士というところかと思っていたけど、違うみたいである。短剣を使わないのは近接戦闘に不利だからとかで使えないわけでもなかった。さすがにスリなどの技術が卓越しているわけではないらしいけど、偵察や索敵は一流の腕を持っているという。だから魔物を避けて一人で世界樹を登ることができたし、ノイマンとミリヤをパーティーに誘ったのだなと僕は納得した。



 ノイマンたちのパーティーが(一応、リーダーはノイマンという事になったらしい)ダリアのダンジョンに向かってから数日後、僕らはユグドラシル冒険者ギルドに呼ばれた。


「ダリアの砦に向かって欲しい」

「え、それってノイマンたちが向かったところですよね。何かあったんですか?」

「まだ、確定ではないのだが大発生スタンピードの可能性が知らされている。その情報をもたらしたのはノイマンたちらしいのだが、同時にダンジョンの浅い階層に魔物が溢れかえったらしい。砦の兵士たちにも少なからず怪我人が出てな。治癒師が足りないと言ってきた」


 ロンさんは苦虫を噛み潰したような顔をして言った。


「ダンジョン内の捜索には協力すると言ったが、砦の兵士の治癒にまでは協力するとは言っていなかったのだが、あちらの圧力も強くてな」

「もしかしてノイマン達が魔物を刺激したとか、難癖つけられましたか」

「ああ、その通りだ」


 また、ロンさんの胃が荒れる。僕はそんなことを思いながら聞いた。すでにカジャルさんは砦に向かっているらしい。


「そこでシュージとレナに頼みたいことがあるのだが」

「兵士の治癒が終わり次第、転移テレポートで連れ帰ればいいのね」

「ああ、話が早くて助かる」


 もし大発生スタンピードが発生しようものならユグドラシルの町が危険にさらされる。現在、領主が陣頭指揮をとって急ピッチで城壁の作製が行われているが、壁をつくっただけで魔物が撃退できるはずもない。少しでも実力のある冒険者たちはユグドラシルの町に戻しておきたいとの事だった。


 他の領地からも防衛のための兵士がユグドラシルの町に送られてきていた。住民たちにはダリアのダンジョンの大発生スタンピードの事は知らされていないけど、壁の方角と兵士の増員によって気づく住民は気づいている。中には他の町に避難する者まで出てきていた。領主もそれを止めようとはしていない。一次的に退避するのであれば、むしろその方が好都合とでも言うかのような態度で、住民の流出は全く規制されていなかった。


「ねえ、シュージ」

「なんだい?」

「シュージは逃げようとしないの?」

「逃げないよ。そういうレナこそいつでも転移テレポートが使えるじゃないか」

「私の転移テレポートはいざという時にシュージを逃がすために使うのよ」

「…………大発生スタンピードの迎撃には使わないんだね」


 レナは口ではこんな事を言っているけど、知り合いを残して逃げるなんてできない優しい子だった。僕も逃げるつもりなんて毛頭ない。だけど、魔物の規模が皆が予想するよりも多かったらどうすればいいんだろうか。僕には大火力の攻撃手段なんてない。誰かの命を繋ぎ止めるのは多少できても、誰かを護ることはできないかもしれない。

 レナが隣にいてくれるのは頼もしい。だけど、レナだけで大発生スタンピードをどうにかできるわけもないのは言うまでもなく、最悪の想定をしながら行動する必要があった。



 ローガンとサーシャさんに隣町まで避難するように言って、僕らは砦へと向かうことにした。レナはその砦に行ったことがないために馬車で向かう。一日とちょっとあれば着く距離だそうだ。そんな近くにダンジョンが、それもかなり危険な魔物がいるダンジョンがあったとは知らなかった。

 ローガンは両親と一緒に行動すると言っていた。サーシャさんはこの町を離れるつもりもないし、戦う人たちの手助けをすると言って補給員に名乗り出ると言っていた。ここが故郷である人たちは、他所から来た僕らなんかよりもずっとこの場所を大切に思っているようだ。


 途中は何の障害もなく、僕らは翌日には砦に入った。




 ***




「先生!」

「ああ、ノイマン。これはひどいな」


 砦に入るとそこが戦場かと思うほどに負傷者で溢れかえっていた。治癒師たちがせわしなく駆け回り、各所で回復ヒールをかけている。中にはまだ少年ではないかと思うような若い治癒師まで駆り出されていた。ノイマンも回復魔法は使えないけど負傷者を運んだりして手伝っているという。


「シュージ殿、来たか」

「カジャルさん、遅くなりました」


 広場の中央では先に砦に向かったカジャルさんが複数の負傷者の治療を行っていた。さすがにSランクであり、魔力量が桁違いである。僕よりも多めの魔力を持つカジャルさんは次々と負傷者を治癒していった。 


「僕も手伝いますよ」

「ああ、助かる」

「他の人は?」

「ああ、アマンダは城壁の上で魔物たちの接近に備えていつでも大魔法が打てるように待機、若はダンジョンからここまでの索敵と、ダンジョンから魔物が溢れた場合に知らせる係だ。まだ帰ってきていない部隊も多いらしい。ミリヤはすでに魔力が枯渇してあそこで倒れている」


 カジャルさんが指差した先には横になってぐったりしているミリヤがいた。これだけの量の負傷者に治癒魔法をかけたのなら、あっと言う間に魔力は尽きてしまうだろう。



 トリアージが必要だな、と僕は思った。トリアージとは救急医療で時に使われる緊急性と優先度を示すことである。例えば、治療は遅れても問題ない骨折と今にも死にそうな血管からの出血の患者がいたときに、骨折の患者を治療していては出血の患者が死んでしまうこともある。逆に骨折の患者を後回しにして、すぐさま処置が必要な出血の患者を治療すれば両人ともに助かるのだ。しかし、トリアージにはすでに手遅れの患者は見捨てるという現実的な側面も持つ。手遅れと判断した場合に、その患者の治療に使う時間が惜しいという、あまりにも冷徹な判断を下さなければならない。


「カジャルさんもそろそろ魔力が尽きますよね」

「ああ、よく分かったな」

「でしたら一度治療は中断してもらって、負傷者の中で緊急で治療が必要な方の選別をお願いできますか?」

「む、なるほどな。私が選別すれば誰も文句は言わないということか」

「はい」


 ユグドラシル領の領主館専属の治癒師であり元Sランク冒険者のカジャルさんの判断に文句を言う者はいないだろう。さっきから、砦の治癒師たちの視線を感じるけど、カジャルさんがもっとも負傷者の多い広場を独占していることもあって、一目置かれているというのはすぐに分かった。

 対して僕は全然有名でもないために、あからさまに砦の治癒師たちからは煙たがられている。自分たちだけでも十分だと言いたいのだろう。だけど現実的にはまったく間に合っていない。ミリヤが魔力枯渇するまで回復ヒールをかけなければならなかったのも、彼らの視線、もしくは直接的な言葉のせいかもしれなかった。


 トリアージをカジャルさんに任せて、僕は緊急性のある負傷者から順に回復ヒールをかけていった。なんとか全体を見渡して死亡者が最低限に防げるかもしれないと思った時に、後ろでなにやら大声を出した人がいる。来ている鎧はかなり高価そうなもので、どこかの部隊の部隊長なのではと思われた。


「俺を後回しにするとか、ふざけるなよ!」

「お前は足が折れただけではないか。後で治療してやると言っている。今にも死にそうな奴が先だ」

「弱い奴は死んで当然だ! それよりも俺をさっさと復帰させろ!」


 負傷者の割合はもちろん新兵と思われる若い兵士が多い。とくに致命傷を受けている者は大半が新兵だと思われた。だからこそ、助けなければならないと僕は思う。だけど、あの部隊長は違う考えのようだ。


「俺たちに回復ヒールをかけてもらいたければ、待つことだ。いやならあちらのお前らの仲間の治癒師たちの誰かにかけてもらえばいい」


 カジャルさんも腹に据えかねたのだろう。指差した先にはすでに魔力枯渇で倒れまくっている砦の治癒師たちがいた。すでにこの辺りで治療が可能なのは僕とカジャルさんだけのようである。


「貴様、治癒師の分際で! 貴様らは言われたとおりに回復ヒールをかけていればよいのだ!」

「兵士の分際で怪我をして帰ってきた奴に説得力があると思うなよ。お前らの言うとおりに無駄な回復ヒールをかけまくった結果があれだ」


 一触即発である。冷静に考えればユグドラシルの町の領主館から派遣されているカジャルさんに手を挙げることができるとは思えなかった。しかし、相手は足を負傷して頭に血が上っていた。元Sランクのカジャルさんがそんな相手に怪我を負うとも考えられなかったけど、この状況が良くないことだけは確かだ。



「オービル部隊長、私が回復ヒールをかけましょう」


 そんな時に声をかけたのは中年の治癒師だった。それなりに良い物を着ているところをみると、この砦の治癒師の中でも偉い人なのだろうと思う。


「そもそもこんな奴らに頼る必要などなかったのです」


 そう言うと、その治癒師は部隊長に回復ヒールをかけた。部隊長の足が治っていく。大きな口を叩くだけあって、その回復ヒールはなかなかに熟練したそれだった。


「すまないな、ラッセン」

「いえいえ、治癒師の仕事ですから」


 僕らを見て、ラッセンと言われた治癒師はあからさまに舌打ちをした。この状況を快く思っていないのだろう。だけど、僕らはそっちの言いがかりに近い圧力のために派遣されてきたのだ。




 どの世界にも、こんな奴はいるよなぁと思って僕はあきれるしかなかったけど、怒りが限界に達した人がいた。


 いや、人ではないな。人たちである。……ちょっと、カジャルさんもレナさんも落ち着こうよ……って、アマンダ婆さんもかよ!?

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