第28話 細菌性膿胸4

 世界樹は根元の部分に中央から北東にかけて空洞が形成されている。第六階層を越えると幹の南側に出る。そこから東側にすすむとその空洞の入り口があるのだ。それが第八階層であり、内部で大きな崖になっている部分を越えると第九階層である。


「ここから樹の枠に沿って行く。あそこに見えている穴までが第九階層さね」


 アマンダ婆さんの指先には外の光が覗いている穴があった。他にも数か所穴は開いているけど、どれも上の階層には続いていないらしい。大きくまわる必要がある場所に、その出口はあった。


 僕の手元にはアマンダ婆さんから借りた世界樹の地図があった。すでにこれは二十年前のものではあるのだが、大きく変わってはいないはずだという。

 第九階層の出口は世界樹の北東の部分になる。そこから世界樹は幹を捻じらせ、大きく一周するようにらせんを描いて上に登っていく。根元の部分の半分程度の太さになった幹の斜面を登っていくのだ。いびつな階段状になっている部分が多く、そこで「階層」ごとにわけられるために、世界樹はその領域ごとに「階層」と呼ばれていた。


 第十一階層から第十八階層まで、八段階を経てやや南寄りに世界樹は一周する。そして北側に向けて伸び、第二十階層からそれぞれの枝に分岐するのだ。その先は正真正銘前人未到の領域である。


 内部の空洞は南東の入り口から入ってほぼ中心を通り、北を経由して北東の出口へと向かう道が確立されている。その間は空洞ではあるが内部がごっそりと朽ち果てておりえぐれているために、降りるとまた昇ってくるのは難しそうだった。


「どうにかして近道できないかしら」

「足場が悪いから、土魔法も氷魔法もあまりおすすめしないねえ」


 魔法使いという事もあってレナの想像はアマンダ婆さんにもできていたようである。土魔法か氷魔法で橋を作ってしまえばかなりの近道になるのではと考えたのだろう。だけど、それはすでに先人も思いついていたようだった。


「過去には橋を渡そうという計画もあったようだけど、結局は魔物に壊されてねえ」


 昔のことを懐かしむようにアマンダ婆さんは言う。この辺りはまだBランク程度の冒険者たちもよく来る領域だから、環境整備をしたかったのだとか。しかし、そのほとんどを魔物やら樹皮のもろさに阻まれて、結局はなにもできなかった。最終的に地道に登っていくというのが一番の方法であり、ここで楽をせずに第十階層に上がるまで修行をしたほうが冒険者たちのためにもなるという事で落ち着いた。もっと上に上がることができるような冒険者はここに橋がついていようがついていまいがあまり関係ないというのもあったらしい。


「それじゃ、急いで登りますか」


 僕はノイマンの背中を押すように、第九階層を登った。




 ***




「考えろ、どうやったらこの足で降りることができるのか」


 自己治癒力回復のポーションを飲んだアレンは片足で歩けるほどに回復していた。それでも歩く度に足に激痛が走るために移動速度は非常にゆっくりとしたものであるし、戦闘など行えそうにもない。ベースキャンプの入り口は人間がひとりようやく通る事のできる大きさであるために、Cランク以下の魔物しか入ることはできず、さらには周辺に樹液が産出する場所がないことから魔物の気配は皆無であった。枝が絡まるようにして出来上がったその空間は、人為的に作られたわけではないはずなのに、ここに来る冒険者たちを護るように形成されていた。


 アレンは世界樹の枝をひとつ折り、ナイフで形を整えた後に折れた右足の添え木として使用した。ズボンの中にその枝を入れ、脛の部分の破れた部分をうまく利用して添え木を固定する。右足を曲げることはできなくなるが、激痛のことを考えるとその方が良かった。体重を添え木が支えてくれるようにしたかったが、なかなか難しく一本ではできそうにもない。義足の如く、足全体を包み込むようにすればよいのかもしれないとアレンは考えたが、結局実行には移すことができなかった。


ウォータ


 水魔法で飲み水だけは確保できる。魔力を元にしてつくられた水でも、飲料水として十分に有効であり、むしろ清潔であった。鍋があれば、これもまた魔法でつけてかまどの火にくべて湯とすることもできたはずだったが、アレンは軽装にこだわりがあったために携帯していなかった。

 それでも、荷物が少なかったからこそ生き残れていると思っている。それほどに世界樹は登るために狭い部分も多く、広い場所では決まって魔物に襲われるのである。携帯食を少しだけかじり、アレンは自分に冷静になるようにと言い聞かせた。


 ベースキャンプを見渡す。この場所はほとんど奇跡に近いとアレンは思い、それを発見してベースキャンプとして設営した自分の父親とその仲間たちを尊敬せざるを得なかった。

 だが、この状況で待っていたとしても誰もここまで来ることができない。少なくとも食料が尽きて、自分が餓死するまでは誰も到達できやしないだろう。ならば、自力で降りる方法を考えるしかなかった。

 右足が折れ、歩く度に激痛が走る。


「魔物と戦うのは無理だ、走る事もできない。戦わず、走らず降りていく方法を」


 手許にある道具を全て出して、考え込む。アレンはここで死ぬつもりは毛頭なかった。諦めるなんてことはしない。少なくともポーチの中の物を地上に持って帰らない限りは死ぬわけには目的は果たせないし、その目的には自分が生きて帰ることも含まれている。

 第十八階層までは誰も来られない。しかし、父が何もしないわけがない。今現在のユグドラシル冒険者ギルドの最高戦力が世界樹を登ろうとするだろう。彼らは間に合わないかもしれないが、諦めることはできないはずだ。


「考えろ」


 その時、ベースキャンプの西の空に雷が走るのが見えた。




 ***




「僕なら……」

「どうしたの、シュージ?」

「ああ、僕がアレンならばどうするかと思ってさ」


 アレンがまだ助かる可能性を残した状態だと仮定する。もし、助かる可能性が残されていないのだとしたら、僕らはアレンの遺体なり遺品を回収して帰るだけである。このパーティーで無理のないように第十八階層まで登るだけだ。このパーティーの時点で少し無理があるというのは別として。

 話を戻すと、アレンがまだ助かる状態だけど自力で降りられないとする。その状況というのは様々なものが考えられるけど、一番考えやすいのは怪我を負っていると思えばいい。単純に第十八階層のベースキャンプまでたどり着いていたならば傷の回復を図る。そして回復したら降りてくればいい。それができない時は……。


「なんとかして魔物と出会わないように降りようとすると思うんだ」

「いや、でも魔物と出会わないようにって、どうするんだ?」


 僕とレナの会話を聞いていたノイマンが割り込んでくる。僕はレナからノイマンの方へと向き直って言った。


「落ちる」

「え?」

「だから落ちるんだよ。この地図見てて思ったんだけど、第十八階層って、第十一階層の真上じゃないか」

「あっ」


 僕はアマンダ婆さんからもらった地図を見て気づいたことがあった。ベースキャンプの位置である。


「アマンダさん、このベースキャンプって、西側に向いてるんだよね」

「ああ、そうね。その先が枝の別れが始まる第十九階層で、分かれ目部分には樹液があまり出てこんから魔物は少ないんさね」

「ベースキャンプは西よりの端……という事は、第十一階層から見上げればベースキャンプの場所が見えるはず」

「ああ、確かに見えるね。あそこは景色が良かったけど、下を見ると怖かったもんだ」

「しかし、見えたからといってどうやって……」

「ミリヤ、例えば落下の衝撃を和らげることのできるものがあればどうだ?」


 パラシュートは無理だろう。あとはバネのようなものを作って足に装着したと言っても百メートル以上からの落下に耐えられるとは思えない。だが、何かあるはずだ。


「そうか!」


 一縷の望み。もし、これが空振りに終わり、このパーティーで第十八階層にまで到達するには犠牲を覚悟しなければならない。前衛職がノイマンだけというこの状態で行けるほどに世界樹は甘くないはずだ。階層を越えるごとに強くなっていく魔物たちに対処するのに、即席のパーティーでは無理という物である。第十六階層からはSランクの魔物の目撃情報もあるほどだった。つまり、第十八階層にまで行くべきではない。

 助けられるとすればここしかない。アマンダ婆さんは全てを悟っていたようで、引き際を探っているようなところがあった。辛い選択ではあるけど、年長者として、領主のかつての仲間としてその決断をするために僕らに同行したのだろう。


「ノイマン、ミリヤ。ありったけの世界樹の雫を集めるよ。アレンを助けるにはこれしかない」




 ***




「レナ、西の空に向かって雷撃サンダーボルトだ。できるだけ目立つように、アレンがベースキャンプにいたなら気づくくらいに放ってくれ」

「分かった……雷撃サンダーボルト!!!」


 第十一階層まで駆け上った僕らは、ベースキャンプがあると思われる第十八階層の下側が見える部分まで走った。そしてそこで放ったレナの雷撃サンダーボルトは、まるで西の空を切り裂く勢いだった。


「何か、反応があるか!?」

「あ! あれをっ!」


 ミリヤが指差した先には布を振るアレンらしき人影が見える。あれはアレンの着ていた薄緑のコートじゃないだろうか。ベースキャンプのさらに端の部分にまで身を乗り出して、僕らになんとか気づいてもらおうとしているのだろう。その豆粒くらいの小ささではあるけど、生きているのを確認してアマンダ婆さんが泣きだす。


「アレン坊……」


 仲間の息子というのがどういう存在なのか僕にはまだ理解できないが、思い入れは人一倍強くなるだろう。しかし、アマンダ婆さんは泣いている暇なんかない。


「レナ、アマンダさん、頼んだよ!」

「うん……氷柱アイシクル!!!」


 レナとアマンダ婆さんが二人がかりで氷柱アイシクルの魔法を放つ。それは第十一階層から第十八階層の西の端めがけて氷の柱を形成していく。やや傾斜をつけて形成されていくそれはさながら滑り台である。土台の部分の補強のためにアマンダ婆さんは反対側からレナのつくった氷の柱を支えるように氷柱を形成していく。


「魔力が尽きるわい……」

「はい、これポーション」


 いつもは抗生物質として製薬する世界樹の雫を、一般の薬師のように魔力を回復させるポーションとして製薬した。さすがに薬師たちほどの回復力とは言わないけど、かなり魔力は回復するはずである。それを飲みながらレナとアマンダ婆さんは百メートル上空のベースキャンプめがけて氷柱を形成させていった。


 ふつうの氷ならば、百メートルまではいかないはずであり、土台部分が重さに耐えきれずに壊れてしまうはずである。しかし、レナたちの作った氷柱アイシクルの土台はかなりの硬度を為しており、ちょっとやそっとでは壊れない。


「あと、半分……」


 普段とは違う使い方であり、さらには絶え間なく魔力を振り絞る必要があるために二人とも辛そうである。僕の発案であるのだが、レナたちに頑張ってもらうしかないのだ。


「ア……氷柱アイシクル


 半分を越えだしてくると地上というか第十一階層からでは魔力が届きにくい。これまで以上の魔力が必要となってくるために、氷の滑り台の形成の速度はあきらかに遅くなった。このままでは百メートル先までは作ることができないのではないだろうか。


「魔力が、届かないさね」

「……氷を登ろうかしら」


 二人ともに滝のような汗をかいている。これほどに魔法を使うというのもあまりないのだろうというくらいに氷柱アイシクルの魔法を、それもかなりの高密度広範囲に使っているのだ。いくら世界樹の雫を飲みながらでも、常人であったらとっくに魔力枯渇になっていてもおかしくない。


 それでもレナたちは何とか四分の三くらいまでは氷柱アイシクルを届かせた。


「これ以上は、……無理……」

「この氷を登るしかなさそうだね」


 すでに限界に近い二人が、これほどの傾斜のついた氷を登ると言うのはむりだろう。滑って降りるのもかなり恐怖心があるはずで、壁のように感じられるに違いない傾斜のついた氷を、体力も魔力もない二人が登ることはできなさそうだった。




 ***




「ニーナ……」


 アレンは母の代わりに自分を育ててくれた使用人を想った。彼女が逝く前に、どうしてもやってあげたいことがあった。そのためにアレンは世界樹に登ったのである。

 ポーチを探る。救助にきた冒険者たちはアレンの想像の上を行く方法でアレンを助けようとしてくれているらしい。しかし、その力は徐々に弱くなってきており、もう少しでベースキャンプまで到達するかに見えた氷柱アイシクルは成長が止まってしまっている。


 どうしたものか、希望が持てた矢先である。アレンも助かる可能性があるのならば、第十一階層まで必要があると思っていた。落下の衝撃を和らげるもの、そんなものはこのベースキャンプには存在しなかったのだが。

 しかし、あの氷の柱であれば、つかまって滑るのだとしたら落下の衝撃はさほどではないのかもしれない。下に治癒師が待機していればなんとかなるだろう。


 アレンはもう少しで届きそうな氷の柱を見て思う。


「よし」


 ポーチから、あるものを取り出した。やや赤みがかったそれは、そうなるのを待っていたかのようにアレンには思えた。



 アレンはナイフを使い、その「世界樹の果実」を切ってほんの少しだけ口に入れると、咀嚼して、飲みこんだ。

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