第27話 細菌性膿胸3
世界樹の第十八階層にはベースキャンプと呼ばれる領域が存在した。しかし、ベースキャンプと行っても物資が持ち込まれているわけではない。ちょっとしたかまどと、雨風を防ぐことのできる場所、そして寝床が設営されているだけである。
作られたのはもう二十年も前になると、アレンは父親から聞いていた。それを作ったのが父親とそのパーティーだということもである。そして、それ以降第十八階層まで到達したパーティーはほんの一握りしかなく、現役でユグドラシル冒険者ギルドに所属している者にはいないのである。つまりはここまで助けに来てくれる者などいない。
「やってしまったか……」
折れた右足を引きずりながらなんとかベースキャンプまで戻ってきたアレンは粟粒のような汗を流しながらも壁に囲まれた寝床に横になることができた。水の魔法が使える彼にとって、ここのような安全地帯というのはありがたかった。折れた右足で地上まで帰るというのは土台無理な話ではある。しかし、今はそんな事も言っていられない。どうすればいいかを考えるよりも、まずは体力の回復を図る必要があった。最後になった自己治癒力回復のポーションを飲み干す。これだけで足の骨折が治るとは思えないが、飲まないよりは随分とましになるはずだった。
「食料は、これだけか」
腰のポーチには少量の携帯食のみがあった。だいたい一日分だと思えばよい。この世界樹に入ってから手を付けていないそれは栄養素が高くかさばらないためにアレンは常に携帯することにしていた。できうる限りは現地で調達したものを食べて来たのである。ほとんどは世界樹の樹液を舐めながら上に登っていた。しかし、ベースキャンプ付近に樹液がしみ出している場所はなかった。あれば魔物が近寄ってくるためにベースキャンプなど設営できなかったであろうが。
もう一つだけ食べることのできるものがあった。アレンはそれを採取するために世界樹を登っていたのである。やや赤みがかったそれは、ポーチの中で大切に布で包まれていた。
***
僕たちは準備が整うとすぐに世界樹へと向かった。ロンさんによると、後から増援の冒険者を第十階層へ向けて数名送り込む手はずとしているという。ただし、正規のルートから行かざるを得ない彼らが第十階層へとたどり着くのは明日になることだろう。
「第十二階層より上は十五年ぶりさね」
「アマンダさんしか経験者がいないんですから、頼みましたよぉ」
「とは言っても十五年前の記憶じゃし、このパーティーにはノイマンしか前衛職がおらんからの。お前がしっかりするんじゃ」
「ま、マジか……」
第七階層まではいつもの根っこの上を通る道順で進んだ。レナがいればグリフォンたちが襲い掛かってくることはなく、問題なく数時間で第七階層にまで到達する。ここからは、魔物との戦いを繰り返しながら進むしかない。ノイマンを先頭に、アマンダ婆さん、ミリヤ、レナがそれに続く形で僕らは進んだ。一番後ろは僕である。
「アマンダさん、アレンについて聞いてもいいですか? 彼は何故世界樹へ?」
アレンは冒険者ギルドを通した依頼で世界樹に登っているとは考えにくいと思っていた。何故ならばアレンは単独だったし、依頼であれば冒険者ギルドは全面協力しているはずだからだ。それを秘密裏に解決したいという事はアレンには世界樹に登らなければならない事情というのがあったのだろう。
「アレンの母親はアレンを産むとすぐに病死してしまっての……」
アマンダさんは僕の方を振り返らずに言った。アレンの母親という事は前領主の娘だろう。本来であれば領主を継ぐはずのアレンの母親が死んでしまったために、領主はランスターへと引き継がれたらしい。歩く速度を緩めることなくアマンダ婆さんは語った。
「ランスターと私たちはもともと同じパーティーだったんさ。ランスターは今のノイマンのように剣士で、私とロンと、他に二人合わせてSランクパーティーとしてユグドラシル冒険者ギルドの一番のパーティーと言われていたんさ」
世界樹の最高到達記録第二十階層を記録しているのがかつてのアマンダ婆さんたちのパーティーなのだとか。当時は一介の冒険者であったランスターをリーダーとしたパーティーは第二十階層であるものを手に入れた。そしてそれを手に、ランスターは当時の領主の娘へと求婚したのだとか。アマンダ婆さんはランスターがもともとは貴族の息子だったと、その時になって初めて知ったという。
ランスターと領主の娘の結婚が成立すると、パーティーは解散となった。一人はそのまま冒険者を続けるといいユグドラシルの町を抜け、一人は領主館専属の治癒師となり、ロンさんとアマンダ婆さんは冒険者ギルドの仕事を受けるようになった。二十年以上も前の話である。
「つまり、二十年もの間、第十八階層より上に行ったことのある人はいないってことですか?」
「ああ、そうさね。アレンの坊やを除くとね。あの子は一人でも世界樹の十八階層まで登ることができると聞いてるよ」
ほとんど前人未到に近い。二十年前の知識ということは地形というか樹の形が変わっていてもおかしくないのである。何が起こるか分からないという不安が僕を包む。以前、レーヴァンテインで冒険者をやっていた時ですらここまで情報が少ないということはなかった。というよりも情報が少ない場所には極力行かなかったのである。
しかし、アレンの命がかかっているというのは間違いない。すでに手遅れの可能性もあったけど、例えばその第十八階層のベースキャンプで身動きがとれない怪我をおっているかもしれないのだ。
気を引き締めるしかない。こう見えても僕はSランクの治癒師で、一緒に依頼に出かけた仲間を助けられなかったことはないのだ。背嚢の中に詰め込んだ応急処置に必要な器具が重たく感じた。
「おしゃべりはそこまででお願いしますよ!」
先頭を進んでいたノイマンが言った。見れば視界の先にはユグドラシルジャイアントビートルが三匹ほどいる。すべてをかいくぐって登ることは不可能だろう。そして先は長い。ここで体力と魔力を消耗するわけにはいかないと思った。
「ノイマン、僕と君でやるよ」
「おうっ……って! ええ!?」
僕はメイスを担いだ。アマンダ婆さんもレナも魔力を温存すべきである。そしてミリヤがいれば回復魔法要員は十分だろう。ならば、僕は前衛職の代わりをすべきである。ひさびさに着込んだ鎖帷子が頼もしい。
「ちょっと待っ」
「お先に」
僕は一番近かったユグドラシルジャイアントビートルに近づいた。僕に気づいたユグドラシルジャイアントビートルは角をこちらに向けて串刺しにしようとしてくる。それを余裕を持ってかわして、角の根本めがけてメイスでかち上げた。ボッキリと角が根元から折れ、さらに先端に鉄の塊を仕込んだブーツでそこを蹴ると完全に角がはずれた。こうなってはただの大きなカナブンである。
「とどめは任せたよ、ノイマン」
「治癒師に負けてられるかよっ!」
「治癒師じゃない、医者だ」
「なおさらだっ!」
僕の後ろから来たノイマンが剣を振るう。診療所を出るまでは不安と迷いで一杯だった僕の頭は、メイスを振る事によってなんだがすっきりしてきた。今できることをやる。それだけである。このユグドラシルの町で僕がもっともアレンを助けに行くとしたら適した人物であるに間違いないと思うことにした。
「ノイマン、あと一匹だ」
「おし、任せろ……って言ってるだろう!」
「もたもたしてられないんだよ、さあ行くよ!」
最後の一匹をノイマンが突き刺そうとする横から、僕はメイスを振りかぶってユグドラシルジャイアントビートルの頭部を潰した。頭を潰したくらいではまだ生きているために蹴り上げてもう一度胴体にメイスを食らわせとどめをさす。Bランク程度の魔物であれば僕も十分に接近戦ができた。だけどAランクの魔物がでてくるとなるとそれも難しくなるだろう。できるだけ樹液がでている付近に長居しないように移動する必要があった。
「魔力はできるだけ温存しとこう」
「シュージ、息が切れるほどには戦わないでよ。私も少しは魔法を使うわ」
「うん、分かった。ありがとう、レナ」
何事もバランスだろう。僕らは少しの魔法とノイマンと僕という前衛で第七階層を登った。すぐに世界樹の中央の空洞への入り口へと到達する。ここからが第十階層だった。
「出てくる魔物が少し変わるから用心するんだよ」
「ちなみに、どんなのが出てきますかね」
「一番厄介なのは、でかいムカデさね」
アマンダ婆さんの説明をミリヤに補足してもらうと、大ムカデという魔物がいるらしい。毒をもっているため、かまれると致命傷になりかねないのだとか。毒消しはミリヤが携帯していた。それに比較的簡単に
第八階層の中は日の光が届かないということもあってジメジメとしていた。朽ちた樹皮が積もってできた土の上に苔が生えている。ところどころ隙間から光が差しこんでくるが、足元は見えづらい。
「死角が多いから、気を付けて下さい」
ミリヤもノイマンも第八階層には何度も来たことがあるという。ここでしか採ることのできないキノコもあって、依頼で採取に来ることも多いのだとか。薬に使えるものではなかったからあまり興味がなかったけど、料理に使うと絶品とのことで、余裕があれば帰りに少しだけ採って帰っても良さそうだった。今は先を急ぐ。
第八階層から第九階層までは中央の空洞を突き抜ける道である。特に第九階層になると樹皮の壁を登る必要が出て来るらしく高低差が激しいとのことだった。世界樹を登る際にはあまり荷物を持ち込めないというのはこれが理由である。
さらに第十階層は反対側へと出て裏側へと回り込む道だった。あまり日の当たらない北側から北東の部分ということもあって第八から九階層で出てきた魔物も同じように出てくるのだという。幹がまっすぐではなく曲がり始めるのも第十階層からである。
「とにかく第十階層までいかないことには、それより上の景色が見えないんさね。天気が良ければ第十六階層まではなんとか視認できたりする」
「では、運が良ければ帰還途中のアレンさんを確認できたりもするんですね」
「ああ、そうさね。それにもう一つ目標とする階層があってだね」
「目標ですか?」
アマンダ婆さんは喋りながら杖の頭で左の肩をポンポンと叩いた。かなりの強行軍であり、アマンダ婆さんには辛いのかもしれない。それでも弱音なんて全く吐かないのがこの人である。
「第十二階層には、身を隠せる場所があったんだけどね、最近はどうなっているのやら」
「えっ、そんな場所知らないですよ」
「それはノイマンも私も第九階層が最大到達地点だから当たり前でしょ」
ミリヤがノイマンに的確なつっこみを入れている。少しはパーティに余裕がでてきたのだろうか。先ほどからあまり魔力を使わないでも魔物を撃退できるようになっているのが余裕に繋がっているのかもしれない。こういった時こそ油断しないようにしないといけないのだけども。
第八階層を進んで行く。大ムカデが一度出現したけど、不意打ちを食らう事なくレナの魔法で瞬殺されていた。他はCランク以下の雑魚ばかりで、特に僕たちの進路の妨げになるものはいなかったのである。
「さあ、ここを越えれば第九階層だよ」
アマンダ婆さんが立ち止まった。そこにはかなり急なというより壁に見えるほどの段差が広がっていたのである。それもほとんど朽ちた樹皮でできているために足場が崩れやすい。それを登りながら第九階層へと向かう必要があった。二十メートル程度は登る必要があるだろう。ロープなどを使おうにも、固定する場所がもろいために固定などできそうにもなかった。
「さすがに、ここはゆっくりと登らないといけないね」
「わたし、
「
世界樹を登るためには荷物は最低限で……、冒険者ギルドでそう言われた理由はこれか。今後もこんな急斜面とか狭い部分が増えてくるという事だろう。アレンも腰のポーチだけだったし、よく見るとアマンダ婆さんもあまり大きな荷物は背負っていない。
デカい背嚢を背負ったノイマンを見て大変だなと思いつつも、僕は久々の危険を伴った無茶な冒険に少しだけ興奮していたんだと思う。
僕らは樹皮の崖を登り切り、第九階層へと足を踏み入れた。
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