異世界に転移した僕は魔法で手術を行う病院を建てるんです。

本田紬

第1話 急性虫垂炎1

「考え直せっ!」


 ギルドマスターの怒号が響き渡った。


 ギルドの受付にギルドカードを置いた僕に向けての言葉だった。現役の頃は巨大なハンマーを振り回していた元Sランク冒険者であるギルドマスターのレイヴンの睨みに耐えられる人間はそう多くないが、僕は違う。テーブルに置かれたギルドカードは金色のSランクを示していた。


「レイヴン、もう決めたことなんだ」

「お前ほどの癒し手がいなくなるという事がどれほどの損失なのか分かっているのか!?」

「ああ、すまない」


 議論は平行線である。というよりも僕が平行線にしている。なによりこの状況は想定内だったからだ。いっぱいシミュレーションしてきた。


「やりたい事があるんだ」

「それはなんだ!?」


 西方都市レーヴァンテインの冒険者たちの中でも異彩を放っていたのが僕である。強力な回復魔法と高品質のポーションを作り上げる精製魔法の使い手で、僕がパーティーに入っている間に死んだ冒険者はいないと言われているほどの使い手だった。事実、誰も殺していない。


「……」

「そんなので納得できるかっ!?」


 レイヴンの拳がテーブルに叩きつけられる。はずみでカードが浮き上がった。屈強な冒険者たちの喧嘩にも耐えられるようにギルドのテーブルはかなり頑丈にできているが、それでもそのテーブルが壊れかけて傾いた。


「すでに皆には話した。納得はしてくれていないけど」

「当たり前だ!」

「もう、決めたことなんだ」


 席を立った。これでレーヴァンテインに来ることも当分ないだろう。数年間、ここを拠点に多くの依頼に出かけた。名残惜しいのは否定しない。


「シュージさん」


 振り返ると、そこにはブラッドとシードルがいた。ブラッドは盗賊、シードルは戦士である。シードルが泣きそうになっていた。彼は引退したレイヴンの代わりにパーティーに加入したために僕とはまだ三年しか共にしていないが、ブラッドとはすでに八年以上の関係となる。二人ともにAランクだ。


「お前がいなくなるという事は解散だな。ま、俺はそれでもかまわない。自分の身の丈に合った場所に落ち着くだけだ」


 ブラッドはそう言うと踵をかえしてギルドから出て行った。扉を開けて、去り際に一言だけ言う。


「今までありがとうな」

「ああ、こちらこそ」


 彼が斥候をしてくれたおかげで乗り切れた依頼がいくつあったことか。誰よりも機転が効いて、頼りになる男だった。


 シードルはまだ残っていた。


「シュージさん、やっぱり……俺、どうしても納得できないす」


 シードルは俺やレイヴンに憧れたといって加入してくれた冒険者だった。若い分、体力があり様々な場面で皆の盾となってくれた重戦士である。その戦い方は当初こそレイヴンの真似をしていたものの、自分の特性が出るようになってからは立派な戦士となった。


「ごめんな、シードル」


 一度、シードルは魔物との戦いで死にかけている。僕の回復魔法がなければ出血死していただろう。他の癒し手では助けられなかったはずだと、僕は判断していた。彼が助かって本当に良かった。だけど、僕はそこで自分の限界にも気づいた。いや、むしろ準備が整ったのに気づいたと言ったほうがいい。

 泣いてしまったシードルの肩に手をかけて、でも僕は振り返らずにギルドを出た。後ろから何かが壊れる音がしてたけど、多分レイヴンがテーブルを壊した音なんだと思う。



 荷造りはすでに終わっていた。ずっと拠点にしていた宿へと戻ると、宿の主人とおかみさんに礼を言った。二人ともに寂しがってくれた。


「これからどこに行くんだい?」


 何をやるかは教えないつもりだったけど、行く先くらいは教えてもいいかもしれない。


「ユグドラシルの町です」

「ほー、世界樹のある所だね」

「ええ、馬車でも結構かかりますから長い旅になりそうです」


 ユグドラシルの町は大陸の反対側にあった。馬車で行くとすれば、一か月くらいかかりそうである。だけど、それでもいい。急ぐ理由はあまりなかった。


「荷物が多いねえ」

「ええ、大半は本ですが」

「シュージさんは勉強家だったものね」


 宿の部屋には所せましと本を置かせてもらっていたが、床が抜けそうだったために近くに倉庫を借りたのである。その本もほとんどは破棄せざるを得なかったから、ギルドに寄付した。持っていくのは本当に重要で貴重なものだけだけど、それでも馬車一杯になる。


「旅を、楽しもうかと思ってます」


 別れを済ませると、僕は馬車に乗り込んだ。荷車の部分にある荷物が落ちないことを確認して、レーヴァンテインを出るために馬を歩かせた。

 ゆっくりとした一人旅になるだろう。……と、思っていたのだけどそうはならなかった。




「へえ、ユグドラシルの町に行くんだ?」


 馬が急に動かなくなった。ため息をついて、その原因を作った人物に声をかける。


「レナ、頼むから馬にむかって魔法を使うなんてことはしないでくれ」

「あなたには私に何かを頼む権利があるの? 私の言う事は聞いてくれなかったくせに」


 そこにいたのはパーティーメンバーだったレナである。ハーフエルフのSランクの魔法使いだ。

 僕とレナは八年前にレイヴンのパーティーに誘われた時からの仲である。といっても、レナが参加した時は十八歳だったからまだ二十六歳と若い。僕はすでに三十五歳になっていた。それだけの若さでSランクというのは天才以外に形容のしようがない。


「教えなさいよ、何をしにユグドラシルへ行くの? それに私の転移テレポートを使えば早いのに何で頼みに来ないのよ? ユグドラシルは大陸の反対側じゃない」


 たしかに転移テレポートの魔法があればユグドラシルまですぐに行くことができる。レナは魔力量も多いからレーヴァンテインからユグドラシルにまで転移することも可能かもしれない。


「ごめん、君たちを巻き込みたくないんだ」


 でも、僕がこれからやろうとしていることを知ったら、冒険者には戻ってもらっては困る。それにレナたちはまだレーヴァンテインに必要な冒険者のはずだ。これは僕が言える立場にはないけれど。


「危険なことなの? そんなのいつもの事じゃない」

「レナたちはやるべき事があるはずだよ。僕はもう冒険者は引退するんだ」



「…………ついていく」

「は?」

「私はシュージについていく!」


 顔を真っ赤にしたレナはそういうと急にギルドカードを取り出して転移テレポートを使ってどこかに行ってしまった。


「……ついて行くって、言っておきながらどっかに行っちゃった」


 相変わらず行動の読めない女の子である。非常に強い魔力を持ち、高度な黒魔法を使いこなす凄腕魔術師であるにもかかわらず、たまに理解不能な行動をすることがある。


「まあ、巻き込んでも仕方ないしな」


 馬車を進めた。馬にかかったレナの麻痺魔法はすでにとけていたようである。少し怯えていたが、それをなだめてなんとか馬車が進みだした。


「あーっ!?」


 少しだけ進めると、後ろからレナの声がした。また戻ってきたのか。


「ついてくって言ったのに、なんで出発してんのよ!?」


 怒りながらレナは馬車の後ろに走って乗ってきた。


「だめだよ、僕についてきちゃ」

「私も引退してきた」

「え?」

「レイヴン、ものすごい怒ってたから睡眠スリープで眠らしてきちゃった」


 ……なんということを。今頃ギルドは大騒ぎだろう。Sランクが二人も引退したのだ。


「レナ、いますぐ帰ってレイヴンに謝ってきなよ」

「嫌よ、私はシュージと一緒に行くの」

「なんで僕について来るんだよ」


 すると背中を蹴られた。痛い。


「馬鹿っ! シュージの馬鹿!」


 なんて理不尽な。理由を聞いたら馬鹿呼ばわりなんて意味が分からない。


「とりあえず、ここにいたらギルドから追手が来るかもしれないから、テレポートで飛ぶね」

「えっ? ちょっと……」

転移テレポートぉぉぉ!!」


 レナは強引に馬車ごと僕らを転移テレポートでユグドラシルまで飛ばしたのだった。すぐに景色が変わる。僕はこの転移テレポートでの移動が少し苦手だったりする。乗り物酔いするような感覚が強いのだ。さすがに吐いたりはしないけど、吐きそうになる。


「さあ、ついたわよ! それで、どこに行って、何をするの!?」


 ああ、もう強引なんだから。気づいたらユグドラシルの町の入り口だった。急に転移で現れた僕らに門番たちがぎょっとしている。


「とりあえず宿をとろう」

「そうね、前にも行ったことのある宿がいいかしら」

「うん、あそこの宿は清潔でよかったね」

「ここまでの転移テレポートでほとんど魔力がなくなっちゃったわね」


 昔、依頼でこのユグドラシルの町まで来たことがあった。あの時はレイヴンもブラッドもいた。

 レナのおかげで旅費がかなり浮いた。昔のようにちょっと良い宿をとっても何の問題もないと思うし、お礼の意味も込めてレナにご馳走をしてあげようと思う。




 ユグドラシルの町はその名が示すとおり、町の北部に世界樹の木が生えている。むしろ世界樹の木の日当たりが悪くない部分に町ができていると言っていい。そして、その世界樹は登るにつれて内部が空洞化した部分があり、階層ごとにわけられていてダンジョンと化していた。ちなみに第六階層までは根っこの部分であり幹ですらない。いまだに成長しつづける世界樹の最上部は第二十階層と言われているが、もっと高いのかもしれない。


 宿に入り、馬車を預ける。結局、馬もほとんど歩いていないからあまり疲れてなさそうだった。ここで使う予定はないから、レナにレーヴァンテインまで持って帰ってもらうか売るかを考えなければならないのだけど。


「ここの酒場は鶏肉料理が絶品だったよね」

「そう、あれをまた食べたいね!」


 実はこの時にはレナを説得して帰らせるのを諦めていた。というより、付いて来てくれたことが思いのほか嬉しかったのである。


 酒場に入ると、テーブルが一つだけ空いていた。まだ夕方だというのにかなり混んでいる。

 名物料理であるユグドラシルチキンのローストを注文して、お互いにエールを飲むことにした。二人きりで酒を飲むなんて久しぶりどころか、初めてかもしれない。この数年間は、冒険者として皆とともに過ごしてきたからだ。


「レナ」

「それで、これからどうするの? 何をしにきたの? 教えなさいよ」

「待って、その前にこれを聞いたら後戻りできなくなるよ」

「ええ、いいのよ。シュージについていくって言ってるでしょ」


 そんなに僕についてくると儲かるとでも思っているのか。まあ、その考えはあながち間違っていないけど、Sランク冒険者やってた方が稼ぎはいいんだ。

 どこから説明しようか。といっても馬鹿正直に全部説明したところで理解はされないし、信じてももらえないだろう。


「僕はね、普通の治癒師とは違うんだよ」

「そんな事知っているわよ。レーヴァンテインで最高の治癒師だったじゃない」

「違うんだ。僕はそもそも治癒師ではない」

「は? じゃあ、何だって言うのよ」


 ユグドラシルチキンのローストにナイフを入れていたレナの手が止まった。そうか、そういう言い方をしてしまうと僕は八年間もの間、レナたちを騙していたことになる。

 なんて表現すればよいかを悩んでいると、酒場の入り口が騒がしくなった。冒険者たちが騒いでいるらしい。


 そうか、ここはユグドラシルの町の冒険者ギルドの酒場だった。一般客にも開放されているから何も思わなかったけど、僕らは冒険者ギルドをやめて来たんだ。少しだけ寂しい何かが僕の胸に落ちていった。


「何と言えばいいか、説明するよりも見てもらったほうが早いんだけど、とりあえずは僕は特殊なんだよ」

「言ってることが分からないわ」


 ユグドラシルチキンを食べるのを再開しながら、レナは困った顔をした。僕も思いっきり説明してあげたいのはやまやまだけど、どう説明すればいいか分からない。


 考えているうちに、諦めた。数日一緒に行動すればレナにも分かるだろう。僕が諦めたのが分かったようで、レナはちょっとだけ不機嫌な顔をしたけど、そのまま美味しそうにエールを飲んでいた。



「この中に治癒師はいないかっ!?」


 そんな時である。酒場の入り口で騒いでいた冒険者たちの一人が、叫んだ。


「誰でもいい! 報酬は後から払う!」


 どうも仲間の治癒師の魔力が尽きたらしい。倒れている仲間を救いたいのだろうか。必死な形相で戦士風の男が叫んでいた。


「どうしたんだろう」

「さあ……」


 不慣れな土地である。これがレーヴァンテインの冒険者ギルドであれば、すぐに僕に視線が集まるのであろうが、ここはユグドラシルであった。代わりに客の中から数名の治癒師らしき人が席を立って入り口の方へとかけていく。一般的な怪我くらいならば彼らに任せておけばいいのだろうと僕は思い、そのままレナと食事を継続することにした。そのかわり、入り口での騒ぎに耳を澄ませている。レナも同じようだった。



「は、腹が痛いんだ……」

「怪我をしたわけじゃないんだな。君たちの仲間の治癒師はどれくらい回復魔法をかけたんだ?」

「そ、それがもう何回も……」

「何だって!? もしや、呪いか!?」

「分からない、でもあいつはもう魔力がないんだ。お願いだ、回復魔法をかけてやってくれ!」


 呪い、そう聞いて酒場の中がどよめいた。



 呪いには回復魔法が効かない。どんな凄腕治癒師がどんなに高度な回復魔法をかけたところで、一時的に痛みが治まることはあっても、治ることはなかった。むしろ、回復魔法が効かない状態異常を指して「呪い」と呼ぶ。

 呪いは自力で治す以外の方法がなかった。そのために呪いにかかった人間は回復魔法をかけながら呪いが消えていくのを待つしかないのである。痛みを和らげるために回復魔法をかけることも多かったが、すぐに痛みはぶり返し、治癒師に払う報酬もかなりのものになったあげくに救えなかったという事も多い。


 少しだけ様子を見ていたけど、やはりその冒険者は呪いにかかっていたようで、数名の治癒師が回復魔法をかけても良くなることはなかった。腹が痛いといいながら背中を丸めて横になる冒険者は額からかなりの汗を流し、顔を真っ赤にしていた。


「シュージ、どうする?」


 レナが言った。どうするとは、僕も回復魔法をかけにいくかどうかという事の相談である。ここで生活していくことになるのであれば、治癒師として顔を売っておくというのも選択肢の一つだろうとレナは思ったのだろう。しかし、僕はそんなつもりはなかった。


「レナ、ちょっと待ってね。僕はここで治癒師をするつもりがないんだ」

「じゃあ、放っておく?」

「いや、見殺しにするつもりはないから安心して」


 僕があの冒険者を見殺しにすると思ったのか、レナが不安な顔をした。レナは心根が優しいのだ。


「もう魔力がないぞ!」

「裏手に治癒師の開いている診療所がある。飲んだくれの治癒師だが、魔力はあったはずだ」


 集まった治癒師全員が回復魔法をかけ続けても、その冒険者の腹痛は治ることはなかった。その周囲では仲間が項垂れてしまっている。


「ノイマン……なんでこんな事に……」

「な……泣くなよ。お前らと一緒に冒険者ができて……俺は楽しかったぜ……」

「馬鹿野郎! 諦めるなっ!」


 特に仲間の治癒師は自分の力不足だと思っているのか、一向に立ち上がろうとしない。


「ミリヤ……お前が悪いんじゃない……」

「ノイマン……ごめん……」


 見ていられないと、酒場の中の客の多くがその現場から目を背けてしまっている。レナも思う所があるのだろう。さっきから全く食事が進んでいなかった。


「レナ」

「な、なに?」

「手伝って欲しいことがある」


 僕はエールを飲み干すと、ユグドラシルチキンのローストを乱暴に口の中に入れた。食べろとレナに身振りで伝えながら急いで噛んで飲み込む。


「早く食べて」

「わ、分かったわよ」


 冒険者は裏手にあるという診療所へと運ばれていったようだった。そこで回復魔法をかけられるのだろう。だけど、あれは回復魔法では治らないのは分かっている。


「魔力はまだちょっと残ってるよね?」

「ええ、少しだけね」

「ちょっとあれば十分だよ」


 レナがいてくれて良かった。僕がやりたい事は僕だけじゃなくて黒魔術師がいないとできないんだ。こっちのユグドラシルの町で雇おうと思っていたけれど、こんなに早く仕事が舞い込むなんて。


「あれは治らないわよ」

「ん? そんな事ないよ」

「呪いでしょ? シュージがいくら回復魔法をかけたとしても治るわけないじゃない」

「たしかに回復魔法じゃ治らない。でもね、……あれは呪いじゃない」

「じゃあ、何なのよ」


 僕はにやりと笑った。



「あれはモウチョウ、つまりは急性虫垂炎だ。僕ならばあれを手術で治すことができる」



 何を隠そう、僕は異世界の日本という国から転移してきた宮城修司という名の、外科医である。

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