第24話 風間親子の目的

 橋本と野崎はタクシーで、病院へ急いだ。

 

「橋本、彩乃が出ない。洋子さんも仕事中なのか電話は出ない。どっちにもメールしておくよ。病院に監視はついてたんじゃないのか。」

 

「草野と言う刑事がいたはずだが…。」

 

 二人は、病院に到着すると、4階の病棟へ階段を駆け上がた。

 

 病棟内は、夜勤の看護師の他に、騒動で落ち着かない患者や、連絡を取り合っている病院の上層部らしき人間が数人おり、慌ただしく動いていた。

 

「橋本さん、すみません!」

 

 草野が深々と頭を下げた。

 

「いったい、どういう事だ。」

 

 草野は、橋本を前に、顔をこわばらせながら、状況を話した。

 

「はい、若い女性の面会がありました。面会コーナーで話をしていたのは見ていたんです。面会簿には友人、小川花子と記載されてました。誰とも話さないって聞いてましたが。」

 

「なんか、とってつけたような名前だな。で、どんな様子だった。」

 

「櫻井さんの方は、驚いた表情をしてました。けっこう小声でしたから、話の内容までは分からなかったですが、目を離さずに見てたんですよ。そしたら階段の方から、女性の悲鳴が聞こえて、階段の上から下まで降りてみましたが、誰も確認できませんでした。急いで、ここへ戻ってくる途中に、今度は火災報知器が鳴ったんです。下の方から、同じ声かは分かりませんが、女性の声で、『火事だ!』って聞こえて、それで、すみません、ここへ戻らずに、数分、離れてしまいました。」

 

「そうか、偶然ではないな。」

 

「それで、火災報知器も誤作動っだったらしく、今のところ、火災が起きたという事象は確認できていません。今、消防も来て、詳しく調べています。」

 

 消防の木田が、病棟師長に説明に来た。

 

「あ、師長さん、事務長さんも。火災報知器は、1階の廊下のリネン庫前のボタンが押されてました。いたずらですね。」

 

 

「くそっ、やられたってことか。」

 

 草野は、頭を抱えた。その声に、木田が振り向いた。

 

「何かあったんですか?」

 

「実は、入院患者さんが、今の騒ぎでいなくなったんです。ある事件への関与が疑われる人物だったので、監視をしていたんですが。」

 

「そうでしたか、よく子供のいたずらだったりしますが。事件性があるなら、防犯カメラ確認してもいいんでは。リネン庫の前にはついてましたよ。」

 

「あの、すみません。事務長の安達です。火災でなくて良かったのですが、要注意の患者の無断外出という事で、これは安全性の上で問題があります。刑事さんが監視していたというので、我々も、いくらか安心しておりました。名を隠しているような人物ですから、犯罪に繋がらないか、非常に危惧しております。」

 

「事務長さん、こちらこそ、ご迷惑おかけしまして、申し訳ありません。今、全力で行方を追っております。火災報知器の場所が分かっていたとも考えられるので、病院内の事がよくわかっている人物の関与も疑われます。またご協力お願いします。それで、早速ですが、防犯カメラの確認したいのですが。面会人の事はこちらでも調査します。」

 

「分かりました。すぐ手配します。」

 

 事務長が携帯で連絡を取っている間に、橋本は、面会人の人相の調査を始めた。

 

「草野、若い女ってどんな女だ。」

 

「165cmくらいでしょうか。紺のワンピースに眼鏡と肩までの茶髪。化粧がちょっと濃い感じだったかも。」

 

「一瞬彩乃かとも思ったが違うな。誰だろうか。」

 

「看護師の話では、ちょっと何か違和感があったって。あ、あの看護師さんです。あ、すみません。」

 

 草野は、夜勤で忙しそうに、廊下を行き来していた看護師を看護師を呼び止めた。

 

「すみません、お忙しいところ。橋本と言います。看護師さん、違和感ていうと。どんな。」

 

「さっきは、分からなかったんですけど、違和感が何なのか、気になって考えてたんです。たぶんなんですけど…、あの方、男性だと思うんです。」

 

 草野は、その看護師の顔を驚いた様子で見た。

 

「えっ、男性?自分は普通に、女性だと思ったけどな。どうして、そう思ったの。」

 

「なんていうか、顔は確かに、可愛い感じだったんですけど、あのワンピースはないなって。よく女装する男性が着ているような印象だったんです。あと、面会簿に記入していた時の手の甲です。色白でしたけど、あれは男性だと思うんです。」

 

「なるほどね。さすが、女性は鋭いな。ありがとうございます。」

 

「すみません、あの、もう少し、声を落としてもらえませんか?もう、消灯時間なんで。今の騒ぎで、患者さんたちが落ち着かなくて。」

 

「ああ、すみませんでした。そうですよね。」

 

 橋本は声のボリュームを落とした。

 

「よし、男性の線も含めて、調べるか。野崎、彩乃さんから連絡は?」

 

「彩乃から、連絡はありません。洋子さんからは、明日、こっちへ来るって連絡が今あった。」

 

「そうか、何か嫌な予感がする。蛇夢行ってみるか。」

 

 そう言った橋本に、野崎は意味ありげに視線を送った。

 

「なんだよ、野崎、これは、れっきとした仕事だよ。」

 

「別に、何も言ってないじゃないか。」

 

 アルコールが残っている二人は、タクシーで、蛇夢まで飛ばした。

 

 

 慌てて入ってくる橋本と野崎に、嵐と達也はただならぬ空気を感じた。

 

「あら、何かあったの?」

 

「加奈子さんが、いなくなった。彩乃さんはここに来なかったか?連絡がつかなくて。」

 

「えっ、来てないよ。自分らも彩乃と連絡取れなくって、どうしたんだろうって言ってたとこ。」

 

 草野から橋本に連絡が入った。防犯カメラに火災報知器を押す女性が写っていたと。面会の女性に扮した人物らしき者も、病院の裏玄関の防犯カメラに写っており、看護師に確認したら、面会した女性らしき人物に間違いないという事で、二つの画像が送られてきた。

 

「ちょっと、確認してもらいたい。この画像に写っている人物、見覚えあるか?」

 

 嵐に面会人の方の画像を見せた。

 

「いやぁ、分からないな。ママ、どう思う?」

 

 橋本は、達也ママにもその画像を見せた。

 

「そうだな、ママなら分かるかも。この人、実は、男性かもしれないんだ。」

 

「あら、そうなの?どうかしらね。可愛い感じだけど、目のとこがよく見えないわね。メグミさん分かる?」

 

「あら、やだ、この人、平和ちゃんに似てない?この口元。口紅が似合うと思って、想像してたのよ。肌のきれいなこの顎の線も。似てると思うんだけどな。」

 

「こんな格好したことないでしょ。だって、平和、トラウマって言ってたじゃん。」

 

「トラウマ?」

 

「小さい頃、お母さんに女の子の恰好をさせられてたって、言ってたわね。」

  

「でも、平和だとしても、なんで、こんな格好を。というか、この人なんかしたの?」

 

「女装したと思われる面会者と加奈子さんが面会中に、女性の悲鳴と、火災報知器が作動したんだ。その騒動で、みんなの目が離れた隙に、加奈子さんとその面会者がいなくなってたんだ。」

 

「え、橋本さん、それどういう事?」

 

「風間平和さんの母親は、旧姓を小坂典子と言って、加奈子さんの夫の不倫相手だ。おそらく、加奈子さんを智子さんだと思ってて、昔、二人には色々あって…。その悲鳴と火災報知器は、典子だと思っている。何年もかけて、探したんだろうな。よほどの恨みなのか、何なのか。」

 

「あの平和が?まさか…。」

 

「彩乃は、何か変わった様子はなかったか?」

 

「いや、ただ、能登から帰って来てから会ってなかったし、昨日から連絡してるんだけど、返事が来ないんだ。返事遅くなることはあっても、無視されることはないから、心配で。」

 

「加奈子さんと、彩乃さんがいなくなったという事だな。15年前の火事が関係しているのかも。」

 

「でも、なんで彩乃まで…。あ、もしかして…。」

 

「なんだ、言って見ろ。」

 

「でも…。」

 

「嵐ちゃん、言った方がいいわ。」

 

「分かった。実は、15年前の火事、彩乃が火をつけたかもしれないんだ。父が言ってた。」

 

 昭の絵本から、嵐自身が、彩乃に火をつける事を煽ったことも話した。

 

「かちかち山?はあ、絵本の昔話がそういう風になるのか、恐ろしい話だ。火をつけたのは、彩乃の可能性もあると、野崎も記憶の中で思い出してたんだが。」

 

「やっぱり、そうなのか。父からそう言われても、誰も彩乃が火をつけるところを見てないし、違っていてくれって思ってた。」

 

「嵐さん、どこか、行きそうな場所分からないか?」

 

「全然見当つかないよ。」

 

 

「移動にはリスクがあるだろうから、そう、遠くには逃げてないだろう。携帯のGPSも追ってみたが、携帯を切ってるようだ。」

 

「彩乃の携帯も昨日まで、呼び出し音が鳴ってたんだ。今、電波が届かない云々のアナウンスが流れてる。」

 

 橋本の携帯が鳴った。

 

「駅前の川崎ビルだな。」

 

「場所分かったのか?」

 

「いや、平和の職場に問い合わせをしたところ、今日、オープン前の飲食店のガスの配管の工事に行ってるはずだと。管理者は今日は行けないから、鍵だけ預かって、平和が一人で施工しているはずだと。」

 

「あら、ここから、近いじゃない。」

 

「自分も行きます。」

 

 嵐が、席を立った。

 

「嵐さんは、ここで待ってて。」

 

「彩乃が危険な目に遭っているかもしれないのに。」

 

「そこに、いないかもしれないし、いたとしても危険だ。」

 

「何か分かればすぐ連絡するから。」

 

「嵐ちゃん、ここで、待ちましょ。」

 

 

「100m全力疾走なんて、何年ぶりだろうな。」

 

 二人は、ネオン街の人込みの中を走った。サラリーマンや最近は若い女性も目立つ。いつもなら、この中に自分たちも紛れ込んでいるのだが、今の自分たちには。違う時間が流れているように感じた。

 

 橋本は、息をハアハア言わせながら、いくつもの店の看板が掲示してある、ビルの階段の入口に着いた。

 

「エレベータがあるな。野崎、ここで待っててくれ。階段で行くから、もし、降りてきたら、すぐ連絡くれ。」

 

「わかった。」

 

 橋本は、コンクリートの暗い階段を、足音を立てないように、3階まで上がった。

 

 営業している店もあったが、1か所だけ、看板の電飾が点灯していない店が一つだけあった。

 

「ここか。」

 

 ドアに耳を中てて見たが、良く聞こえない。

 

「あの、ここ、いいですか?」

 

 橋本が振り返ると、段ボールの荷物を両手で抱えた男が立っていた。

 

「宅配?」

 

「はい、ここの荷物なんですけど。」

 

「こんな遅い時間に?」

 

「はい、どうしてもって、すごい剣幕で言われて。個人でやってるので、仕方なく。」

 

「ちょっと待って。」

 

 橋本は事情を話した。

 

「えっ、荷物どうしましょう。」

 

「依頼主は誰になってる?なんの荷物だ?」

 

「小川花子ってなってます。衣類って書いてあります。」

 

「その帽子と上着、貸してくれ。その眼鏡も。荷物、自分が渡すから。」

 

「あ、はい。」

 

 橋本は、一階の野崎に連絡した。状況を話し携帯を通話状態にして、宅配業者を帰した。通話の内容で、草野に連絡するよう頼んだ。

 

 橋本が呼び鈴を押そうとしたとき、中で物音がした。

 

 誰かいるな…

 

 深呼吸をし、呼び鈴を押した。

 

「すみません、宅配です。」

 

 変装も何もしていない平和が出てきた。

 

 橋本は、ボールペンを渡し、荷物の上で、サインを書いている時に、荷物を平和の腹部にぐっと押し付けたまま、強引に中へ入った。

 

「な、なんなんだ、お前は。」

 

 不意を突かれた平和は、押された弾みでバランスを崩し、隅に寄せてあった、テーブルと椅子に体をぶつけた。

 

「加奈子さんと、彩乃さんはどこだ!」

 

 カウンター越しの調理場の方から、バタバタと物音がした。

 

「ここか!」

 

 カウンターの中を覗いた瞬間、刃の先が目の前に飛び込んできた。

 

 典子だった。

 

「平和、この男、誰なんだ。」

 

「刑事だよ。綾乃と嵐んとこに来てたんだよ。」

 

「ここへ来たってことは、私たちが、誰かわかってるんだね。あんた、今、加奈子って言わなかった?。」

 

「あぁ、言ったよ。その女性は加奈子さんだ。それに、あなたたちは、風間典子と風間平和だな。」

 

 加奈子と、彩乃は、両手を後ろに結束バンドで縛られていた。二人は、調理場の調理台やシンクに挟まれた狭い作業場に、横に並び、肩を寄せ合い、冷たいコンクリートの床からくる寒さをしのいでいた。そして、何故か、鍋が火にかけられていた。

 

 そのそばでは、風間典子が包丁を二人に向けていた。

 

「はあ?何言ってるのよ。加奈子は死んだんだよ。」

 

「火事で亡くなったのは智子さんだ。そうだろ、加奈子さん。」

 

「そうです…。私は加奈子です。」

 

「命が欲しいか。くだらんウソを言うな。少しでも、変な動きしてみろ、喉元をこれで、スパッと行くからね。」

 

「なんでこんなことをするんだ。」

 

「おっと、危なかったね。ちょっと大人しくしてもらおうか。」

 

 橋本は背中に何か当たったのを感じ、青ざめた。カウンターに両手をかけた体勢のまま、動きを止めざるを得なかった。

 

 拳銃…。

 

「あの荷物に入っていたのか?」

 

「ああ、そうだ。まさか、あんただって思わなかったよ。何故、俺だってわかった。」

 

「あんなヘタクソな女装、男と言うのはすぐ分かったよ。蛇夢のママたちに見せたら、あんたみたいだって。あんたら、智子さんだと思ってるみたいだが、その女性は、加奈子さんだよ」

 

「だから、ウソつくんじゃないよ。この女は智子だ。加奈子は火事で死んでるはずだ。」

 

 典子が、彩乃らに包丁を向けたまま、話に入ってきた。

 

「あたしはね、この智子にひどい目に遭ったんだよ。光一はね、加奈子と別れて、私と結婚するって言ってたんだよ。それが、この智子が押しかけてきて、光一は私と結婚するから、手を出すなと言って来たのよ。光一も後からきて、手切れ金で済まそうとしたのよ。一円ももらってないけどね。この女に騙されたんだよ。」

 

 典子は包丁を加奈子に向けた。

 

「じゃ、何故、彩乃さんまで、連れ去ったんだ。」

 

「あの火事の時、平和が見たのよ。智子が彩乃を助け出したってのを。彩乃で、誘えば絶対来るって思ったから。智子、あなた保険金持って逃げたんでしょ。知ってるんだから、加奈子の保険金、母親の文子が受け取ったって、智子がもらいに行ったって聞いたんだから。私にももらう権利があるのよ。」

 

「金が狙いか。」

 

「そうよ、お金と恨みよ。彩乃を人質にすれば、智子が来るって思ったのよ。お金もね。私たちの幸せをこの智子が奪ったんだから。」

 

「なぜ息子を巻き込んだ。」

 

「母さんは関係ない。自分から、この計画を持ち掛けたんだ。」

 

 平和が、橋本背中に突き付けた拳銃をぐっと強く押した。

 

「なんでだ。理由がわからない。」

 

「分からないだろうよ。誰も認めくれない人生なんて、誰も分からないさ。」

 

「だから、SNSで評価が欲しくて、爆発させたのか?」

 

「あぁ、そうだよ。みんな“いいね”だってよ。人が死んでんのに、“いいね”だって、笑っちゃうよな。5年前、その智子に見られたんだよ。まあ逃げ回っていたから、密告もできなかったんだろ、こっちにとっては都合が良かったね。」

 

 平和は、人が変わったように、声を荒げ、興奮を増してきた。

 

「この前の爆発事故もだろ?なんでだ。」

 

「単純に、智子の口を封じようと思ったんだよ。当ったり前じゃねえか。母さんと標的が同じだったってことだ。しかし、バレないもんだな。どっちも腐りかけのガス管にちょっと薬品かけただけだよ。元々、ボロボロだったから、簡単にガス漏れしたんだよ。ガス検知器も、故障したやつに変えておいたのさ。」

 

「5年前、あの店で、私がパートで勤め始めてたのよ。確かに、前の日と事故の当日、ガスの修理に来てたわね。あのご主人と知り合いのようでしたけど。」

 

 加奈子が震える声で話始めた。

 

「そうだよ、自分が火をつけなくても。あとは、いつもの通りに、あの男がたばこに火をつければボカンってな。」

 

「もしかして、身元不明だったやつか?」

 

「そうだよ。母さんの再婚相手だ。元々、腕のいい料理人だったらしいが、ひどい奴だったよ。DVで、母さんへの暴力が絶えなかったんだ。稼いだ金は酒と女に消えた。借金まみれで、名前も変えて、自分の名前まで貸したことがあった。やっと、働く気になって、しばらく賃貸の空き店舗になってたとこを、見つけてやったんだ。ガス工事タダでしろっていうから、頭にきて、プチッと何かが切れたんだ。あぁいう時って、本当に音ってするんだね。だからガス管、細工しておいたよ。まあ、偶然とはいえ、パートで雇ったばかりの智子もいたしね。」

 

「すぐわかったのか?」

 

「名前変えてたから、気が付かなかったけど、母さんが、開業の準備をしている、あの男の様子を見に来た時、智子だってわかったんだよ。だから、どう調理しようか考えてた時に、プチッとね、チャンスが来たんだよ。一石二鳥って言うんだよね。こういうの。手間が省けるだろ?。でもあんなに上手く行くとは思わなかったよ。」

 

 平和は、口角を上げ目を見開き、笑っていた。

 

 橋本は、笑顔というものが、こんなに恐ろしい感情を持つのを初めて経験した。

 

「おまえなぁ、あの事故で、まだ19歳の女の子も犠牲になってるんだ。なんとも思わないのか。」

 

「そんな事知ったこっちゃない。あの男と智子を狙っただけなんだから。でも、智子が死んでないってわかった時は、悔しかったな。ん?誰か呼んだのか?」

 

「ああ、警察の応援が来たのかな。スマホずっと通話にしておいたから、全部聞こえてたよ。みんな聞かれてるから、今、取り上げても、無駄だね。」

 

 娘の話が出て、たまらず、野崎が店の前まで来て、ドアを壊そうと、体ごとぶつけていたのだった。

 

 一階では、『応援が来るから、来たら場所を教えろ、』野崎に言わた宅配業者が、落ち着かずうろうろしていた。

 

 ドアが、ドンドンと音を立てる中、加奈子が泣きながら、話を始めた。

 

「あの、あの若い娘さん、私と会う予定だったのよ。彼女、駅で財布を落として、困ってたから、私、少し貸してあげたの。返すのは、いつでもって。仕事先と、この時間なら自分がいるからって。でも、2.3日して、返しに来てくれるって連絡が来て。彼女が早めに着いていたのね。このビルに入ろうとした瞬間に、ものすごい音がして…。お店に行ったらドアも飛んでて、中は火の海だった。あの娘さんがこんなに早く来ていたなんて…。あとで、ニュースで知ったわ。本当にごめんなさい。」

 

「は、運が悪かったんだな。いや、あんたが悪いんだよ。そうだ、俺は悪くないんだよ。」

 

 野崎のドアにぶつける音が強くなった。

 

「あのドアは、古いが分厚い。そう簡単には壊れないよ。ま、せいぜい頑張るんだな。」

 

「典子さん、私は智子ではないわ。本当に加奈子なのよ。智子が加奈子として、あの家に暮らしていたの。だから、私は智子としてあの家を出てたの。だから火事の時は、私ではなく智子がいたの。」

 

「そうよ、私と、この人は親子って証明されたから、この人は…私の母よ。」

 

 彩乃も訴えた。

 

「こいつらには、何言っても無駄だよ。」

 

 橋本は刺激を与えないように、そう言った。

 

「だから、保険金、ばあばは申請してないわ。死んだの智子って知ってたから、受け取れないって。受け取ったら本当に加奈子を死なせてしまうことになるでしょ。って」

 

「そうなの?受け取ってないの?」

 

「ごちゃごちゃうるせえんだよ。あんたらは、ここで、死ぬんだよ。鍋の油もいいころ合いだ。周りに良く燃えてくれるものたっくさん置いておいたからね。」

 

 

 彩乃と加奈子が、大きな声で叫んだ。

 

 炎が上がったのだ。

 

 

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