冬―③
「ここでメル姫に会えたのは嬉しい偶然ではあるけれど、やはり僕は他人との接触を禁止されている身だ。今後こうして会うこともないだろう。だから……その手をとることはできない」
まさか拒絶されるとは思いもよらず、メルは少なからず動揺した。
「それは、今は会えないかもしれないけれど将来再会することはあるかもしれないでしょう?そのときのために――」
握手くらいいいじゃない、と思って差し出されなかったライフの手を自らとりに行こうとしたそのとき。
「だめだ!!!」
思い切り手を振り払われた。叩くように払われた手が少しジンジンする。
しまった、と思ったのかライフは顔をあげてメルを見た。
「ごめん……」
謝りはしたものの、ライフはやはりメルの手に触れようとしなかった。沈黙の空間にしんしんと雪が降り始める。
白い息の向こうで、ライフは数度なにかを言い淀んでいたが、やがてゆっくりと話し始めた。
「昔……握手した人の手を、氷付けにしてしまったんだ」
メルはライフの告白を、何も言わずにその続きを待つ。
「幸い命にかかわることにはならなかったけど……僕は魔力の制御がうまくできない上に、成長とともにどんどん魔力も強くなっていて。もし今、君と握手をして同じようなことになってしまったら、怪我だけじゃ済まないかもしれない。さっきだって君を危険な目にあわせてしまった。だから……ごめん」
雪が一粒二粒、ライフの手の甲に落ちて消えていく。静かに雪が降り始めていた。
メルはようやく振り払われたままだった手を引っ込めた。
「そんな事情があったのね……知らなかったとはいえ、無粋な真似をごめんなさい」
ライフは首を横に振って笑みを浮かべた顔を上げた。心の中にいくらか寂しさを感じつつも、そもそも他者との触れ合いを禁止されている身、偶然会ったこの少女との距離が開いてしまうのは致し方ないことだと受け入れる。
「いいや、僕の方こそ禄に挨拶もできなくてごめ――」
そうして改めて謝ろうとしたところで。
笑顔に閉じていた目を開くと、少女の顔が思ったより近いところにあった。そのことにも驚いたのだが。
手に、あたたかいぬくもりを感じる。
見ると、自分の右手をやわらかく包みこむように少女の両手が握られていた。
ライフはさっと血の気が引くのを感じると同時に、反射的にメルの手を振りほどこうとした。が、メルはライフの手をぎゅっと握って離さない。
「なっ、何するんだ!?あぶな――」
「あら、何も起こらないじゃない」
動揺して声が裏返ったライフに対し、メルは微笑みながら優雅に言い返した。
メルの言う通り、ライフの手を握ってもメルはどこも凍りついていない。それを確認するとライフは安堵に頬を緩めた。しかし頬が緩んだことに気づいた彼は慌てて表情を引き締めてメルをきっと睨んだ。頬が少し赤かったので、あまり怖くない顔で。
「今は偶然大丈夫だったけど、本当に凍りづけになっていたらどうするんだ……!」
「偶然?偶然なわけないじゃない。全然大丈夫よ」
メルはけろりとライフの批判をはねのける。そして人差し指をライフの鼻先でびしっと立てた。今度はメルのお説教ターンだ。
「あのね、手を氷付けにしちゃったってそれいつの話?」
おそらくは少し年下の少女に詰問され、ライフは目を泳がせる。
「えっと……ご、五年前くらい」
「五年も前!?」
メルは「も」をこれでもかと強調して叫んだ。おおげさに頭を抱えて大きなため息を吐いてから、両手を腰に当てる。
「氷の狼たち動物や、この森の氷の装飾を見れば分かる。あなた、ずっと魔法の修行してきたんでしょ?でなければこんなに繊細な魔法は使えない。誰も傷つけないために、ちゃんと魔力をコントロールするために頑張ってきたんでしょ?私からしてみればあなたはもう立派な魔法使いだわ」
ライフは目をぱちくりさせながらメルの言葉を聞いている。
「他人との接触禁止ですって?たしかに昔は必要だったかもしれないけれど、今のあなたには全然必要ないわ。周りが必要以上に恐れているだけ。そんな狭い枠に自分から収まっちゃだめよ!自分から、自信をもって広いところへ踏み出さなきゃ」
メルは握ったままだったライフの手を引っ張って立ち上がった。
「ねっ!」
メルはぎゅっと目を瞑って、にっこり笑ってみせた。
(太陽みたいな笑顔だ)
ライフは直感的にそう思った。それから自分の胸の奥に違和感を感じて、手を当ててみる。胸の、内側の方からじわじわとあたたかさが広がるような感じがしたのだ。
ライフが感じたそれは、いつからか出来上がっていた心の中の氷の壁が、あたたかい笑顔に溶かされていく感覚だった。
「……ありがとう」
ライフ自身がその感覚をはっきりと理解したとき、心からの感謝と微笑みがこぼれていた。ライフは長年抱えていたわだかまりが消えたことで、目の淵に涙がたまっていくのを感じた。
ところが、ほぼ同時にメルがぱっと手を離す。
「よしっ、そうと決まれば鬼ごっこね!」
「えっ」
感傷に浸っていたライフは急な提案にすっとんきょうな声を出してしまった。
「私、幼馴染の男の子と鬼ごっこをしていたところだったの!私と同い年の良い子だから、きっと仲良くなれるわ!」
どうやらメルはライフとヴィンを引き合わせたいようだ。
メルは手をふわりと揺らめかせる。手の動きに合わせて炎がゆらゆらと現れて、メルの足元を覆っていく。
「さ、行きましょっ」
足に炎を纏い終わると、メルはさっそく元来た森のなかへ走って行く。
「あっ、待って!」
まだ状況を飲み込み切れていないライフは戸惑いつつもメルの後を追った。
彼女が少女とは思えないスピードで雪の森を駆けていくので、ライフは驚いて走る速度を速めた。
(すごい、私のスピードについてくる)
メルは後ろをちらりと振り返る。スタートダッシュが遅れた分メルより少し後ろを走っているライフは、それでもしっかりと着いて来ていた。メルは炎の魔法で周囲の雪を溶かす&推進力でスピードアップをはかっている。対するライフは氷の魔法で地面に積もった雪に干渉し、アイススケートさながら滑走していた。さきほどヴィンがいつの間にかメルに追いつけなくなっていたことを考えると、ライフの魔法は――あるいは魔力量も――ヴィンやメルより上のようだ。
メルはライフの魔法に感心しつつも、競争心に火がついた。
(だったら――!)
足に纏った炎の火力を上げ、さらにスピードアップする。後ろから「あっ!」という声が聞こえたような気もするが構わず走りぬけ、しばらくして後ろを振り返るとライフの姿は見えなくなっていた。
メルは得意になって小さくガッツポーズをする。
その一瞬、またもやメルは周囲への注意がおろそかになってしまった。
再び身体の横から強い衝撃を受けて雪の上をゴロゴロと転がり、身体の上にのしかかる重みを感じた。
「はあ~もう、またやられちゃったあ」
氷の狼が後ろを着いてきていたのだろう。頭上にへっへっと息つく声が聞こえて思わずくすくすと笑ってしまった。頭上の動物はじゃれつくようにメルの頬を舐めてくる。
(あれ、冷たく……ない?)
最初に氷の狼に押し倒されて頬を舐められたときは氷の冷たさに驚いた。ところが今のは普通に動物の体温のある生暖かい感触だ。
メルはおそるおそる自分の上に覆いかぶさっている動物に目を向ける。ギラつく歯、荒々しく白い息を噴き出す鼻、獰猛な金色の目――本物の狼だ。
恐怖で身体が動かない。逃げなきゃ。そう強く念じても指一本動かせない。狼ががぱりと口を開けて鋭い歯が迫ってくる。メルはきつく目を瞑った。
ふわりと身体が浮く。
「キャンッ!」
少し離れたところで狼の鳴き声が聞こえて、メルはそっと目を開けた。目の前に狼はおらず、かわりに真っ青なローブが目に入った。
顔を上げるとそこにライフの顔があった。
「怪我はない?」
ライフにそう言われてはじめて、メルは周りの状態を冷静に把握することができた。ライフは片手に氷でできた剣を持っていて、二人がいる位置より少し離れた場所に狼がうずくまっていた。剣身に血はついていないので斬ったわけではなく叩き飛ばしたようだ。おそらく氷の剣で狼を振り払ってすぐメルを抱えて距離を取ったのだろう。
「う……うん、ありがとう」
ライフの腕に抱きかかえられた状態のメルは頬を染めて顔を俯ける。さっきまでどちらかと言うと気弱な印象のライフを見ていたので不意にかっこいいところを見せられて余計にどぎまぎしたのだ。
と、狼がよろよろと立ち上がる。
ライフは剣を構えなおしてけん制する。狼はしばらく二人の方を睨みつけていたが、やがて諦めたのかそのまま木々の向こうへ消えていった。
ライフは魔法でつくった剣を消失させると、ほっと息を吐いた。腕の中にいるメルに向けて微笑む。
「怪我がなくてよかった。この山は奥の方に行くほど野生の獣がよくいるんだ。この辺りで遊ぶのはやめた方がいいね」
そういう自分はもっと山奥の方にいたじゃないの、と思ったがメルは口に出して文句を言えなかった。ライフが剣を消した方の手をメルの膝裏にまわし、お姫様抱っこして立ち上がったのでそれどころではなかったのだ。
「へえっ!!?なな、なに!??」
動揺のあまり妙ちくりんな叫び声になってしまう。
「地上で遊ぶのは危ないから、上に行こう。きっと驚くよ?」
端正な顔立ちがふわりと微笑んでいる。さっきのおずおずとしていた男の子はどこへ行ったのだ。
メルはたいそう混乱したが、実際のところライフは心の壁があったために引っ込み思案な性格になってしまっていたが、メルがその壁を溶かした今はもとの明るい性格に戻っていた。くわえて心の壁を取り払ってくれたメルに心を許したというのもあった。
ライフが足元の雪に魔力を集める。すると雪が二人を空へと押し上げるように舞い上がっていく。
雪の雲に乗って、二人はあっという間に上空に昇ってきた。
「っわあ……!!」
メルは思わず声を上げた。
傾き始めたオレンジ色の陽光が、白銀に染まったヤーレスツァイテン国を輝かせている。城も城下の街並みもすべてが美しい光景。
王城のテラスから城下の街並みを眺めたことはある。この時期の雪景色ももちろん見たことはあった。しかし城を含めて一望したことはなかったし、これほどまでに美しい光景を見たのも初めてだった。
目の前の景色に、メルの瞳は夕焼け色にキラキラと輝いた。
ライフはそんなメルの瞳を見つめて微笑んだ。
◇ ◇ ◇
「あらっ、ライフにメルちゃん!?二人してどうしたの!?」
裏山に続く王城の裏門まで戻ると、フィーネとブリッツ、タオの三人が待っていた。
上空からヤーレスツァイテン国の景色を一望した後、メルとライフはそのまま雪の雲にのって城まで帰って来たのだ。ただそこにフィーネたちがいるとは思わず、メルとライフも目を丸くした。一方のフィーネたちもライフがメルを伴って帰って来たので同じような表情になっていた。フィーネたち三人はライフの帰りを待っていたのである。
「裏山で偶然会ったから、一緒に帰ってきたんだ」
そう答えてライフはフィーネたちの方に歩み寄る。
フィーネはそこで、ライフが晴れやかな顔をしているのに気づいた。軟禁状態になってから一度も見たことのない顔だ。フィーネは何か悟ったのか、優し気な微笑みを浮かべる。
「そうだったの…………へ~え、そうだったの~」
微笑みは面白がるようなにやけ顔に変わっていく。さっきみたいな微笑みでいれば美人なのに、とライフは内心苦笑する。口に出すと、控えめに強くどつかれるので言わないが。
「もう他人に触れても問題なさそうだな。とても良いことだ」
普段は無口で無表情なブリッツが、そう言って微笑んだ。人との接触禁止令があるなか、ブリッツは剣術の修行でライフと接触できる数少ない人物だ。ブリッツが気にかけてくれているのは分かっていたが、改めて言われるとライフの胸にはあたたかいものがこみ上げてくる。
同じく魔法の修行をつけてくれているタオも、同意するように数度頷く。そしてニヤリと笑ってメルを見た。
「うんうん、とても良いことだ。そうしているととってもお姫様らしいよ、メル」
今の今までメルはずっとライフにお姫様だっこされたままだった。それまで平然としていた二人も、指摘された途端に顔を赤らめてお互いに腕からおろし、おろされる。
「あああありがとう、ございました」
「う、うん。こちらこそ」
初々しい少年少女を、三人の若者たちが微笑ましく見守った。
と、思い出したようにタオが声をあげる。
「そういえば、ヴィンはどうしたの?」
その場に数舜の沈黙が流れる。
「あっ!!」
メルの声は夕暮れの空に木霊した。
メルたちが城に戻ってからしばらくして、ヴィンが疲れ切って不機嫌な顔で裏山を降りてきた。
そしてタオからメルとライフの話を聞くと、いっそう顔をしかめたそうだ。
四季の国 右峰 @rightree
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