冬―②

 メルの目の前に現れた雪の壁。

 正確に言うとそれは壁ではなく、見上げるほど大きな吹雪がメルに向かってきた姿だった。

 急に襲ってきた吹雪に逃げる間もなく、メルは吹雪のなかに飲まれてしまう。

 突発的な吹雪が止む頃には、メルがいた場所には周囲の木々と変わらない高さの雪の小山が出来上がっており、もちろんメルの姿は跡形もなかった。


「――っ!!」


 氷の玉座に座っていた人物はすぐに飛び降りて、雪の小山へ駆け寄る。


「まずい、早く助けないと……!」


 彼はこんもりと雪が積もった小山に向けて両の手を開いた。その両手から淡い光がほとばしる。

 しかし、彼が雪を除去するための魔法を展開する前に事態は収束した。

 雪の小山から天を突かんばかりの大きな火柱が上がり、一瞬で周囲の雪ごと消し飛ばしたのだ。

 轟轟と燃える火柱が消えると、その中心に身体の幅で地面に両手をついた少女の姿が現れた。


「ふう!あぶなかった」


 メルは立ち上がってパンパンと手のを払った。

 高火力の炎は吹雪でできた雪の山だけでなく、もともと地面に積もっていた雪も根こそぎ溶かしてしまったため、メルの周辺だけ本来の土の地面が露出したのである。

 手の土を払い落として顔を上げたところで、メルは一人の男の子が唖然としてこちらを見ているのに気がついた。

 メルはむっと顔をしかめると男の子を指さした。


「ちょっと!初対面のレディに向かってこれは失礼なんじゃない!?」


 地面に立つメルと、積もった雪の上に立つ男の子とでは高低差があったので、メルの人差し指は自然と上向く。男の子は急に指をさされて目を丸くしたが、やがて不機嫌そうな表情になってメルから目を逸らした。


「……急に声をかけてきた君が悪い」


 男の子は謝罪しなかった。悪いのはむしろそっちの方だと。

 突き出したメルの指がわなわなと震える。


「なによ!!わたしはこの子がここに連れてきたから……から?」


 啖呵を切りかけたメルの語尾はすぐに失速した。

 急に女の子の様子がおかしくなったので、男の子はそむけた目を元に戻す。


「どうしよう、おおかみ……!!」


 メルは氷の狼のことを思い出して真っ青になった。狼は吹雪が直撃したときもメルの側にいた。メルは強い炎の魔法を使った。狼は氷でできていた。

 ここまで連れてきてくれた狼まで溶かしてしまった――メルの赤い瞳が涙に揺らめく。

 メルの動揺も相当だったが、なぜか突然泣き出しそうになった少女を前に男の子もひどく動揺した。

 慌てて雪の上から地面に降りて、メルのもとへ行く。


「え、ええと、どうしたの……?」

「お……おおかみがあっ……」


 メルの目に溜まった涙は今にも決壊しそうだ。男の子もさらに慌てふためいていよいよパニックかと思われたそのとき。


「ワフッ!」


 メルの背後から鳴き声が聞こえた。

 振り向くと、メルの周辺だけ雪が消えたことによってできた雪の壁から、頭だけを突き出している氷の狼がいた。吹雪が直撃してからメルが炎の魔法を展開するまでのわずかな瞬間に、炎の範囲から抜け出せたようだ。


「……よかったあ……」


 メルがへなへなと地面に崩れ落ちたので、氷の狼は体をよじって雪の壁から出てくると素早くメルのもとへ駆け寄て、メルの頬に頬ずりした。

 さっきと違い狼の頬がすり寄ったあとに水滴が残るのは、メルの炎で表面が少し溶けてしまったからだろうか。


「ああっ!しっぽが半分ない!!」


 よく見ると氷の狼のしっぽは半分溶けてなくなっていた。本当にギリギリのところで逃げ出せたのだろう。


「ほんとにごめんねえ……痛くなかった?」


 メルは狼をぎゅっと抱きしめて頭を撫でた。狼は大丈夫だよ、と言うようにメルの頬をペロペロと舐める。


「……それ、僕がつくった狼」


 と、しばらく一言も発さなかった男の子のつぶやきが背後から聞こえたので、メルはそちらを振り返った。

 振り返って、思わず身体が固まってしまった。


 メルは地面にへたりこんでいて男の子は立っていたので、当然二人の間にその分だけ距離があると思っていた。だが、男の子は何時からかメルの方へ屈みこんでいたようで、メルが振り返った先でお互いの鼻と鼻がぶつかりそうなくらいの距離に男の子の顔があったのだ。

 メルは反射的に顔を背ける。みるみる頬が熱くなってくる。

 そういえば男の子の顔も少し赤かったような気がする。彼もメルと同じく距離感が恥ずかしかったのだろうか。

 ならばそんなに近づかないでほしい、と思いながらも今までに感じたことのない動悸がなかなか収まらず、メルは口をもごもごするだけにとどまった。


「ちょっと待ってて」


 そんなメルの気持ちを知ってか知らずか、男の子はメルの腕のなかにいる狼のしっぽに手をかざす。

 男の子の手から放たれた光がしっぽの先へ流れていき、元のしっぽの形をかたどった。そうして光が消えると、しっぽは元通り氷でできた状態になっていた。

 メルはどきどきしていたのも忘れて、男の子の方をぱっと振り返る。


「すごくきれいな魔法!こんなにきれいなの、初めて見た!」


 キラキラと目を輝かせて見つめてくるメルに、男の子はさらに顔を赤らめてうつむいた。


「……その、このがここに君を連れてきたのに、そうとは知らず失礼なことをした……申し訳ない」


 男の子は目こそ合わせなかったが、今度は素直に謝罪してきた。


「ううん、驚かせてしまったのは私だから……こちらこそごめんなさい」


 メルもむきになってしまったのを反省して頭を下げる。


「さあ、お互いに謝ったことだし、仲直りということにしましょう?」


 メルが気持ちを切り替えて微笑みかけると、男の子は少しためいつつもおずおずと顔を上げた。

 その顔立ちは端正で、中性的な美しさを備えていた。まだまだ幼さの残る顔だが、メルより年は上に思われた。屈んだ状態なので正確には分からないが身長も頭一つ以上高いのではなかろうか。おそらく1、2歳年上だ。さきほどは白銀の髪しか確認できなかったが、その顔立ちや透き通るような白い肌、サファイアのように青い目を見てメルはピンときた。


「もしかしてあなた、ライフ君?」


 氷の王族の王子――ライフは宝石のような青い瞳を真ん丸に見開いた。


「……どうして僕の名前を?」


 メルの勘はあたったようだ。

 ライフのことを聞いてからというもの、メルは折に触れてライフのことが気になっていた。会ってみたいと思っていたもののそれは難しいだろうと言われたので、偶然にもここで会えたことが非常に嬉しく思えた。メルの表情が自然とほころぶ。


「夏にね、フィーネ様から聞いていたの」

「……姉さまから?」


 ライフは逆に、いぶかしげに顔をしかめた。

 そもそも自分の存在は軍事機密の指定を受けていて、家族や炎の王および王妃等ごく一部の人間にしか認識されていない。ただもし自分の存在が他の人間に漏れるとしたら、それは自分の姉からだろうなとは薄々思っていた。

 そのためフィーネから聞いた、という言葉はわりとすぐに呑み込めたが、目の前の少女がフィーネから話を聞いたことはいまいち呑み込めなかった。目の前の少女は先ほどの炎の魔法からして間違いなく炎の一族だ。同じ国の一族といえど、氷の王族の姫であるフィーネに面会できる炎の一族は限られている。

 ライフの疑問を察知したのか、メルは自身の身分を明かした。


「わたくしは炎の王族の王女、メルと申します。フィーネ様とはよく一緒にお茶したりするの」


 メルの自己紹介を聞いてライフは腑に落ちたようだ。


「そうか、君が……姉さまからよく話を聞いているよ」


 ライフから初めて微笑みかけられてメルは頬を染めた。フィーネは一体自分のことをどんな風に語っていたのだろう。


「姉さまから聞く君の話はいつも楽しいよ。僕は、家族や限られた関係者以外とは会うことができないから……」


 ライフのフォローもなんだか気恥ずかしくてメルは首をすぼめたが、ふと気がついて顔を上げる。


「そうだ、貴方は塔から出られないって以前タオ兄さまが言ってた。今ここにいるってことは、外に出られるようになったの?」


 メルはライフのおかれた状況が好転したのかと表情を明るくしたが、予想に反してライフは首を横に振る。


「ううん、自由に外へ出られるようになったわけじゃないよ。ここにいるのは、人と会う可能性がなければってことで特別に許可をもらったからなんだ。本当は魔法で作った動物たちが人払いをしてくれるはずなんだけど――」


 そう言ってライフは氷の狼に目を向ける。狼はあいかわらずメルの肩に頬ずりして離れようとしない。


「なぜだか、この子が私をここまで連れてきちゃったのね?」


 氷の狼はしっぽを振りながら一声吠える。


「うん、本当にどうしてだろうね……」


 そう言いながらもライフの顔は赤い。メルはその様子に小首をかしげつつもそれ以上の追及はしなかった。


「でも、この子が連れてきてくれたおかげであなたに会えた。せっかくなんだから仲良くしましょうよ」


 メルは握手のために右手を差し出した。

 ところがライフの表情は一変暗く沈んで、無言でまた首を横に振った。

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