冬の章

冬―①

 城が白銀の衣を纏ってから何日経っただろう。

 銀世界に久しぶりの青空がのぞいて、メルとヴィンは城の裏山に遊びに来ていた。雪化粧した木々の間に二人の足跡が交錯する。


「鬼さんこちら、ここまでおいで!」

「ちょっ……まって……一回休憩、しよ……」


 メルは木の陰から頭だけひょっこり出して、少し離れたところにいるヴィンの様子を伺った。ヴィンはというと膝に手をついて息を切らしている。

 彼らは二人だけの鬼ごっこ中、ヴィンが鬼でメルは鬼から逃げる方だったが……。


「もうヴィンったら、私より先に息切れするなんて格好悪いわよ!ヴィンならもっとできるはず!」

(……それはさっきから何回も聞いている……)


 ぜえぜえと息を吐き出しながらヴィンは内心メルに文句を言う。さきほどまではメルに言われるたび力を振り絞ってきたヴィンも今や限界を迎えていた。息切れが苦しく言い返す言葉を発することもできない。


 雪上での鬼ごっこは雪に足がとられてしまうため通常より体力の消耗が激しい。ただしこの二人は魔法の炎を足に纏って雪を溶かしたので、雪上でも地面の上と同じ感覚で駆け回ることができた――いや、できていた。

 今もメルの足にはしっかりと炎が纏われているが、ヴィンの足にはまったく炎がついていない。ヴィンは完全に魔力切れ、ガス欠だった。


 序盤はメルより魔法の使い方が上手いヴィンの方が有利だったのだが、時間が経過すればするほど持久戦になり、圧倒的な魔力量を保有するメルの優勢になっていったのである。結局、メルを捕まえるより先にヴィンの魔力が切れてしまった。

 男の子として女の子に負けたくないという意地はあったものの、意地だけで誤魔化し切れない限界がきてヴィンは唇をかみしめた。

 一方メルは、普段は魔法に関して到底勝てないヴィンに珍しく勝てているので、嬉しい気持ちが顔に出まくっている。それは別に相手を挑発しようというのではなかったが、ヴィンとしてはメルのにやけ顔にかちんと来た。すでに魔力も体力も尽きていたので気力だけで再び足を前に出す。


「待てー!」

「そうこなくっちゃ!」


 ヴィンがそれほど悔しがっているとも知らず、メルは踵を返して山の斜面を軽快に駆け上る。足に纏った炎は足回りの雪を溶かすだけでなく推進力にも使える。タオのスパルタ指導のおかげか、メルもある程度魔法の使い方が上手くなっていた。

 だから、魔法を駆使して走るメルに、気力だけのヴィンが追いつけるはずもなかった。二人の距離はまたたく間に開いていき――メルはまったく気づかなかったが――ヴィンの最後の意地は完全に砕かれてしまった。


 メルは魔法のコントロールに集中していたので、その背後にもうヴィンの姿が見えないことに気がつかない。ついでに右の目の端に動く物があったのだがそれにも気づかなかった。

 そのため突然身体の右側に衝撃を感じた、と思ったらそのまま雪の上に倒れた。


「きゃっ……なっなに!?」


 不意打ちに混乱したメルはじたばたと暴れた。身体の上に何かがのっているのは分かる。

と、頬に冷たいものがぴとりと当たる。


「ひゃっ、ちったい!」


 冷たいものの方に目を向けて、メルはぎょっとした。

 目と鼻の先にキラキラと輝く鋭い歯が並んでいるではないか!


(お……おおかみ!?)


 食べられる。咄嗟に炎の魔法を展開しようとしたが、ふとその手をとめた。


(ん?キラキラ?)


 そう、キラキラと輝く歯。ギラギラではない。

 メルは冷静になってその獣をもう一度よく見る。


「……すごい、氷の、おおかみ?」


 思わず感嘆の声が漏れた。メルの目の前には、歯も鼻も目も耳も、すべてが日光にキラキラと透き通る氷でできた狼がいた。

 氷の狼は、しかし本物の動物のようにへっへっと舌をたらし、しっぽをさかんに振っている。メルがさきほど頬に感じた冷たさはどうやらこの狼に頬を舐められたときの、氷の舌の感触だったようだ。

 氷の狼はあいかわらずメルの上にのっかっていたが、とくに襲ってくる気配はない。メルはそっと狼の両脇をかかえると横に置き、自分の上体を起こす。


「わあっ!!」


 メルが起き上がるとすぐ氷の狼は彼女の頬にすり寄ってきた。冷たいのでどうしてもびっくりしてしまう。この狼はよほどメルに懐いたらしかった。


「すごくびっくりしたけど……良い子なのね、あなた。氷の狼なんて初めて見たわ。氷の妖精?それとも魔獣、なのかしら?」


 メルが首をもふもふすると氷の狼は気持ちよさそうに目を細めた。


 魔法は人間だけのものではない。稀に動物や植物にも魔力が宿ることがある。

 メルは実際に見たことはなかったが、タオの魔法の講義で妖精や魔獣というものが存在することは習っていた。ただ講義によると妖精は手のひらサイズで羽をもち、魔獣は人の数倍以上の大きさで滅多にその姿を見せないということだった。目の前にいる氷の狼はそのどちらとも特徴が一致しない。


(もしかして……)

「あなた、誰かの魔法でつくられたの?」


 自然界のものでないとしたら、人工物。タオやヴィンが炎の魔法で幻覚を作り出すのを見たことがあるので、魔法で本物の動物のような氷の狼をつくる魔法使いがいてもおかしくないとメルは考えた。


(氷でできているということは、氷の一族の魔法使いかしら……?)

「わっっ!??」


 しばし思考を巡らせていたメルはまたも不意の衝撃を受けてずべっと倒れた。

 見ると氷の狼がメルのローブの裾を噛んでぐいぐい引っ張っている。


「……どこか連れていきたいところがあるの?」


 氷の狼は「ワフッ!」と吠えた。

 知らない人――この場合人ではないが――に着いて行ってはいけない。その教えはちゃんと頭に浮かんでいたものの、メルの好奇心は抑えられなかった。この狼を作ったのがどんな人物なのか気になる。


(大丈夫。ここは城の裏山、炎と氷の一族以外の人はいないはずだし、氷でつくられているということは十中八九氷の一族の誰かだわ)


 独断で安全だと決めつけて、氷の狼にローブの裾を引かれるままメルは山の奥へと進んでいった。


◇ ◇ ◇


 氷の狼の先導で山の奥へと歩を進めるたび、メルは周囲の風景に目を奪われた。


 いつの間にか周りの木々には大きな氷の結晶が幾重にもかかってシャンデリアのような装飾になっており、結晶の一つ一つが宝石さながら光り輝いて辺りに細かい虹を散らしている。

 さらに木々の間を飛び回る鳥や木の陰からじっとメルたちを見ているシカなども、すべて氷でできていた。皆、本当に生きているかのように動いており、氷の装飾も相まって美しく幻想的な世界にメルの心は躍った。


 くるくると踊るように周囲の景色を眺めながら歩いているうちに、前方に木々のない、広場のような場所が見えてきた。

 広場の入口に辿り着くとそこは、メルがいつも修行している王城の魔法練習場と同じくらいの広さがあった。一面まっしろな雪が平らに積もっているが中央だけは大木の切られた後で一段高くなっていて、そこに氷でできた豪奢な椅子が出来上がっている。


(まるで、玉座のよう……)


 その氷の玉座には誰か座っているようだ。玉座はメルから見て後ろ向きのためその人物の顔は見えない。玉座の脇から少しだけ青いローブがのぞいているだけだ。


「……だれ?」


 メルの声はさほど大きくはなかったが、遮蔽物がほとんどない雪の広場によく響き渡った。

 玉座の人物は弾かれたように立ち上がってメルの方を振り返る。


 雪のような、白銀の髪に――


 それ以上、見ることはできなかった。

 メルの前に突然大きな雪の壁が現れた。

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