秋の章

秋―①

 赤く染まった葉が、城内を行き交う深紅のローブの合間を舞い落ちていく。秋は炎の一族にもっとも似合う季節だ。


 白い大理石の上にできた天然の赤い絨毯。そのまた上には軍のローブとは違う、ファー付きのかわいらしい赤ローブを纏った少女が立っている。

 少女は胸の前で両手を体の幅ほどに開き、その間にできた空間をじっと見つめる。

 すると次の瞬間、その空間の中心部からみるみる炎が噴き出してあっという間に火球のような形を成した。

 少女はできた!と明るい表情でパッと見上げた。が。


「はーい全然ダメ」


 見上げた先の人物から即ダメ出しが降ってきた。


「完璧な“球”を作れといったよね?それ、どこが球?輪郭歪みまくってるじゃん。しかも大きさも安定してない。それじゃあただ単に炎を出してみたのと変わらないよ」


 辛口で少女の魔法を酷評するその人物は、宍色の髪に隠れていない右目で少女を見下ろした。少女はというと悔しそうにその人を上目遣いに睨む。


「頑張ってやってるんです!でも細かい制御は苦手で……」

「言い訳しない。できなきゃ意味ない。なんのために赤の軍一の天才魔法使いが指導していると思ってるの?メル」

「……タオ兄さまのいじわる」


 弁明の余地もなく、メルは口をへの字に曲げた。このやりとりだけ見れば上手くいかない修行にへそを曲げたメルをタオが注意する、という構図でタオに理があるように思われる。しかし、今日一日すでに百回以上火の球を作っては毎回先ほどのようなダメ出しを食らっているので、いたいけな少女が言い訳ひとつ言いたくなるのも無理からぬことだった。


 メルは魔法練習場の真ん中でため息を吐いた。いつもはメルとタオだけでなく、タオの弟でメルの幼馴染でもあるヴィンもくわえて三人で修行をするのだが、ヴィンはメルより修行の進みが早いため今日は魔法の修行をパスして、ブリッツのところに剣を習いに行っている。


「さ、無駄口叩いてないで次」


 容赦ない言葉にむくれつつもメルはもう一度両手を身体の前に構える。


(……いつかタオ兄さまより強い魔法を使えるようになったら、思いっきりぶっ飛ばしてあげるんだから!)


 赤の軍の軍服に身を包んだタオは、ブリッツより体の線が細く、フィーネよりは男らしい体格の中性的な容姿をしている。宍色の髪や瞳、顔立ちは弟のヴィンとよく似ているが、少年らしい純朴な表情のヴィンに対してタオはあからさまに意地悪そうな表情をするので全然似ていないとメルは思っていた。

 現にタオの言動は意地悪とスパルタを掛け算したようなもので、メルが「ぶっ飛ばす」と王女らしからぬ表現の感情を抱くのも致し方なかった。


「ハア……フィーネの弟も修行に苦労してるけどこっちも大変だなあ。この大雑把不器用姫様は」


 こういうことを言われるたびに心の中で「ぶっ飛ばす」と唱えるのだが、実際できていないものはできていないので何も言い返せない。


 風船のようにふくらんだメルの頬を見て、タオはおもむろに右手を身体の横に掲げた。

 と、タオの右手から次々に火の球が作り出され放物線を描いていく。最終的には右手を起点にタオの上半身を囲むように火の球の円が出来上がった。火の球はどれも均一の大きさで炎独特の揺らめきもなく、まるで玉のかたちに研磨された宝石のように輝いており、並びも等間隔に綺麗な円を形作っている。

 無駄がなく美しいタオの魔法に、メルは思わず見とれてしまった。


「いいかい、メル。君は一族のなかでも強い魔力を持っている。俺よりもずっと強い魔力をね。だからメルがちゃんと魔法を扱えるようになれば、俺なんかより強い魔法使いになれる。俺は期待しているんだよ」


 珍しくタオがストレートに肯定的な意見を言ってきたので、メルはたじろいだ。


「それにもう一つ、メルにはちゃんと魔法を使えるようになってほしい理由がある」


 タオが指をならすと、彼の周囲に浮かんでいた火の球が消えた。

 タオはメルと目線を合わせるように屈みこむ。メルを見つめるタオの表情は真剣そのものだ。


「フィーネやブリッツの”性質”のことは聞いているよね?彼らは魔力の制御ができないために、自分の身体に少なからぬ負担がかかっている。言い換えれば、自分の魔力で自分の身体を傷つけてしまっている」


 タオが真剣な調子で話し出したので、さきほどまでむくれていたメルも姿勢を正して聞き入る。


「フィーネたちの体質は深刻な問題だけど――言い方は悪いが――魔力量の少なさ故に自分の身体だけに被害がとどまっているんだ。でももしそれが強大な魔力だったら?強力な魔力をコントロールできなかったら、何が起きると思う?」

「……周りの人を、傷つけてしまう?」


 少し考えて発されたメルの答えにタオが頷く。


「昔、メルと同じように強い魔力を持った人がいたんだが、その強い魔力故に彼は自分の魔力をうまく制御できなかった。ある日魔力が暴走した彼は、彼の家族や周りの人たちをたくさん傷つけた。そして……暴走ですべての魔力を使い切った彼は、死んでしまったんだ」


 タオが語った「彼」は特定の誰かのことではなかった。魔法は感情に左右されやすい性質があり、大きな魔力の持ち主ほど魔力が暴走して死んでしまう確率が高い。

 タオの幼馴染である氷の王女・フィーネは、幼い頃に一度、魔法の「性質」によって命を落としかけている。幸い彼女にはその性質を和らげるブリッツという存在がいたからよかったが、メルは事情が違う。


 強い魔力を持つメルが暴走してしまったら、自分を含めてどんな魔法使いにも彼女を押さえることはできないだろう。国防軍に属する身として国民に被害が及びかねない事案を気に掛けるのは当然であったが、タオはそれ以上に、幼い姪っ子にそんな業を背負ってほしくなかったし、なるべく元気に長く生きてほしいと強く願っていた。魔力が暴走した末の、最悪の事態など考えたくもなかった。


「メルには絶対、そんな風になってほしくないんだよ」


 タオは右の手でメルの頬に優しく触れる。


「……うん」


 タオの態度から何か思うところがあったのか、メルは素直に頷いた。


「ライフ君も頑張ってるんだもんね……私もちゃんと頑張る!」


 そして両手に拳を握って決意を露わにする。その顔にはもう不服さは欠片もなく、純粋なやる気が満ちている。

 タオは微笑んで、メルの頬から手を離した。そしてそのまま手を自分の顎に添えて今度は意外そうな表情でメルを見る。


「それにしてもメル、フィーネの弟のことを知ってるんだね」


 炎の一族に関して言えば、実はフィーネの弟・ライフの存在を知っているのは炎の王と王妃、そしてタオだけだ。タオがライフのことを知っているのは、ライフの姉・フィーネと幼馴染という縁でライフに魔法の修行をつけているからであって、そうでなければタオも存在すら知らないはずであった。

 だからメルがライフの名を知っていることに驚いたのだ。


「前にフィーネ様から聞いたよ?会う機会があったら仲良くしてって」


(……ライフの存在は一応、Aランクの軍事機密なんだけどな。ブリッツはフィーネがしゃべるのを止めなかったのか?まあメルは王族だから、ランクに関係なく軍事機密を知る権利を持ってはいるけどさ……)


 幼馴染たちの口の軽さに苦笑しつつも、タオはメルの言葉の後半部分が引っかかった。


「仲良く……ね」

「?」


 タオの声の調子が沈んだので、メルは首を傾げた。

 タオは苦みを帯びた笑顔で取り繕う。


「いや、ライフもメルと同じで強い魔力を持っているんだけどね。彼は……人よりも魔法に感情が影響しやすいみたいなんだ。だから家族やごく少数の関係者以外とは接触せず、住んでいる離れの塔から出ることもほとんどない。今の状況だと仲良くはおろか、会うことすら難しいだろうね」


 言いながらタオの顔が曇っていく。オブラートに包んではいるがそれがどんな意味かは幼いメルにも理解できた。要するにライフは存在を秘匿され、軟禁状態にあるというのだ。


「どうしてそんな……!私だって強い魔力を持っているけど、全然まだ修行中だけど、こうして自由に外に出られるのに。どうしてライフ君だけ?そんなに魔力が暴走しやすいの?」


 メルとて修行中の身、未熟故に魔力の暴走がまったくないということはない。一週間前にも修行中のタオの言動に耐えかねて、落ち葉の絨毯をすべて焼き払ってしまった。危うく周囲の木々まで燃えるかという勢いだったのでタオにこれでもかと怒られたばかりだ。

 王族かつ強力な魔力の持ち主と、同じような境遇のライフが自分とはまったく違う扱いをされていることが、メルには理解できなかった。

 しかしタオは困ったような、切ないような微笑を浮かべるだけでメルの問いかけには答えなかった。



 それからメルはふとした折に氷の王城の方をぼんやりと眺めるようになった。


(ライフ君は今、どうしているのだろう)


 まだ会ったことすらない男の子のことを思いながら、炎の王城の秋は過ぎて行った。

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