夏―②
三人が移動してきたテラスには大きな木が脇に植わっており、テラスの半分ほどの面積に木陰を生んでいた。テーブルとイスはその木陰のなかに用意されている。日差しが強いのでありがたい気配りである。
フィーネとメルで白いテーブル越しに向かい合って腰掛け、ブリッツはフィーネの背後、少し離れたところに立つ。
ここでようやくつないでいたフィーネとブリッツの手が離れた。
ほどなくして数人の侍女がティーセットやお菓子を運んできて、二人の王女はお茶をしながら他愛もないおしゃべりに興じた。
話題がひと段落すると、メルはこっそりブリッツの様子を伺った。
彼はフィーネたちではなくテラスから見える遠くの景色に目を向けている。
騎士の注意が逸れているうちにと、メルはフィーネの方に顔を寄せてこそこそ話の姿勢に入った。実際のところブリッツは有事の際にすぐ対応できるよう意識だけはフィーネたちの方に向けていたのだが。
メルが何か秘密の話をするのだと思い、フィーネも面白そうな表情で顔を寄せてくる。メルがブリッツに聞こえないように――ブリッツは王女たちに意識を向けていたものの、小さな声の会話まで盗み聞くほどの意識は向けていなかった――小さな声で話し出す。
「フィーネ様は、ブリッツ兄さまといつも手をつないでいて、仲良しですね」
どんな秘密が飛び出すかと思っていたフィーネは不意をつかれて目を瞬かせた。ただメルにとっては重大な案件らしく、少し頬の赤い表情の真剣さにフィーネは小さく吹き出してしまった。
しばらくの間声を押し殺して笑ったフィーネは、笑いがとまると優しげな微笑みでメルを見つめる。
「メルちゃんは、私の身体のこと、知っているよね?」
興味津々と身体を乗り出していたメルは、表情を曇らせて俯くように頷いた。
フィーネは魔法が使えない。炎の一族でも魔法を使える者は半数に満たないが、それは氷の一族も同じであり、また王族とて例外ではなかった。
ところがフィーネはただ魔法が使えないのではなかった。彼女は氷の性質を持っていたのだ。
「性質」とは、魔法として使えるほどの魔力量はないがつねに微弱な魔力を身体に帯びた状態のことを指す。性質と呼ばれる魔力は、血液の流れを人の手でコントロールすることが困難なのと同じで調節が非常に難しい。そのため氷の性質を持つフィーネは常時体温の低い状態におかれている。
それだけなら低体温気味ということで済ませられるが、性質は体調や気分に影響を受けやすいため、フィーネが幼い頃には体温が下がりすぎて生命の危機に陥ったこともあったそうだ。
元気に振舞ってはいるが、フィーネは見た目通り病弱な体質には違いなかった。
「私の体調の関係もあって、ブリッツがいつも手をつないでいてくれるのよ。体調が良い日は今みたいに手をつないでいなくてもいいのだけど」
「ブリッツ兄さまと手をつなぐと、体調が良くなるのですか……?」
「ええ、彼は私と同じだけど反対の、炎の性質を持っているから」
フィーネの言葉にメルは目を丸くした。
「ブリッツ兄さまが炎の性質を?」
ブリッツが魔法を使えないことは以前から知っていた。だから魔法の代わりに剣技を磨き、騎士にまでなれたのだと。ただし炎の性質を持つことまでは聞いていなかった。
「でも……ブリッツ兄さまが熱を出したり寝込んだりしていた記憶は、ないのですが」
フィーネが低体温体質であることを考えれば、炎の性質を持つブリッツは逆に体温が高い状態にあるはず。そして体調を崩せば熱を出したような状態にもなるはずだ。
頭上にはてなマークが浮かぶ小さな王女の前で、年上の王女は苦笑した。
「ブリッツが寝込んだことは私の記憶にもないわねえ。熱を出すことは、しょっちゅうあったのだけどね」
「ええっ!初耳です……」
「でしょうねえ。熱が出た日は逆に調子がいいって、一日中剣を振ったり大人と剣の試合をしたりしてたから」
メルは思わずフィーネ越しにブリッツを見てしまった。当の騎士はメルの視線に気づいたか否か、遠くの景色に目を向けたままだ。
ブリッツの剣術は赤の軍・青の軍をあわせたなかでも最強に類する。少年時代に大人たちと剣の試合をしたときもブリッツがほとんど勝利していた。よもやその試合を高熱の状態で、むしろ調子がいいと言ってやっていたとは……。
(もともと強い人だとは思っていたけど、次元が違いすぎない……?)
戸惑ったような呆れたような表情を隠せないメルを前にフィーネもわかるわかる、と数度頷いてみせた。
「ブリッツ自身の単純な強さか、はたまた性質に対する特別な免疫力があるのか、不思議なことに彼と一緒にいると私の体温も平常に保たれるのよね。だから私の騎士としていつも側にいてもらっているの」
フィーネは美しい顔にひまわりのような笑顔をさかせた。
正直なところメルは、フィーネとブリッツの仲が良いのは恋人同士だからだと予想していた。だが本当は命にかかわる大事な理由があったと知って、子供心に己の単直な考えを恥じた。
恥じ入って顔を俯けそうになったメルは、ふと一つの疑問に思い当たって顔を上げた。
「でもフィーネ様、ブリッツ兄さまとずっとは一緒にいられませんよね……?ブリッツ兄さまは軍人でもあるから、遠征などで長期間お側を離れるときもありますよね。そういうときはどうなされるのですか?」
騎士と言えど常日頃、四六時中王女と一緒にいるわけではあるまい。また、戦争で遠征に行くことになれば数日から数カ月離れて過ごすこともあるだろう。その間フィーネの体調がずっと良いとは限らない。もしブリッツと離れている間に体調を崩し、命の危機に陥るような状態になってしまったら……。
メルの心配はしかし、フィーネが軽く吹き飛ばしてくれた。
「ブリッツが軍役で側を離れるときは、タオが炎の魔力を込めた魔石を持たせてくれるの。ずっとは無理だけど、しばらくの間ならその魔石で凌げるわ」
タオとは炎の一族でヴィンの兄であり、メルはヴィンと一緒に彼から魔法の修行をつけてもらっている。タオはフィーネやブリッツと同じ年で、三人は幼馴染なのだ。
タオは炎の一族・赤の軍における若き天才魔法使い。魔石の生成は高難易度の魔術に分類されるが、タオなら容易に扱える魔法だろうとメルもすぐに納得した。しかし……。
「タオ兄さまほどの魔法使いなら普通の魔石を作るだけでなく、もっと効果の持続する強力な魔石を作れそうに思うのですが……?」
メルの言葉は身内贔屓ではなかった。タオはそれほど優れた魔法使いなのだ。
だから、フィーネも誤魔化し切れないと思ったのか肩をすくめて、間違っても背後のブリッツに聞こえないように口元に手を当てて、声のボリュームを絞った。
「……本当はね、タオの魔石を持っているだけで大丈夫なの」
メルが驚きに口を大きく開きかけて、フィーネが慌ててメルの口元に人差し指をあてる。メルもすぐに口をきゅっとつぐんで、それからフィーネと同じように口元に手を当てて小さな声で聞き返した。
「じゃあ、どうして魔石を持たないんですか?」
「だって、ブリッツといつでも一緒にいたいんだもの」
フィーネは即答した。けろりとした表情で。
「これ、ブリッツには内緒ね」
フィーネが茶目っ気いっぱいの笑顔でウィンクする。結論、メルの当初の予想は外れてはいなかったわけだ。それにしてもフィーネがあまりにさらりと答えたので、メルは鳩が豆鉄砲を食ったような顔で固まることになった。
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