第二話 雨垂れの再会

 あれ以来の私はというと、もう会うこともないだろうと思いながらも、なんとなく公園の横を通る時に、悩める山岸を探すようになってしまった。悩み事は解決しただろうか、そんな風に思いながら。

 ――ちなみに私自身の悩みはいまだ解決していない。相変わらず夏帆には返事を、と催促されている。

 

 水曜日の夜。あいにくの雨で、またもや歩くことになった塾の帰り道。

 驚くべきことに、一週間前と同じように公園には山岸がいた。――いや、正直に言えば暗いからよくわからなかったけど、山岸だという確信があった。

 黒のTシャツに黒のズボン、夏なのにマスク。四角い黒い鞄――スクールバッグではない。ただ、今度は自分で傘を差している。

 私を見かけると、彼から声を掛けてきた。

「あの、立川……さん」

「あ、先日は、どうも」

 探していた人が目の前に現れたのに、思った以上に戸惑った。

 知り合いではあるが、まだ友達とは言い難いから、なんとなくぎこちない。

「これ、この前はありがとう」

 出されたのは先週あげたつもりのタオルだった。洗濯されてるようで洗剤の匂いがする。

「別に、良かったのに」

「……いや、話も聞いてもらったし」

「そういえば、悩み、解決した?」

 もう一度会えたら、聞きたかったこと。

「あぁ……うーん、解決しようと、挑戦中。でも、先週より、マシ。そっちは?」

「私は……まだ……」

「良かったら、俺にも聞かせて」

 呟きのような言葉に、私は思わず目をしばたいた。先週の山岸はこんな気持ちだったのかもしれない。

「聞いてもどうしようもないよ」

 なんとなく、年上の男の人に恋の悩みを言うのは憚られた。

「俺だけ言ったってのも、なんか、不公平かなって」

 俺の方が先輩なんだしさ、と彼は食い下がった。

 その言い分は確かに正当で、私は腹を括って悩みを打ち明けた。

 初めて男性に告白されたこと。でもまだ返事をしていないこと。友達には付き合えば良いと返事を催促されていること。……好きでもないのに、付き合って良いのか自分の気持ちが分からないこと。

「断る、理由がなくて……」

 傘を打つ雨音が響く。言葉にするとちっぽけな悩みな気がして、いたたまれなくなった。

 向坂のことは嫌いじゃない。全然。好意も、たぶん嬉しいとは思ってる。でも――。

 打ち明けたはいいものの、全然反応がないから、私は恐る恐る山岸に視線を向けた。呆れられてたらどうしよう。

「偉いね」

「は?」

 予想外のコメントが来て、私は思わず首を傾げた。

「だって、受ける気が無いならそんな告白、適当に流せばいいのに。でも、それをやらないでちゃんと考えてる。だから偉いなって」

 まるで慣れたような言い草。

「……告白、されたことあるんだ」

「まぁ……」

「それで、適当に流したんだ……」

「……まぁ……」

 山岸は顔が良いと思う。暗かったり泥だらけだったりマスクしてたりで、そんなにじっくりと見たことはないけど。それで名門六校ならモテてもおかしくはない。

 確かに、適当に流すことだってできるのかもしれない。

 ただ、あんな真剣な告白を流せるほど、私は器用じゃない。それに「お友達から始めましょう」なんてぼやかした答えを、向坂が望んでいるとは思えなかった。

「考えて、考えて、それで決めたことならきっと後悔しないよ。付き合うにしても、断るにしても、半端な気持ちで出した答えじゃないから」

 山岸の言葉はきっと正しいのに、モヤっとするのは何故だろう。何かもっと違う言葉が欲しいと、そう、思っているような……。

「それとも――が欲しい……?」

 雨音に掻き消されそうな、呟きだった。

 彼の白い手が私の頬に延ばされる。長い黒髪の隙間から綺麗な二重の目が私を見ていた。

 心臓がギュっとなったのがわかった。体内に、血が巡る。思わず、傘で自分の顔を隠す。

「ご、ごめん。私、もう、帰らないと……」

 なんだろう、何かが、おかしい。

「そっか。こっちこそ引き留めてごめん」

「ううん。話、聞いてくれて、ありがとう」

 じゃあ、と公園から逃げるように立ち去ろうとして、振り向く。

「また来週も、会えるかな」

 山岸はまだそこに立っていて、でもマスクを外していた。初めて、しっかりと彼の顔を見た。

「また、雨の日に」

 傘の下の彼は、夜の雨の中、とても美しく笑った。

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