クレマチスのせい
~ 九月十二日(木)
俺の席が見当たらない ~
クレマチスの花言葉 許されぬ恋
コウタナの町には、忌まわしい伝説がある。……いや、伝説という言葉で闇に葬られようとしている悲しい真実の物語。それを忘れること無かれと命じるように、町を東西に分かつ川が、新月の晩には必ず赤く染まりゆく。
今宵も、その理の通りに。月に照らされることの無い川に、うっすらと朱の色が滲むのだった。
――その呪われた町から川沿いに、山へ向かって進んだ森の中。仮面の剣士と少女の姿があった。
「ねえ、バロータ。せっかく手に入れた隠れ家から、急に外に出るって言い出した訳を教えなさいよ」
「……ゲートキーパーが必要だからだ」
面倒と言わんばかりのため息と共に剣士は返事をしたのだが、そのニュアンスがマールへ伝わることもなく。
「なにそれ。ゲートキーパー?」
真っ暗闇の中、バロータの顔を覗き込むように質問を繰り返して。そして木の根で躓いて倒れそうになるのを、腕を引かれて救われるのだった。
「ありがと」
「……なにからなにまで面倒な女だな、貴様は」
とうとう諦めた剣士は、少女が躓いた木の根に腰を下ろして、目元を覆う仮面の中からマールをにらみつけながらも、分かりやすい言葉を選んで語りだす。
「俺達は、この世界の全てから追われる身だ」
「でも、あの人達は酷いことしないじゃない。全てって訳じゃないわよ?」
ドラゴン退治の時に生き残った三人。確かに彼らは、新たなダンジョンの主となった二人のために、水や食料、生活に必要な品を運んでくれるのだが。
「……いや。配下の魔物達も、あの三人でさえいつ裏切ってもおかしくない。だがそれ以前に、俺達の首を狙った賞金稼ぎ共が王の間まで到達する方が早いだろう」
噂というものは、信じがたい速度で荒野を走り抜ける。
ブラン・ゼル・ドラゴンの主が変わったことは瞬く間に王国中へ広まり、それと同時にダンジョンへ襲い来るパーティーはひっきりなしとなったのだ。
これを迎え撃つ魔物は個体数が減っても、勝手に外からいいねぐらとして住み着く連中が後を絶たないため、大体いつも同じような数をキープしているのだが……。
「上層はいい。だが、中層以下がどうにもならん」
中層と下層、ここに住まう魔物は外部から寄って来るということはほとんどなく、普通に子を産んで育てているようだ。
だから最近、目に見えて数が減ってきて、ケイブ・シャークのように絶滅してしまった種すら現れる始末。
「だから、中層へのゲートを守る門番が必要になったんだ」
マールがそんな説明に対して浮かべた表情は、同意はできないものの納得、という曖昧なものだったのだが、何かに気付くと、途端に表情を緩め……。
「それで、コウタナの伝説を頼りにここへ来たのね! あ、でも、それって」
そして、これから会おうとしている相手のことまで含めて思い出した途端に、再び暗い表情で俯くことになったのだ。
……その相手の名は、『D・G』。
おおよそ二百年も昔からコウタナの町はずれに住まうこの魔族は『断罪の女王』という二つ名を冠し、人々から恐れられていた。
人の背の倍もあろうかという巨大なハサミを振り回し、獣を切ってはその肉を食らい、口に合わぬのか、血だけを川へ捨ててしまうというその魔族。わざわざ近寄ろうとする人間はいなかったが、彼女の方から人間を襲うという事もまた、ついぞ聞いたことは無かった。
そんな彼女の森で、一人の少女が迷子になった。両親ばかりか、町中から人が集まり、幼い命の無事を森の外で祈っていると、闇の中から泣くばかりの少女を胸に抱いたD・Gがその姿を現した。
居合わせた者すべてが体中から汗を吹き出して震えおののく中、D・Gは、魔よけの守りとして首の横に蝶の刺青をいれた少女を両親の元へ下ろすと、無言のまま森の中へ引き返す。そんなことがあって以来、町の者は森への入り口に蝶の紋を入れた社を作り、定期的に作物を供えるようになったという。
……以来、二十年もの時が過ぎ、人々が真実をただの絵空事と改め始めた頃、町は隣国との戦争に巻き込まれることになった。王国の兵が町の外へ陣を張り、敵を迎え撃ったもののあっけなく敗走。そして今にも無慈悲な暴力がコウタナへ振り落とされようとしたその時、足まで伸びた赤い髪の魔族が、巨大なハサミを振りかざしてこれを全滅させてしまったのだ。
歓喜に沸き、D・Gを称えたコウタナ。彼女を町へと迎え入れ、数日に亘って祭りを催した。しかもこの大敗をきっかけに、隣国が講和を持ちかけるに至り、戦争は終わりを迎えることになったのだ。
……だが、その講和条件の中に含まれていた一文。
「再三にわたる降伏を無視して、不必要な虐殺を行ったコウタナの町には納得のいく説明を求める」
これに対して、王国からも見放されて進退窮まったコウタナは、酒で眠らせた魔族を縛り上げ、すべてを彼女の仕業として敵国へ引き渡そうとした。善意を裏切られ、激高したD・G。戒めを軽々と引きちぎると、敵味方構いなし、その場に居合わせた者のほとんどを切り捨てて森へ帰って行った。
その亡骸の中には、幼子を抱き、蝶の刺青をいれた女性の姿もあったという。
……
…………
………………
「ねえ、バロータ」
暗い表情のまま、マールはつぶやく。
「……あの人を、どうする気?」
「そうだな、足腰立たねえ程度に痛めつけりゃ、言うこと聞くようになるだろ」
冷たい返事をしたバロータの胸に、勇敢な少女は小さな拳を叩きつけた。
「そんなことしないであげて。……私、彼女と友達になりたい」
自分の考えの枠から外れることを平気で言う女だ。バロータはそう思いながら、マールの頭を一つ撫でるのであった。
~⚔~🔥~⚔~
「やめて! バロータ! もうやめて!」
ハサミという得物。それを不格好で意味の無いものと考えていたバロータは、数分前の自分を呪い続けていた。
「剣で防いではいけないということがこんなにも辛いとは……!」
支点となる要を握り、刃を広げ、十文字の得物としてハサミを回転させながら襲い来るD・G。その回転を剣で防ぐタイミングに合わせて、敵はハサミの刃を閉じるのだ。
つまり、四度に二度は確実にハサミによって挟まれることになるのだが、そのうち一度は真っ二つにされる。迂闊に防ぐこともできない攻撃を避け続け、バロータは疲労の極限を迎えていた。
「お、オ……。オマえ、友、シンぱイ、され……。ニクイ……」
「くっ! ……友? 笑わせる!」
そう言えば、さっきあいつもバカなことを言っていたが。ふと、マールの言葉を思い出しながら、刃をバックステップで避け続けていたバロータは、次第にマールの元へ誘導されていることに気付いた。あいつとまとめて切り捨てるつもりなのだろうか。だが、マールを守ろうにもこの攻撃に対する対抗策が見つからない。
「あ……、あいつを切ると、お前さんは友達をまた失うぜ?」
バロータはD・Gにまつわる伝説と、先ほど漏らしていた彼女の恨み節に一縷の望みをかけて揺さぶると、ハサミの回転が目に見えて遅くなった。
「友……? ウ、うシナうは、モウ、イやだ……」
これは、脈があるか?
バロータは、最大限に警戒しながらもさらに揺さぶる。
「ああ、お前さんは勘違いしてるようだから教えてやるよ。そこの女が再三俺に、もうやめろって叫んでるのはな、友達のことを俺が切るのが嫌だからなんだぜ?」
「お……、オ…………」
「お前は、このまま進んで友達を切るつもりなのか?」
「チが……、友、キらない……」
そして回転を止めたハサミを地面に突き立てて、巨大な十字架にしたD・G。
その機を逃さず、バロータは剣を振りかざしたのだが……。
「待ってーーーーーっ!」
「うお!?」
目の前に飛び出したマールによって、行く手を阻まれてしまったのだ。
「邪魔すんじゃねえ! 誰のためにやってると思ってるんだ!」
「あたしのためと思うなら、あたしの友達を切ろうなんて思わないで!」
あまりのことに歯噛みするバロータだったのだが、両手を広げて立つマールの後ろへ視線を送ると、思わず目を丸くさせて呆然とすることになった。
……そこには、顔を両手にうずめて泣き出したD・Gの姿があったのだ。
「お、オ……。あた、アタしヲ、マモっテくれル、の?」
「うん。……もう、一生分、辛い目に遭ったんだから。あなたはもう、辛い思いなんかしなくていいの」
「デ、でモ……、つき、ナイヨるニなると、ニンゲンがブキをもっテやってクル……。こ、コワイ……」
地面に這う程の赤髪を引くD・Gへ向き直ったマールが、その頭を優しく撫でていると。ようやく冷静になったバロータは、溜息をつきながら魔族へ語り始めた。
「……こいつは、お前さんと友達になりたいらしい」
「オ、う、ウレしイ……。友、ズッと、ほしカッた……」
「だが。俺はお前を信じねえ」
「な……、なに言ってるのよバロータ!」
暴姫の下で一生分使い切ったのだ。歯に衣を着せるなんて苦労はしたくない。
バロータは剣先をD・Gへ向けると、自分の思うがままの言葉を吐く。
「伝説なんて信じねえ。ほんとはお前さんが、町の人間を食いに行ってただけなんだろ?」
「オ、おマエ、殺す!」
にわかに殺気を纏ったD・Gがハサミを地面から抜くと、バロータはニヤリと笑いながら畳みかけた。
「構わねえが、俺を殺せばお前の友達も死ぬぜ? 俺はこいつの保護者だからな」
「オ……? ド、どうスレば……」
「もうやめて! バロータ! なんてひどいこと言うの!」
頭を抱えるD・Gの肩を支えたマール。その刃のような目がバロータを射貫くと、剣士は剣を鞘へ戻して、肩をすくめた。
「……D・G。人生ってな、そんなもんだ。全部を手に入れることなんかできねえ。だから、一つの幸せを守るために他は我慢するのが普通なんだ」
「お、た、タシ、カに……。ダガ、ジンセイ、とは、マゾクのあたシに、みょウなことヲいう……」
いよいよ混乱するD・Gだったが、バロータはようやくいつも通りの真剣な表情に戻って、マールに近付きながら言った。
「いや、おかしくは無かろう。そこはこいつと同じ意見だ」
「なニが、オナじ?」
「……泣ける時点で、お前の心は人間だよ」
そしてD・Gの肩を優しく叩きながら。
「さあ、どうする? 俺たちと一緒に来るか?」
「……もっト、ヒトのこころヲ、オシエてホシイ……」
「冗談じゃねえ。俺達こそ、町の皆を守ったお前に、人間の心ってやつを教えてもらいたいさ」
得物を置いて、頭を下げる魔族に、バロータは不器用な笑みを見せながら返事をしたのだった。
この日以来、コウタナの町を流れる川が、捨てられた血で赤く染まることはなくなったという……。
~🌹~🌹~🌹~
「教授。俺の席、どこに捨ててきたのですか?」
「午前中、ずっと探していたようだねロード君! さすがに可愛そうだから、ヒントだけ教えてやろう!」
「お願いします」
「川!」
「うわあ」
どうやら、学校の備品を。
校外へ捨ててしまったこいつは
軽い色に染めたゆるふわロング髪をおさげにして。
その両側の結び目に、白い花弁に赤いライン。
美しいクレマチスを一本ずつ活けているのです。
「子猫大橋のあたりですよね」
「知らないのだよロード君! あとは自力で何とかしたまえ!」
「すぐに取りに行かないと」
そうは思うのですが。
午前中いっぱい、校内を走り続けたので。
おなかがぺこぺこなのです。
ごはんを食べたら。
すぐに行きましょう。
「と、言うわけで。俺はとっとと食べたいのです」
「待て待て。うまいこと切れねえ」
「早くしろよお前」
「やべっちが不器用だってこと、今更知ったぜ」
「うるせえなあ。左利きはハサミに向かねえんだって。よし、こんなもんだろ」
お調子者トリオに邪魔されるお昼ご飯。
教授の席だけでは足りないので。
教卓を使って立食パーティー。
そしてメニューは、キムチナムル混ぜご飯。
丼のごはんへ、教卓に並べられた具材を乗せていただくのですが。
キムチは長い一枚葉。
お肉も大きなまま焼かれているので。
キッチンハサミを使わねばなりません。
「しかし、焼き肉屋とかでたまに見るけど違和感あるよな」
「違和感どころか。食卓にハサミって、俺は初めての体験だ」
「確かに、なんか落ち着かねえ」
「そこは同意なのですが、早いとこ俺にも貸してください」
キッチン用のハサミって。
袋を切ったり紐を切ったり。
そういう風に使うものという先入観がありますので。
俺も違和感を拭えないのです。
「美味い! やば、これ、めちゃくちゃうめえ!」
「確かに! ……もうちょっとキムチ乗せよう」
「ちょっと! 俺が先でしょうに!」
気付けば俺を除く三人で。
楽しそうに具材を切り始めてしまいました。
「……D・Gか」
「正義の心でちょっきんちょっきんするの」
「ほんとにうめえなあ! ハサミはなじまねえけど」
「やべえ、白飯が進む! ハサミはなんか違うけど」
「こんなに美味かったっけ、キムチ! ハサミは違和感あるけど」
「D・Gに切られてしまえばいいのです」
やむを得ません。
お肉とキムチ無しでいただくことにしましょうか。
……それにしても。
女子を口説くために、人気投票まで行ったこの三人。
どうやら暴走して。
女子に距離を取られているようなのですが……。
「ねえ、皆さん。結局、どなた狙いで動いているのです?」
教授もこの質問に反応してますが。
聞いておけば、フォローくらいはできる。
そう思いながら聞いた俺は。
すっかりフォローする気が失せることになりました。
「俺は新谷と原村と日向」
「俺は原村さんと日向さんと新谷さん」
「俺は日向、新谷、あと、原村」
「バカなのですか?」
「バカなの?」
人気投票上位三人。
しかも三つまた。
そんなことでどうにかなったら。
逆に女子の方に考え直すよう勧めます。
「どうしようもない三人なの」
「まったくなのです」
俺は甘辛く味付けたワラビを一口いただいた後。
さらにつっこみ続けます。
「そもそも立花君は去年、椎名さん狙いから小野さんに鞍替えしてませんでした?」
「そうだてめえ! いい加減な奴だな!」
「そう言うやべっち君は、坂上さん狙いじゃなかったのです?」
「まったくだ。二人ともそんなんでどうするよ。俺は日向一筋だからな!」
「柿崎君。三人狙いで一筋って、ハーレムでも作る気ですか?」
やれやれ。
箸でお互いの事を指して罵り合うお三方。
行儀悪いです。
食事的にも。
恋愛的にも。
俺は、ため息と共に肩を落とすことくらいしかできなかったのですが。
この勇気ある女性は。
強引に三人の目を覚まそうとするのです。
「ちょ……! こら藍川! 肉の皿、持ってくな!」
「キムチも!」
「ナムルも!」
「……ダメなの。各自、どれか一つを狙うの。これは、彼女を作るための最初の一歩と心得るの」
なるほどと頷いた三人。
でも、このおちゃらけトリオを甘く見ちゃいけませんよ、教授。
「……じゃあ、俺は肉」
「俺はキムチ」
「俺はナムル」
「そういう感じなの。お分かり?」
しょうがない子供たちなのと。
三人の丼に、一品ずつを配った教授なのですが。
丼を、乾杯するかのように寄せた三人は。
お互いの具材を三分の一ずつ取り分けて。
混ぜ混ぜして、一気にかっ込んだのでした。
「「「やっぱどれかなんて選べねえ!」」」
さすがに呆れた教授は。
ハサミを持ったまま呆然自失。
やれやれ。
仕方ない。
「……D・G。やっておしまいなさい」
そして、クラスのお調子者トリオは。
女の子から追い回されるという幸せを堪能したのでした。
……さあ。
机を探しに行きましょうか。
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