ソリダスターのせい


 ~ 九月四日(水) 16センチ ~


 ソリダスターの花言葉 広がる愛の輪



 ゴーマ木の柱に塗り壁造り。屋根に積まれた美しい焼き石を、激しくなった雨が耳障りなほどに叩く。


 小さな村に不釣り合いな豪邸に住む老夫婦は、二人の旅人をご馳走と共に歓迎してくれていた。


「此度は本当にありがとうございました!」

「……もう勘弁してくれ」

「いいえ、何度でも申しますとも! 他所からいらしたというのに、土嚢積みに手を貸してくれたばかりか獣の群れまで追い払ってくださるとは!」

「礼なら俺じゃなく、このお節介女に言え」


 猪肉のローストに鴨のスープ。パンに至るまで、上物ばかりが並んだテーブルには、赤ワインまでもが木のジョッキに注がれていた。だが旅人達はそれに手を付けることなく、食事だけ満喫していた。


 ワインをしきりに薦める村長も、自身は一滴も飲めぬと笑いながら、貧乏そうな村に住まう割に随分と蓄えた脾肉を首に揺らして猪肉へかぶりつく。


「お嬢さんもありがとうございました。若いもんのいない村ですので本当に助かりました」

「いえ。……しかしあんなに山のように積まなければならないのですか?」

「はいはい。クミル川はここの所、水量が増えましてな。大雨になるとすぐに溢れてしまうのですよ」


 ……バロータ達が追っ手から逃れ逃れてたどり着いた場所は、川の岸に十数棟が肩を寄せ合う小さな村だった。

 おりしも急ごしらえの堤を築くその先には、収穫を目前にした稲が揺れており、嫌がるバロータを無理やり村のために働かせた少女は、礼を言われて少しばつが悪そうにする。


 自分は役に立っていないというのに、風呂に着替えに、さらにはこれほど贅沢な食事を下さるなんて。バロータは随分と活躍したのでこの扱いも分かるのだが、連れの私まで感謝されては申し訳ない。


 そう思いつつも、ここの所血抜きもろくにしていない野兎や木の実ばかりを食べていたので、久しぶりに人心地を抱きつつ、少女はぺろりと食事を平らげた。そしてバスケットの中に入れられたパンをもう一ついただきたいという衝動と善意とを心の中で戦わせていた。


「……お客様。一番突き当りの部屋に床を準備しましたので、そちらをお使いください」

「奥様、申し訳ありません。それでは甘えさせていただきます。……あんたも、お礼ぐらい言いなさいよ」


 少女が咎めるのも聞かず、どこか不機嫌そうに席を立つ仮面の剣士。バスケットからパンを二つ掴んで軽く頭を下げたかと思うと、老婆の示した先へずかずかと歩いて行ってしまった。


 これに慌てた少女が慇懃にお礼をすると、村長は笑顔で首を振る。


「なあに、疲れているのでしょう、それほどの働きでしたから。……時に、お嬢さんと剣士様のお名前は?」

「彼はバロータ。私はマールと申します」

「さようか。……では、ごゆっくりお休みなさいませ」


 少女は暇を告げ、剣士の長髪の後を追う。

 だがことのほか長い廊下には燭台もなく、バロータの背にぶつかる直前で、小さな声を上げながら慌てて足を止めることになった。

 廊下に立ち尽くし、壁を見つめるバロータ。ようやく闇に慣れてきたマールの目に、そこに飾られた二本の槍が映る頃、金髪がゆらりと奥へ進み出す。

 ……そんなバロータの髪は未だに濡れたままで、まるでまだ仕事は終わっていないとでも言いたげな気配を放っていたことに、少女は不安を感じたのだった。



 ~⚔~🔥~⚔~



 久しぶりの、敷き布のある寝台だ、深く寝こけるのもやむを得まい。

 だが、そんな少女が身を起こすのに十分な騒音が、いずこから響いてきた。


 眠い目をこすりつつ体を起こすと、バロータの姿が見えない。彼に言われて仕方なしに履いたままでいたブーツで床を鳴らし、わざわざ着替えさせられた薄汚れたいつもの服という恰好で廊下に出ると、ぎしぎしと誰かが歩く音が響いてきた。


「……バロータ?」

「ああ、起きたのなら手間が省けた。すぐに出るぞ」

「え?」


 事態を飲み込めない少女だったが、彼に言われるでは仕方ない。

 慌ててバックパックを背負って外套を頭からかぶると。


「……お礼も言わずにここを出るの、ちょっと気が引けるんだけど」


 それでも持ち前の優しさを奮い起こして、バロータへ文句を言った。


「なんだ、それなら安心しろ。礼ならもう言っても意味がない」

「どういうこと?」


 ……ざわりと不安を胸にしつつ、夜目に剣士の姿を凝らしてみれば、彼のそばには見覚えのない金袋。しかも聖剣は剥き身のままで、鞘に納められていなかった。


「まさか……、あなた! あの二人を!」

「ああ。切って来た」

「な、なんて人でなし!」


 すぐ脇にあった燭台を両手で握り、剣士へ向けて構えた少女。

 だが、腰嚢をベルトに通し終えて立ち上がった剣士は、シーツで剣の血のりを拭いながら、少女の剣幕など意にも介さぬ様子で羊皮紙を差し出してきた。


「……なに、これ」

「俺達の手配書だ。あの二人は、俺達のことを知っていてここに泊めたんだ」

「そんな親切な方々を……!」

「親切? 俺達の首が目当てだった二人を親切と呼ぶか。変わった女だな、お前は」


 そう言われた少女は、はっと息を飲んで剣士を見上げる。言われてみれば、確かに思い当たることがいくつもある。

 なぜ、子供にしか見えぬ私にワインなど振る舞ったのか。なぜ、名前を聞かれたのか。


 すると剣士は仮面の向こうで、恐らく悲しそうな眼をしながら。


「……あんな年寄りに振り回せるかどうか怪しい槍を抱えて、随分と楽しそうに皮算用してやがったよ。二十年ぶりの獲物だって言いながらな。……この豪邸も、その二十年前の獲物とやらが建ててくれたんだろう」

「そんな……」


 いまさらながらに、少女は世界の全てが自分の敵に回ったのだと知る。

 だが、ひとつよろけてみたものの、支える側へ伸ばした足をぐっと踏み込んで、そして憐れな老夫婦へ向けて深くお辞儀をすると、気丈にバロータを見据えた。


 そんなマールへ、珍しく口端をゆがめて微笑んだバロータは。


「……こいつは置いていけ。金にならん」


 そう言いながら燭台を取り上げて、代わりにパンを一つ少女の手に乗せた。


「食っておけ。しばらくは歩き通しになる」


 このパンは、食事の後にバロータが取って来たもの。

 豊潤で、人の気持ちを取り戻すかのような魔法のパン。それに、マールは一口かじり付く。


 だが、あの芳しい香りはどこへ立ち消えたというのだろう。硬く、冷めきったそれからは。



 涙と血の味しかしなかった。



 ~🌹~🌹~🌹~



「グッドグッド! これ、いいわね! 最高じゃない!」

「ああ、これは面白い」

「よかった……」

「ん」


 俺たちの選挙活動も。

 老夫婦よろしく、ばれないように行わなければならなくて。


 地味に一人ずつ巻き込んで。

 ようやく半数に達しました。


 ……今日は、佐々木君と椎名さんを納得させることに成功したのです。


「ありがとうね、秋山君」

「ん。ありがとう」

「いえいえ。お礼なんておかしな話なのです」

「グッドグッド! 秋山は、自分がバロータ演じたいからやってるだけでしょ!」

「違いますって。皆さんがダンジョンゲームに納得してくれた暁には、六本木君に押し付けるつもりなのです」


 またまたーと。

 俺の背中をバシバシと叩く椎名さん。


 昨年、ご自分が脚本を手にみんなの所を回ってロボSFを実現させた経緯もありますし。


 ご納得いただけると思っていました。


「それにしてもいい脚本ね~!」

「脚本と言うより原作になるわけなんだが……、まあ俺の言えた義理じゃないか。去年同じことをしたわけだし」

「佐々木君も気に入りましたか?」

「もちろん。胸にぐっとくるな」


 深く感心しながら。

 改めて一話目からコピー用紙をめくり始めた佐々木君。


 するとその後ろに立った。

 植木鉢が口を開きます。


「ほんとなの。親切にしたらひどい目に遭ったおじいちゃんとおばあちゃんのお話、泣けるの」

「…………酷いね。君の読解力」

「ひどいのはバロータなの」


 呆れた。

 何をどう読んだらそうなるのです?


 どれほどドラマをじっくり見ても。

 総集編を見るまでまったく流れを把握できないこいつは藍川あいかわ穂咲ほさき


 軽い色に染めたゆるふわロング髪を鉢植えの形に結って。

 黄色い小花が群れ咲く姿が日本人好み。

 ソリダスターをわさっと植えているのですけれど。


 そんなバカな頭をしているから。

 肝心なものがまるで分からないのです。


「親切にしていたのを裏切られたって。どうしてそうなりますか」

「違うの? さっき飲み物買いに外に出たら似たようなことに遭ったから、勘違いしちったの」

「バッドバッド! どんな目に遭ったの、藍川ちゃん!」


 椎名さんは、穂咲の読解力よりも。

 裏切られたお話に興味が湧いたようで。


 お茶を一口飲みながら。

 穂咲に先を促すのですが。


 どうせ、ろくな話じゃないのです。


「あのね? 横断歩道が青になったから渡ろうとしたらね、右の車道にすーっと来た宅配の車が、左に曲がるよってちかちかし始めたの」

「うんうん」

「だから、横断歩道の前で待ってたんだけど、車、ぴたっと止まってそれきり動かなくなっちったの」

「ん? じゃあ、渡ればいいじゃない」

「でも、いつ進みだすか分かんないじゃない? だからずっと待ってたんだけど、そのうち助手席から降りた人が荷物出して目の前の家にピンポーンって」

「……それで藍川ちゃん、駅前から戻って来るのに一時間もかかったんだ」

「だって、左に曲がりますがちかちか」

「バッドなことに、右に曲がりますもチカチカしてたと思うの、私」

「最終的には、ちかちかやめて、まっすぐ行っちゃったの。インチキ」


 一人、むすっとする穂咲に対して。

 みんな揃って苦笑い。


 そんな話の流れから。

 椎名さんは瀬古君にシナリオについて突っ込みます。


「藍川ちゃんじゃないけど、先入観念って誰にもあるよね。例えば……、こんな時代に土嚢ってあったのかな?」

「ああ、なるほど」

「曖昧だったら、土手を作る工事とかの方がそれっぽく感じるけど」

「確かに、その方がイメージ湧くね」


 シナリオライター同士の会話に。

 俺などが口を挟める余地もなく。


 分かったふりをして頷いたりなどしていたのですけれど。


「ようようようようなの」

「どうしました。急にチンピラになったりして」


 お二人の仲をやっかんだのでしょうか。

 穂咲が急に絡み始めたのですが。


「ん。……違うよ? 溶溶漾漾ようようようようって言ってる、だけ」


 坂上さんが、携帯で見せてくれた怪しい四字熟語。

 そこには、たくさんの水が流れる様子と意味が書かれていたのです。


「…………貴様、穂咲じゃないな!」

「失礼なの。少なくとも道久君よか賢いの」

「本物の穂咲はきっと、今もまだ左に曲がりますトラップに引っかかったままなのです!」

「だから、あれはあたしを騙して笑いながらまっすぐ行っちったの」


 なんでしょう。

 俺の知らないことを知っているこいつに。

 無性に腹が立つのですが。


 でも、穂咲の言う通り。

 俺より遥かに成績がいいのも事実な訳で。


 複雑なのです。



 ……そんな世の不条理について。

 俺が心の中で嘆いていたら。


 椎名さんが、ポンと手を叩いて。

 意外なことを話し始めました。


「……そう言えば、凄い昔に、秋山ちゃんとこの裏山から水があふれてきたことあったんでしょ?」

「え?」


 知りませんけど。

 そんな返事の代わりに大きく見開いた目で穂咲を見つめたのですが。


 こいつも、ふるふると首を振ります。


「つい最近、小川があることは知ったのですが。あれがあふれて来たなんて話は知りません。小さな頃の話なのでしょうか?」

「ちがうちがう! もっとずっと前! なんでも、近所の人が助けてくれたらしいわよ?」

「はあ、そうなのですか。……それをなんで椎名さんが知っているのです?」

「そりゃあ、あたしもあのあたりに住ん。…………でる人から聞いたのよ」


 なんでうちのそばに住んでる人とお話を?

 俺は当然の疑問を口にしたのですが。


 でも佐々木君から肘で突かれた椎名さんは。

 それ以上何も言おうとしないのです。


「なるほど。もしもそんな事態になった時、土嚢なんて準備できるはずないよね」

「おお、お話が元に戻ったのです」

「とすると……、やっぱり土を積んで土手にするのかな?」


 瀬古君が首をひねると。

 坂上さんも、同じ側へ首を傾げながら。


「ん……。そんなこと、する?」

「きっとしないの。手近なものを積んで堤防にするの」

「手近な物ってなんです? まあ、あんな小川が決壊したところでそこまで大規模なものではなくていいはずなので……」

「そうなの。と、なると……」

「そうなると……」


 ……ん?


 と、なると。

 そうなると。



 なると?



「「ナルトおおお!?」」



 …………絵空事と。

 信じて疑わなかった伝説は。


 意外な形で。

 その信憑性が増して。


 俺と穂咲の口を。

 あんぐりとナルトの形に開いたままにさせたのでした。


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