百合短編集

詩乃

エンドロール

毎週第一金曜日は映画の日。これは、彼女と暮らす中での12個あるルールのひとつだ。

最寄り駅の改札をくぐり、住宅街を歩いてちょっとボロい築34年のアパートを目指す。腕に下げたビニール袋の中にはコンビニで買った、コーラとポップコーンという映画を観るにはベタな取り合わせが並んで収まっていた。今日は何を観よう。


近所のレンタルビデオ屋は、ネット配信が主流になったあおりを受け潰れてしまった。夜のレンタルビデオ屋の、ずらっと映画の並ぶ棚の間を何か探すでもなくぶらぶらと歩いて、目に留まった映画を直感や気分で選ぶのも楽しかった。これも、時代と共に忘れ去られていく風景なのだろう。

手触りのいいグリーンのカバーをかけた2人掛けのソファで、肩を寄せ合い映画を観る。この日だけは、お互い飲み会に行かずまっすぐ家に帰るようにしていた。


彼女は映画が好きな方で、気になればひとりでミニシアターに出向いてマイナーな映画を観たりしている。私は映画が好きだけれど、有名な作品を大きな映画館で観たり、ネットで評判のいい映画を選ぶので、観る映画は偏っているだろう。

彼女はハリウッドが制作したド派手なアクション映画なんかも好きだけれど、私はそれらを自分から好んでは観ない。逆に私はたまにホラー映画を発作的に観たくなる周期があるのだが、それを彼女に言ったらまったく理解されなかった。一緒に観られない映画は、休みがずれた時にひとりのソファを占領し、お互いにこっそりと観ている。


がちゃりとドアを開けて家のリビングに入ると、冷房がキンキンに効いた部屋の中で、ベッドから持ってきた毛布にぐるりと包まり、ソファに転がっている彼女が目に入った。まるで芋虫のようだ。コーラのペットボトルを取り出して、彼女のおでこにぴたっとくっつける。つめたい・・・芋虫はつぶやき、もぞもぞとうごめいた。

彼女はがばりとソファから起き上がると、演技がかった声で、お嬢様、可愛い召使いをいたぶるのはおやめください!と叫ぶ。彼女は時々こうやっておちゃらけ、よくわからない設定を口に出す。私はあははと笑い、違うわ、これは可愛がっているのよ。と、声色を変えて言う。便乗して言葉を返し、即興の小芝居が始まる。この狭い劇場の舞台は、どんなに親しい他人にも見せられない。


元々同じ演劇部の部活仲間だった私たちは、こんなノリでふざけて遊ぶことがままある。彼女は会話中に、突然ミュージカル風に歌い出したりする。そんなだからか、彼女とは喧嘩をしても、2日ともたない。いつだって些細なことが原因の平和な喧嘩は、彼女の陽気さに当てられて跡形もなく溶け、何事もなかったかのように元の日常へと戻る。


彼女は私の買ってきたコーラを手にし、お嬢様、献上品です。と差し出してきた。

甲高い声で、ポテトチップスが食べたいわ、と言うと、キッチンにあるおやつの入ったボックスからのり塩のポテチをそそくさと持ってきて、ははーと言いながら頭上に掲げた。

そのポテチとさっき買ってきたポップコーンも合わせて、木のお皿にキッチンペーパーを敷きおやつたちを並べた。お皿をソファ横のローテーブルに置いて、氷をふちまで入れたグラスに注いだコーラも用意し、今宵の映画セットが完成した。


今日の映画は、何か笑えるものがいいね、と言うことで、Amazonプライムとネットフリックスのラインナップをざっと眺め、海外の下らないB級アニメーション映画に決めた。終始下ネタやお下劣なネタで占められ、頭を空っぽにして観られるタイプの話だった。本当にくだらなさすぎて、観ても何も得られるものはないと感じたが、しかしそういうくだらなさに救われる夜もある。彼女は声を立ててげらげらと笑い、私はその横でにやにやと静かに笑った。


見終わって、お腹すいたと言う彼女とミートソースパスタ、市販のソースのもの、を作り食べていると、何の脈略もなく、映画を撮りたいねぇ。自己満足のでいいからさ。彼女が言い出した。うんうん、と素直にその提案を聞きながら、パスタを口に運ぶ。彼女は思いつきで話し始めたがノってきたようで、手振りをつけながら、2人のための2人だけが観る映画を作ろうよ、と熱弁する。突拍子もない提案だった。

うーん、とあまり気乗りしない自分の心情が、そのまま態度に出てしまう。何か作ることに苦手意識があった。自分の思い描いたものを形にするというのは、精神的に柔らかな部分を雨風に晒すようで、抵抗があった。けれど、まだ他人に見せないのなら、いいか・・・


唸りながら眉間に皺を寄せる私に、えー、形にするっていうのが大事なんですよ。両手をあごの下で組み、冴えた表情を作りながら低い声で彼女は言った。誰かのものまねなのかもしれないが、わからない。これは、彼女の演技力の問題ではなく、私の読解力、ひいては参照できる知識量の少なさのせいだろう。

じゃあ次の休みが合った日にやろう、と気がはやる彼女に、私は「人が見てると恥ずかしいから、人目のないところでならその話乗った」と妥協案を出し、彼女はそれを快諾した。

それから彼女は、何か思いついたようにばっと顔を上げ、心底おかしそうにくくくと笑うと、私たちが別れたら焼き捨てよう!じゃんけんで負けた方がね、と言って、大きな声で「じゃーんけーん!」と叫びながら拳を振り上げた。


どこで撮る?

海じゃない?海でしょう、と言って、海まで行った。

私たちの住んでいるのは海のない県で、海にゆかりなんて何もない。それなのに、満場一致のその場のノリで海だと決めた。夏だったので、雰囲気を重視した結果だ。機材なんて立派なものはなくて、私のiPhoneで撮って、編集もアプリでやろうということになった。

なるべく人がいないタイミングがいいという私の希望を通すために、早起きして朝早くの電車に乗った。隣の県の海岸まで電車を乗り継ぎローカルの路線に乗ると、小旅行をしている感覚でわくわくする。海が近づいてくると日の光がより強く差すように感じられるのは、気のせいなのだろうか。彼女は、電車内の広告も普段見てるのと違うね、と言いながら、人のまばらな車内で無駄にうろちょろとしていた。私は、三歳児に言い含めるように「ちゃんと座ってなさい」と彼女の腕をつかんだ。


映像作品をたくさん見たからと言って、映像を作れるようになるかと言えばそうではない。小説をいくらたくさん読んでいたって、いきなり長編小説は書けないだろう。だから短くて、脚本も何もない映像を撮ろうということになった。

目的地の海岸に近いローカル線の寂れた駅を出て、海岸沿いを2人、波の満ち引きのように手を繋いだり離したりしながら歩く。空は晴れていて、入道雲が絵に描いたようにきれいな形をして浮かんでいる。


「海って、思ってたより綺麗じゃないね」

「海のイメージが綺麗なだけだよね。私たちは本物を知らないから」

「あ、その台詞いいね。あとで使えたらいい」

折り重なり幾何学模様のようになっているテトラポットの大群を司会の端にうつしながら進む。彼女は鼻歌を歌いながら大きく足を振り上げ、手もぶんぶんと振り回し、やはり元気な三歳児のように歩く。


砂浜に降り立つ。やはり私たち以外に人の姿は無かった。どこから流されてきたのか、使い捨てのどんぶりや、どこかのスーパーの買い物かごまでもが砂浜に漂着していた。

彼女はサンダルを脱ぎ、砂浜を砂に足を取られつつも歩く。ショートパンツから伸びる脚の白さと細さが普段よりも際立って見える。私はスマートフォンを慌てて取り出し、録画ボタンを押す。

彼女はくるくると回りながら、いろんなポーズをする。見せることの出来るすべての表情を作る。そういえば、演劇部でも同学年で一番演技が上手くて、役をたくさん取っていた。

まだ私たちがただの同級生同士だったころ、何かの拍子に彼女が「私は本当のことを言うんじゃなくて、本当っぽく見せるのが得意なだけだよ」と言った。彼女は自分の見せ方というのをとてもよく知っていた。


彼女は交代!と言って、私の手からスマートフォンを奪い取る。私はずっと裏方だった。裏方だったのは、裏方が好きだったのもあるけれど、何より演技が下手だったからだ。どうしていいかわからず、ぎこちなく笑顔を作る。彼女が「女優さーん、自然体で!」と煽ってくる。スマホを持っている手と反対の手がすうっと伸びてきて、私の脇腹をくすぐる。はははと声が出る。くすぐったいという感覚よりも、彼女の行動が愛おしく自然と笑っていた。けれど、くすぐるほうに集中している彼女の手のカメラレンズは私を捉えず、空や足元をうつしているようだ。


彼女がふいに私の前髪を、人差し指と親指ですくい上げる。その瞬間の、確かに私たちが触れあっている瞬間を撮りたいのに、そういう瞬間ほどいつも記録には残らない。網膜とあたまの内側に焼き付き、時の流れに抗えず色褪せていくのだろう。今見た光景を自分の中に留めておきたくて、何度も反芻する。


なんとなくで映像を撮り、時間も経ってお腹がすいたので撮影は切り上げた。海岸沿いを歩いて偶然見つけた、寂れた純喫茶でお茶をした。ソファのビロードはしっとりと赤く、焦げ茶のテーブルはところどころすり切れたようになり、地の木目が見えていた。地元のマダムが世間話に花を咲かせている。カウンターの中に立つ高齢のマスターは色白でひょろっと細く、まるで白樺の小枝を人間にしたような出で立ちだった。消え入りそうなかすれ声で「ご注文は」と聞かれ、私はナポリタンとアイスコーヒー、彼女はピザトーストとクリームソーダを頼んだ。


「クリームソーダ、流行ってるんだよ。映えるからね」と言って、届いたさくらんぼをくれた。ちなみに、さくらんぼは彼女があまり好きではないので、いつも私にくれる。柄までまるごとが、透けるような不自然な赤色に染まったそれを口に放り入れる。確かに、これは味のためにあるのではなく、見た目のためにある食べ物だ、と納得する。


誰にも見せないものを作るというのは、それはそれで難しい。人の目を気にするのであれば、見栄えや人から好ましいと思われるだろう表現をすればいい。

けれど、誰も見ないのだ、この映像は。彼女と私だけが見る。


撮影から何日か後、慣れないアプリでの編集作業にうなされたのか、私は夢を見た。

気付くと私は椅子に座っている。周りにも黒い服装をした大勢の人々が同じように椅子にかけ、みな同じ方向を向いている。視線の方向に目をやると、いろとりどりの花が敷き詰められ模様を作っている。みな息をひそめ、厳かな雰囲気が漂う。お葬式だ。と私は思う。


行列に並び棺に近づいて中を覗き込むと、どこにでもいそうな風貌の老婆が目をつむり横たわっていた。これは私だ。夢だからだろうか、今の自分とはまったく違う顔つきなのに、そう確信する。

突如前面に、白く視界を塗りつぶすほど大きなスクリーンがぱっと現れ、映像が流れる。海のにおいが鼻をかすめる。あの映像だった。

何故か音声はついておらず、無音でただ映像だけが流れる。

波のしぶき、彼女のまるく柔らかなくるぶし、閉じ込められた夏の空気。

気付くと周りにいた大勢の人たちは1人もいなくなっていて、先ほどまでかけていた椅子でなく、いつも座り慣れたあのソファに1人で座っていた。1人で座るにはちょっと大きすぎるな、と私は思った。


どこからか清楚な雰囲気の女性が現れ、私が大学生の頃に使っていた安いUSBメモリを取り出す。それを、まるで宝石を扱うような厳かな手つきで、棺の中に納める。蓋をされた白い棺が、重い焼却炉の扉の中へ吸い込まれていく。

すぐに焼却炉の扉が開き、隙間からぶわあと白く泡立つ波が押し寄せる。波の花だ。私は頭から飲み込まれ、身体が押し流される。泡は人肌のようにあたたかく、包み込まれると全身の感覚が薄まっていく。


どれくらいの時間が経ったのかわからないほど、そうしていた。気付くとその泡の上に立っている。足は裸足で、透き通るほど軽くて薄い生地で出来た白いワンピースを着ていた。

上空も白く、ぐるりと見回しても足下と空中の境目がわからないほど、延々と白い色が続いている。足元は泡じゃなくて雲なのかもしれなかった。ベタな天国のようだった。


遠くの方からおーいと叫びながら、人が走ってくる。彼女だった。私も彼女も今とまったく同じ年齢の見た目をしていた。

彼女は大きな白い花束を抱えて息を切らし、クランクアップですね!と言う。

この作品はあなたにとってどんな作品でしたか?と、手でマイクを握るジェスチャーをしながら彼女は問いかける。うーん、明日までに考えておきます、などとぼかしながら、私は夢の中なはずなのに先日の彼女の台詞を思い返していた。


喫茶店から駅へと変える道で、この日々は映画にはならないね、と彼女は言う。平和すぎるから、物語は起伏がなくちゃ。確かにそうだ。でも私は知っている、起伏がない日々をお互いに愛していて、このまま日が落ちるように日々が流れていきお互いに老いていくのだろうと、根拠もないが確信していた。花が枯れ行くのを知っているように、彼女が老いていく姿を知っている。正確には見ていないので知っているとは違うはずだけれど、夢想しすぎて手に取るようにわかっていた。

2人とも映画の主人公タイプではないよね、もちろん名脇役でもないけど。彼女が続けて言う。きっと、ただ寄り添って暮らす私たちの人生は、あまり多くの人から想定されてないだろう。だから、きっと画角の端にもかからずに、作品にもならず人の意識にも上らない場所で、淡々と生活を続けていくのだろう。


お疲れ様でした、今日の夕飯は何か美味しいものを食べよう。と言って、夢の中の彼女はにっこりと笑った。


私の人生のエンドロールには誰が出るのだろうか。案外彼女の名前はたくさんの名前の中に埋もれてしまうのかもしれない。まだわからない。

夢の中で彼女が渡してくれた花束の、風が吹いただけで崩れそうな薄い花びらからは、薄ら甘い赤子の肌のような香りが漂っていた。

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百合短編集 詩乃 @ma96n

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