応援コメント

第84話 批判で折れる作品は折れろ」への応援コメント

  • 私の場合、概ね同意なのは今更言うまでも無いですね。まぁ、私は読み専ですが。



    横レスになりますが、私は「創作」では無い、例えばエッセイなど作者個人の意見や考えを主張表明する場合には、作者個人の人格や為人(ひととなり)が問われるのは至極当然であると考えます。


    作者からの返信

     ろくおさん、コメントありがとうございます。

     おお、読み専のかたからの同意、いただきました。いやー、いろんな立場からコメントを頂けるのは嬉しく思います。

     さて、この横レスにも僕が答えちゃっていいのかな。きっといいのですよね。
     エッセイの場合、確かに作者と作品の距離が近いので、批判が作者へのダイレクトアタックになりやすいですよね。
     個人的には、それも仕方ないのかな、と思っています。(そもそも、創作であっても作者が人格を問われるのは、ある程度なら仕方ないと思っていますし)
     まあ、話題に上がっている範疇であれば問題ないんじゃないですかね(僕の基準ですけど)

     コメントありがとうございました。横レスも常に歓迎しております。


  • 編集済

    あのう、お聞きしたい事があるんですよ。もしもの話なんですがね。
    「もしもチンケな批評家野郎が俺の小説を批判したら、数百もの仲間が大挙してそいつのアカウントを潰す」っていう感じの事を割と人気のある作者が言ってたら、それって脅迫だと思いますか。ちょっと、怖いお話を思いついたもんで。

    作品に対する反応の中で一番堪えるのは、無反応ってやつじゃないですかね。私はそんな風に思うんです。無反応が続くよりはまだ、アンチがツイッターを監視してきて、いちいち批判的文章を書いてくる方がまし……かなあ(;^ω^)

    バンドの脱退の経緯って、色々あるんですね。
    ろっくさんビジュアル系やればいいのにと思います。
    すごい服とかメイクで家を出ようとしたら、おばあちゃんから「おめえだれだべ~!」とか大騒ぎされて欲しい……(楽しい妄想)

    作者からの返信

     むらさき毒きのこさん、ありがとうございます。

     ほう、「もしもチンケな批評家野郎が俺の小説を批判したら、数百もの仲間が大挙してそいつのアカウントを潰す」と……
     その言い方だと、もう脅迫ですね。仮に何百もの仲間がいなくても、だと思います。
     僕が誰かと喧嘩するとき、周囲に援護射撃を頼まないで観覧を推奨するのも、そういうのを避けるため、かな。もちろん自主的に参加したい人は自己責任で参加してもらっても構いませんが。

     一番堪えるのは無反応……か。そういや小学生の頃、僕の担任をしていた先生が似たようなことを言っていましたよ。
    「いじめの一番ひどいやり方は、無視することだ。暴力や悪口はまだその人の存在を認めているだけマシだ」
     とかナントカ。
     僕も無視されるくらいなら、喧嘩売ってくる人がいた方がありがたいって考えです。

     ビジュアル系かぁ。まあ、集まったメンバーがそんな感じなら考えるかな。
     家からそのメイクで行くの!? うわー、めっちゃハードル高い!
     ばあさんはたまに僕の顔を認識できなくなりますよ。髭とか伸ばすと混乱するみたいです(笑)

     コメントありがとうございました。

  • ツイッター上でのろっくさんの意見には納得がいってませんでした。
    ですが、これを読んで半分は理解できた気がします。

    作者からの返信

     暮伊豆さん、ありがとうございます。
     ツイッターだと身の上話なんかするほどの文字数がないですからね。半分も理解してもらえたなら充分。書いた甲斐があったってものです。
     ああ、そっか。これがエッセイとツイッターの大きな違いかな……

     あ、いやいや、ちょっと今のコメントを読んでいたら、またネタが思いつきましてね。近日中に書くかもしれません。(別に悪いようにはしませんよ)
     コメントありがとうございました。

  • こんにちはー。

    >でも、ベース担当が録り直しを勝手に決定してしまった。

    CDの収録音源問題に、そんな裏が。
    バンドはめんどくさいですよね。作曲全部任せる(任せるとは言ってない)とかさ。ぼくも昔やろうと思ったことがあるんだけど頓挫したんですよね。嫌なことを思い出しましたw

    >すべては、自分の意思決定によるものだろう?

    これはそう。

    本人の自由意志による決定なのに、それを盾に外野が批判者を攻めるようなのは違うと思うね。

    ぼくは作品の批判は全部OK派ですね。
    作者の人格批判はNG。作者であっても行為の批判はOK。

    『あいつは池沼』はNG。『アホなことを言ってる』はOKみたいな。

    あとは、一対多の構図になったら多の側には加わらない。
    意見が合うなら、一の方の肩を持つ。

    作者からの返信

     樋口さん、ありがとうございます。

     まあ、本文にもギリギリ書きましたが、あれは実話をもとにしたフィクションみたいなものとしてお楽しみください。
     ……いや、実際僕の言い分は僕に有利な解釈が含まれておりますからね。

     おや?樋口さんも何やらバンドに関する思い出が?
     お互いに大変ですね。『全部任せる』は時として危険なのかもしれません。境界線が曖昧であれば、本当に全部は任せられないものですし。
     そもそも、スタジオからミキシングに至るまで、全ての音源に関する権限と機材をベーシストに頼ったのが間違いだったかもしれないなぁ。大金を払ってでも外部に委託するんだった。



    >『あいつは池沼』はNG。『アホなことを言ってる』はOKみたいな。

     樋口さんの例だと、わりと言い方ひとつで……っていう境目を感じますね。いや、僕も人格と行為は分けて考えているつもりですが、結構やってるかも……
     ただ、相手が『どこを気に入らないのか』ってのが見える瞬間があって、それが行為に対してだったら、どんな言い方でも話はブレないんですよね。逆に言うと、話題がブレるなら人物そのものへの批判の可能性が高いかも――
     おっと、今のはあくまで僕の考え方ですけどね。

     ああ、多数派はもう勝ち目みたいなのを得ていますからね。それ以上は死体蹴りみたいになっちゃうのかな。

     コメントありがとうございました。いろいろと参考になるお話でした。