第77話 楽しい考察の在り方と、漫画『ルックバック』についての評価
よう、古城ろっくだ。今日はサントリーの『こだわり酒場のレモンサワーの素』を、ウィルキンソン炭酸でだいぶ薄めて飲んでいる。氷多めでキンキンキンに冷やしてな。
ああ、安い居酒屋の飲み放題プランで出てくるレモンサワーの味……よりもちょっと上等かもしれない(笑)
ジョッキで飲むのが最高だよな。まあ、このジョッキ『JIM BEAM』って書いてあるけどさ。
さて、本題。……の前に、ちょっと注意事項だ。
今日は少年ジャンプ+で発表された、藤本タツキという作家の『ルックバック』って漫画について、
「あの作品がいかにつまらなかったか」
という話をしていく。
なので、まだ読んでない人は先に読んできてくれ。僕は君が読んだ前提で話をするので、ネタバレどーのこーの以前に未読だと話について来れない可能性がある。140ページもあるが、大ゴマ中心なので意外とサクッと読めるはずだ。
いや、まあいくら無料でも、自分がつまらないと思った作品を誰かに「読んできて」と言うこと自体が心苦しいのだけどさ……
ちなみに言うまでもないが、僕は自分が面白くないと感じた作品についてはボロクソに批判する。今回もゲロゲロに行くぜ。
なので、ルックバックを面白かったと思った人は、ここから先を読むにあたってそれなりの覚悟をしてくれ。レスバならいつでも受けて立つ。
さて、本題。
あの作品、まあ訳の分からねー話だったよな。いや、話の筋は分かるんだよ?
漫画描いてる女の子が、引きこもりの絵が上手い子を外に引きずり出した。結果として二人は漫画家として成功するんだけど、引きこもりの方が美大に行ってしまった。
で、偶然にもその引きこもりが、通り魔に殺されてしまった。
責任を感じた主人公は漫画を描く意味を見失ったけど、なんか平行世界の彼女から応援されたような気がして、もう一度漫画を描き始める。
もしかしたら、自分が素直に空手なんかやってたら、彼女が死ぬことも無かったのかな、って思いながら――
って感じの話でしょ?
で、どこに感動しろと?
なーんか僕に言わせれば『人の死を描けば重くなると勘違いしている』系の、痛い中学生が書いたシナリオみたいに見えたんだよね。
あのー、なろう小説とかでもあるじゃん?「とりあえず人が死んで、主人公が寂しそうにしておけば重厚感が出る」とか勘違いしている人。いや、人が死ぬ物語全体を否定しているわけじゃないよ。死に方の演出の話をしているだけで。
まあ、僕としてはそこに『そのキャラクターの命と引き換えに伝わるメッセージ』とかがあって初めて、物語はその人の死に意味をつけることが出来ると思うんだよ。
現実の人間の死と違って、物語のキャラクターは読者に何かを伝えるために自分の役割を演じている。だから『死ぬ』という行為ひとつとっても、何かの意味があったほうがいい。逆に言えば意味が無い死は悪い。
生憎だが、僕はあの作品が描いた『死』に、喜怒哀楽の何の感情も動かされなかったし、何が言いたいのかも分からなかった。
あ、「美大とか専門学校とかに行くのは人生無駄にするぞ」ってメッセージか?それなら理解できる。僕もイラスト系の専門卒だからな(笑)
――いや、もちろん冗談半分だよ。こんな冗談で茶化せるほど、あの作品の登場人物の人生が軽かったって事さ。
ただ、人の意味の無い死が、実は一部の層に効果的だったりする。それはいわゆる『考察厨』と呼ばれる人たちだ。
彼らは大別して、3つに分かれる。
1.考察が好きな人。なんにでも考察を持ち込まないと気が済まない人だ。
2.作品が好きな人。好きすぎていつの間にかその作品を深淵まで知り尽くしていた。
3.考察している自分が好きな人。『考察が出来る俺、カッケー!!』(笑)
上記のうち、1の人はルックバックを読んで考察した後、大して考察の意味が無い事に気づいて落胆しただろう。2の人は、そもそもルックバックを何度も読まない(笑)
つまり、3の人だけがルックバックを考察して、それを嬉しそうに垂れ流しているわけだ。まあ、かくいう僕もこうしてエッセイなんか書いているとおり、3の気質が若干入っているわけだが。
まあ、まあ、
せっかくだから、ネットに上がっている考察を見てみた。
『あの作品は、京アニ放火事件からインスピレーションを受けているんだ』
……いや、まあ、知ってた。つーか、気づかない人はいないくらいだと思うぜ。よくそんなことドヤ顔で語れたな。
まあ、京アニ放火事件からインスピレーションを受けていたからと言って、それが何なのだという話でしかない。これが実は、実在する事件の真相を語っているとかなら都市伝説として面白い。ただ、そうではないんだよ。
別にこの漫画を読んで、あの事件の遺族が「救われました」「報われました」ってなるものでもないだろうし。
つまり『作者はここを参考にしました』だけで終わる。ほら、次。
『あれはOasisのDon't Look Back in Angerって曲からインスピレーションを受けている』
……ほう。ちょっと興味のある話題だ。僕はOasisをクソバンドだと思っているし、大した曲は無いと思っているのだが、あらためて聞いてみよう。
……うん。やっぱ普通(笑)
で、恥ずかしながら僕、この曲の日本語訳を初めて読んだ。ついでにインタビュー記事も読んだ。
なんでも、テロ事件になぞらえて作られた曲らしいな。なるほど。そう言われてみると、大切な人が遠くへ行ってしまう別れの歌のように見えた歌詞も、違った見方が出来る。
大切な誰かが、偏った思想に取りつかれて、取り返しのつかないことをしようとしている。それを止められなかった人の歌なんだな。……ぶっちゃけ、良い歌詞だと思ったぜ。初めてOasisを尊敬したかもしれん。
さて、素晴らしい歌詞と、その歌詞への素晴らしい考察を知ったが、ここまではOasisへの評価であってルックバックへの評価ではない。そもそもルックバックって漫画が世に出されるよりずいぶん前の記事だ。
で、この曲と歌詞の意味を知ったうえでルックバックを読んでみた感想としては
『ああ、作者はそこから刺激を受けたんだね。ふーん』
の一言で終わる。
他の考察に関しても、『ああ、作者はそこから話を思いついたんだねー』って感じの考察ばかりで、それを知ったところで作品の読み味が変わることはないものばかりだった。
さて、ここからは『いい考察』と『悪い考察』について語っていこう。
作品への考察で大事なのは『そこに気づけば作品の本当のメッセージが読み取れる』というものだ。
細かな演出から、大きなテーマまで、全ての考察に共通して言えることだ。我々ユーザーは『考察から導き出される答えが、作品およびその見方を変えてしまう』ことを楽しみにしている。
考察とは、決して楽屋の裏話のことではない。
作者がその漫画を思いついた切っ掛けとかではなく、作者がその作品の裏に込めた内容が見えて初めて、『作品への考察』と言えるだろう。
その辺を分かってない連中が、『あの作品を執筆していたときのBGM』だとか『作者が好きな料理』だとか『作者は童貞なのか』とか、クソどーでもいいことを知りたがる。
我々は作品を見に来ている。作者の生態系調査にきているわけじゃない。
いや、例えばその作者がじつはアイドルだったとかいう話なら、そりゃアイドル好きは集まるだろうなと思うが。
何度でも言うが、作品への考察と、作者の執筆時の裏話はまた別の話だ。
今回のルックバックという作品、考察と名のつく記事は軒並み『執筆時の裏話』しか見えてこなかった。
結果として、「ふーん、だから?」で終わるのである。その「だから?」への答えが、彼ら考察厨から返ってくることはない。
例えば、このエッセイは『よう、古城ろっくだ。今日はレモンサワーを飲んでいる』から始まるけどさ。それはこのエッセイの『主役(つまり僕と、君たち読者だ)』の話だから楽しいのであって、
例えば僕が今連載中のママチャリ無双まで
『よう。古城ろっくだ。今日はユイちゃんが風呂に入った後の残り湯を飲んでいる』
って始まり方をされても困るだろ。困惑するしかないわな。
「古城ろっくって誰だよ!ユイちゃんを出せー」
はい。ごもっともです。
そんな裏話は語らんでもいいんだよ。
『実はイアちゃんとカオリちゃんとアミちゃんの名前を決める時、ちょうど手元に模型雑誌があって、ガンダムシードデスティニーの特集してたから、ガイアガンダム、カオスガンダム、アビスガンダムから名前を取りました』
とか、それを知ったところでママチャリ無双の読み味の何が変わるんだよ?知ってたから何だってんだよ!?
――まあ、つまり、
この『ルックバック』って作品は、本編がつまらなくて退屈だったばかりか、読者の考察も含めて何も面白くなかった。っていうことで、今回はここまで。
あ、そうだ。久しぶりにあのセリフも言っておこう。
「そんなことより、ママチャリ無双を読んでくれ」
別にキャラの名前に関する考察とか、そんなの抜きにして楽しんでくれよな。――いや、自転車の走り方とか、キャラの心境とかは自由に考察してくれ。そこはある程度楽しめるようにしているつもりだからさ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます