怒りというか形にならない鬱屈がエネルギーになってた時期はありますなー。
ただしその元凶が居なくなってしまった時に、エネルギー自体が雲散霧消してしまったという次第……
怒りが引き金になったのはむしろ研究の方でしたー。
ちょ待て、プロな教授がこんないい加減な! という奴です。その怒りがすさまじかったので反論すべく論文かけて発表できる立場に時間限定で立ったくらいでございます。
ただし怒りがエネルギーだと文系研究はダメですね。対象への見方が問題に。
小説の場合は怒りは持続できない、というのに賛成。つかそれ精神衛生に無茶苦茶悪いし(笑)。だから発散のために何か書くのはいいと思うのだけど。それを表に出すには少し寝かした方がいいよね、という感じで。
作者からの返信
江戸川さん、ありがとうございます。
怒りって本当に扱いが難しいですよね。そうそう。元凶の人が消えたらもうなんかいいやって思う事も多いです(笑)
おお、研究ですか。論文ですか。僕の知らない世界!
分野によって、怒りのブーストがどうかかるか変わるのは面白いですね。っていうか普通に凄い。論文発表とか。
こういう分野の違う人のエピソードとか聞けるの、メッチャ嬉しいです。
文系研究とかだと、結論ありきで研究したらねじ曲がっちゃうから、ですかね?ああ、ごめんなさい。なんか詳しくはないんですけど。でも反論を前提にいろいろ引っ張り出すと、確かに見方が問題になりそうです。
小説は怒りっぱなしで書いてると疲れますよね。共感してもらえてよかったー。
結局その日は忘れない程度にメモして、そのまま寝ちゃうのが良いですよね。自分の精神状態って、小説書くのには大事ですもの。
コメントありがとうございました。
怒りですよねー。私の場合、ツイッターとかカクヨムに書いちゃってますからね。何か腹立つ事あったら。だから、怒りパワーを溜め込んだらどうなるのか、分かんないんですが……たぶん病気になるかもしれないとは思います。腹立つ事あっても黙って我慢していたら。それに私が何か嫌な事があったらすぐにツイッターとかエッセイに書く奴だと周囲に知れ渡ることで、私の悪口を書く人が、私の悪口を書く事を自粛してくれたらいいという考えもあったりして。
あと、メチャクチャ腹立つ事を誰かにされたら、あった事をそのまま言いふらしますし。親しい人とかに。それも、何べんも。「しねばいいのに!」「黒はげエロジジイ」「ケツ毛に絡んだトイレットペーパーみたいなやつ」「しょぼくれの狂い咲き」「あいつアゴ長すぎて地面刺さってたで、このあいだ○○公園の○○山」「しみったれの貧乏神野郎」とか、大げさ&ボロクソに嫌いな人を貶して、「そこまで言わなくても」と、周囲をドン引きさせたあと、「だよねえ~」って、笑うのです。
そうすっとどうなるかというと、小説書く頃には脱力していて、怖い話とか書けませんね。
そういえば、漫画家の蛭子能収(えびすよしかず)さんがテレビでこんな事を話していましたね。蛭子さんというのは、いつもニコニコというか、ヘラヘラしているのです。だけど心の中では、酷い事を言われたりされたりして、怒っているのです。そして、その殺意だとか色々を、漫画に描いたのだそうです。ものすごく人が血を流したり、そういうのを。
怒りを作品作りの原動力にする人はするし、しない人はしないのかなあ、というのが私の思うところであります。
作者からの返信
むらさき毒きのこさん、ありがとうございます。
おお、怒りパワーを溜め込めるタイプの人ですか。僕にはない特性ですね。
ああ、でも病気になるとか爆発するとか、溜めてもろくなことにはならなそうですよね。そういう見方をすると、溜めるべきなのは怒りじゃなくて経験。残すべきは感情じゃなくて記憶なのかも。
ああ、悪口を書いた人を晒しあげることで、次に悪口を書こうとしている人を牽制する狙いもあるんですね。そういうのも効果的かもしれません。少なくとも、生半可な気持ちで突っかかってくる人は減りそうです。
ところで、「ケツ毛に絡んだトイレットペーパーみたいなやつ」とか、どっから出てくるユニーク誹謗っすか(笑)
ボロクソなのにどっかユーモラスなのがいいですね。そのうち何を怒っていたのか忘れそう。
蛯子さんも怒ることがあるんですね。なんか感情を外に出したところ見たことがないです。あ、あと漫画も多分読んだことが無いです。
外見のイメージと作者のイメージが噛み合わないのも、もしかしたら発散や作品への昇華がうまく出来ているからこそ、なのかもしれませんね。
面白いお話、ありがとうございました。