第54話 自作に長文感想や批判が来た時の対処法を教えるぞ
よう、古城ろっくだ。
いつもなら、批判の在り方について『読者は何を言ってもいい』『作者なら何か言われる覚悟を持って読者に読ませろ』と言っている僕だが、今日は趣向を変えてみようと思う。
つまり、珍しく『長文で批判された!!』って文句を言っている作者の味方をしようというわけだ。頼まれもしなければ相談されてもいない対処法を、僕が伝授しよう。
その前に、ちょっと閑話休題。
今日はいつも通り黒霧島を飲んでいるんだが、まあこの焼酎の美味さを語るのは今更なので、違う形のオープニングアクトを用意しよう。
ショートコント。『中身のない批判』
「こないだメッチャ腹立つことあったんよ」
「どないしたん?話聞くで」
「ありがとう。……で、凄い腹立つ感じで話しかけてきたやつ居るんよ。初対面なのに」
「ほう。どんな感じ?」
「こう……ブサイクやったんよ。気持ち悪いオッサン」
「そのオッサンがいきなり話しかけてきたわけやね。なんて?」
「とにかくブサイクでキモイねん。ホンマ腹立ったわ」
「うんうん。で、何て言ってきたん?」
「最初は普通に声かけてきたんやけど、これがまた声もキモイねん」
「うんうん。それで?」
「もう嫌やろ。そんな感じやねん」
「いや、それオッサンまだ悪いことしてへんやん」
「キモいだけで罪や」
「オッサンかて好きでその顔に生まれてきてないわ。失礼なやっちゃな」
「キモいゆーたら、あれや。俺が小説書いてる話したっけ?」
「聞いたな。読んどるわ」
「ありがとな。……で、その小説にメッチャ長文で批判書いてきた荒らしユーザーがおんねん」
「おお、どんなこと書かれたん?」
「いや、メッチャ長文やねん。500文字もあるんやで」
「まあ、500文字言うたら遅筆のお前が1週間かける量やな。で、中身は?」
「中身もキモイねん。何て言っても500文字やで。キモっ」
「いやまあ、その長文で何を書かれたんよ?」
「長文で批判や」
「せやからどんな批判か聞きたいねん。それが正当な批判か、それとも単なる誹謗中傷かで話が変わんねん」
「それがな。500文字やで。俺に批判書く暇があったら自分で小説書けって思うわ」
「まあ、500文字って小説にしては短いし、もっと言えば小学校でも読書感想文で800文字くらい書かされるけどな。……いや、長さはええねん。本文の内容は?」
「マジで人を批判している暇があったら小説書いてほしいわ」
「その人が別名義で小説書いてたらどないするの?なろうで読み専のF-117がカクヨムで100万字以上かいた古城ろっくかもしれんやん」
「いやいや、ないな。相手は小説書いたことあらへん。ええとこ編集しか経験ないやろ」
「小説の編集はだいたい小説書いたことあるらしいよ?……いや、それはええから中身の話しろや」
「あの批判な……ホンマに中身のない500文字やったわ」
「お前の話が一番中身のない500文字や!もうええわ」
「「どうもありがとうございました」」
――と、ショートコントはここまで。
さて本題ってやつだ。
批判されて悩む作家たちに、僕の方から立ち直るためのアドバイスをしよう。同時に、一番やってはいけない愚策も紹介する。
まず、相手に批判されたときは『たたかう』『にげる』の二つの選択肢がある。逃げると言えば聞こえは悪いが、要するにリングに上がらないって意味さ。売られた喧嘩をいちいち買ってたらキリが無いからな。
で、『にげる』を選択した君はきっと、無言で相手の感想を削除したか、適当に
「そう思うんならそうなんだろう。お前の中ではな」とか
「それってあなたの感想ですよね?」とか
そんなことを言ってきたんだろう?まあ、それはいいさ。賢い自衛策だ。
一方、『たたかう』を選択した人たちよ。君たちは戦うのだから、『勝つ』か『負ける』かのどっちかだ。
ちなみに、ここで負けた人にも救いの手を差し伸べておこう。負けた事自体が重要なんじゃない。負けから何を学び、何を得るのかが重要なんだ。
時として、自分から負けを認めることも必要だろう。そんな時は、批判してきた読者に
「参りました。お見事です」
「勉強になりました」
「今度そのアイデア頂きますね」
とか言っておけばいい。ちなみに、僕はこないだ3番目を言った。せっかくヒロインが水着を着ているんだから、それ自転車に乗っている間に食い込むイベントはあっても良かったよな。完全敗北だ。あっはっは。
さて、ここまで話してきたことをまとめるぞ?
批判されたとき、出来ることは3つ。『勝つ』『負ける(負けを認める)』『逃げる(というより、そもそも戦わない)』の3つだ。
好きなの選んでいいぞ。
……いや、マジで好きなの選んでいいぞ?
この3択のうちどれかを選べば、そんなに悪い事にはならないはずだ。いい方向に転がることも出来る。
ただ、たまにその3つのうち、どれも満足に出来ない無能がいる。
前述したコントのボケ担当みたいに、相手の批判の内容を理解できない(あるいは、受け入れられない)くせに、文句だけは言いたい作者がいるわけだ。
……いや、まあ、
批判を受け入れられないこともあるだろうな。それなら、徹底的に自分なりの正論で相手の批判を論破するか、あるいは黙っているかどっちかにしたらいい。
なんで「長文で批判されたー」とか、周囲に言いふらしてしまうんだ?
それは相手の言った内容に対する批判ではなく、ただ文章の長さへの批判じゃないか。ぶっちゃけ、相手の話を聞かないで「顔がキモかった」とか言ってる奴と思考回路が同じだぞ。
せめて中身を読んでから文句を言うか、読み切れないなら黙って削除しろよと思う。マジで。
みんなも批判を貰った時は思い出してくれ。その後の対処は間違うと致命傷になるぞ。
以下、余談。
基本的に、批判が長文になるのは当然なんだよ。
ここで「え?なんで?」って思った諸君のために、きちんと解説する。
作品には、『作者が自覚している事』と『自覚していない事』の2つの要素がある。
それとは別に、『作品の良い所』と『悪い所』の2つの要素もある。
つまり、この2つの要素から分類できるのは4つだ。
・作者が自覚している、良い所。
・作者が自覚していない、良い所。
・作者が自覚している、悪い所。
・作者が自覚していない、悪い所。
このうち、自覚しているところは、いちいち説明しなくても「ここ、すき」の一言で終わる。あるいは、「ここ嫌い。作者も気づいているだろうけど」で終わる。
一方、作者が自覚していない点については「ここはこういう理屈だと思います。作者自身も作中でこのように語っていました。しかしそれを基準に考えると、こういう矛盾が産まれます」と、一言では説明しきれない内容になる。
そして、多くの作者は自分の作品の良いところは自覚しているが、悪いところは自覚していない。
つまり、説明に手間がかかるので長文になるのである。
もう一度言おう。
悪い点を多く挙げるから長文になるのではなく、ひとつの悪い点を説明するのに手間がかかるから長文になるのである。
だから、良い点は簡潔に語れるのに、悪い点は長文じゃないと語れないのさ。
なのに『長文だから荒らしだ』って決めつけるのは、あまりに狭量だし、下手すると文章力がない事を自己申告しているに等しい。
狭いコミュに引きこもってイエスマンだけを集めてカルト宗教でも作るなら話は別だが、そうじゃないならマジでやめとけ。作る仲間より作る敵の方が多くなるぞ。
と、余談もここまでにしておこう。
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