第39話 VRゲームものの小説はクソゲーなのか?

 よう、梅酒ロックだ。今日は古城ろっくを……


 ……うん?

 あ、ああ、いや。ちがっ!違うんだぜっ。

 よ、よう。古城ろっくだ。今日は梅酒ロックを飲みながら話していこうぜ。ってことで、今回用意したのはチョーヤの梅酒紀州だ。アルコール度数より味の濃さが強くて飲みにくいけど、ちびちびやるには最適だな。

 瓶の底に入ってる梅は食ってもいいのか?まあ、もう少し減らないと取り出せないけどさ。




 さて、本題。

 今日はゲームの話でもしようかな。某サイトでよく見かける話がある。

 いわく、『VRMMOものの小説に出て来るゲームは大半が現実味のないクソゲーである』って主張だ。

 彼らが言うには……


「ユニークスキルが一人だけに与えられる不公平、不平等はおかしい」

「スポーツだってゲームだって平等なルールだから面白いはずだ」

「上位ランカーなんかすぐに入れ替わる。一人がずっと無双なんておかしい」

「PvPで無双するとか現実的に無理」


 と、ざっくりまとめてみるとこんな感じか。

 ……これ、実はゲーマーの好みの問題であって、別に言うほどのクソゲーではない。

 クソゲーってのはね。バグに邪魔されて、不自由で、なんというか、救えないレベルじゃなきゃあダメなんだ。

 KOTYとか見てると、自分が『クソゲー』呼ばわりしていた大半のゲームが悪くない出来だったことに気づかされるよな。

 進行不能バグ、セーブ不能バグ、ゲー無、虚無、突然のフリーズ、未完成品……

 こういった要素があって初めて『クソゲー』と呼べるんだぜ。


 では、VRMMOものの小説を批判している連中は何なのかと言えば、簡単な話、自分の好みでないものに対して「こんなクソゲー誰もやらねぇよ」「こんなゲームが流行ってるとかリアリティねーし」と言っているだけに見える。

 例えて言うなら、ソシャゲによくある『課金ガチャでレアゲット』とか『放置するだけで強くなる』とかに対して「プレイヤースキルがー」って言ってる連中と同レベルだ。

 まあ、好みの問題なので君が個人的に「嫌いだ」と主張するなら否定はしないが。




 ――昔は、ゲームと言えばクリアを目指すだけだった。しかし今は違う。一度クリアしたとしても、まだ見ていないイベントや回収しきれないサブストーリーが沢山ある。だから何周もプレイできるんだ。

 とは、たしか某RPGの攻略本に書かれていた内容だ。あれからもう20年が経つ。今ではすでに、ゲームはクリアしなくても楽しめる領域へと入っている。

 もはやサブイベントとメインシナリオの区別がなくなり、広大なオープンワールドを自由な目的で歩くのが主流になりつつある。それがコンシューマーの方での流れ。

 一方で、ソシャゲは課金重視の基本無料プレイが流行り始めている。その理念は、某所でささやかれている通り『課金か努力のどちらかで勝てる世界』だ。

 考えても見てくれ。これって不公平だよな。

 だって一生懸命にプレイヤースキルを磨いてきた人たちが、課金アイテムなんかのせいで初心者と実力を拮抗させられてしまうんだぜ。それこそ20世紀にアーケードの格ゲーで遊んできた連中はこれを『クソゲー』と称するかもしれない。

 まあ、それでも流行ってんだけどな。


「ソシャゲとは、金は無いけど時間はある子供や主婦から時間を巻き上げるものです。そして対抗意識を煽ることで、時間は無いけど金はあるサラリーマンから金を巻き上げます。だから全員から金を取る必要はない。重要なのはどうやって対抗意識を煽るか、です」


 とは、とあるゲーム会社の人間が新入社員に言ったとか言わないとか、そんな言葉だ。現実にこれを発言した人がいるかどうかはさておき、現状を見るに説得力と現実味はある。

 これは前述した通り、20世紀なら考えられない『不公平』な売り方だっただろう。

 そろそろ僕が言いたいことが分かってきたんじゃないか?

 そう――


 ゲームでも何でも、ひとつの『不公平』を『公平』にすると、別の『不公平』が産まれる。

 バランス調整とは、『出る杭を叩いて個性を潰す』行為に他ならない。

 アップデート前はレアアイテムだった装備の上位互換を実装し、それまでのレアアイテムをゴミ同然にするのがバランス調整の本質だ。それで古参ユーザーが離れるゲームも多かった。

 しかし、それさえもクソゲーと呼ばずに、ずっと遊び続けているユーザーもいるわけである。


 話を戻そう。いわゆるユニークスキルで無双する系のゲームはクソゲーなのか?

 僕はそうは思わない。

 遊び続けていれば、あるいは課金さえし続けていれば、もしかしたらユニークスキルを超えられるかもしれない。

 あるいは、ユニークスキルで無双する戦闘の上位ランカーをよそに、戦闘と全く関係ないサブイベントを楽しむことも出来るだろう。


 かつてゲームは、プレイヤースキルを競うだけのものだった。

 それが、レベル上げとセーブデータ(あるいはパスワード)の導入で、長時間のプレイが積み重なる仕掛けになった。要領の悪い下手くそでも、時間で強くなれるようになった。

 そして、課金が始まった。要領も悪く、時間もかけられない新参プレイヤーでも、金次第で強くなれる時代が来た。

 僕の予想では、次に来るのは強さのいらない時代だ。プレイヤースキルもキャラクターのレベルも、課金さえも必須ではない。豊富なサブイベントがメインイベント以上に押し寄せ、戦う以外のことが楽しくなるような世の中が来る。いや、もう来ているかもしれない。


 十人一色の競争の時代から、十人十色の個性の時代、そして一人十色の多才さを求める時代へと社会が移り変わり、趣味も一人につき一つではなくなってきているこの世界。

 ゲームは、いつまでランキングを競うだけの遊びでいつづけると思う?

 主人公がユニークスキルで無双する中、他のプレイヤーは本当にそれに戦いを挑むだけの毎日を過ごし、負けたら何の意味もないクエストをこなしているのか?


 アバターと感覚さえリンクさせることが出来るようになった時代のゲームはどんなものなのか、それは僕にも想像がつかない。

 ただ、今時のゲームを基準に語れないのは確かだ。




 ――と言いつつ、僕も大してVRゲームものの小説とか読んでないんだけどね。

 単純に、デスゲーム系だとかで無駄に重さを出したりするのが気に入らなくてさ。システムがクソゲーであるかどうか以前に苦手なんだ。

 まあ、個人の好みの話さ。これをして『だからネット小説のVRゲーム系が流行るのはおかしい』とは言わないから安心してくれ。

 以上、バランス調整が大嫌いな古城ろっくでした。



















 ……つーか、上位に立ちたいなら、その分を努力でカバーしろよ。それで出来ないならそれ以上は無いものねだりなんだよ諦めろ。

 僕だってな。小さい頃、親にマウンテンバイクをねだったけど、親は買ってくれなかった。変速ギア付きのママチャリすら買ってくれなかった。与えられたのは盆踊り大会の景品になっていた最安値の自転車だけだ。初めて乗ったクロスバイクは、高校時代にバイトして買った。

 そんな僕から見たら、子供のころからスポーツ自転車に乗り、地元の少年チームに参加していた選手たちはチート能力持ちさ。

 え?じゃあそんなクソゲー辞めたくなっただろって?

 んなわけねーじゃん!楽しいぜ自転車。休日にサイクリングするのも、会社から帰宅しながら寄り道するのも、新しい部品を試しにつけてみるのも、楽しい!!

 ここまで育ててくれた両親にも感謝しているしな。いまさら取り換えてくれとか言わねーさ。

 それでいいんだよ。

 バランス調整?――なんだ?僕はこれから交通事故かなんかで死んで、神様から『お前を転生させて、子供のころから自転車の英才教育を受ける権利をくれてやろう』とか言われんのか?

 おいおい。要らんぞ。

 ――ってわけで、もし僕と同じようにソシャゲのバランス調整にイライラした人がいたら、自転車に乗ってみることをお勧めする。

 この業界にバランス調整は無い。車体性能から生まれ持った体系に至るまで、すべてが平等に不平等だ。楽しいぜ。

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