第13話 初心者に対して上級者ができること

 よう、古城ろっくだ。シラフで失礼するぜ。

 ……最近、なんだか酒が入ってないのにエッセイを執筆することに罪悪感を感じるようになってしまった。……が、まあいいか。


 ちょっとツイッターで小耳に挟んだ話なんだけどな。子供にゲームを辞めさせたければ、どうすればいいのか?って話。

 条例で1日1時間と制約を定める?

 いやいや、そんなことしたって辞めないさ。むしろ隠れてやるね。前よりしっかりプレイするね。

 では、どうすればいいのかと言うと……


・ゲームの目標を毎日決めさせる(必ずデイリーを全クリアするとか、一日1レベル上げるとか)

・効率の悪いプレイをさせない。

・負けた時、それを叱り反省させる。


 これだけで良いらしい。

 ……なんだか、まるで勉強させられているみたいだもんな。

 逆に言うと、勉強だって毎日の目標なんか定めず、効率の悪いやり方でも好きなようにやらせて、失敗しても叱らないようにするだけで、子供は自発的に取り組むようになるらしい。

 ついでにポイント加算システムでも付けて、やればやるほど点数が積み上がるようにすればなおいい。

 子供にゲームより勉強をさせたい親御さんは、参考にしてくれ。




 さて、僕が執筆しているなかで現状もっとも支持を得ている作品と言えば、こちら


https://kakuyomu.jp/works/1177354054889131392


 ご存じのとおり『スポはじ』なんだが、最近「これもどうよ?」って思い始めている僕がいる。

 自転車にしても何にしてもそうなんだが、上級者が親切心で「教えてやる」行為は、初心者にとってうざったいものになり得るのだ。

 酒だって「これは冷やじゃないとダメだ。燗なんか勿体ない」とか言い出す自称通とは飲みたくないよな。プラモだって横で「そこはヤスリがけが甘い。もっとしっかりバリ取らないと」みたいなことを言われながら作ったって楽しくないさ。


 ただ、ありがたいアドバイスもあるわけだ。その違いはどこにあるのか、ちょっと僕なりに考えてみた。


 鍵を握るのは、「可能性を制限するアドバイスなのか、可能性を広げるアドバイスなのか」である。

 早い話が、「こんなこともできる」「こうしてもいい」「こうやる方法もある」と教えるのは、どれほど多くても困らない。選択肢が増えたので、初心者はその中から好きなものを選び取るだけだ。

 一方、「これはやっちゃダメだ」「これもいけない」「こういう方法は禁止」などと教えると、だんだんやる気が削がれてくる。

 思うに学校教育がいまいち生徒に人気がないのは、「正解を教える」以上に「不正解を禁止する」方式で教育を進めてしまったからじゃないだろうか?

「りんごを5人に3つずつ配るなら、公式は5×3だよ。3×5だと不正解だよ」

 などと教えるから嫌になるのであって、

「りんごを5人に3つずつ配るなら、みんなどうすればいいのか、先生に教えて」

 って言えば子供たちもやる気を出して、友達同士で相談し合って答えを導き出すだろう。それでいいんじゃないか?

 先生ってのは自分から出しゃばって何かを教える必要は無い。何かを訊かれたら答えるくらいでいいのだ。

 そして生徒が「分からないのがどこなのか分からない」という状態になったら初めて、手を差し伸べるくらいで良いんだと思う。


 事実、チャリチャンはそうなっていると信じたい。

 読者が想定もしていなかったユニーク自転車の魅力を語り、可能性を広げる。

 しかしあれやこれやを禁止せず、「こうしなければならない」を極力減らす。

 そんな作品になっていたら嬉しいな。だからレースものであるにも関わらず、主人公の空君が勝負嫌いなのは結果的に良かった。「自転車に乗るなら勝たなきゃいけない」という価値観の押し付けを避けられるからな。


 スポはじは、現在交通ルール編をやっているわけだが、作者である僕自身「ちょっと細かいことを言いすぎかな」とか思ったりもするんだ。

 自転車の初心者にも、サイクリングの楽しさを教えよう……として書き始めた本作だが、最近は脱線しかけている気がする。




 本当なら、自転車だって「とりあえず乗ってみて、転びながらいろいろ覚えて行けばいいさ」と言えたらいいんだけどな。

 命に係わる事故の可能性も否定できないから、どうしても初心者相手に禁止することは多くなる。もっとも、同じ車両である自動車なんて、初心者にいきなり「免許取ってこい」って形をとるくらいスパルタなわけだが、ね。


 ――細かい禁止事項はさておき、楽しく始められるスポーツ。


 そんなふうに自転車を扱える世の中がくればいいなと思うよ。いや、もしかしたら平成生まれの僕が知らないだけで、かつて日本にもそんな時代があったのかもしれない。

 自動車が今ほど多くなくて、みんなが今ほど急いでどこかへ行くほど時間に縛られていなくて、

 道路の秩序が、ルールではなく思いやりで作られている。

 いがみ合いや煽り合いではなく、譲り合いで走れる。

 そんな時代が、あったのかもしれないな。


 最近、公園でも自転車の乗り入れを禁止しているところが増えてきて、「じゃあどこで補助輪を外す練習をするんだろう?」と本気で心配している、古城ろっくでした。

 ちなみに、古城ろっくは自転車エンジョイ勢だ。意外に思うかもしれないが、ガチ勢の連中にはついていけないぜ。体力的にも思想的にも。

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