第7話 小説とエッセイとツイッターの違い(僕主観)

 よう、古城ろっくだ。今日はなんかダラーっと語りたい気分だったから、こっちを更新してみる。

 いや、まあ気づいている人は多いと思うんだけど、僕がエッセイ書く時の熱量って、小説書くときと明らかに違うんだ。

 小説書く時は、とりあえず自分の書きたいものを、読者が読んでも楽しめるように書いている。あれはエンターテインメントであり、大事な作品であると思っているからだ。(目的は自転車の推進であったとしても)

 一方、エッセイは話題作りのための餌か何かだと思っている。ぶっちゃけ売名でしかない。ゆえに、バックアップすらとってない。

 ツイッターなんてもっと酷いもんでな。もはや売名ですらない。だからフォローもフォロワーも少ないし、ついでに言えば戦略も一切ない。逆に言えば、エッセイはあれ一応それなりの戦略を立てて書いていたりするんだな。それが戦略通りになった試しは少ないけど(笑)


 で、このエッセイはタイトルの通り、『長めのツイッターみたいなことをぐだぐだやっていく』というものだ。つまり、別に売名の目的はない。だから何の戦術も考えていない。もっとも僕の素に近いな。

 今日は酒が入ってないから、余計に、だ。


 こうして改めて書き出してみると、同じ『文章を書く』って行為でも全然違う感覚であるってことが再認識できるな。

 ちなみに、

「こんなエッセイをグダグダと1000文字くらい書いている時間があれば、その時間でメイン作品を執筆した方がいい」

 みたいなことをいう人がいるが、それは無理だ。「うんこも有機物なんだから食えるんじゃね?」っていうくらい無理だ。ちなみにそっちの趣味はないんだゴメンな。




 うーん……ここで終わってもいいんだが、味気ないな。もうちょっと余計な話でも語ろうか。

 小説の中でも、やっぱりメカニズムを語るときとか、キャラの心理描写を語るときとか、レースの展開を語るときとかで書く感覚が違うんだ。僕の気分によっては、「今はキャラの心情が書けない」とかいう時もあるよ。それでも別な描写は書けるんだよ。不思議なことにな。

 これ、もしかしたら細分化するとキリがないのかもしれない。

 まあ、趣味なんてこんなもんよ。




 次回は……そうだな。僕が忘れてなければ、「何故エッセイを書き続けるのか」なんて話をしようか。

 もっとも、答えを君たちは知っているんじゃないかな。僕の軌跡を知っている君たちは、ね。

 人間は単純な生き物で、僕だって単純な生き物の一人にすぎないのだよ?

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