エピローグ
ねえ勇者様、聞こえていますか?
貴方様が大魔王を倒されてから、早くもひと月。ミスティリオは活気に満ちあふれています。そこには人だけでなく、魔王の姿もあります。
人と魔王の確執はそう簡単には消えません。それでもまた一人、また一人と多くの魔王がミスティリオでの日々に意味を見出し、人の力になろうとしています。
そんな魔王たちに、若い世代の子らを中心に歩み寄る人が増えました。
勇者様が大魔王の支配から解き放った世界は、まるで貴方様が放った光の魔法のように輝いていますよ。
それなのに。どうして、どうして――――
「――勇者様はそう寝てばかりおられるのですかっ!!」
パトリシアに毛布をはぎ取られ、アイザックは眉間にぎゅっとしわを寄せながら薄目を開く。そんな寝起き姿に胸を焦がされながらも、パトリシアは心を鬼にして毛布は返さない。
仕事の合間に通うようになって半月。それはそれは甘やかしてアイザックの安眠を助けていた最初の頃に比べれば、見違えるほどに寝顔耐性ができている。
「ううん、あと5分……」
「勇者様、もうお昼を過ぎています。そう言って今日も家から出ないおつもりですか?」
毛布をきれいにたたむと、パトリシアは一日中ずっと日差しを遮っているカーテンへと手を伸ばす。しかし、がばりと起き上がったアイザックがその手を押さえた。
「やめて」
ただ光のまぶしさを嫌がるだけではない拒絶が、そこにはある。
「勇者様……勇者様はどうして、閉じこもっておられるのですか?」
いつもならアイザックを尊重して折れるパトリシアだったが、今日は違う。パトリシアはもう、燃え尽きてくすぶるアイザックの姿を見ていられなかった。
腕をつかむアイザックの手をそっと外し、両手で包み込む。
「…………怖いんだ。俺の選択は合っていたのか知るのが」
アイザックはまっすぐに見つめてくるパトリシアから、目を逸らした。
「大魔王としての命令次第では、魔王同士を殺し合わせることもできた……本当はそのほうが、互いに幸せだったかもしれない」
魔王は闘争に心躍らせ、人間は魔王の潰し合いで平和を取り戻す。そのように、わざわざ共存など選ばなくとも、他に道はいくらでもあった。
パトリシアはアイザックから手を放す。その目に、ゆらゆらと火が燃えていた。
「勇者様はほんっとうに、私の話を聞いていらっしゃらなかったのですね」
ぱちんと指を鳴らすと、カーテンが一瞬で燃え尽きる。驚きとまぶしさでアイザックが怯む間に、パトリシアは窓を開け放った。
「どうか! しかと! その目で! 貴方様が変えた世界をご覧下さい!!」
すぐ外を、何かがものすごい勢いで過ぎ去っていく。足自慢の魔王が、運び屋をしているようだ。その到着の速さに、荷を受け取ったお姉さんが喜んでいる。
向こうで新しい家が造られている。軽々と大きな資材を運ぶ魔王に、建築家のおじさんが指示を飛ばす。我に指図するなど良い度胸だ。そんな声が聞こえてくるが、その声音は満更でもなさそうで、現場は楽しそうだ。
ご近所魔王のジャックが、子供に囲まれていた。魔法で石造りの遊具を作って遊ばせながら、自身もその姿を岩の巨人に変え、両腕に3人ずつも子供をぶら下げている。
「あの日勇者様の命を救った
「でも……ほら。あそこで泣いている女性みたいに、幸せな人ばかりではないはず」
さめざめと泣きながらふらついて歩く女性は、旅の途中で遭遇した女性魔王だった。
「……っ、ひっく……酷いわ、ルーファス、さま。あんなに愛を、ささやいたのに。数いるうちの一人だった、なんて」
家の前を通過して行き、聞こえたのはそんな独り言。覚えのある相手の名に、アイザックとパトリシアは顔を見合わせた。
人生が終わったようなあまりの泣きかたに、声をかけるか迷う。そのうちに、男が一人、女性魔王を呼び止めた。
「あの、よかったらこれ使ってください」
「気安く声をかけるでない! 我は魔王ぞ!」
「そんなに悲しそうな涙に、人間も魔王も関係ありませんっ!!」
ハンカチを受け取った女性魔王の目から、もう涙は止まっていた。その顔は真っ赤に染まっている。男がカフェで一休みしませんかと、手を差し出した。二人は手を繋いで歩いて行く。
「あのように、人との恋愛に意味を見出す魔王も少なくはありません。これは、勇者様の望んだ世界ではないのですか?」
「でも…………いや、そうだね。ごめん、パティ」
もし両親が生きていたら、普通の家族として生きられるような世界にしたかった。だからこそ、アイザックは共存の道を選んだ。
その選択に自信がなかったために、閉じこもり、否定してしまった。だが、窓の外を見れば、それが間違っていなかったと思える。
「ねえ、パティ。俺はもう勇者とは名ばかりで、魔王たちへの抑止力でしかない。パティも勇者なんかに縛られない生き方を探しても――」
「勇者様っ! あまり私を軽い女と見くびらないで下さい!!」
パトリシアが軽かったら世の女性たちは空気より軽くなって飛んでいきそうだ。あまりの剣幕にアイザックはそんな想像で現実逃避していると、パトリシアが抱きついてきた。
「私は、貴方様が勇者だから好きなのではありません。勇者が貴方様だから好きなのですよ、アイザック様」
自分で言って恥ずかしかったのか、どんどん体温上昇して熱くなるパトリシアを、アイザックは抱きしめ返す。ますます熱くなったパトリシアの顔から湯気が出た。
「ひゅー、わざわざ見せつけるなんてお熱いねぇ」
「ちょっ、おい! 邪魔しちゃダメな雰囲気だろ……!」
「ルーくん! 王様!」
「久しぶりだな。アイザック」
「その様子だと、吹っ切れたか? 心配してたんだぜ」
外から二人が近付いてきた。ひと月ぶりに見た王様の顔は、多忙ゆえか少し痩せている。ルーファスも普段通りを装いながら、疲労の色を隠せないでいた。
いいところを邪魔されたパトリシアは二人を消し炭にしそうな目で見たが、すぐに気持ちを切り替える。
「私が出るべき案件が発生したのですね」
「ああ。休憩中にすまない。前から苦情が出ていた『夜間のフハハハ笑い』の件で、ついに当人同士がケンカを始めてしまって……」
「今んとこ魔王が手加減してるが、いつブチギレるか分かんねぇ。ここから近いんだ、一緒に来てくれ」
パトリシアは名残惜しそうにアイザックから離れる。そして、少し気まずそうにはにかんだ。
「その、あ、あいざ……勇者様。恥ずかしながら私、都合の良いことばかりお話ししました。人間と魔王は確かに手を取り合い始めていますが、トラブルも絶えません」
話しながら、アイザックへ手を差し伸べる。
「どうか一緒に、人間と魔王の世を平和にしませんか? 勇者様」
「喜んで。パティ」
アイザックはその手を取ると、目の下のクマが少し薄くなった顔で笑った。
(終わり)
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